19. 諒とのデート
まだまだ暑さの厳しい八月の終わり、衣織はとあるビルの一階に入っているカフェの中にいた。
今日は諒との約束の日。お互いに予定の合う日はこの日しかなかったためだいぶ伸びてしまったが、ようやくあのデートの日がやってきた。
(諒さん遅いな・・・)
待ち合わせの時間をすでに十分過ぎていたが諒は一向に姿を見せない。普段時間はきちんと守るし、ああ見えて真面目な彼がどうしてと思い窓の外を見ていると、遠くから走ってくる諒らしき人影が見えた。
「ん?え!?服が汚れてる?」
衣織は驚いて立ち上がり、会計を済ませて急いでカフェの外に出た。そこに困った顔をした諒が走ってやってくる。
「ごめん、衣織ちゃん!ちょっとそこで転んじゃって。遅くなってごめんね!」
「諒さん、行きましょう。」
「え?え!?いつもと逆?なになに積極的な衣織ちゃんもいいけどどこ行くの?」
衣織は無言で諒のTシャツを引っ張り、周りの人の『どうしたのかしら』という視線も無視して歩き続けた。そのまま五分ほど歩きカフェの裏手にある公園の中のベンチに諒を座らせると、持っていたハンドタオルを水で濡らしてからベンチに戻る。
「肘、怪我してます。」
「あ、ほんとだ。」
彼は気付いていなかったようだが、肘の外側が少し擦りむけていた。服も同じ右側だけが汚れたり破れたりしているようだ。
「見せてください。」
「大丈夫大丈夫このくらい。寝たら治るって!」
「見せてくれないなら今日は帰ります。」
「・・・はい。」
諒が素直に肘を出すと、衣織は顰めっ面のままタオルを怪我をしていた部分にそっと当てた。
「軽い怪我でよかった。でもこれ、転んでできた傷じゃないですよね。」
「えーっと」
「どうしたんですかこれ。」
「・・・衣織ちゃんには隠せないか。」
そう言って彼が話してくれたのは、先ほど起きたばかりの出来事だった。
諒は今朝かなり早く家を出たらしい。衣織のために何やら買い物をしたかったらしく、予定時間に余裕で間に合う時間に出発した。
ところがある交差点で妖精の声が聞こえてそちらに目を向けると、小学校低学年くらいの男の子が上を見上げてぴょんぴょんと跳ねているのが見えた。
子どものうちは妖精が見える子も結構いるらしく、ああ、この子も見えるのかなと思って見ていたのだが、そのうちに歩道から車道の方へと男の子がふらふらと移動し、その後ろに車がものすごいスピードで迫っているのが見えた。そして危ないと思った時には無意識に彼を抱えて歩道に倒れていた、とのことだった。
「ああいうことって結構多いんだよ。妖精を見ちゃったら、そりゃ子どもは追いかけたくもなるよね。」
そう言って笑う彼に、衣織は少しだけドキッとする。
「諒さんて本当に変な人ですね。」
「え?今の話のどこが変だった?いい話じゃない?俺、結構頑張ったと思うんだけど!?」
諒はショックを受けたような様子で、ぽかんと口を開けて衣織を見つめている。その顔がおかしくなって衣織は思わず噴きだしてしまった。
「ぷっ、ふふふふふ!あはははは!!変な顔、やだー、いい男が台無しですよ?」
「まさかのここで笑うの?もう俺、衣織ちゃんに振り回されっぱなしだよ・・・」
衣織はタオルをそっと外して折り直し、もう一度患部に当てる。
「ごめんなさい笑ったりして。でも、諒さんは本当はすごく優しくていい人なのに、すぐそうやってそれを隠そうとするから変な人って言ったんです。」
「・・・」
諒の頬がうっすらと赤みを帯びる。
「とりあえず一度薬局に寄って傷を消毒して何か貼りましょう?これだと後で染みて痛いですもんね。それと服はどうしますか?今日は帰りますか?」
「嫌だ!」
「え、即答?」
諒が衣織のタオルを持つ手を掴んだ。
「やっとこの日が来たのに、終わっちゃうなんてやだな。」
「諒さん・・・」
甘えるようにして見つめてくる彼につい絆されそうになる。
「はあ。じゃあ傷の手当てをきちんとして服も買って着替えたら、続き、いいですよ。」
「うん。じゃあ行こうか。はい、手。」
