第94話 一難去って 4
「京里、大丈夫か?」
久遠家本邸の廊下にある秘密の通路の奥に広がる四方八方から階段が伸びた空間、その一角で膝をかかえる京里を見つけた俺は彼女の隣に座るとなるべく穏やかな口調で話しかける。
「……伊織君? どうしてここが?」
「前に小春から教えてもらったんだよ。久遠家のジジババも知らない隠し通路を作ったってさ」
「……そうですか。あ、ごめんなさい。突然飛び出してきちゃって。もう大丈夫ですからすぐに戻りますね」
そう語る京里だが、その顔に浮かぶ表情は明らかに無理した作り笑いで目も腫れていた。
……これで「大丈夫」と言われて信じることなんて出来るかよ。
「今すぐ戻らなくてもいいだろ。もう少し落ち着いてからでもいいんじゃないか?」
「で、でも皆さんが私のことを呼んでますから――」
耳を澄ましてみると、確かに階段の奥の襖から「京里様ー!」と呼ぶ声が聞こえてくる。
……この空間への出入り口の数はざっと見て30~50前後、これなら一瞬で済ませられるな。
そう考えた俺は『氷結魔法』と『水魔法』、さらに『認識阻害魔法』で防音機能を兼ね備えた隔壁を形成すると、それで全ての出入り口を塞ぐ。
どうせ京里にはすぐバレてしまうだろうが、何にせよ少しは時間稼ぎは出来るはずだ。
それに会場には小型のドローンを置いてきたから、連中が何かしらの強硬策に出てきても対象することは出来る。
「ん? 俺の耳には何も聞こえないぞ」
「え、でも……。あれ?」
「ほら、何にも聞こえないだろ。だから今は気持ちを落ち着かせることを最優先に考えようぜ。もし1人でいたいのなら俺もすぐに出ていくから」
その時は扉の向こう側で京里を呼んでいる連中を『認識阻害魔法』で眠らせてこよう。
ついでに暫くやる気が出ないよう悪夢でも見せようか?
なんてことを考えていると……。
「あの、少しの間でいいですから一緒にお話しませんか?」
京里はどこか恥ずかしそうに俺に頼んできた。
俺なんかと一緒に話をして気分が晴れるとは思えないが、それが彼女の望みだというのなら応えてあげよう。
「で、何の話する? 先に言っておくけど俺、流行りものとかには全くこれっぽっちも詳しくないから期待しないでくれよ」
「ふふ、それは私も同じですよ」
「そうだったのか。髪も私服も綺麗にまとめてるから流行りものとかちゃんと調べてるんだろうなって勝手に思ってたよ」
「え、あ、ありがとうございます……」
……うん、何かナンパしてるみたいな感じになっちゃったな。
というかこっからどう話を広げたらいいんだ?
「ところで、伊織君はどうしてこの屋敷に来たんですか?」
と、そこで京里がこちらにボールを投げてくれた。
これじゃどっちがどっちを助けようとしてるのか分からないな。
「えーっと、まず夏休み明けに手紙が届いたんだよ」
「手紙ですか?」
「そう。久遠家の式神が家の前に立っていてさ。で、それに次の連休に良ければ来ませんかって書かれてたんだ」
「……なるほど、それでこの屋敷に」
「あー、切っ掛けにはなったけどそれが直接の理由かっていうと違うなあ」
確かにあの手紙を届けられたことで久遠家を認識するようにはなった。
だけどあの時点では警戒心や自分や家族の身の安全について強く考えていたと思う。
素性も何も分からない相手の本拠地、そこへただ招待状を貰ったからというだけで行こうとはならない。
ここへ来ようと思った理由、それはやはり……。
「どう言葉にしたらいいかな。京里がずっと学校を休んでたのがずっと気になってたんだよ。いつも隣にいる人がいないのが凄くムズムズするというか」
それと上島さんから伝え聞かされた本家での京里の様子、そしてアリシアから教えられた次の当主を決めるために行われるという危険な儀式。
そういったものを聞かされたことでせめて様子だけでも確認しておきたいとなった、これがこの屋敷に来た理由だな。
「……とまあ、こんな感じかな。ちゃんとした答えになってなくてごめん」
「い、いえ! ……私のこと、そんな風に思ってくれてたんだ……」
一瞬京里のうわずった声が聞こえたような気がしたが……、とりあえず何も聞かなかったことにしておこう。
「あー、ところで京里は何か聞いて欲しい話とかあったりする?」
「私ですか?」
「何ていうか色々と溜まってそうだったからさ。吐き出したらスッキリするかなって。勿論触れて欲しくないならそうするけど」
突然こんな所に隠れて一人で泣くなんて相当追い詰められていなければしない行動だ。
……まあ理由は大体想像できているんだけど。
「でしたら聞いてくれませんか。結構長い話になっちゃいますけど」
