16. 社員旅行と白い妖精②
実稀とキッチンに移動した衣織は、彼が購入してきた様々な食材を冷蔵庫や収納棚に詰め込んでいった。実稀は几帳面に冷蔵庫や棚を埋めていき、衣織はそれを見ながらここでもかと頭を悩ます。
「どうした。手が止まってるぞ。」
「いえ、下手に手出ししない方が良いのでは、と思いまして。」
実稀の眉が上がる。
「別に今は仕事じゃないんだから好きにやっていいぞ。何か気を遣わせたか?」
思ってもみなかった言葉が返ってきて、衣織は少し驚いた。だがそんな言葉にも彼の優しさを感じられて、自然と笑みが浮かぶ。
「ふふ、桐生さんて怖いんだか優しいんだかよくわからない人ですよね!」
実稀は手に持ったビールの缶を次々冷蔵庫に入れながら、目を細めて微かに微笑む横顔を衣織に見せた。その普段は見せないリラックスした表情に、衣織の呼吸が一瞬止まる。
「俺は怖いも優しいも、星野にしか言われたことはないけどなあ。」
「・・・え?」
それはまるで『衣織だけが特別だ』と言われているように感じられる言葉だった。そんなわけはない、勘違いに決まってると頭ではわかっていても、そんな些細な言葉で胸は高鳴る。
「どうした?」
突然衣織が硬直してしまったのを見て、実稀が心配そうに近寄ろうとする。だがその時ふいにスリッパの足音が聞こえ、諒がキッチンに現れた。
「衣織ちゃん、俺も手伝うよ。」
「諒さん、あ、ありがとうございます・・・」
「おー、悪いな、諒。」
衣織は諒が来たことを残念に思う気持ちを急いで隠し、笑顔を浮かべた。諒もそれに満面の笑みで応える。
「いえいえ。むしろ来てよかったよ。」
「え?何だって?」
「何でもない。あ、衣織ちゃん、それ、重いから俺がやるよ。」
「あ、すみません!」
結局荷物の片付けは三人で進めることになり、衣織にとっては残念なことに、あっという間に二人っきりの時間は終わりを迎えてしまった。
その晩衣織達は、別荘の広いウッドデッキで豪華なバーベキューを楽しんだ。食材を切ったり串に刺したりするところは三上達や晴人も手伝ってくれて順調に準備ができた。だが炭担当の実稀と諒は火おこしが上手にできなかったらしく、バーベキューのスタートが少し遅くなってしまい、みんなに平謝りしていた。
そんなハプニングがありつつもその日は和気あいあいとした夜を過ごし、衣織は三上の娘である里緒と同室で眠ることになった。
「衣織さん、あの、諒さんって衣織さんの同僚の方なんですよね?」
里緒はセミロングの明るい茶色の髪がサラサラと輝く、可愛い二十歳の女の子だ。衣織は少し癖のある猫っ毛なので、憧れの髪を持ち礼儀正しく人懐っこい彼女を、衣織はすでに大好きになっていた。
「え?あー、同僚じゃなくて先輩だね。年も上だし。え?もしかして諒さんのこと気になってるの?」
里緒は頬を染めることもなく目を輝かせて頷く。てっきり晴人の方を気に入っているのかと思っていた衣織は、「へえ、そうだったんだ!」と目を輝かせながら里緒に向き合った。
「私歳上好きなんです!諒さんかっこいいですよね!優しそうだし。いいなあ、衣織さんいつも一緒で。」
「うーん、でも諒さんは店にはいないことも多いし、そんなに接点は無いよ?今回も私はずっとお手伝いに駆り出されそうだし・・・」
里緒に心底羨ましい!という顔で見られてしまい、衣織は誤魔化すようにそう言って宥めた。その言葉で安堵したのか、彼女は「明日はもっと声掛けてみようかな」とすっかりやる気になったようだった。
翌日は朝食のみ別荘で済ませ、それ以降は自由行動でと実稀から話があった。それを聞いて三上達はじゃあ買い物に行きましょと楽しそうに話し合っている。ただ夜は少し離れた場所で花火大会が行われるということだったので、せっかくだからみんなで観に行こうかという話になった。
「そうだ!私、浴衣持ってきたんです!えと、諒さん、二人で観にいきませんか?」
早速里緒が可愛らしい声で諒に話しかけているのを見て、衣織は密かにドキドキして見守っていた。百戦錬磨の諒のことだ、きっと優しく大人な対応をするに違いない。衣織は勝手にそんなことを思って見ていたのだが、その予想は大きく外れてしまう。
「あ、ごめん。俺、君に興味がないんだ。晴人と遊んでおいでよ。」
「え?え!?」
まさかの返答に里緒の顔からみるみる笑みが消える。衣織は口出しするのは何か違うなと思い、見なかったことにしてキッチンに逃げ込んだ。
「衣織ちゃん。」
しかし目ざとい諒は、そんな衣織をしっかり目撃していたらしい。
「はいい!」
ビクッとして声が上ずってしまった衣織に、諒は必要以上に近付いてくる。
「今の、見てたし聞いてたでしょ?」
「えーっとまあ、はい。」
優しい顔の裏に隠れているちょっとだけ怖い諒が久しぶりに姿を現す。口角は上がっているが目は明らかに笑っていない。
「俺、本気で好きな子がいる時はそれ以外の子はどうでもいいんだよね。」
衣織のすぐ側まで来ると、諒は近くにあったテーブルに左手をついて衣織の顔を覗き込んだ。
「・・・そうでございますか。」
「何その話し方。昔の人?」
「いやあの。それを聞かされましてもと思いまして。」
衣織はそっと目を泳がせる。だが諒はそんな衣織を決して逃してはくれなかった。
