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10. きっかけ

 五月半ばのよく晴れたその日、桐生雑貨店には朝からゆったりとした時間が流れていた。だがのほほんと過ごしていた昼休み、ちょっとした出来事が起こった。


「衣織ちゃん、今ちょっといい?」


 衣織は食べ終わったお弁当を片付け、顔を上げた。珍しく諒が困ったような表情で地下室のドアから顔を出し、衣織を呼んでいる。


「どうしたんですか?」


 地下へ続く階段の方へ近付くと、諒が黙って手招きしている。何だろうと思いながら地下に降りていくと、部屋の中にすごい勢いで飛び回る黄緑色の妖精が二人いた。


「どうしたんですか、これ!?」

「いやあ、俺にもよくわからないんだけど、何か焦ってるみたいなんだよね。ちょっと彼らを落ち着かせたいんだけど、今どんな状態?」

「部屋中を飛び回ってますよ。おーい、落ち着いて!話を聞かないことには助けられないよ!」


 衣織がそう呼びかけると、突然動きを止めて衣織を見る。


『イオリ?アナタイオリ?』

「私の名前知ってるの?」

『ココノコニキイタヨ。イオリハトクベツ。』


 特別って何がだろうと首をひねっていると、諒がすかさず妖精達に問いかけた。


「じゃあその特別な衣織ちゃんになら話せる?」


 気配は感じているようで、諒は空中を見つめている。


『ナカマガコマッテル。イオリ、タスケテクレル?』

『ナカマガツカマッテル、ヒトミタイナナニカ。』


 衣織は諒と顔を見合わせた。


「仲間が捕まってるの?それってどこかな?」


 そう尋ねると、妖精達は再び空中を飛び回りながら何かを話し始めた。


「うーん、よくわからないなあ。ねえ、そこまで案内ってできる?」

『デキル、イコウ、イオリ!』

「あ、待って!」


 衣織はすぐに部屋を出ようとする妖精達を一旦引き留め、地下室のドアを開けると振り返って諒に声をかけた。


「じゃあ私行ってきます。諒さん確か今日はこの後帰るんでしたよね?」

「うん。でも・・・一緒に行こうか?」


 諒が心配そうにそう答えると、今度は階段の方から別の声が聞こえた。


「俺が行く。」

「桐生さん?」


 地下室の階段の上から実稀が衣織を見下ろしていた。


「諒は今日仕事だろ。俺はこの後の予定はないし、今日は平日だからもう店にお客様も来ないだろう。事情はよくわからないが、移動しながら聞こう。」

「じゃあ、お願いします。諒さんもお気をつけて!」

「・・・うん。」


 いつもと少し様子が違う諒のことが気がかりではあったが、妖精達に急かされ、衣織と実稀は店を閉めて妖精達について歩き始めた。



 移動中、衣織は地下室で聞いた話を実稀にも説明しておく。静かに話に聞き入っていた実稀だったが、妖精達に名前を呼ばれたことを話すと立ち止まった。


「名前、呼ばれたのか?」

「はい。あれ、何かまずかったですか?」

「いや・・・何でもない。」


 しばらくお互いに黙って歩き続ける。まだそこまで賑やかさの無い平日午後の商店街には、穏やかな時間が流れていた。そして今は閉まっているあのお弁当屋さんの前で、衣織はずっと心の中にしまっていたある思いを静かに打ち明けた。


「桐生さんて、私に教えてくれないことが多いですよね。」


 先導する妖精達を目で追いながら、静かにそう告げた。そこからしばらくは沈黙が続き、十分ほど歩いとところで実稀は低い声でおもむろに話し始めた。


「・・・あまり、深入りさせない方がいいかと思ったんだ。」


 不意打ちのように耳に飛び込んできたその言葉に、衣織は思わず振り向いて立ち止まる。その時ちょうど目の前の踏切がカンカンカン、という音を立てて閉まっていく。そして、実稀と目が合った。


「どうしてですか?」


 じっと彼を見つめて答えを待つ。だが彼は衣織から目を逸らした。


「君はまだ仕事を探しているだろう?この店でアルバイトとして埋もれていく気はないはずだ。だったら世間離れしたこの環境に馴染みすぎない方がいいと思って。」

「私、辞めませんから。」


 少し俯いていた実稀がまっすぐに衣織の方を見る。


「いつかは辞めるかもしれません。でも今すぐに辞めるつもりはないですから。それに妖精達と一緒に居たからって私は何も変わりません。変わったとしてもそれは悪い方にじゃない。だからそんな心配はやめてください。」


 衣織は淡々とそう言い切った。どんな理由であれ、勝手に自分のことを決めつけられてしまうことに我慢がならなかった。


「そうか。悪かった。・・・それなら今日はせっかくだから、色々話しながら行こう。」


 そう言ってホッとしたように笑う実稀の優しい表情に、衣織は目が離せなくなる。怒っていたはずなのに、その笑顔で全てが帳消しになる。


「はい。」



 そうして妖精達を目で追いながら、衣織はこれまでずっと話してもらえなかったことを、実稀に一つずつ説明してもらった。


 そこで衣織が知ったのは、妖精達は人間の名前を滅多なことでは覚えないこと、『イノチ』と呼んでいるものは人間の強くはっきりとした思いから生み出される精神力のかけらのようなもので、動物達からはなかなか得られないらしいということだった。


