第95話 一難去って 5
「おい、京里様は見つかったか!?」
「まだだ。あの小娘、一体どこに隠れたんだ!?」
「このままだとあれを当主に祭り上げて我が家の地位を上げる計画が……!」
「早く見つけ出して儂の息子と婚姻を……!」
久遠家本邸の中庭。
そこへ戻ってきた久遠家とそれに類する家の者たちは不平不満を口にしている。
彼らにとって目下最重要の課題は、次期当主となることが事実上確定した京里の好感を得て甘い汁を吸うこと。
しかし肝心要の京里は姿を眩ましたことで彼らは混乱し、困惑していた。
このまま京里が見つからなければ次の久遠の当主は繰り上がりであの久遠玄治ということになってしまう。
彼らは結界内で起こったことを覚えているし、久遠玄治という男の野蛮な本性を見ている。
これだけでも次期当主としては論外なのだが……。
「クソ! あの野郎、ふざけた真似をしやがっ……ぐふっ!」
京里に背負い投げ1本で気絶させられた久遠玄治は現在式神によって捕縛されているのだが、意識を取り戻した直後から奇行を繰り返していた。
「なんで、なんでこんなゴミ1つ殴れねえんだよ!」
久遠玄治はまた拘束を振り解くために式神を殴ろうするのだが、どういう訳かその拳は式神ではなく久遠玄治当人の頬に突き刺さる。
「クソ……、クソ……、どうしてこの俺が、久遠家嫡男であるこの俺が、こんな羽目に……」
嗚咽しながら式神によって座敷牢へと連行されていく久遠玄治の姿はあまりにも滑稽で、派閥関係なく「この男を当主にしたら久遠家は笑い者にされる」と確信させた。
だからこそ一刻も早く実力も実績も教養もある京里を見つけ出して次期当主になってもらわなければならないのだが……。
「ええい! 京里様はまだ見つからんのか!?」
「も、申し訳ございません! あの異能力者が何らかの細工を行ったようで……」
「チッ、あの余所者が!」
1人の老人が苛立たしげに杖を地面に突き刺す。
中庭にいる者たちは最早限界と言っていい程、この状況に怒り、そして焦っていた。
このまま京里が見つからなければ、あの男を次期当主に仕立て上げないといけなくなる。
そうなれば退魔士のトップという今の地位を追われることは必然。
だからこそ久遠京里を次期当主にしなければ。
久遠に連なる家の者たちはありとあらゆる手段を使って京里を探し出そうとしていた、その矢先。
「―――皆さん、ご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした」
中庭へと通じている最も大きな襖から凛とした声が聞こえてくる。
その声に導かれるように老人たちが視線を向けると、そこには彼らが探し求めていた久遠京里の姿があった。
「め、迷惑なんてそのようなことは……」
「いやあ、京里様にもしものことがなくて本当に良かった! ささ、早く中央の祭壇で『当主宣明の儀』を!」
老人たちは先ほどまでの罵倒が嘘だったかのように京里に媚びへつらいながら、彼女に儀式の完遂を求める。
それに対して京里は沈黙を守ったまま、彼らに促されるように祭壇へと向かう。
そして彼女は胸に手をあて、大きく深呼吸をしてから口を開く。
「私は久遠家当主なんかに興味はありません。次期当主の地位は然るべき人にお譲りいたします」
京里が放ったその言葉は、久遠家の面々を唖然とさせ、次に困惑させ、そして怒りを呼び起こす。
「貴女は、名誉ある久遠の歴史を何だと思っておられるのか!? 興味がない!? そんな理由で捨てられるほど久遠家当主の肩書きは軽いものではない!」
濃い髭のおっさんがそう怒鳴り込みながら京里に詰め寄る。
またそれに続いてさらに何人かの男女が京里を取り囲む。
しかし京里はそれに臆することなく、彼らを見回してこう告げた。
「名誉ある久遠の歴史? 身内で殺し合い、不正で富を蓄えることの一体どこに名誉があるのですか?」
堂々と放たれたその言葉に久遠の大人たちの呆れと怒りが入り混じった表情を浮かべる。
「は、ははは……。京里様はお疲れのようだ」
京里に詰め寄っていたおっさんは乾いた笑いをすると、懐から札を取り出して男性型の式神を数体呼び出す。
それに続いてさらに数人の男女が同様に式神を呼び出して京里に差し向けようとする。
