26. 小さな時計の物語③
諒と二人でしばらく修平の家に滞在して調査した後、特に鳥達が暴れた原因も実稀達の行動の意味もわからず行き詰まってしまったため、その日は時計を一旦返して帰宅することになった。
「まあ、わからないものは仕方ない。明日実稀にあったらさっきのことを聞いてみよう。」
「そうですね。あ、今日はこのままアパートの方で降ろしてもらうことはできますか?」
車のハンドルをゆっくりと動かし、諒が目の前に迫っていたコンビニの駐車場に車を停めた。
「諒さん?」
衣織が急に停まったことを不思議に思って彼を見ていると、諒は真剣な顔を衣織に向けた。
「今日は、うちに来てくれないの?」
「家事が溜まってて、今日やらないともっと溜め込んじゃうから・・・」
衣織が俯いてそう言うと、諒がそっと衣織の手を握りしめた。
「俺、ずっと不安なんだ。」
「え?」
「あいつはあの日俺に、『衣織の気持ちが少しでも俺にある限り諦めないから』って言われた。正直、衣織ちゃんの中にある実稀への気持ちがまだ消えてないことは感じてる。だからあいつも諦めてないんだ。」
「諒さん、あの」
諒はハンドルに手を掛けたまま、衣織から顔を背け腕に頭を載せた。
「あーもう!俺こんなキャラじゃなかったのに。衣織ちゃんのことになるとダメだ!あいつに奪われたくない!!」
衣織は何をどう言ったらいいのかわからず、ただ黙って彼の手に自分の手を重ねた。
「諒さん、じゃあ、うちに来ますか?」
「えっ、いいの?」
諒がすごい勢いで顔を上げ、衣織の顔を覗き込んだ。
「びっくりした!えっと、はい。散らかってますし私は家事をしてることになりますけど、それでよければ。」
「いい!いいよ全然いい!ちゃんと夜には帰るから、今日は一緒に居させて。」
甘えてくる諒が可愛いなと思いながら衣織は微笑んで頷いた。そんな小さなことの積み重ねの中で、もっとこの人のことを知りたいし、もっと大切にしていきたい。
衣織はそんなことを考えながら、嬉しそうな顔になった諒と一緒に家に帰っていった。
翌日、諒は早速実稀に叔父の家の件を確認していた。
「ああ、あれはあの石に宿る『人の強い思い』があの特殊な場所を守ってたんだ。その力が弱まってきて、さらに諒達がいったんそれを持って離れたからあの現象が起きたんだと思う。」
「どう言うことだ?じゃああれは妖精は関係ないってことか?」
諒がいまいち理解できないといった様子で首を傾げながら質問すると、実稀はゆっくりとそれに答えていった。
「あの家には元々妖精達が好む木があって、どうも昔からあの木が溜まり場のようになっていたらしい。だが妖精達は本来こっちの世界にはいない存在だから、そうした偏りすぎた状況はあまり良くない。実際その頃あの家では変なことが起きると、よく修平さんは怖がっていたらしい。」
一旦そこで言葉を切ると彼は近くにあった椅子に腰掛けた。
「そんな時たまたま修平さんのその当時の彼女が、あの時計をうちの店から買っていったんだ。当時は祖父が経営していたこの店からね。」
「じゃあやっぱりあの時計の石も妖精さんの石、ってことですか?」
衣織がつい口を挟むと、実稀が優しい表情を向けて頷いた。
「そうだ。彼女は修平さんのことが心配で、お守り代わりになるかと思ってあれを購入した。そしてそこに『修平さんとあの家を守ってくれますように』と強い思いを込めたんだ。あの特別な石はその思いを叶えてくれた。だから長い間あの家を不思議な現象から守ってくれていたんだろう。」
そこで実稀は一息つき、諒と衣織は静かに続きの話を待った。
「それが長い年月あの家のバランスを保っていたが、おそらくあの石に思いを込めていた方が亡くなったんだろう。だから再び少しずつバランスが崩れだした。」
「え、亡くなった?」
「ああ。妖精の石は思いを永久に溜め込んでおけるわけじゃない。幸せを願う強い思いを「叶える」力を持ってるだけだ。きっとその女性はずっと修平さんの身を案じてたんだろうな。それと祖父はたぶんその人が亡くなったことを事実として知っているんじゃないかな。俺はただあそこに連れられて、妖精達をあまり寄せ付けないための石を埋めただけだけど。」
衝撃的な話に二人は何と言っていいかわからずただ戸惑うばかりだった。実稀はそんな二人の様子をチラッと確認しながら言った。
「もうあの家には不思議なことは起こらないだろう。修平さんにも別にこの話をする必要はないが、諒は伝えておきたいか?」
その言葉に諒は少し悩んでから、小さく頷いた。
「ああ。その彼女の話はちょっとだけ聞いたことがあるんだ。だからもしそれが事実ならきちんと話してあげたい。なあ、一さんにきちんと事情を聞いてもらえないか?」
「わかった。後で連絡してみる。」
「悪いな。」
実稀は手をひらっと一回振ると、奥の部屋へと入っていった。そして衣織がその日の掃除を始めた時には、諒は思い詰めたような表情でまだ何かを考え込んでいる様子だった
数日後、仕事終わりの衣織を諒が外で待っていた。
「諒さん、どうしたんですか?」
衣織が慌てて駆け寄ると、諒は優しい笑顔を見せて手を握った。
