第91話 一難去って 1
「ふぅ……」
地面に降下した俺は『水魔法』で生成したMPポーションを飲んで一息つく。
元あった階層の床に着地した頃には、大樹は完全に消失し、辺りにはあの赤い霧に包まれた劇場のようなものが残るだけとなっていた。
そしてその霧についてももう殆どが晴れかかっている。
これならこの迷宮を脱出するために必要な操作盤を探すのもさして苦労せずに済むだろう。
(……敵の気配はなし。御縄に力を吸い取られていた人たちも一応無事なようだな)
だがその前にやるだけのことはやっておかないとな。
俺は『治癒魔法』と『氷結魔法』で止血され、『水魔法』で生成した手錠と足枷によって体を縛られ身動きが取れなくなっている茨を見下ろす。
「……止めを刺されないなんて、まさか情けをかけたつもりですか?」
「まずは聞きたいことがある。あんたの処遇はそれから決めさせてもらう」
「そうですか。いいですよ、何でも聞いてくださって構いませんよ。それに正直に答えるかはまた別ですけどね?」
この期に及んでまだ余裕ありげな態度を崩さない。
ただの張ったりか、それともまだ他に何か切り札を隠し持っているのか。
何にせよこちらも用心して相手をするに越したことないな。
「まず1つ目の質問だ。あの招待状を書いたのはどこの誰だ?」
「差出人の欄を見ていなかったのですか? 招待状を書いたのは間違いなく久遠宗玄様その人でごさいますよ」
「あんな耄碌爺さんにあの手紙が書けると本気で言っているのか?」
「お体の調子が良ければ書けるのではないかしら?」
正直に答える気はなし、と。
ここまでダメージを与えたのだから少しは正直になると考えていたんだが。
「なら次の質問だ。お前は何らかの組織に属しているのか?」
「組織なんて大層なものではありませんが、お仕えさせていただいている方々はおりますよ」
今度は判断に困る回答をしてきたな。
お仕え、話しぶりからして久遠宗玄の時のような籠絡するためのものではなさそうだが……。
というかこんな化け物を従わせられる人間って一体どんな奴なんだ?
……とりあえず今回の事件は単独犯によるものではないと見なしていいだろう。
「3つ目の質問だ。久遠家の屋敷の天井裏にいた怪物、あれを呼び出したのはお前か?」
「そのお手伝いをさせていただいた、とだけ答えさせていただきます」
手伝いをした。つまり茨が仕えているという者、またはそいつと近しい関係の奴があれを呼び出したということか?
「そうかい、なら最後の質問するぞ」
「あらあら、私としてはあなた様ともっとお話したいのですが」
「悪いがこっちはそんな気分じゃないんだね。単刀直入に聞くぞ。お前は人間なのか? それとも化け物共のお仲間なのか?」
「どちらでもありません。私は人に似せて作られた人形です」
その問いに茨は変わらず微笑を浮かべながら俺の目を見て真っ直ぐ当然のように答える。
今までの回答とは異なり、変にぼかすことなくド直球にそう返してきた茨に内心困惑しながら、俺は何とか言葉を絞り出す。
「人形ってのは比喩表現か何かか?」
「そのままの意味ですよ。私はあの屋敷の式神と同じように人に作られ、使命を与えられて久遠家に潜り込んでいただけです」
「その使命は?」
「あなた様に奪われた茨木童子の腕、それを主様に献上するためでございます」
これまでとは打って変わって質問に素直に答える茨に俺は深く考え込む。
全てが嘘っぱちなのか、それとも知られても困らない情報だから正直に答えたのか。
ったく、『鑑定』を使うことが出来ればこんな風に悩まずに済んだんだが。
何はともあれ、これ以上こいつから聞くことはない。というか聞けることはないだろう。
それにドローンから発された位置情報によれば、まもなく京里がこちらに到着するようだ。
なら優先事項を聴取から無力化へと切り替えるべきだろう。
「質問は以上でおしまいですか?」
「ああ。聞いておきたかったことは大体聞き終えたよ。それで納得できたかはまた別だけどね」
「そうですか。……では名残惜しいですが、あなた様とはここでお別れですね」
茨がそう喋ると、彼女の体から稲妻のようなものが放たれる。
やはりこいつは大人しく捕まっている気はないようだ。
「それでは伊織様。また何処かでお会いいたしましょう」
「いいや、お前との付き合いはこれまでだ」
その稲妻によって拘束具にダメージを与えながら、勝ち誇った笑みを浮かべる茨に対して俺はそう吐き捨てる。
と同時に茨の手足を縛る拘束具は接触したものの熱を奪い取る氷の鎖へと変化すると、彼女の体を覆い尽くしていく。
「これは……、なるほど私の体を凍らせるためのものですか。ですがこの程度の小細工では」
「ああ、それだけじゃあんたを封じられないだろうな。だから仕掛けさせてもらった」
「……仕掛け、ああそういうことですか」
自分の身に起きた異変の正体、もとい俺の仕掛けの正体を理解したのか、茨は自分の胸に手を当て、冷たい息と凍った血を口から漏らしながら呟く。
「私の体内にもこの氷の鎖を仕込んでおいたのですね」
「ご明察だ。あんたは体の内側と外側、その両方から凍らされて一切の自由を奪われる」
俺は止血のために『氷結魔法』を使用した時に、「もしも」の事態に備えて彼女の体内に目に見えないほど小さな楔を打ち込んでおいた。
打ち込まれた楔は対象が俺に対して敵対的な行動を取れば、その肉体の内側から急速に凍らせるよう設計されている。
その効果は人体を精巧に模した水人形を相手に試した時と同じ様に発揮し、茨の体は凍結され、動きも見るからに鈍くなっていく。
「あはは、どうやら今回は私の敗北のようですね」
「……大人しく降伏すれば命は助ける。どうだ?」
「愚問、ですね。使命を全う出来ない出来損ないの人形に、存在価値など、ありません……。それに―――」
茨は自分の体が氷に覆われているにも関わらず、穏やかな笑みを俺に向ける。
「人形は、痛みも恐怖も感じることはありませんよ?」
そして俺にそう語った直後、茨の体はまるで時間が止まってしまったかのように完全に凍結されたのだった。




