13. 泥棒騒動②
その日は当然のことながら店は休業となった。実稀は諒を電話で呼び出した後、ドアの前にどこかから持ってきたグレーのシートを掛け、そこに『本日臨時休業』と書いた紙を貼った。その間に衣織は念のため商品の在庫確認をしていく。
『イオリ、ワタシ、マモッタヨ!』
するといつも店に来ている緑色をした妖精が、衣織の頭上をゆっくりと飛び回りながら一生懸命何かを訴えかけてきた。
「守ったって・・・もしかしてあなたがここを守ってくれたってこと?」
『ココニキタヒト、ヒカリデオドロイテタ。ダカラモットヒカリヲダシタラニゲタ!』
衣織は驚き、在庫確認のために持っていた一覧表の紙をついくしゃっと握りしめてしまった。
「あ、しわになっちゃった。そっか、ありがとう!本当に助かったよ。ねえ、そういえばあなたのお名前は?」
緑色の妖精の動きが止まり、ガラスケースの上にスッと降り立った。硬いガラスが、妖精の放つ光でまるで水面のような波打つ輝きを見せる。
『ワタシタチ、ナマエハナイ。イオリ、ナマエヲクレル?』
これまでずっと、幼い子どものように見えていたその妖精の顔が、聖母のように慈愛に満ちた表情を見せ始めた。衣織はその美しさに息を呑む。
「・・・勝手に私が名前なんてつけていいの?」
『イオリナラ、カマワナイ。』
衣織は暫し考え込んでから言った。
「じゃあ真剣に考える。名前って大切なものだもんね。少し待っててくれる?」
緑色の妖精は嬉しそうに頷くと、ガラスケースの上から音もなく飛び立った。その小さな体からは、今日も美しい緑色の光が粒のように舞い落ちていく。
「衣織ちゃん!」
その時、ドアの開く音と諒の声が聞こえた。
「諒さん!」
顔色があまり良くない諒は、衣織の近くまでやってくると突如頭を下げた。
「うちの弟がすまなかった!怖い思いをさせてしまって・・・申し訳ない。」
衣織は慌てて諒の腕に触れた。
「諒さん、落ち着いてください!大丈夫です、怖くはなかったので。すぐ桐生さんも来てくれましたし。それより・・・」
「諒。奥へ来てくれ。」
実稀が奥の部屋のドアから顔を出して諒を呼んでいる。
「ああ。・・衣織ちゃん、ごめん。ちょっと先に実稀と話してくるよ。」
「はい。」
諒は神妙な顔つきのまま奥へと入っていき、実稀がドアを閉めた。衣織は手元にあった紙に目線を戻す。諒のことは心配だったが今は仕事をしようと気持ちを切り替えて、再び在庫チェックを進めていった。
しばらく時間が経ってから二人は奥から戻ってきた。衣織にもきちんと話しておきたいとのことで、その場で今回のことについての話し合いが始まる。
「まず、諒と相談して弟さんにはここに今日来てもらうことにした。そこで話を聞いてから今後のことは決めたいと思う。」
「それでね衣織ちゃん、今からはちょっと重い話になりそうだし、もしかしたら先に帰ってもらった方がいいかもしれない。」
「でも・・・」
衣織が帰るかどうか悩んでいると、外から誰かが走って近づいてくる音が聞こえてきた。三人が何気なくドアの方に顔を向けると、ガラスがなくなって少し軽くなったドアがバタン、と音を立てて開いた。
「諒くん!」
「晴人!?お前、なんで、学校は!?」
晴人と呼ばれたその少年は入るなり、今にも頭が地面につきそうなほど深く頭を下げた。
「ごめん!ごめん諒くん!実稀さんも、本当にごめんなさい!!」
ドアを勢いよく開けて飛び込んできたのは、まさに今話題にしていた諒の弟の晴人だった。優しい顔立ちは諒によく似ているが、もっと線が細い感じの男の子だった。制服姿でやってきたということは学校を早退したか、さぼってここにやってきたのだろう。
「ちょうどよかった。そこに座って、晴人くん。」
実稀の穏やかな声で、泣きそうな顔をしていた晴人は項垂れたまま勧められた椅子に座った。諒は険しい表情を晴人に向けて話し始める。
「さっき防犯カメラの映像を見させてもらった。あれはどう見てもお前だし、今ここに来て謝ったってことはお前が犯人なんだな。晴人、いったいどういうつもりでこんな馬鹿なことをしたんだ!!」
店の中のガラスがビリビリ震えるほどの迫力のある声に、衣織の方がビクッとする。晴人もブルブルと震えながらさらに下を向いてしまった。
「諒、落ち着けって。晴人くん。俺は、君が小学生の時からよく知ってるから、君がただお金欲しさにこんなことをしたとはとても考えられないんだ。だからゆっくりでいい、こんなことをした理由を話してくれないか?」
衣織は実稀の優しい声と瞳を横からじっと見つめていた。いつもは怖い顔の彼は、本当に大事な時には驚くほど優しい面を見せる。そしてそんな彼だからこそ惹かれてしまう自分がいると気付く。
