15. 社員旅行と白い妖精①
六月も終わりに近づき、今年も暑い夏がやってきた。
暑がりな衣織にとって夏は最も精神力と体力を奪われる季節だ。幼い頃熱中症になりかけて以来、夏が来ると思うとそれだけで憂鬱になる。
「はあ、今日も暑い。」
「星野。この涼しい店内で暑さに愚痴を言うのはやめろ。」
窓の外の太陽に照り付けられたアスファルトを目にするだけで、涼しい場所にいてもつい暑さに文句を言ってしまう。実稀はここ数日そんな衣織を黙って見ていたが、いい加減一言言いたくなったのか、今日はついに口を出されてしまった。
「すみません。確かにここは涼しいんですけど、帰ると地獄が待ってるんです。それを思うとため息しか出なくて。」
「なんだ、エアコンが壊れてるのか?」
実稀が心配そうに衣織に尋ねた。
「いえ。電気代節約のため、夕飯を食べ終えてお風呂に入るまではエアコン入れないって決めてるんです。でも暑くて夕飯作ってる間地獄なんですよねえ。」
「・・・無駄な心配だったな。」
「色々すみません。」
そんなくだらないやり取りをしてしまうほど、二人はその日暇を持て余していた。最近はよく遊びに来ていた妖精の翠連も、どうやら今日はお休みらしい。
「そうだ星野、毎年うちはお盆の間数日休みになるが、それとは別にここと食堂合同で社員旅行をしないかって話が出てるんだ。」
「へえ!何だか楽しそうですけど・・・ものすごく暑そうですね。うう、考えただけでのぼせそう!」
実稀の顔が渋い表情に変わる。
「だから想像して暑くなるのはやめろ。こっちまで暑くなる。とにかくそれで、今年は諒と食堂の関係者も一緒に祖父の別荘に行こうって話が出てるんだが、星野はどうする?」
衣織は突然の旅行のお誘いに目を丸くした。
「別荘ってことは、避暑地ですか?だとしたらちょっと心惹かれます!それに三上さんにもまた会えるのかな?」
「ああ、涼しい所だ。それと三上さんの娘さんも来るらしい。日程は七月末から二泊三日。・・・行くか?」
実稀が珍しく躊躇いがちに聞いてくる。衣織はうーんと唸って考え込んだ。
「あの、費用はいかほど?」
「まあ社員旅行だし、星野はいつも頑張ってくれてるし、それに今回は祖父の別荘を使うから・・・食費移動費込みで五千円でどうだ?」
「安い!!行きます!!」
「ははは!嬉しそうだな!じゃあ、詳しい内容が決まったらまた連絡するよ。」
衣織は屈託なく笑う実稀に目を奪われる。少し前まであんなにギクシャクしていたことなど嘘のようにこうしてまた気楽に話せるようになったんだなあ、と明るい気持ちになっていた。
その日は久しぶりに実稀とたわいもない話をしながら、衣織は初めての社員旅行に胸を膨らませていた。
そして暑い日々が数週間続き、とうとう旅行当日がやってきた。天気予報通り朝からすでに干からびそうになる程よく晴れている。いつもの衣織ならそれだけでげっそりしているところだが、その日は朝からかなり浮かれていた。
(嬉しいなあ、みんなと・・・実稀さんと旅行!しかも二泊三日なんて嬉しすぎる!)
ウキウキと荷物をマイクロバスのトランクに運び入れていると、後ろから聞き慣れた声が衣織の名を呼ぶのが聞こえた。
「衣織ちゃん、おはよう!今日はいつも以上に楽しそうだね。」
「諒さん、晴人くんも!おはようございます!」
「衣織さん、お久しぶりです!」
以前よりも日に焼けて少し逞しくなった晴人を見て、久しぶりに元気そうな甥っ子に会った叔母のような気分になる。
「うんうん、晴人くんが元気そうであたしは嬉しいよー!」
「えっと」
晴人が変な挨拶に戸惑っている。
「はいはい衣織ちゃん。親戚のおばちゃんみたいな言い方はやめてね。さて、じゃあ一緒に座ろっか!」
諒は素早く衣織の荷物をトランクに詰め込むと、衣織の手をサッと掴んでマイクロバスの中へと引っ張っていく。
「うわあっ、ちょっと強引ですよ諒さん!」
「あはは!変態とかセクハラって言われないだけいいよ。はい窓際どうぞ。」
そう言うと諒は衣織を奥の席に座らせ、自分はその横に当たり前のように座った。
「諒さん、なんで私の隣なんですか?」
衣織がジロッと諒を見ると、彼は至極当たり前のように「衣織ちゃんの隣がいいから」と言ってのけた。
「はい?」
「だって野郎の隣は嫌だし。弟となんてもってのほかだし。そしたら衣織ちゃんしかいないでしょ?」
「三上さんがいるじゃないですか。」
「娘さんと来るんだよ?無理無理。」
「・・・」
(実稀さんの隣がよかったな・・・)
