3. 閉じ込められた妖精
「うーん、確かに『振らないで』って言ってるね。」
店に戻り、再び実稀がオブジェを振ると、諒が淡々とそう答えた。
「諒さんも聞こえますよね!ほら!」
「ほら、じゃない。俺には聞こえないんだ。」
実稀は渋い顔になり、衣織にそう答えた。
「え?」
衣織が不思議そうに二人の顔を見ていると、諒が苦笑しながら説明する。
「衣織ちゃん、俺は妖精達の声は聞こえるけど姿は見えないんだ。実稀は姿は見えるけど声は聞けない。」
「そうなんですか!?」
驚いてつい大きめの声をあげてしまう。
「実は他にも見える人、聞こえる人の知り合いはいるんだ。でも両方できる人は今まで出会ったことがない。」
「そうですか・・・」
そう言われても自分の希少性にピンと来なかった衣織だが、とにかく二人が戸惑っているというのはわかった。
「いいじゃないか、両方わかるならそれに越したことはない。即戦力として活躍してもらえそうだし、真面目でやる気もあるし!」
「まあ、確かに。」
諒の言葉に実稀も少し表情を和らげた。
「とにかく、ここから早く妖精を出してあげないと。しっかしいつ入ったんだ?」
諒はオブジェを手に持ち、ゆっくりと回しながら眺めている。
「たぶんこれを製作中に、この石にくっついていって紛れ込んだんだろうな。」
「ああ、なるほどなー。」
衣織は会話の意味はわからなかったが、一番の問題点に気付き、小さな声で二人に問いかけた。
「あの、それでこれ陶器でできてるみたいですけど、壊さずにどうやって出すんでしょうか?」
「・・・」
「・・・」
三人は、暫し途方に暮れたままそのオブジェを眺めた。
「うーん。一部を破壊するか、ほぼ同じ作品を探すか・・・」
「もしくは、中に『裂け目』を作るか、しかないな。」
「裂け目?って何ですか?」
変わった言葉を使うなあと首を傾げていると、実稀は少し意地悪そうに衣織に微笑みかけた。
「見てみるか?」
「え?」
そうして実稀に連れられて奥の部屋へと入っていくと、さらに下に降っていく階段が見えた。その先には白いドアがあり、実稀は先に下に降りると、ポケットに入っていた鍵を使ってそのドアを開けた。
「入っていいぞ。」
言われるがままに階段を降りて中に入ると、実稀が電気をつけた。眩しくて一瞬目を閉じる。目が慣れてそっと瞼を開けると、目の前の壁に、まるで斧か何かを一気にそこに突き刺したかのような、まさに『裂け目』ができていた。
「あれが『裂け目』。まあ見たまんまなんだけどな。あれを通って妖精達は向こうとこっちの世界を行き来してる。こっちの世界にしか無いものを求めてな。」
「向こうって、さっき教えてもらった妖精達が暮らすっていう・・・」
実稀は黙って頷いた。衣織は恐る恐るその裂け目に近付いていく。裂けている部分の内側には、まるでその向こうに宇宙が広がっているかのように、漆黒の闇とキラキラと光る小さな粒がゆっくりと動いているのが見えた。
「これって、開きっぱなしで大丈夫なんですか?」
衣織は裂け目に触れないように注意しながら、指を差して尋ねた。
「ああ。この部屋にある裂け目はこっちから開けたものだし、俺がチェックしているから問題ない。万が一妖精達がたくさんやってきても、あのドアを開けないと外には出られない。」
「ああ、なるほど。」
実稀は壁に寄りかかったまま説明を続けた。
「向こうから開けられた『裂け目』は朝開いて夜には閉じてなくなる。普通の人にはもちろん見えない。それにこの妖精達はこっちの世界に元々いる存在じゃない。あくまでも向こうの世界に属するもの達だから、向こうの世界のルールというか理に沿ってしか動けないし、そのルールだと、どうも一定の時間が経つと向こうに帰らなきゃいけないらしいしな。だから裂け目があるのは問題ないんだが・・・」
実稀はそこで言い淀む。
「何か他に問題が?」
「この裂け目をこちらから作ることができる人、俺はたった一人しか知らないんだ。だが、どうしたもんかなあ。」
衣織は首を傾げる。
「遠いところにいらっしゃる方なんですか?」
「いや、俺の・・・祖父なんだ。車ですぐに行ける距離に住んではいる。」
「え、お祖父様!?じゃあ話が早いじゃないですか!」