ニコニコしながら、諒が当たり前のように手を伸ばしてくる。
「何ですかこれ?」
「何って、俺怪我してるし。」
「足は怪我してないじゃないですか!さっきもスタスタ歩いてたし!」
「えー、手が無いと歩けないなー。」
衣織はぺちっと軽い音を立てて伸びてきた手のひらを叩いた。
「もう、わがまま言わないでください!時々すごく子どもみたいなんだから。」
その言葉を言い終わらないうちに、諒が衣織の手を握り横にスッと立った。だが衣織を優しく見下ろす顔は、もうあの甘えた子どものような顔ではなくなっていた。
「へえ。大人の俺で衣織ちゃんに迫っていいの?」
「・・・とにかく!い、行きますよ!」
「うん。行こうか。」
諒に翻弄されてばかりのデートは、この時まだ始まったばかりだった。
諒が当初予定していたプランは時間的に難しくなってしまったので、予定を変えてまずは買い物に行こうということになった。
諒のためにドラッグストアに寄った後、手当てを終えると服を買いに行く。メンズのショップに行ったことがなかった衣織は物珍しそうにキョロキョロし、諒に笑われてしまった。
無事着替えも済ませて店を出ると、少し早いがランチを食べに行くことになった。平日はどの店も混み合うので早めに入ったのは正解だった。
「さて、ここまでは駆け足だったからここから少しゆっくりしようか。」
「そうですね。その・・・話も聞きたいし。」
諒が衣織の手を突然握りしめる。
「諒さん?」
「デートが終わるまで例の話はしない。」
「わ、わかりました。だから手を離してください!」
「デートなのに?」
「正攻法でいくんじゃなかったんですか?」
「ハイハイ。」
諒は手を離すと両手をあげて降参のポーズをとった。衣織はもうと口を尖らせながら前を歩き始める。
「先を歩いていて言うことじゃないですけど、これからどこに行きますか?」
「水族館!衣織ちゃん動物好きでしょ?」
「好きです!行きたい!小学生の修学旅行以来行ってないです!」
「それはそれは。じゃあ行きますか!」
「はーい!」
それから二人は電車で目的地近くまで移動し、水族館に向かった。休日ではないためか人は少なく、深海の中にいるような静けさと涼しさがそこには満ちていた。
ゆっくりと順路をまわり、涼しく穏やかな時間を楽しむ。衣織はふと自分が諒と自然に過ごせていること、割と楽しいなと思っていることに気付き、自分のことなのに少し驚いていた。
(なんだろう、気心の知れた男友達ってこんな感じなのかな?)
こんなに仲良くなった男友達など、衣織には今まで一人もいなかった。
いじめられていた高校時代は特に男子とは誰とも話をしなかったし、いじめがおさまってからもその延長であまり人と深く付き合うことをしてこなかった。
大学はそれなりに友人もできたが、広く浅い付き合いが多かったし就職してからもその状況は変わらなかった。何となく告白されて流されるように短い期間付き合った人もいたが、小さなすれ違いが重なり自然に終わっていった。
「何考えてるの?」
ぼんやりと大きな水槽を見つめていると、諒が衣織の側で何か小さな紙袋らしきものを持って立っていた。
「えっと、諒さんみたいな男友達って今までいたかなって。」
諒は持っていた紙袋を衣織に手渡すと、近くにあったベンチに座った。衣織もそれを持ったままベンチに移動する。相変わらず人は少なく、周りに人気はほとんどなかった。
「これ、何ですか?」
「衣織ちゃんにあげる。開けてみて。」
ぺりぺりとシールを剥がし袋を開けると、中には小さなペンギンのぬいぐるみが入っていた。
「え、可愛い!貰っちゃっていいんですか?」
「うん。遊びに来た記念に。」
「ありがとうございます!私もお返しに何かプレゼントしたいけど、ぬいぐるみは別に欲しくないですよね。何がいい・・・」
衣織がぬいぐるみを抱えたまま諒の方に振り向くと、何か思い詰めたような表情の諒の顔が、すぐ近くにまで迫っていた。
「俺、衣織ちゃんのことが好き。」
「・・・ち、近いです。」