「わかった。聞くよ」
俺がそう答えると、京里は大きく深呼吸をしてから話し出す。
「日本の退魔士にとって久遠家の当主は自分たちの棟梁と言ってもいい存在。それに付随する富と権力はそれ相応なものですから」
こんな大豪邸を持って、あれだけの数の人間が次の当主を決めるための儀式に参加して、当主の地位を手に入れるためだけに人をあんな凶行に走らせたことを考えると京里が語る「富と権力」とは俺の想像を超えたものなんだろう。
「ですから次期当主となる資格を持って久遠の家に生まれた者は、物心がつくかどうかの時期から当主になるために全てを捧げるんです」
それは比較的普通な家に生まれた人間にはやはり理解が及ばない世界の話だった。
小さい頃から覚悟を決める、いや決めさせられると言った方が正しいか。
俺にはとても出来そうにないし、というかそんなことを求められる家に生まれずに済んだことを内心安堵してさえいた。
「術式や久遠の当主として相応しい立ち振舞いの勉強、それに箔をつけるための実績作りとして妖魔と戦わされましたし、それで死にかけることもありました。当然子供らしいことなんて何もさせてもらえません。でもそれが久遠家に生まれた者の普通なんです」
イカれてる。そうとしか思えなかった。
名家に生まれた跡継ぎとしてそれに相応しい人間となるよう幼い頃から教育する。
それ自体はよくある話だと思う。
だが自分の子供から一切の自由を奪い、危険な猛獣のような存在と戦わせるのは虐待の域を超えている。
「京里のご両親はそのことを何とも思わなかったのか……?」
「それが私が成すべき当然の役目だと心の底から信じていましたよ。息を引き取るその瞬間まで」
「それって……」
「父も母ももういません。私の周りにいたのは亡き両親が私を次期当主に育て上げるようにという命令を忠実にこなす自我も感情もない式神と、私を当主にすることで権益を手に入れようと画策している大人だけでした」
そう語る彼女の目からは、強い悲嘆と後悔の念が感じられた。
「普通の子のように生活することを許されず、式神に言われた通りに勉強や修行をして、利権を貪るためだけに近づく傍系の親族を愛想笑いを浮かべて接待する。そんな毎日が続いていつからか私は全てを諦めるようになりました。私は人並みの幸福を得られない。だったら感情を押し殺して人形のように生きよう、と」
物心ついた頃から自分という人間ではなく、どこまでも久遠家の跡継ぎ候補としか見られず、他人に自分の人生を勝手に決められる。
それは紛れもなく地獄だ。
「でもあの高校に入って、そして伊織君たちと出会ってからの日々は私にとって本当に新鮮で、素晴らしいものばかりでした。私という人間を見てもらえる。私を人として扱ってくれる。それが本当に本当に嬉しくて……、だからこんな所に逃げてきちゃったんでしょうね」
そこまで言って京里は目尻にたまっていた涙を拭うと無理やり笑顔を作り立ち上がる。
「つまらない愚痴を聞いてくれてありがとうございました。私はもう大丈夫なので――」
「これからどうなるんだ?」
「……学校を辞めて、この屋敷で昔と同じような毎日を送ることになるでしょうね。ですがさっきも言った通り、私はもう大丈夫です。こうなることは納得していましたから」
「……それは京里のやりたいことなのか?」
俺はそう問いかけると、京里はその場で足を止めた。
俺には彼女が友人との平凡な学校生活や、1人の人間として暮らしていける日々を求めている、そう思えてならなかったのだ。
「……っ、そんなわけないじゃないですか! 私だってこれまで通り皆と、伊織君と一緒に過ごしたい! だけどそんなわがままを久遠家の跡継ぎである私が口にしていいわけが……!」
京里は俺に振り返り、自分の本音をようやく暴露した。
「いいんじゃないか? 京里は人形じゃなくて人間なんだから、自分のやりたいようにやっても」
俺が投げ掛けたその言葉に京里は目を丸くし、続いて困惑した様子でこう尋ねてくる。
「いいんですか? 私がそんな自分勝手でわがままなことをしてしまっても」
「散々振り回されてきたんだ。一度や二度、逆に振り回してやってもいいんじゃないか? というか俺からすると京里の言ってることはわがままですらないと思うぞ」
俺の返答に京里は俯いて深く考えると、やがて意を決したかのように顔を上げる。
「お願いします。私をこの家から、久遠のしがらみから解放してください……!」
「任された」
返す言葉はこれで十分。あとはそれを実現するだけ。
そう考えた俺は京里の手を引くと中庭に近い場所に繋がる扉へと歩き出した。