 その他にも、向こうの世界の妖精達は一年か二年に一回くらいの周期でこちらにその力を貰いに来ていること、店の運営に関わることなどもいくつか教えてもらった。


「子ども達の想像力が生み出す『イノチ』は特に彼らのお気に入りなんだ。そういえば、この間食堂を手伝ってくれたんだってな。祖父がすごく喜んでいたよ。」

「そうですか。よかった!また行きますってお伝えください!」

「言わない。そんなことを言ったらさらに調子に乗る!」

「え?」

「いや・・・何でもない。」



 結局それから二人はかなりの時間を歩き続け、ようやくたどり着いたそこは、市営の動物園だった。この日は平日ということもあり、人はまばらだ。


「え、もしかして、動物に捕まってる!?」

「それは厄介だな。檻の中じゃどうにもならないぞ。」


 二人で困惑して立っていると、妖精達が声をかけてきた。


『ナカニイル!フツカモイル!ハヤクハヤク!』

「中に二日もいるそうですけど、どうします?」

「はあ、行くしかないだろ。」


 二人は仕方なく入園料を払って中に入った。衣織はこの町が生まれ育った場所ではないので、この動物園に入るのは初めてだった。仕事だと頭ではわかっていても、実は少し楽しみに思う自分も否めない。


「ここはそこまで広くないからすぐ見つかるだろう・・・って星野。」

「はい?」

「顔がゆるんでるぞ。実はちょっと楽しみなんだろ。」


 優しく微笑みながら、実稀は衣織の髪をくしゃっと撫でた。


 一瞬、息が止まる。


「そっ、そんなことないですよ!それと・・・」


 言い淀んだ衣織を実稀が不思議そうに見つめる。


「それと、何だ?」

「何でもないです。とにかく探しましょう。」


(気安く触らないでくださいって、言いたくないのは何でだろう)


 衣織は自分の中に生まれつつある気持ちを振り払うように、妖精達の後を追って急いで園内を移動し始めた。



 しばらくすると妖精達が騒ぎ始める。


『アソコニイルヨ!』

『テノナカニイル!』


 衣織達は急いでその檻の近くに駆け寄った。言われた場所をよく見てみると、檻の中にいた猿の一匹が大事そうに手の中に一人の妖精を包み込んでいた。


「お猿さんが握ってる!」

「これはまずいな。檻の中じゃどうにもならないし・・・」


 二人でヒソヒソ話をしていると、妖精達がふわっと近くまで飛んでくる。


『イオリ、イノチワケテ。イオリココタノシイ?モットタノシクナルトイノチモラエル!』

「星野、二人が何か言ってるのか?」


 妖精達の話していることの意味がよくわからず首を傾げながら聞いていると、実稀が心配そうに衣織にそう問いかけた。


「もっとここで楽しんでって。私が楽しくなると『イノチ』を貰えるって言ってます。」

「なるほど。」


 実稀はうーんと言いながら少し考え込んだ後、ニヤッと笑う。


「そうか・・・星野。」

「はい?」

「行こう。」

「え、ちょっと!?」


 実稀が、衣織の手首をそっと掴み、歩き出した。


(手首、どうしよう、嬉しい・・・)


 加減をしながら握ってくれているその手が、大きくて温かくて衣織は戸惑う。そして二人は慌ただしく入り口まで戻った。実稀はそこで衣織の手首から手を離すと、今度は優しく微笑んだ。


「星野、今からここを全力で楽しめ。今だけは仕事を忘れていい。こういう所、好きなんだろ?」

「え?はい、まあ。でもいいんですか?」

「もちろん。それが彼らの助けにもなる。」


 そう言われて辺りを見渡すと、妖精達は近くには見えなかった。実稀と二人きりの時間。その事実がなぜか衣織の胸を震わせる。彼の自分だけに向けられた笑顔が、目に焼き付いてしまう。


「じゃあ、お言葉に甘えて。」

「俺でよければ甘えておけ。ほら、行こう。」


(ああそうか。私、この人と一緒にいると楽しいんだ)


 それから一時間ほど小さなその動物園で、衣織は子どものようにはしゃいで楽しんだ。いつもより穏やかに話す実稀との会話も楽しくて、一緒に過ごせる時間が嬉しくて、自然と顔がほころんでいく。


 そうして園内を全力で楽しんだ後ふと気配を感じて上を見ると、自分の近くにあの妖精達が楽しそうに飛び回っているのが見えた。キラキラした光を纏い、にこやかに衣織達を見つめている。


『イオリノイノチ、アタタカイ!タスケラレル!』


 そう言うと彼らはスーッと猿の檻へと飛んでいく。急いでその後を追うと、妖精達はあの光を捕まっている仲間にも分け与えた。すると猿の手が光に押されてゆっくりと開いていき、捕まっていたその妖精は、スルッと滑るようにその手から逃げ出した。


「抜けた!」

「はあ、よかった!」


 二人で顔を見合わせて笑い合う。


 彼の笑顔が、衣織の胸を締めつける。


 その瞬間、漠然と感じていたその気持ちが、「実稀のことが好き」という確信に変わった。


(でもきっとこれからも何も変わらない。それでも、いられるだけこの人の側にいたい・・・)



「実稀さん、帰りはタクシーでお願いします!さすがに歩き疲れたー。」

「なんだ、運動不足じゃないのか?今からそんなんじゃ年取ってから大変だぞ。」

「実稀さんにそう言われると現実味がありますね。頑張って運動します!」

「どういう意味だ!?俺は星野と二つしか・・・え?今、名前・・・」

「ほら、早く帰りましょう?実稀さん!」

「何なんだ今さら・・・まあいいか。」


 苦笑しながら横を歩く実稀を、衣織はその触れそうで触れない右手を、タクシーに乗るまでのわずかな時間、密かに意識し続けていた。


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