ぬいぐるみを膝の上に落とし、両手で彼の肩の辺りを押さえる。それ以上近寄れないようにと必死に力を込めた。
「実稀じゃなくて俺にしてよ。」
「でも」
「あいつは昔、妖精を統率している存在の一人を見殺しにした。」
衣織は手に込めた力を弱めた。諒も近付くのをやめ、水槽の方に顔を向ける。
「その人は向こうの世界の、妖精より上位の存在らしくてね。こちらの世界の力を貰って妖精達が生き残れるように、あの『裂け目』を作ってルールを決めて送り込んでいたらしい。体の大きさも顔つきも人に近い存在だったみたいでさ。その頃よく実稀は『綺麗な人なんだ』って言ってた。」
「へえ、そんな人がいたんですね。でも、見殺しって?」
低めのベンチの背に両腕を掛けながら諒は上を見上げた。暗く高い天井が二人を見下ろしている。
「あいつのおじいちゃん、桐生一は若い頃からその上位の存在と心が通じ合っていたらしくて、その人から裂け目を作る力も授かったんだって。だけど実稀が中学生の頃に向こうの世界で何かが起きて、その人が瀕死の状態で実稀の前に現れた。つまり、真っ白になってたんだ。」
「あ、それって!」
諒は姿勢を変え、前屈みになって深く頷く。
「そう。この間の妖精みたいな感じだと思う。俺はその存在を勝手に『精霊』って呼んでた。まあ見えないからよくはわからないけど。」
「精霊・・・」
妖精以外にもそんな不思議な存在がいるんだ、と、衣織は物語の世界に迷い込んでしまったような変な感覚に陥っていく。
「それで裂け目の近くで倒れてたその人を実稀がたまたま見つけて、一さんを呼んでくれって頼まれた。でもあいつその頃すごい荒れてて、家族全員に反抗してたからすぐには報告しなかった。それでも夜にはちょっと心配になって様子を見に行ったら、目の前でその人が、ガラスが割れるように光と共に弾け飛んで消えていった、って。」
衣織はショッキングな話に思わず目を瞑った。自分のせいでそんな状況になってしまったなら、きっと辛くて立ち直れないだろう。
「結局一さんはその話を聞いても実稀を責めなかった。でもあいつはあれから変わった。声は元々その妖精のしか聞こえなかったみたいだけど、姿は以前よりはっきり見えるようになった。それなら今後は彼らのためにできることをしたいって、そのためには何でも真剣にやろうって頑張ってきて、それで今のあいつがあるんだ。でも・・・」
諒は突然衣織の手をサッと掴み、目を見つめた。
「二、三年前にその『精霊』によく似た人に出会って、それ以降ずっと、たぶんあいつはその人のことを想ってる。彼女も妖精の姿が見えるし、仕事上での繋がりもあるからたまに店にも来る。いつか衣織ちゃんもあいつがあの人と会っている姿を見る日がくると思う。その時に俺は、君に傷ついて欲しくないんだ。」
「・・・」
衣織は掴まれた手をじっと見つめながらしばらく黙り込んでしまった。
「だから、俺にしない?」
「でも」
彼が決してふざけてそう言っているわけではないのはその目を見ればわかる。だが、実稀のあの笑顔や二人で過ごした時間に感じた特別な気持ちを、諒に感じることはできなかった。
「諒さん、私」
「やっぱり待って!」
「え?」
諒は両手を前に突き出し、言葉を遮る。
「断られるのはわかってる。だけどもう俺も諦めがつかないんだ。たぶん衣織ちゃんが想像してる三倍は好きになってるから。だから衣織ちゃん、しっかり実稀にフラれてきて!それで俺その弱ってるところにつけ込むから!」
「・・・作戦、全部口に出しちゃってますけどいいんですかそれ?」
「だから惚れた弱みってやつだよ。もうほんと俺ダメだー」
そう言って諒は突然衣織に抱きついた。さすがにその状況には焦り、耳元にかかる声にドキドキさせられる。
「ちょっと!諒さん!?」
「はあ。もっと本格的に正式に抱き合いたいです。早く告白してフラれてきてね?衣織ちゃん。」
「酷すぎません、それ!?」
誰もいなくなった水槽の前で二人はその一瞬だけ、想いを返してくれない人のことをそれぞれが想いながら、かりそめの温もりに心を慰め合っていた。