「はあ。だが会いたくないんだよなあ。」
渋っている実稀に、衣織は冷たい視線を向ける。
「え、いい大人がそんなこと言っている場合ですか?」
実稀はその視線から逃げるようにそっぽを向く。
「入った初日の従業員にそれを言われるとはな。」
「ほら、伊藤様が待ってますよ。早く行きましょう、『実稀』さん!」
「・・・」
嫌がらせのように下の名前で呼ぶと、実稀はジロッと衣織を睨んだ。衣織は口角が上がりそうになるのをグッとこらえながらそっと目を逸らす。
(あんまり揶揄ったら悪いかな。でも見た目によらず面白い人だな)
最初の印象はクールで紳士といった感じだったが、どうも中身は違うらしい。衣織はちょっとだけ親しみを感じるようになり、実稀の見えない所でこそっと微笑んだ。
その部屋を出て店の方へ戻ると、実稀は諒に再び店番をお願いし、衣織を連れて彼の祖父の家に向かった。もちろん先ほどのオブジェはボストンバッグに入れられている。
店から彼の実家までは車で三十分ほどの距離だった。相変わらず車内では沈黙が続いていたが、衣織がここ二日間の現実味のない出来事を思い出しているうちに、あっという間に目的地に到着していた。
その家は予想を上回る豪邸で、高い塀の向こうにある大きな建物は外からはほとんど見えない。それほど広い敷地の奥にあるのだとわかり、衣織は車の中で小さく感嘆の声をあげた。
塀の外側にも来客用なのか二台ほど車を停められる場所があるようで、実稀はそこに車を停めると衣織に申し訳なさそうに話しかけた。
「悪いが、その、しばらく車の中で待っていてくれないか?」
これまでになく歯切れの悪い実稀の言葉についツッコミを入れたくなる気持ちを抑えて、衣織は「はい」と素直に返事をしておいた。きっと祖父に会わせたくない理由が何かあるのだろう。
そんな推測をしている間に彼は例のボストンバッグを慎重に抱え、門の向こうに入っていった。
それから三十分ほど経った頃、実稀は入った時と同じように大事そうにバッグを抱えて車に戻ってきた。だが、今度は一人ではなかった。
「星野、すまない、ちょっといいか。」
助手席の窓へのノックの音と実稀の気まずそうな顔に驚いて車の外に出る。すると彼と一緒にやってきた優しそうな年配の男性が、ニコニコと微笑みながら衣織に声をかけてきた。
「星野さん、初めまして。実稀の祖父の桐生一です。新しい従業員さんなんだってね。これからも実稀をよろしく頼みます。」
「いえ、そんな!こちらこそお世話になる身ですので。よろしくお願いします。」
衣織はどうして実稀のお祖父様がここに?と不思議に思いながらも丁寧に挨拶を交わす。特に目的があって来たわけではないようだったが、楽しそうな笑顔で話してくれたことが衣織はとても嬉しかった。
そのままお別れの挨拶も済ませると、店に戻るため車は再び出発した。実稀は発進してからしばらくの間は黙っていたが、十分ほど経ってからおもむろに口を開いた。
「さっきは、突然悪かったな。」
「え?」
「いや、新しい女性の従業員が入ったって話したら、祖父がどうしても星野に会いたいって言ってきかなくてな。」
衣織は全くそのことを気にしていなかったので、予想外の謝罪に目を丸くした。
「いえ、気にしないでください。とても素敵なお祖父様ですね。でも、どうしてさっきはあんなに会うのを嫌がってたんですか?」
「・・・まあ、俺もそろそろいい歳だし、色々言われるんだよ。」
「え?」
言い渋る実稀の横顔をじっと見つめながら、横顔も整ってるなあ、と関係ないことをぼんやり考える。
「いや、だからほら、色々。」
「はあ。」
(何だろう、仕事のことかな?)
衣織は言いたいことがわからず黙って続く言葉を待ったが、結局濁されて話は終わってしまった。
「・・・とにかくだ。この件は解決した。明日伊藤様に商品をお返しに行って終了だ。」
「じゃあうまく行ったんですね!妖精さんも出られてよかった!」
両手を握りしめて喜んでいると、実稀は先ほどとは違い、優しい笑みを浮かべて衣織を見つめていた。だが衣織はその視線には全く気付かず、ほっとした気持ちで外に流れる景色をぼんやりと眺め続けていた。