「実稀から話を聞けたんだ、例の人のこと。」
「え?どうだったんですか?」
「うん、やっぱり亡くなってたらしい。まだ五十代だったみたいだけど、病気で。」
「そうですか・・・」
衣織は無意識に諒の手を強く握っていた。彼はその手を両手で包みこむ。
「その人は、叔父さんのことをずっと想ってた人だったんだ。だけど当時叔父さんには俺の祖父さん達が決めた婚約者がいた。俺の父親は奔放な生活をしてたから放っておかれてたみたいだけど、叔父さんは真面目ないい人だったから断れなかったんだろうな。」
「切ないですね、それは。」
衣織が表情を曇らせると、諒は手を少し強く握る。ひんやりとした指先が衣織の手も冷やしていく。
「うん。叔父さんもその人のことはもちろん好きだったんだけど、結局その人が身を引いて終わっちゃったらしい。その前に誕生日プレゼントとして貰ったのがあの時計だったんだって。」
「なんだか悲しいお話ですね。」
「うん。俺の祖父さんの家は当時結構大きな会社を経営してて、将来のためにもってことで婚約者のことは断れなかったみたいなんだけど、それからすぐにバブルが崩壊して会社が潰れた。そしたらその話も当然なくなって、それから叔父さんは独り身を貫いてここに暮らしてるんだ。」
諒はすぐ横の電信柱の傷を何の気なしに見つめながら、独り言のように言葉を続けた。
「好きな人と一緒になれない人生を選ぶって、どんな気持ちだったんだろうなあ。」
「・・・」
衣織はもう片方の手で諒の手を包み返す。
「私は、一緒にいますよ?」
「・・・うん。そうだね。」
なぜか悲しそうな目で自分を見つめてくる諒に衣織はもう何も言えず、ただ冷たくなっていたその手を温めたくて、できる限り長い時間そうしていようとしっかり握りしめた。
その週の定休日、二人は再び修平の家を訪れ、実稀から聞いたその話を修平に伝えた。彼はただ穏やかに微笑んでいただけだったけれど、心の中がどうだったのかは衣織にはわからなかった。
「今日は来てくれてありがとう。あれから何も変なことは起きてないよ。桐生さんにもよろしく伝えてくれ。星野さんもまた遊びに来てください。」
「はい、また来ます!」
二人は話を終えて修平の家を後にすると、車で衣織の家に向かった。帰り道の車内はいつになく静かだった。
「諒さん?」
いつもはこちらが困るくらいたくさん話しかけてくれる諒が、今日はほとんど話もせずに運転に集中している。衣織は次第にそれを不安に感じ始め、自分からそっと話しかけた。
「なあに、衣織ちゃん?」
諒は前を向いたまま笑顔で返事をする。だがその笑顔は少し寂しげに見えた。
「どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるんですか?」
諒の横顔から笑顔が消えた。
「・・・俺、衣織ちゃんに嘘をついたから。」
「え!?」
その言葉に驚いて衣織はつい大きな声を出してしまった。
「実稀が河野さんのことを好きだって、あれ。俺本当は違うって知ってたんだ。」
「どういうことですか?」
衣織は一旦心を落ち着けようと、あくまでも冷静に問いかける。
「あいつが河野さんのことをそれっぽい目で見つめてることはよくあった。たぶん衣織ちゃんもそれを見たから俺の話を信じたんだと思う。でもあれは、実稀が見殺しにしたと思っているあの『精霊』に似ている彼女が、幸せそうに頑張ってる姿を見るのが嬉しいだけだったんだと思う。」
衣織はそれを聞いてふと自分の中の記憶をたどり始めた。確かに実稀からは「悠里のことが好きだった」とは言われていない。
「もう一つ、これは最近知ったんだけど、どうも河野さんの恋愛対象は女性らしいんだ。」
「え!?そうだったんですか?」
「うん。実稀と名前を呼び合っているのも、そういうことに理解のなかったお父さんに心配かけないように恋人っぽく振る舞ってたかららしい。まあそれも去年亡くなられる前までだったらしいけどね。これはこの間電話で聞いた。宣戦布告された日にね。」
「・・・」
気がつくと車は衣織の家の近くのコンビニの駐車場に停まっていた。諒はゆっくりと衣織の方に顔を向けた。
「衣織ちゃん。もう、これでわかったでしょ?俺は、実稀と衣織ちゃんの気持ちをわかってて引き裂いたんだ。どうしようもないほど衣織ちゃんのことが好きで、でもやっちゃいけないことをした。衣織ちゃんの優しさと誤解につけこんだんだ。ごめん。」
「諒さん、でも!」
「もういいんだ。実稀に惹かれてる君が、叔父さんを想って亡くなったあの女性と重なって今日はもうどうにもならなかった。そんな辛い思いをここからの長い人生で衣織ちゃんにさせたくないんだ。大好きな人には幸せになってほしいから。」
諒は顔をハンドルの上に伏せ、その言葉を告げた瞬間の表情を衣織には見せなかった。
「諒さん」
「降りて、衣織ちゃん。」
「でも!」
「お願い。今は一人にしてほしい。」
「・・・わかりました。」
衣織が車を降りると、諒はゆっくりと車を発進させ、駐車場から出ていった。一人残された衣織はただぼんやりとその車が去る音を聞きながら、駐車場の隅で自分の思いの中に沈み込んでいった。




