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求職中メイドと求人票

作者: 久御山ナツ

アンは求人票の前で小首を傾げていた。


アン、26歳、女性、無職。

独身で親族もいない。

そんな彼女が今いる場所は、使用人斡旋所のメイド部門だ。

貴族家、ゆとり有る商家などが自邸で雇う使用人の求人を出す場所である。

元来、そういった使用人は各家の人脈を頼りに集められることが大半だが、新興貴族家など縁も乏しい家では紹介所を使うこともある。

そうして、そういった職に就きたい者が探しに来る場所であった。

もちろん紹介所とて慈善事業では無いのだから、双方斡旋料を支払う必要がある。

しかし、雇う側からしても基準に足らない者とまで話をするのはかなりの手間であるし、雇われる側においても各家を訪ね歩くよりは遥かに楽である。需要と供給は偉大だ。


そして冒頭に戻る。

アンは求職中で、現在無職だった。

以前勤めていたのは貴族家の別邸。

貴族といっても寡婦である奥様が一人暮らす小ぢんまりとした(それでも平民の家などよりはかなり立派だが)屋敷であった。

その為、使用人も少なく、通いは洗濯婦、月数回ほどの庭師。住込みは夫が執事という名の雑用係、妻が料理人の初老の夫婦、あとはアン。それだけだ。


そんな使用人が少ない職場であった為、ありとあらゆる仕事を教えられた。主な仕事で以外にも、必要であれば洗濯もする。料理もする。給仕もする。繕い物もする。腰痛が持病の執事からも、出来る限りの雑用も教わっている。

そうして、出来上がったのは立派な雑用メイド。


しかも奥様が躾に厳しい方だった為、立ち居振舞いもきっちり躾られた。ノックから始まり、お辞儀の仕方。茶の入れ方はもちろん、カップを提供する際の指の添え方まで。

奥様が微笑みながら満足げに頷いてくれた時は感無量で、涙を堪えるのに難儀したのも良い思い出だ。


そんな辛くとも充実した日々であったが、奥様が体調を崩されたのを機に領地へ戻られることとなり、終わりを告げた。

執事夫妻は領地から一緒に出てきたのもあり、ご一緒するという。通いの者には「能力は高い」と紹介状を渡された。

そしてアンにも。

彼女は自分も連れていって欲しいと願い出たが、それは叶えられなかった。

彼女が優秀なのでもっと良い勤め先が、トウが少々立ってはいるが異性との出会いもあるだろうから。その未来を摘み取ってしまうのは惜しいと。

奥様に認められていたのは素直に嬉しいが、ここに居たとしても何かを見つけられる気はしなかった。

だが、使用人であるアンが雇用主である奥様に逆らえるはずもなく、涙を堪え別れるしかなかったのだった。

そうしてアンは、執事に教えられた斡旋所を訪れる。


ある求人票を眺めながら、はて?と首を傾げた。

募集要項にベッドメイキングやアイロン掛けなど必要技能が書かれているのはわかる。だが、理解出来ないことも書かれていた。

幾つかの求人票を眺めながらも、その奇妙な求人票に視線が戻ってしまう。


「職探しですか?」


声を掛けられ顔を上げると、求人票が貼られた衝立から男性が彼女の様子を伺っていた。


「あ、そうです」


アンがそう答えると、彼は数回頷き簡素な机と椅子がある方を指し示す。机には『相談席 マシュー所員』との立札があった。この男・マシューはどうやら斡旋所の所員のようである。

そう考えれば、求人者の男達よりも身形もこざっぱりとし、小綺麗に見えた。


「ここに掛けて。メイドの仕事をお探しで?」

「はい。紹介状もあります」


手提げ鞄から一通の封書を取り

出した。

所員だろうが、見ず知らずの男性に手渡すのもどうかと思い、手に握ったままだが。


「ここの人間だから悪用なんてする気もないが、その用心深さは大事にした方がいい」


気を悪くした風もないようで、安心したアンはほぅと一つ息を吐いた。

マシューは苦笑を漏らすと、紐で綴られた紙束を手に持った。


「何度も見返してる求人があったようだが、そこで働きたいのかい?」

「あの。働きたいというか、気になっただけなのですが······」


アンはあの奇妙な求人票に書かれた番号を告げた。

誰もが見ることが出来る求人票には『貴族家』や『商家』といった家柄、大まかな場所は書いてあるが、家名や爵位、詳細な住所は書かれていない。斡旋所を利用しているのが知られたら、ろくな人脈が無い家と下に見られるのを防ぐ為に番号が振られているのだ。


「あー、あの貴族様のお屋敷のね」


マシューは心得たとばかりに紙束を捲り、お目当てが見つかったのか指を止め、開いたままアンの方へと向けた。


「この求人票でしょう?」

「これです。ここの技能ですが······」


アンが技能欄にあるその項目を指で示した。


「メイドの求人にこれは変じゃないですか?」


『護衛』とそこには書いてあった。

他は給仕やベッドメイクといったメイド然とした技能が書かれている中で、異彩を放っている。


「護衛って、メイドの仕事に入るものですか?」

「やっぱり気になりますよねぇ」


何度か同じような質問をされたのだろう、マシューは頭を横に振ってみせた。


「ウチの受付担当もおかしいと思って、こちらのお家に聞いてみたらしいけど、あちらさんは大真面目らしくてね······」


呆れたように返すマシューを前にして、アンは以前の勤め先で執事から聞いた話を思い出した。


「実は以前聞いたことがあるのですが、上位貴族家の侍女は護衛も兼ねることもあるそうですよ?」


アンの言葉にマシューは驚いた顔をした。


「上位貴族家の侍女が、ですか?」

「はい、男性が入ることが出来ない場所でも危険を避けるために、らしいですけど」


執事からは『そういうこともある』程度で聞かされた話であり、彼女もその時は『身分が高い人は大変だな』と思っただけだった。

しかし、あくまで一所員であるマシューは謎が解けたと頷くことしきりであった。

だが、この求人は侍女ではなくメイドである。そして斡旋所を利用しているということは上位貴族家とは考えにくい。


「でもそうだとしたら、この求人って微妙ですよね······お給金とか」

「メイドとしては平均的な給金ですからねぇ」


アンの声は最後には小声になっていた。

それに答えてマシューは溜め息を吐く。


「そう考えると安すぎますよ······」

「ですよねぇ」


マシューは紙束を再度手に持ち、アンに笑顔を見せた。


「では改めまして、所員のマシューといいます。メイドのお仕事をお探しですか?」

「アンといいます。そうです、以前もメイドをしていて、一通りの事はこなせると思います」

「それはいいですね、例えばお給金の希望額はありますか?」

「そうですね、仕事内容より安すぎるのはちょっと······」


求職者と斡旋所員としての正しい会話の中には、先ほどの奇妙な求人票が出てくることは一切無かった。

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