12. 泥棒騒動①
体調不良のため早退した翌々日、衣織はすっかり元気になり予定通り店に出勤した。
だが普段その時間いないはずの実稀がなぜかすでに出勤しており、さらにいつもは衣織が担当している始業準備を始めているのを見て、一瞬中に入るのを躊躇う。
(まあでも、出勤しないわけにはいかないよね・・・)
衣織は一呼吸置いてから勢いよくドアを開けた。
「おはようございます!一昨日はご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。今日からまた頑張りますのでよろしくお願いします!」
衣織は開口一番、大きな声で挨拶と共に謝罪をする。深く頭を下げ、実稀の顔をできるだけ見ないように意識もしていた。
「ああ、おはよう。その・・・もういいのか?」
実稀の声はどことなく遠慮がちに聞こえる。衣織は目を軽く伏せたまま顔を上げた。
「はい、熱もありませんし、体も辛くないので大丈夫です。じゃあ、掃除します。」
「いや、今日は俺が」
「いえ、これは私の仕事ですから。」
「・・・」
自分でも他人行儀すぎる態度なのは承知している。だが一昨日受けてしまった心の傷をこれ以上広げたくなくて、衣織はどうしても今は彼と距離をあけておきたかった。
しかし実稀はそんな衣織の思いには当然気付かず、ゆっくりと近付いてくる。
「なあ星野、その、一昨日は」
「おはよう!お、衣織ちゃん、体調良さそうだね。顔色もいいよ!」
その時、何かを言いかけた実稀の言葉を遮るように、笑顔の諒が店に現れた。衣織はホッとして思わず彼に笑顔を返す。
「おはようございます!はい、諒さんのお陰です。一昨日は本当にありがとうございました!」
「いいよいいよ!あんなことで元気になったなら何より。でも今日はあんまり無理しないで。」
「はい!」
衣織は笑顔のままパタパタと掃除道具を取りに奥の部屋に入っていく。そしてそれを見届けた諒の顔からは笑顔が消えた。
「実稀。一昨日も言ったけど、俺まだお前を許してないから。」
「ああ、わかってる。今彼女にその話を」
諒は冷たくその言葉を遮る。
「あんなに体調が悪そうだった彼女を雨の中一人で帰らせるなんてどうかしてる。引っ張ってでもタクシーを呼んででも、病院なり何なり連れていけばよかっただろ。今はあんなに元気だけど、一昨日の夜は四十度近く熱があったんだ。」
「そんなに・・・」
諒の言葉に、実稀の顔が青ざめた。
「まあ何言ったのかはだいたい想像つくよ。どうせまた妖精がとか言ったんだろ。とにかく、しばらく彼女には仕事のこと以外話しかけるな。」
諒はそう冷たく言い放つと、ノックをしてから奥の部屋に入っていく。入れ替わりで衣織が掃除道具を持って現れると、実稀は再び暗い表情で衣織に近付いた。
「星野。」
「桐生さん、今は掃除をしたいので、申し訳ありませんがお話は後でもよろしいですか?」
「・・・ああ、わかった。」
実稀はそれ以上何も言うことができず、掃除を始めた衣織の後ろ姿をじっと目で追っていた。
そんなギクシャクとした雰囲気は翌日も、翌々日も続いた。なんだかんだと二人はすれ違いが続き、実稀は謝罪ができないまま、衣織は実稀を避けたまま、気が付けばもう翌週の月曜日の朝を迎えていた。
そしてその日、とんでもない事件が起きる。
衣織がいつもより早く出勤すると、ドアの様子がおかしいことに気付いた。
「ん?・・・あ!!ガラスが割れてる!?」
急いでドアに駆け寄り間近で見てみると、上部に嵌め込まれているすりガラスが割れ室内に散乱しているのが見えた。ドアを開けて中に入ろうとして、犯人の指紋が付いてるかもと思い至る。そこで指先だけでノブの先端をそっと摘んでゆっくり動かしてみると、ガチャっと音がしてドアが開いた。
「鍵も開いてる・・・え、やっぱり泥棒!?」
衣織は慌ててバッグからスマートフォンを取り出し、実稀に電話をかけた。
「桐生さん大変です!お店に泥棒が入ったかも!!」
『え?泥棒!?わかった、もう着くところだからそこから動かずに待っててくれ。』
「は、はい!」
衣織はオロオロしながら辺りを窺う。近所の店はスナックや空き店舗になっているところが多いため、この時間にこの状況に気付いている人はあまりいないようだった。衣織が深呼吸をしてから再びドアを確認していると、駐車場のある方向から実稀が走ってやってくるのが見えた。
「桐生さん、これ!」
「酷いな・・・中にはまだ入っていないよな?」
「はい。泥棒だとまずいかなと思って。」
実稀はポケットからハンカチを取り出すとそのハンカチでノブに触れ、ドアを少しだけ奥に開いた。チャリ、という割れたガラスの音が衣織を嫌な気分にさせる。
実稀は、ガラスが特に多く落ちている場所を上手に飛び越えて中に入ると、奥の部屋からしばらく出てこなかった。衣織はどうしたらいいのかわからず、とりあえず窓から中を覗って彼が戻るのを待った。
十分以上経過してから、ようやく実稀が深刻そうな表情で入り口に戻ってきた。
「星野、中に入ってくれ。」
「え、でも警察は・・・」
「警察には連絡しない。」
「えっ!?どうしてですか?」
実稀は黙ったまま衣織の手を持ち、中にゆっくりと招き入れた。触れられたことに少し動揺したが、とにかく足元の方に注意を向けて中へと入る。
中に入ってみると思ったほど店内は荒らされておらず、むしろ何も盗まれていないのでは、と思うほどの綺麗な状態だった。
「今、奥で防犯カメラを見てきたんだ。たぶんここに入ったのは、俺の知り合いだ。」
「え、そうなんですか?でも、だったらなおさら後で揉めないためにも警察に話した方が・・・」
実稀の辛そうな表情を見て衣織は黙る。
(どんな知り合いなんだろう?)