少し拗ねたように窓の外を見て実稀を探していると、それに気付いたのか諒が衣織の耳の近くで話し始めた。
「実稀は今回自分の車で行くみたいだよ。」
「え?」
驚いて振り向くと、諒が真面目な顔で衣織を見ていた。
「ほら、途中食材買ったりとかもしなきゃいけないし、マイクロバスだと運転大変だからって。」
「そうなんですね。なるほど!」
明るく返事をしたが、諒は何かを察しているようだった。
「実稀がいなくて、残念?」
「そんなことないですよ?」
「ふうん。ずいぶん返事が早いね。」
「・・・」
衣織は無言でにっこりと微笑んでから再び窓の外に目を向けた
「ま、俺も気長にやるから。」
「ん?」
諒の言葉が引っかかる。ゆっくりと顔を戻して聞き直そうとしたが、振り向くと彼はゴソゴソと自分のバッグの中を漁っていた。
「こっちの話。あ、おやつ食べる?」
「食べます!」
「あははは!いいねいいね、朝からがっついてるその感じ!」
数分後には三上、その娘の里緒、そしてもう一人三上と同年代の穏やかな感じの女性がバスに乗り込んできた。衣織達は元気に挨拶を交わし、大学生の里緒はすぐに晴人と打ち解けてそちらも楽しそうに会話が始まったようだった。
バスの運転は桐生一お抱えの運転手の一人が担当すると言うことで、運転に慣れた人による安定した走行で、酔いやすい衣織もその日は全く酔わずに現地までたどり着くことができた。
桐生氏の別荘に到着すると、すでに実稀の車がそこにあった。そこは森林の中の別荘地、かつ少し標高が高い場所ということもあって、バスの外に出るとひんやりとした空気が衣織を心地よく包みこんだ。
見慣れない環境についキョロキョロと辺りを見渡していると、チラッと目の端に光が入った気がした。ハッとして光が見えた場所をじっと見つめてみたが、どうもそれはすぐに消えてしまったようで、そこにはもう何も見えなかった。
(ここにも妖精達が現れるのかな?)
結局妖精も実稀の姿も見当たらなかったが、少なくとも実稀は中にいるのだろうと、衣織は心を浮き立たせながら別荘の中へと入っていく。
その別荘は外観は少し古い木造二階建ての建物だったが、内部はリフォームされていてとても洗練されたモダンな内装になっていた。しかもところどころに外が見えるような小窓が付いているので、自然を家の中でも感じられるつくりなのがまた素晴らしい、と衣織は感心していた。
「ああ、いらっしゃい!待ってたよ。」
広々としたリビングルームに入ると、大きな窓の向こうに青々とした緑が見えた。そしてその美しい木々を背景に、姿勢良く立つ桐生一の姿がそこにあった。
「お邪魔します!」
「お久しぶりです。」
「初めまして、よろしくお願いします。」
それぞれがそれぞれの立場で実稀の祖父に挨拶をする。衣織も彼に近寄り「先日はありがとうございました」と挨拶をすると、一は嬉しそうに手を握って言った。
「いやあ、星野さん、よく来てくれたね。待ってたよ。私は半日滞在して帰る予定だが、ぜひうちでのんびりと過ごして夏の暑さを忘れてください。」
「はい!とても涼しくていいところですね。最高です!」
「そうですか。実稀とも仲良くしてやってくださいね。」
「えっ?あ、はい・・・」
(なんだろう、何か含みを感じる・・・)
引きつった笑みを返しながらそう返事をすると、示し合わせたかのように二階から実稀が降りてきた。
「皆さんお揃いですね。いらっしゃい。」
よそ行きの笑顔で出迎える実稀をじっと見つめると、衣織はお邪魔しますと軽く会釈をする。
(こういう時は外面紳士モードなんだ。旅行、楽しみにしてきたけど、ゆっくり二人で話せる時間なんてあるのかな・・・)
そんなことをぼんやりと考えている間にみんなはリビングでワイワイと話し始めた。思っていた以上に建物内は涼しく、衣織はその様子を横目で見ながら荷物の中から薄い上着を取り出して羽織る。
さあ話の輪に加わろうとそちらに向かうと、いきなりシャツの首の後ろ側を軽くつままれ衣織は驚いて振り向いた。
「星野。君は俺の手伝いね。その分費用を安くしといたから。」
そこには襟をくいっと引っ張りながらニヤリと笑う実稀の顔があった。
「げっ、騙したんですね!?せっかく涼しいのんびり別荘ライフを楽しみにしてきたのにー!」
「ふん。安さには理由があるもんだ。いいから諦めて手伝え。」
「わかりましたよ!だからシャツを、あーもう!」
実稀にズルズルと引きずられるようにして、拗ねた顔の衣織はキッチンに移動していく。だが本音は、二人だけで過ごせる時間をちょっとだけ嬉しく感じていた。