左の頬に、彼の右手の甲が微かに触れる。
驚いてその顔を凝視すると、彼の含みのある笑顔が衣織をじっと見つめていた。
「ひえっ!?」
「ぷっ、残念!もっと可愛い声が聞きたかったんだけどな。とにかくそういうことだから。今夜は一緒に花火、観に行こうね?」
「え、え!?」
「浴衣、準備しとくよ。」
衣織は驚きのあまりテーブルの角に腰を強打した。
「痛った!?ううう、諒さあん、ちょっと勝手にそんな!」
「痛そう、お大事に!」
そう言うと、笑いを隠しきれないといった表情で諒は嬉しそうにキッチンを出ていってしまった。
「はあ。いったい何あれ!?あの変態セクハラ男、何考えて・・・え、さっきの話ってどういうこと?」
腰を押さえながら一人でぶつぶつ言っていると、キッチンに実稀が入ってきた。
「・・・何してるんだ?」
呆れ顔の彼の視線が痛い。
「ちょっと腰を角にぶつけちゃったんです!はああ。」
「相変わらず面白い顔してるなと思ったが、それは痛い顔か。」
「桐生さん、ひどい。」
「あははは!そうむくれるなって。ああ、そういえば星野は今夜の花火大会行くのか?」
衣織はキュッと口を閉ざした。先ほどの話では、どうも自分は諒と行くことになったらしい。
「何か流されるようにそう決まりまして。」
「何だそれは?・・・行きたくないのか?花火が嫌いとか?」
その声に彼の気遣いを感じて衣織は大きく首を振った。
「違います違います!ただ、諒さんが一緒に行こうって。」
「ん?じゃあもう誘ってたんだな。よかった。嫌いじゃないならみんなで行こう。」
「・・・なんだ、そういうことか。」
「ん?」
「いえ!浴衣も用意してくれるって言ってたので、嬉しいです!ぜひご一緒させてください!」
「ああ。それじゃあ夕方五時半にリビング集合で頼む。」
「はい。」
衣織はキッチンを出ていく実稀の姿を最後まで目で追った後、大きくため息をついた。
(実稀さんに誘われたわけじゃないし、諒さんも決して二人っきりとは言ってなかった。何だか一人であたふたしてて馬鹿みたいだな、私・・・)
洗い物も掃除も済んでピカピカのキッチンを見回してから、衣織は近くを散策するため、一旦部屋へと戻っていった。
その日の夜、マイクロバスで花火大会会場近くまで移動した一行は、そこから歩いて現地へと向かった。
里緒は諒のことを早々に諦めたらしく、今は晴人と一緒に歩いている。そして三上と同僚の女性は買い物で疲れたからと部屋で休むことになったため、結局衣織は実稀と諒が両隣にいるという、何とも居心地の悪い状況に陥っていた。
「衣織ちゃん、浴衣似合ってるね!可愛いよ。」
「ありがとうございます。」
諒が笑顔で褒め言葉を送ってくれる中、実稀は辺りをチラチラと窺っている様子だった。衣織も気になってその視線の先を見ていたが、特に気になるものは見当たらない。
「桐生さん、何を見てるんですか?」
「ん?いや、さっきから視線を感じるというか・・・」
「え?怖い!!心霊的な何かですかそれとも女性の視線ですか!?」
衣織の言葉に実稀は冷たい視線を向けた。
「星野。怖いことを言うのはやめろ。・・・まあ、気のせいか。それより何か食べるか?」
会場に近づいてきたのもあって、道路沿いには少しずつ屋台も増えていく。少し先にはたくさんの人々が歩いているのが見えた。
「いえ、まだ平気です。帯が苦しいし。」
「そうか。浴衣、いいな。」
その不意打ちの言葉と爽やかな笑顔が、衣織の胸を苦しくさせる。
「えへへ。照れるなー!褒めても何も出ませんよー!」
あからさまに喜ぶわけにもいかず少し冗談めかしてそう言ってはみたが、どうやら諒には通用しなかったらしい。実稀がトイレに行くと言ってその場を離れた瞬間、衣織の側に近寄ってきた諒がすかさず行動を起こした。
「俺に対してと、ずいぶん態度が違うんだね。」
「え?」
「悔しいから攫っていこうかな。」
「へ?あ、ちょっと、諒さん!?」
諒は宣言した通りに衣織の手を掴んでその場を離れていく。人の多い方へ多い方へと移動すると、彼は衣織の手を握り直してから振り向いた。
「今日本当は二人だけで過ごしたかったんだ。だからちょっとだけでも俺の夢を叶えてよ、衣織ちゃん。」
「諒さん?」
「鈍いの?それとも気付かないふりしてるの?」
「あの」
「実稀を好きになっても無駄だよ。あいつ、ずっと想ってる人がいるから。」
衣織は手を引っ張るようにして立ち止まった。二人の周りを歩く人達がチラチラとこちらを見ながら横を通りすぎていく。
「・・・だとしても、諒さんには関係ないですよね?」
低い声でそう言う衣織に、諒は少し腰を屈めて顔を近付けた。
「まあね。でも衣織ちゃんを動揺させることはできた。」
「何を・・・何でそんなこと・・・」
諒の言動の意味、というよりそれがふざけているのではなく真剣な気持ちによるものだということを、衣織はようやく理解し始めていた。
「その顔。やっとわかったんだ。まあでも今はまだ言わない。もっと悩んで、俺のことも意識してよ。じゃあ、そこで綿あめでも買って戻ろっか。」
諒衣織の手を握り直すと、すぐ近くにあった綿あめの屋台へと歩き始める。衣織は繋がれた手の重みを持て余しながら、彼についていくしかなかった。