そう思い彼の言葉を待っていると、実稀はゆっくりと話し始めた。
「たぶん犯人は、諒の弟だ。」
「え・・・嘘!?」
衣織は驚きの余り目を丸くして固まった。諒に弟がいたことも知らなかったが、まさかあの優しい諒の弟がそんなことをするなんてと、信じられない気持ちが先に立つ。
「何も盗まれた形跡はないし、何かどうにもならない事情があったのかもしれない。まあドアの修理は必要だが、もう一度商品を確認して何も盗まれていないなら、まずは彼と直接話したい。」
諒を思いやる彼の気持ちを、その言葉と表情から痛いほど感じる。辛そうなその顔を見ると衣織まで胸が痛んだ。
「わかりました。じゃあ私は片付けと掃除をしますね。」
「ああ。ガラスが多いから気をつけて。」
「はい。」
そうして実稀はまず諒に連絡をとり、その間に衣織は床を片付け始めた。箒で大まかなガラスを取ってから掃除機と雑巾で取り残さないように丁寧に、そして注意して掃除をしていく。
だが一瞬の油断が怪我を招く。
ふと目の前のケースに入った商品に意識が向いてしまい、手をついたところにあったガラスの破片で衣織は指を切ってしまった。
「いたっ」
「どうした星野?」
じんわりと溢れてくる血を無意識に舐めようとして思いとどまる。だがその一連の流れは実稀に目撃されていた。
「星野・・・今舐めて消毒しようとしただろ。」
「あはは、バレました?雑巾持って掃除してる手を舐めたら駄目ですよね?」
実稀は膝をついて掃除をしている衣織の横にしゃがみ込み、切ってしまった衣織の右手を優しく掴み、傷口を確認した。
「結構深く切ったかもな。ほら、奥に行って消毒しよう。」
「あの、手を」
「いいから。少し高く上げておいて。」
「・・・はい。」
まだ距離を置いていたい人に手を握られて嬉しいと思うなんて、と衣織は小さなため息をつく。実稀はそんな衣織の様子に全く気付くことなく、奥の部屋で手を洗わせてから消毒をして絆創膏を貼った。
「星野。」
「はい。」
実稀の手はまだ衣織の手を握っている。それが嬉しいのに、少し辛い。
「この間は、すまなかった。」
「あ、いえ!私が悪かったんですから。桐生さんは謝らないでください。」
衣織はそっと手を引き抜いた。実稀はそれを目で追ってから衣織の目を真剣な顔で見つめる。
「いや、まずは君の体調を心配するのが先だった。諒があの日看病したって聞いて、俺は・・・」
そう言って言葉をなくしていく彼を、衣織は切なく思いながら見つめていた。
「いいんです本当に。もっと前から体調は悪かったんですから、あれは私が相談しなかったのが悪かったんです!それじゃあ桐生さん、ありがとうございました。指、平気そうなので掃除の続きしますね!」
「星野!」
衣織は振り向かずに立ち止まる。今の顔を、どうしても彼には見せたくなかった。複雑な思いをまだ彼には知られたくなかった。
「いや、何でもない。頼む。」
「はい。」
まだどこか距離を感じながらも、お互いにそれ以上追求し合うことはできなかった。そしてその日の午前中はそれぞれができることを一つずつ進めながら、諒が現れるのを静かに待っていた。