……さて、ここからが俺の仕事だ。
「さあ、大人しくしていればあの小物のようには……ぐっ!?」
「な、何だこれは!?」
「くそ! 離れない……!」
彼らが京里に近づこうとしたその瞬間、突如空中から丸い物体が発射される。
それらは京里に危害を加えようとした者たちへ向かうと、その形状をアメーバに似た物へと変えて彼らの手足を封じ込めた。
(『ディスペル』)
それと同時に『認識阻害魔法』を解除した京里の隣に姿を現した俺は、彼女を捕まえるために呼び出された式神を『水の目』を用いることでまとめて『ディスペル』で無効化し消滅させていく。
「伊織修……!? そうか……、この巫山戯た茶番劇を仕込んだのは貴様だな!」
「この余所者が……!」
「京里様を唆したのもお前の仕業だな!」
俺の登場によって久遠家の面々がざわつく中、『水魔法』を応用して生成したスライム弾で捕縛された連中が罵倒を浴びせてくる。
どうやら彼らは俺が京里を唆したと思っているらしい。
まあ嫡男が化け物の言いなりになってあんな事を仕出かした直後なのだから、そう考えるのはある意味当然だろう。
だがこれで計画通り京里に向けられていたヘイトは俺に向いた。
なら思う存分暴れさせてもらおうか。
「あんたらは別に久遠の当主を本気で慕っているわけじゃないんだろ? 本当に欲しいのは久遠当主の傘下だっていう肩書き。それを使って立場の弱い他の退魔士の家から家宝を奪ったり、犯罪組織と取引をしたりして贅沢三昧な毎日を続けたい。違うか?」
「何を言うか! 我々がそのようなこと――」
「ほー。じゃあ2ヶ月前に佐藤って家の家宝をヤクザに売り飛ばしたりしてないって断言できるのか」
「な、何故それを……」
今この瞬間も俺は『水の目』を用いることで、ここにいる人間全員を対象にして『鑑定』を発動している。
彼らは不正や悪行という言葉を聞かされたことで、それについて強く考えている。
おかげで彼らが行ってきた後ろ暗いことは全てお見通しだ。
「そこのあんたは討伐された妖魔の遺骸や貴重な異物を海外マフィアに不正輸出、そっちは敵対関係にある家に生まれた一人娘の顔に火傷の呪い、こっちは妖魔を唆してライバル関係にある家を全滅させた後に戦果を横取り。でもってあんたは久遠玄治が現当主へ毒を盛ることに協力、と。凄いな、これ全部ここ1年で起きたことなのか」
俺の口から暴露される久遠家の名を使った悪行の数々に対する反応は2通り。
そんなことをしていたのかと困惑するか、自分たちがこれまでしてきた悪行を知られていることに狼狽するか、だ。
そして残念なことに割合としては後者の方が圧倒的に多い。
本当に堕ちるところまで堕ちているんだな、この家は。
「でもってその責任は全て当主である京里に押し付ける。そんなところか」
「うっ……」
「もう分かっただろ? 京里が当主に興味なんかないって言った理由が。こんな腐りきった家、誰だって見限る」
俺がそう言うと、久遠家の面々は全員押し黙ってしまう。
「というわけで京里はこの家を継がない。次期当主の地位はこれを知ってでもなりたい奴がなればいい」
そう言って俺は京里の手を握ると出口へ向かう。
「待て! 余所者、このようなことをしておいてタダで済むと――」
「ああ、反撃したければどうぞご自由に。あんたらが久遠玄治と同じか、それ以上に滑稽なことをする羽目になるだけだろうけど」
「なっ……、あれは貴様が……!?」
「一応言っておくけどあれでも抑えてる方だから。本気がどんなものなのか見てみたいって言うんなら止めはしないよ」
久遠玄治とこの場にいる悪徳退魔士には『認識阻害魔法』によって誰かに悪意を以て危害を加えようとしたら代わりに自分を殴るように仕掛けてある。
その言葉がよほど効いたのか、彼らは完全に静まり返ってしまった。
それを確認すると俺たちは後ろを振り返ることなく改めて出口へ向かう。
と、そうだ。
「――ああ、そういえば異能を取り締まる国の機関があるんだっけ。そこの人らもあんたらがしてきたことを把握してるらしいから覚悟しておいた方がいいよ」
それを聞いて後ろで誰かが倒れるような音が聞こえるが、決して振り向いたりしない。
斯くして俺たちは久遠のお屋敷から脱出したのだった。




