29. いたずらな妖精
翌日は店の定休日だったため、衣織は決意が鈍らないうちにと実稀に電話をかけた。だが電話に出た彼はどうも様子がおかしい。
「実稀さん、急にすみません、ちょっとお話があって。」
『星野か?うわっ、おい何してるんだ!やめろって!』
衣織は大きな声に驚き耳を離してから再び声をかけた。
「どうしたんですか?実稀さーん?」
『ああ、すまないちょっとこっちで色々あって・・・あー!!それを落とすなって!!』
「・・・あの、何かお手伝いしましょうか?」
電話の向こうはかなり大変なことが起こっているらしい。衣織は思わず手伝いを申し出てしまったが、言ってから少し後悔する。
『悪い、ちょっとでいいから来てもらえると助かる!店の方にいるから!』
「わかりました。」
衣織は電話を切るとすぐに身支度を整えて店に向かった。
十分後、店のドアを開けて中に入り、その惨状に唖然とする。商品のいくつかは倒され、ケースや床の上には様々なものが散乱し、照明の傘の部分は傾いていた。
「何これ!?」
「星野?よかった!ちょっとあの子の話を聞いてやってくれないか!?」
目の前にいるこの店の店主は今日は当然私服だ。だがいつもはどんな服でもそれなりに格好がついている実稀が、今はヨレヨレのパーカーに裾が捲り上がったパンツ姿で埃まみれになっている。
「どうしたんですか、その格好!?」
「あの妖精が朝から暴れまくって困ってるんだ!言いたいことがあるなら聞いてやりたいんだが、何か言ってるか?」
そう言われて上を見上げると、店の照明の一つに腰掛ける紺色の妖精の姿が見えた。こんなに濃い色の子は見たことがないなと思って見上げていると、その妖精がふわっと衣織の肩に降りてくる。
『カケラ、モッテルノカ。ココオモシロイ。ワタシニモナマエクレル?クレルナラアバレナイ。』
衣織は肩の上の妖精をじっと見つめる。
「でもあなた元気そうだし、私あなたのことよく知らないから、すぐに名前をつけるのは難しいかな。」
『ソレナラモットココデアソブ!』
「え?あ、ちょっと!?」
そう言うと肩から再び飛び立ち、その紺色の妖精は店中を飛び回り始めた。どこにそんな力があるのかわからないが、商品をひっくり返したり照明を揺らしてみたり、ガラスケースを叩いてみたりと大暴れだ。
「おい、またか!!」
呆然とする衣織の横で実稀が頭を抱えてそう叫ぶ。割れたり壊れたりはしていないが、いつそうなってもおかしくない状況だ。仕方がない、と衣織は腹を決めた。
「わかった!名前をつけるから暴れるのをやめて!」
その声に驚いて実稀が口を開けて衣織を見つめた。紺色の妖精も暴れ回るのをやめて再び衣織の近くに降りたつ。
『ナマエクレル?』
「いいわ。でもこんな風に脅すように奪い取るものじゃないでしょ?困ってるわけじゃないなら、きちんと仲良くなって、それからの話じゃないの?』
衣織は腰に手を当てて怒った顔でそう言い含める。するとその妖精は首を傾げて少し考えると、衝撃的な提案をし始めた。
『ワカッタ。ナカヨクスル。アナタト、アノヒトト、シバラクイッショニクラス。イッショナラタノシイ。タクサンシアワセ!』
「・・・え。」
衣織が困惑して黙っていると、実稀が「何て言ってるんだ?」と声をかけてきた。
「名前を欲しいって言うのでそれは仲良くなってからだと言ったら、『私と実稀さんとしばらく一緒に暮らす』って言い出して・・・。暮らすって言っても、店に寝泊まりするのも・・・
どうしましょう?」
衣織が真剣に寝袋買おうかななどと考えていると、実稀が衣織の肩にぽん、と手を置き、ニヤリと笑う。
「な、何ですかその顔!?」
嫌な予感がする。
「衣織。これはもう俺達しばらく同棲だな。」
「・・・はあああ!?」
『フタリトイッショニクラセル?タノシミ!』
突然降って湧いた望まぬ同棲生活の提案に、衣織は全力で首を振った。
「いやいやいや、何言ってるんですか!?同棲なんてするわけないですよ!!仕事辞めようと思ってるのに同棲どころじゃ」
「仕事を、辞める?」
「あ」
実稀の雰囲気が一気に変わる。衣織は恐ろしい形相になっていく実稀の顔に気が付き、慌てて目を逸らした。
「衣織。それはどういうことかな?」
「えっと、これには深い訳がありまして・・・」
「へえ。どんな深い訳が?ゆっくりじっくり話を聞こうか。」