「実は、その、お金を、どうしてもお金が必要で。」
「うん。そうだろうね。でもそれはどうして?」
実稀は微かに笑顔を浮かべ、低く静かな声で問いかける。
「・・・取り返さなきゃならないものがあるんです。」
「取り返す、ってことは、誰かに何かを取られたのか?」
晴人は勢いよく顔を上げた。その顔は苦しそうに歪んでいた。
「クラスの何人かに前からいじめられてて・・・ちょっと前に父さんにもらったキーホルダーを取られたんです。」
衣織はその言葉を聞き思わず自分のシャツの胸元を掴んだ。
「あれは父さんの形見だからどうしても返してほしくて。そしたら金と引き換えだって脅されて、俺、もう実稀さんのところしか思いつかなくて、それで・・・本当にごめんなさい!」
諒は頭を抱えて深いため息をつく。実稀は表情を変えずに言った。
「じゃあどうして何も盗まなかったんだ?」
「変な光が襲ってきたんです!それで怖くなって・・・でもドアを壊しちゃったのは確かです。だからちゃんと弁償します!アルバイトして返します。」
晴人は立ち上がり、深く頭を下げた。そしてその隣に諒も並び、一緒に頭を下げる。
「弟が迷惑をかけた。本当に申し訳なかった。ドアの費用は俺が弁償する。今回だけ、警察には言わないでいてくれないか?」
実稀は座ったまま見上げるようにして目の前の二人を見つめた。
「最初からそのつもりはなかったよ。ドアはそろそろ新しいものに取り替えようと思っていたから心配するな。それより俺は晴人くんの今の状況の方が心配だ。」
諒も渋い顔のまま頷いて晴人を見る。
「晴人、お前いじめられてるなんて一言も」
「諒くんに言えるわけないだろ!仕事だって掛け持ちして頑張って家にお金入れてくれてるのに、これ以上迷惑なんて」
「このバカ!!」
諒がゴツン、とゲンコツで晴人の頭を上から殴った。音は大きかったが思ったほど痛くはなかったらしい。晴人はただ呆然とした顔で兄を見つめている。
「それで結局こんな迷惑をかけるんなら、困ってるからお金ちょうだいって言われた方が百倍マシだ!!」
「うう、ごめん。諒くんのゲンコツ、久しぶりに食らった・・・後から痛くなるんだよなこれ・・・」
「まったく!バカ晴人!!」
大変な状況には変わりないが、衣織にはそれが少し微笑ましい光景にも思えた。
(この兄弟はきっと普段からお互いを思い遣っている。でも、いじめか・・・少しでも晴人くんの今の状況を改善できればいいんだけど)
衣織がそんなことを考えていると、諒が話をまとめ始めた。
「とにかく、今回の件と学校での件は別。実稀にいじめの件は関係ない。それについてはどうしたらいいか後でゆっくり話し合おう。」
「うん・・・」
素直に頷いてはいたが、晴人の表情は晴れないままだった。
そして衣織は思う。晴人はきっとこれ以上諒に心配をかけたくなくて、諒と話し合った後もきっと続いてしまういじめを再び隠し、少し経ってから「もう平気」と誤魔化すのだ。
(でもそんな思いを、私がしてきたような辛い思いを、諒さんの弟さんにさせたくない)
「あの、それって私達も協力してどうにかできないでしょうか?」
「え?」
三人の顔が一斉に衣織の方に向いたので、少し戸惑う。だが言い出したからにはきちんと話そうと、衣織は覚悟を決めた。
「このままだときっとキーホルダーは返ってこないし、いじめも卒業するまで続きますよ?」
「・・・」
晴人の表情が一気に暗くなる。おそらくそうなのだろうと自分でもわかっているのだ。それは衣織の経験上、当事者だからこそ、普段の雰囲気から十分に予測できることだ。
「晴人くんは、このまま高校時代を終わらせていいのかな?」
衣織は、昔の自分に問いかけるかのように真っ直ぐに思いをぶつける。
いじめられていたあの日々。逃げることも避けることも、ましてや闘うこともできず、ただ苦しみ抜いて忘れたいだけの学生時代を過ごしてしまったことを、衣織は今でも悔やんでいる。だからこそ、彼にはそんな思いをどうしてもしてほしくなかった。
「衣織ちゃん?」
(私が弱っている時に本当に優しくしてくれた、助けてくれた諒さんのためにも、何か私ができることをしたい!)
黙ってしまった衣織を不思議そうに見つめる諒に、衣織は笑顔を向けた。
「考えましょう、みんなで!晴人くんは一人じゃない。どうにもならなかったら逃げてもいいから、やれることはやってみませんか?」
衣織の言葉が、晴人の中の何かを動かした。
「は、はい!」
「晴人・・・」
晴人の背がすっと伸びる。諒も実稀も、そんな彼の様子を温かい目で見守っていた。




