第89話 決戦が始まりました 4
――10分前。
「ええと、その……『御縄』の他者から力を吸収する性質、それを断ち切られても久遠玄治はあの化け物じみた力を使うことができるか?」
「……出来ないでしょう。あれほどの力を遺物無しで抑え込むことが出来るのは万能の異能力者くらいでしょうから。御縄を失えば彼はただの人間に戻るかと」
京里のその回答を聞いて俺は心の中でガッツポーズをする。
よかった、であればこの戦いは簡単に終わらせることができるだろう。
俺は早速『アイテムボックス』を発動すると、夏の林間学校で手に入れて以来その中に入れっぱなしになっていた物を取り出した。
「なら京里にはこれを預ける。それを持って『身体強化』を使いながらとにかく上へ昇ってくれ」
「上に、ですか? 彼らとは戦わずに?」
「ああ、京里には『認識阻害魔法』っていうスキルも貸す。それを俺と2人で発動して京里の存在を気付かれにくくする。その上で、これだ」
俺はガワだけは京里を精巧に再現した即席の氷人形をその場で生成してみせる。
「さらにこいつにも『認識阻害魔法』をかけて京里だと思わせる。で、最後はそれだ」
「この刀、ですか?」
「ああ、それは物理的に存在しないものでも斬ることができる。後はその氷人形と一緒に茨と久遠玄治を遠ざけて御縄を斬るっていう作戦で行こうと思う。いけるか?」
「それだと伊織君の負担が……」
「俺のことは気にしなくていい。京里はとにかくその時を待っていてくれ」
「……はい!」
かくして始まった殆どアドリブのようなこの作戦だが、その結果は大成功と言っていいものだった。
「あ、あああああ……!!」
一瞬呆然としていた久遠玄治は、力を失った御縄を見ると大きな悲鳴を上げる。
「消え、消える、消えてしまう……! 俺の、俺だけの力が……!」
久遠玄治はその両手で必死に御縄を繋ごうとするが、当然そんなことをしたところで力が戻ってくるわけがない。
そのことを理解すると久遠玄治は膝から崩れ落ち、その場に項垂れる。
そこにいたのは人生全てを捧げた賭けに失敗し、文字通り全てを失った廃人だった。
その目から光は消え、うわ言のように何かを呟くその男からは戦意も殺意も憎しみも怒りも感じられない。
あるのは虚無だけだった。
こうなってしまえば無力化するのはとても簡単だ。
(『認識阻害魔法』)
「あ、ああ――……………」
“自分は今、深い眠りに落ちている”、そうスキルで思い込ませると久遠玄治は一瞬で意識を失いその場に倒れた。
さあ、これで残す敵はあと1人だ。
念には念をと自分に『マジック・カウンター』をかけ、ゆっくりとそいつに向き直る。
「これで俺たちとあんた、2対1になったぞ」
「そのようですね」
「降伏する気は?」
俺がそう問いかけると、赤い着物の女、茨は首を横に振った。
「まさか、詰んでもいないのに投了を選ぶなんて馬鹿なことはしませんよ」
そして彼女は左手で自分の右腕を掴むと―――。
「……な、え?」
「じ、自分の腕を……」
まるで人形の腕を交換するかの如く右腕を引き抜いた。
無論そんなことをしてただで済むはずがない。
現に彼女の右腕の付け根からはシャワーのように赤い血が噴き出している。
しかし茨はそんな今の自分の状態を全く意に介することなく、引き抜くと同時に千切れた右腕の着物の袖からミイラ化した腕のようなものを取り出す。
「っ、それは!」
「一目見ただけで理解なされるとは。流石ですね、京里様。ですが――」
茨はミイラ化した腕を右肩に押し付ける。
すると彼女の肩とミイラ化していた腕から小さな触手のようなものが伸び、結合し、茨の新しい右腕と化していく。
「気づくのが少し遅かったですね」
茨が意地悪そうな笑みを浮かべると同時に、彼女の周囲を炎が舞い、ミイラ化していた腕は人の背丈と同じか、あるいはそれ以上の大きさはありそうな赤い異形の腕へと変化する。
その姿はかつて遊んだゾンビゲーのラスボスを思わせるようなもので、思わず後退りしてしまう。
「……京里はあの腕が何なのか知っているのか?」
「あれは久遠家が代々封印してきた鬼の――茨木童子の腕です。でもどうしてあれを茨さんが……? 茨木童子の腕を久遠家が管理していることはごく一部の者しか知らないはずなのに――」
「簡単な話です。そこで寝っ転がっている玄治様が私に教えてくださったのですよ」
茨は余裕綽々といった様子で京里の言葉を遮って喋り出す。
……なるほど、つまり久遠玄治はあいつの手のひらで転がされていたってわけか。
「ならこの家に潜り込んだのはそれを手に入れるためなのか?」
「ええ、その通りです。久遠家、そして玄治様にこれまでお仕えしてきたのはこれを手に入れるため」
茨は感慨深そうに右腕を眺めると、続いて口角を上げて俺たちの方を見る。
「さて、それでは早速この腕の性能を確かめてみましょうか」
茨がそう言った次の瞬間、右腕から赤黒い雫のようなものが零れ落ちると、それは急速に全身が黒い肌で頭に2本の小さな角を生やした小鬼へと変化していく。
現れた小鬼の数は最低でも100、いや200体はいるだろう。
そいつらは血走った目で俺たちを見ながら涎を垂れ流している。
「さあ、あなたたちはこれにいつまで耐えられるでしょうかね?」
「っ!」
小鬼共は茨のその言葉を合図に俺たちに襲いかかってきた。
(『氷結魔法』!)