迫り来る笑顔の実稀に怯えながら衣織はゆっくりと後ろにさがる。そして壁まで追い詰められた瞬間、実稀は衣織を抱きしめた。
「俺の側からいなくなる気か?」
「実、実稀さん、こ、これはちょっとさすがに!?」
「諒とはどうなってるんだ。」
「ええっと・・・別れたような」
「なんだ、変な言い方だな。まあ別れたなら俺といろ。」
「あの、でも」
「同棲じゃなくて同居ならいいのか?」
「違いがよくわからないのですが。」
「部屋は別でいい。」
「『でいい』って何ですか!?しかも私仕事を辞めようと思ってるんですが?」
「だからそれは駄目だと言ってる。」
「実稀さん!?」
実稀はさらに強く衣織を抱きしめた。
「いいから俺から離れるな。」
衣織は何も言えず、ただ実稀から微かに香る香水の香りと彼のパーカーから伝わる熱を感じて頭がぼーっとなっていく。頭が混乱しすぎて身動きも取れない。
「どうして突然辞めるなんて言い出したんだ?」
少ししてから静かに問いかけてきたその声でようやく我に返り、衣織はその場で実稀に告げた。
「自分の曖昧な気持ちを整理したいんです。それに職場なのにこんなことでこれ以上迷惑をかけられないですし。」
「じゃあ、一週間俺の家で同棲しよう。」
「はい?私の言ったこと聞いてましたか!?」
実稀は衣織の頭の上に顎を載せた。
「この一週間で妖精に名前をつけてあげてくれ。その間に俺のことも考えてみて。一緒に一週間も過ごせば気持ちも固まるだろ?それでも駄目ならもう引き留めない。」
「・・・」
どうも実稀にうまいこと言いくるめられているとしか思えないが、断る理由も見つからなかった。
「衣織。はい、は?」
「うう、はい。」
「いい子だ。じゃあ今夜からうちに来いよ。この子は俺が連れていく。」
実稀は優しく微笑みながら衣織の頭を撫でると、その腕から解放した。
ふと実稀の上を見上げると、あの紺色の妖精がその頭上を嬉しそうにくるくると回って飛んでいる。
『タノシイ!イッショ!ナマエ!』
「どうしてこんなことに・・・」
衣織は心底ぐったりしながら、嬉しそうな二人の様子を恨めしそうに見つめるしかなかった。
それから数時間後、衣織は自分のアパートで荷物を準備し、忘れ物がないかを確認すると電気を消した。そしてさほど大きくはないスーツケースを持って玄関を開けた途端、ドアの前にいた人に驚いて腰を抜かしそうになる。
「な、なんで実稀さんがここに!?」
「荷物多いだろ?迎えにきたんだよ。」
当たり前のようにそう言う彼は、先ほどのヨレヨレのパーカー姿ではすでになかった。いつものようにおしゃれな私服に着替えた彼の姿に、不覚にもドキドキしてしまう。
「それに逃げられたら困るからな。ほら、荷物貸して。」
「逃げませんよ。・・・すぐには。」
「へえ。じゃあ一週間、よろしくな。」
「・・・」
衣織は諦めと嬉しさが混じり合う複雑な気持ちを抱えながら、一週間の同居生活に向けての一歩を歩み始めた。
実稀のマンションに着くとまずは部屋に案内された。同棲もとい同居生活は、きっちり部屋は分けて暮らすから心配するなと実稀からエレベーターの中で話をされた。食事は状況に応じて考えようとも言われた。そうして少しずつ生活のイメージが現実になってきて、衣織の緊張は増していく。
衣織のために用意された部屋に入ってみると、たくさんの本が並べられた書斎のような場所にソファーベッドが置いてあり、そこにシーツやタオル、毛布などの寝具が綺麗に畳んで置かれていた。部屋のドアには鍵もついていて、何とか安心して暮らせそうではあった。
「クローゼットの中は空っぽだから、適当に服とか入れていいぞ。」
とのことだったので、早速荷物を整理し、ベッドを準備する。だがそこまで終えてから衣織はふと冷静になった。
(私どうしてここにいるんだろう、いくら何でも流されすぎじゃない?)
今になってとんでもないことをしていると気付き、ベッドに腰掛けて落ち込んでしまう。
(諒さんにはとてもこんなことしてるって言えない・・・でもいいのか、もう別れたんだし。別れたんだよね、私達・・・)
あやふやな状態で逃げ帰ってしまった一昨日のことを思い出す。あれから諒とはお互いに何の連絡も取っておらず、店を辞めると宣言したのに店主には拒否された。
「どうしよう・・・」
衣織はベッドにぽすんと仰向けになると、今日からの一週間の生活いったいどうなるんだろう、と憂鬱な気持ちで見慣れない天井を見つめ続けることになった。




