第85話 儀式が始まりました 5
『キシャアアアア!!』
一面が蓮の葉が広がる湖となっている迷宮結界の第2層。
そこで自らがこの地の主と言わんばかりに君臨していた全身が水で構成されている新参者の巨大蛇は、全力で走り抜けようとする俺たちの姿を捉えると、まとめてその腹に飲み込もうと襲いかかってきた。
「い、伊織さん! うしろ! うしろ!」
「大丈夫大丈夫。ちゃんと何とかするからそれより剥がれないようしっかり掴まっていろよ、な!」
異常なまでに丈夫な蓮の葉を足場にしながら、俺はちらりと後方の様子を窺う。
(奴の行動パターンは大体読めてきた。仕掛けるとしたら……)
巨大水蛇は俺たちが着地しようとする瞬間を狙い、その巨大な口を大きく開く。
「ここ、だ!」
俺は即座に『風魔法』で飛び上がると、蓮の葉とそれに接触している巨大水蛇に対して『氷結魔法』を発動した。
『ギャ…………』
水蛇は一瞬で巨大な氷の塊となると、無数の蓮の葉が浮かぶ水面に横たわる。
それによって生じた衝撃は凍結した巨大水蛇を崩壊させるには十分な威力で、辺り一面に氷の結晶が舞う。
と、同時にクソデカい障害物が消えたからか、上層へと繋がる螺旋階段が載った一際巨大な蓮の葉が視界に入った。
「……次が最後の階層か」
できれば何事もなく操作盤とやらにたどり着ければいいのだが、恐らくそれが叶うことはないだろう。
この先には今回の大惨事をもたらした元凶がいる。どんなひねくれた罠があるか分かったもんじゃない。
「2人とも、絶対に俺の前に出るんじゃないぞ」
「「はい!」」
背負っている姉弟にそう忠告すると、俺は螺旋階段を一気に駆け登っていく。
それから数分もかからず俺たちは階段を上り終え、重厚そうな石造りで両開きの門の前にたどり着いた。
鬼や蛇には出くわしたけど、今度は何が出るのやら。
などと考えながら門に手を当て、ゆっくりと開いていく。
(なんだ、ここは?)
門をくぐると、そこはぼんやりと赤い光に照らされた劇場の舞台裏のような場所だった。
あちらこちらに用途不明な謎の物体が散らばっており、あるいは積み重なったりしている。
(これは下手に進んだら死角から化け物に襲われそうだな……)
そう考えて新たに偵察型のドローンを複数作成すると、それをこのエリアの奥に向けて飛ばしていく。
これで運良くゴールを見つけられればよかったのだが、数分も経たぬ内に全てのドローンから反応が返ってこなくなる。
(流石にそう上手くはいかないか)
だがこの周辺に化け物共がいないことを確認できたのは十分な成果だろう。
「……よし」
俺はゆっくりと暗闇に向けて足を踏み出す。
もちろん慢心するようなことはせず、予め作成しアイテムボックス内の旅行かばんの中に収納しておいた護衛用の武装ドローンも展開した。
「っ、止まれ!」
そうして暫く暗闇の中を歩いていると、こちらに向かって近付いてくる足音と息づかいが聞こえてくる。
俺が武装ドローンを前に出しつつ大声を張り上げると、「待って待って!」と聞き慣れた声が返ってきた。
もしかして? とは思いつつも念のためにドローンの銃口は向けたまま、スマホのライトをつけて声が聞こえた方へと向ける。
「撃たないでよ! わたしたちは人間! 妖魔じゃないから!」
そこにいたのは慌てた様子で俺に制止を求める久遠小春と――。
(まさかこんな形で再会することになるとは……)
その彼女に肩を担がれ、意識も朦朧とした状態の久遠京里だった。
◇◇◇
「ま、こんなもんでいいだろ」
『水魔法』を応用して認識阻害と防音機能を持たせた巨大な泡の膜を周囲に展開すると、俺は後ろで睨み合っている3人を見る。
「あのクソジジイんとこのクソガキがこんなとこで何してんのよ」
「それはこちらの台詞です。不良小娘の小春さん」
「どうやって知り合ったか知らないけど、伊織さんにあんまり馴れ馴れしくするなよな!」
「はああ!?」
……また別に防音機能付きの泡の壁を張っておいた方が良さそうだな。
と、内心呆れながら、俺は荒い呼吸をしながら横たわる久遠京里へと視線を移す。
(『鑑定』)
――――
久遠京里 人間 16歳
状態:頭痛、目眩、立ちくらみ、倦怠感、体に力が入らない等の症状を起こしている。
補足:結界内にかけられた術式によって久遠玄治に力を吸い取られた影響で心身共に疲弊している。
―――
とりあえず重篤な状態というわけではなさそうだ。これなら『治癒魔法』でどうにかなるだろう。
しかし、だ。
(久遠玄治によって力を吸い取られた……、これはどういう意味だ?)