「へえ……」
それに対して俺は即座にスキルを発動して床から無数の氷の槍を生成して小鬼を串刺しにする。
しかし後方に控えていた小鬼共はそれを見ても一切怖じ気づくことなく、串刺しにされていた小鬼の死体をよじ登ってきた。
「くそっ、まるでゾンビだな!」
「茨木童子の腕から生み出された小鬼は式神のように感情を持たず、主の命令を忠実に実行する人形だと伝えられています! もしそれが本当なら――」
「死ぬほど面倒な相手ってことだな!」
京里の言葉を聞きつつ今度は氷の槍を小鬼共の頭上に生成して、容赦なくそれらを落下させると、続いて『水魔法』と『氷結魔法』を組み合わせて小鬼ごと氷の槍を氷のバリケードに作り替える。
これで少しは時間を稼げる。その間に何か対抗手段を考えよう。
そう考えた矢先、氷のバリケードはそれを破壊しようと爪で引っ掻いていた他の小鬼ごと、茨木童子の腕から放たれた爆炎で焼き尽くされる。
「はぁ……、がっかりです。あなたならもっと効率的かつ魅力的な方法でこの下僕共を一掃してくださると思っていましたのに」
燃え盛る炎をものともせず、新たに生成したのであろう大量の小鬼を引き連れ、宙に浮かびながらやって来た茨は心の底から残念そうにため息をつく。
もっと手っ取り早く彼女と小鬼をまとめて吹っ飛ばすことは出来なくもない。
しかしこの大樹がいつまで持つか分からない以上、下手なことをして崩壊させてしまい、脱出のための操作盤を損傷させてしまったらこれまでの努力が全て無駄になってしまう。
せめて相手が茨だけだったらもう少し早く、楽に処理できるんだが。
そんなことを考えながら『氷結魔法』で新たにバリケードを生成しながら小鬼共の侵攻を食い止めようとしていると……。
「……あの小鬼は私が引き受けます。伊織君はその間に茨さんを倒してください」
「っ、本気か!? この数だぞ!?」
俺がそう聞くと京里は札を取り出し、小鬼の群れの一角を青い炎で燃やすと自信ありげに笑みを浮かべる。
そして京里は貸していた妖刀を俺に差し出すと、一転して真剣な表情で口を開いた。
「私もこれまで何もしてこなかったわけじゃありません。だから伊織君は茨さんを倒すことだけに集中してください」
さっきまで意識が朦朧としていた京里をこの場に1人残すのは正直かなり不安だ。
しかし彼女の言う通りにした方が茨を楽に早く倒せるというのも事実。
「……わかった。なら」
俺は『氷結魔法』でさっき囮に使った氷人形を円盤状のドローンに作り替え、それを京里を守るように展開する。
「そいつらは好きに盾にしていいから。それと絶対に命を捨てるような真似はしないでくれ」
「……はい!」
京里の返事を聞いた俺は、視線を氷のバリケード越しに見える小鬼の大群からそれを微笑を浮かべながら見下ろしている茨へと移す。
続いて『アイテムボックス』から旅行カバンを取り出し、さらにその中からロケットとトンファーを合体させたようなものを持ち上げる。
パイルバンカーの試作品として『設計』『鍛冶技巧』で作成し、そのまま『アイテムボックス』内で埃を被っていたこいつがまさか役に立つとはな。
思わず苦笑しながらそれを左腕に装着すると、俺はロケットの先端を茨へと向ける。
「それじゃ、こっちは任せたぞ」
「はい! 任されました!」
そう言うと俺は握りにある小さなボタンを押し、一瞬で茨が浮かんでいる上空へと飛び上がった。