『鑑定』によれば「結界内にかけられた術式によって」とあるが、俺や小春、それに彼女といがみ合っている姉弟にはそんな現象は起きていない。
何か条件があるのか? それとも――。
(と、まずは久遠の治療が最優先だな)
久遠を対象にしてスキル『治癒魔法』を発動すると、それまで苦しげだった表情は徐々に和らいでいく。
しかしまだ完全に意識が回復したというわけではなさそうだ。
こうなると話を聞く相手は……。
俺は小春と姉弟の間に無言で割って入っていがみ合いを無理やりやめさせると、小春に向き直る。
「小春、君はこの奥からやって来たよな? だったらこの先で何が起きてるか知っているんじゃないか?」
「……久遠玄治が他の人から血とか何かを吸い取って人でなしになりかけてた。京里姉さまが真っ先に餌食にされて、その後力のある奴から順番に力を吸い付くして、それで……」
よほど恐ろしいものを見たのか、あるいは恐ろしい目に遭ったのか。そう話す小春の体は震えていた。
「ただ、たまたまチャンスがあってわたしは姉さまを連れて逃げ出せた。それであんたたちと出くわした」
彼女の怯えた様子にさっきまであんなにいがみ合っていた姉弟たちも何も言えなくなる。
今にして思えば、姉弟たちに突っかかっていたのも恐怖から目を背けるためだったのかもしれない。
「悪いな。怖いことを思い出させて」
「い、いいわよ。これで京里姉さまを脱出させられるのなら――」
『何処ダアアアアアア!? 京里イイイイイイ!?』
その時、赤い霧と共に絶叫が泡の壁を通り越して俺たちの元まで届く。
「今の声、もしかして玄治様……?」
「まさか、小春が言ってたことは本当のことだっていうのかよ……」
俺が『水魔法』で防壁を強化している一方で、姉弟たちは突然起きた現象に狼狽する。
声の様子からして久遠玄治、いや久遠玄治だった者は殆ど理性を失っていると考えた方がいいだろう。
そうなると取るべき手段はこれしかないか。
「俺はこの事態を引き起こした大馬鹿野郎をぶん殴ってくる。君たちはここで久遠の様子を……」
「――いえ、私も行かせてください」
予想外の声に振り返ると、そこにはまだおぼつかない足取りではあるが自分の力だけで立ち上がっている久遠の姿があった。
「いや、待てって。そんな調子で化け物と戦うなんて無茶だ」
「そうですよ姉さま! もしまたあいつに力を吸われたら……!」
「……心配をかけてごめんなさい、伊織君、小春ちゃん。でも私は本当に大丈夫だから。それに――」
久遠は赤い霧の影響でさらに何も見えなくなった階層の奥へ強い眼差しを向ける。
「この異常事態を止められるのは多分私だけです。だからお願いします。私をこの奥、久遠玄治の元へ連れて行ってください」
そう言って久遠は俺に頭を下げる。
「京里姉さま! そんな状態でアレのところへ行くなんて無謀です! それよりも今すぐ脱出する方法を考えるべきですよ!」
「これは私がケリをつけないといけない問題、だから逃げ出すことなんてできない」
久遠のことを真に思うのならば彼女の頼みは拒絶するべきなのだろう。
だが彼女の言葉にはどこか説得力があり、何よりこのお先真っ暗な状況に差した一筋の光明のようにも見えた。
「わかった。だけど無茶は絶対になしだ」
「……はい!」
俺の返事を聞くと久遠は早速身動きが取れやすいようにするため着物の一部を破り捨てていく。
その一方で小春は真剣な様子で俺に近づいてくる。
「ねえ、わたしを連れていって。京里姉さまを放って自分だけ安全なところにいるなんてできない」
「ダメだ。何人も庇えるほど俺に余裕はない」
「っ……、だったら京里姉さまの代わりに私が!」
「小春」
俺が彼女の目を見据えてそう告げると、小春は威圧されたように一歩引く。
「これが俺たちの限界だ。君たちはここに留まって全てが解決するのを待つんだ。いいな?」
「……わ、かった」
小春は絞り出すようにそう言うと、即座に「だけど!」と続ける。
「絶対姉さまに傷をつけずに一緒に帰ってきなさいよ」
「ああ、わかった。約束するよ」
それでようやく諦めがついたのか、小春は俺から離れていく。
さて。
「久遠、本当に大丈夫なんだな?」
「本当に大丈夫です。ですから伊織君は安心して私に任せてください」
用意を整えた俺たちは揃って並び立つ。
正直心配や不安は1ミリも払拭されてはいないが、久遠が任せろと言うのだから任せるとしよう。
「10秒後に霧を吹き飛ばして一気にあの声の主のところまで飛ぶ。覚悟しておいてくれ」
「わかりました。……あ、それともう1つ」
『風魔法』の発動準備をしていると、久遠が何かに気づいたかのように呟く。
「ここで久遠だと紛らわしいのでこれからは京里と呼んでください」
「わかったよ、くど……京里」
「ふふ、慣れるにはまだ時間がかかりそうですね」
「な、なるべく努力はするよ」
そんなやり取りをして緊張を和らげた俺たちは改めて赤い霧に覆われた暗闇を見据える。
『何処ダァアアアアアア!? 何処ォニイルウウウウウウ!? 京里イイイイイイイ!!』
「ワーキャー喚いてないで少しは黙ってろよ。本人が今行くって言ってるんだから……さ!」
そして泡を出た俺は即座に最大威力の『風魔法』を発動して赤い霧を消し飛ばし、それと同時に声の主の元へと飛んだ。




