第80話 お屋敷に招待されました 8
「わたしが1人であのクソジジイやクソババアに気づかれることなく作ったのよ? どう、凄いでしょ?」
そう言って小春はまるでボールを取ってきて飼い主に褒めてもらおうとしているワンコのように俺に迫ってくる。
俺にはこういったことの知識はないが、それでも連中の目を出し抜いて本当に1人で隠し通路を用意できたのは凄いことなのだろう。
「んじゃ、後はこのまま久遠を直接連れ出してこの隠し通路でとんずらってところか?」
「そーできたら楽だったんだけどね」
そう言って小春は隠し通路の戸を少しだけ開く。
そこから覗けたのは久遠家本邸の廊下だった。
「京里姉さまはどことも繋がっていない完全な密室に監禁されてる。場所を知ってるのはクソジジイ共だけでしょうね」
「ならどうやって久遠を連れ出すっていうんだ?」
「久遠家の当主は【選定の儀式】で選ばれることになってる。いくら閉じ込めておきたくってもその時だけは京里姉さまを外に連れ出さないといけないわ」
「なるほど、つまりその【選定の儀式】が久遠に接触できる唯一のチャンスってわけか」
「そう、だから何があっても絶対に失敗は許されないの」
小春は拳をぎゅっと握りながら真剣そうな表情で呟く。
彼女は心の底から久遠をこの屋敷から解放してやりたいのだろう。
その考えには俺も同情する、するのだが。
(問題は連れ出してどうするかだな)
これまでの久遠の様子や連絡から察するに彼女が今の状況を喜ばしく思っていないのは確定と言っていいだろう。
だが奴らは一応は当主の客人である俺を躊躇なく襲いにかかってくるのような連中だ。
無事に連れ出せたとしてどこに住まわせるのか、どうやって身分を維持するのか、どうやって奴らからの襲撃に備えるか。
(こういう時、鶴の一声で何とかしてくれるような人がいたらな……)
そんな考えが頭をよぎったその矢先、ある疑問が浮かぶ。
「ところで君はずっとここに住んでいるのか?」
「いいえ。普段は隣の県に住んでいてこの屋敷に来たのはお盆の時よ」
「それじゃその時のあの人、久遠宗玄さんはもうあんな状態だったのか?」
「そうよ。ほんと、お祖父様があんなことになってなかったら姉さまもこんなことにならずに済んだのに………!」
祖父への文句を垂れる小春をよそに、俺は彼女の発言について考える。
お盆の時点ではもう既に廃人のような状態だった。
というかそもそも鑑定結果で「長期間毒を盛られていた」とあったからそれ以前からああだったと考えるべきだ。
しかしだとしたらあの手紙を書いたのは一体誰なんだ?
「ねー、聞いてるの?」
「悪い悪い。ちょっと考え事をしてて。とりあえずその【選定の儀式】に合わせて久遠を連れ出すってのはいいと思う。ただその後、久遠を連中から守る手段についても考えておくべきだ」
「……それは、確かにそうね」
「あと久遠本人の意思も確かめておくべきだろう? もしかしたら本気で久遠家の跡を継ごうとしてるかもしれないし」
「聞いてなかったの? 姉さまは――」
「その辺はちゃんと考えてあるから安心してくれ」
「むぅ……」
そう答えてから俺はさっきの戦いで化け物が溶けていった場所をチラ見する。
この屋敷で行われている権力闘争、それは本家派と傍流派だけで行われているものだと思っていた。
だけどあの化け物、より正確に言えば化け物を呼び出した奴はそのどちらにも属さない小春と同じどちらにも属してない者のように見える。
これで俺たちと同じ考え方だったらいいのだが、もし到底協力することができない人間だったとしたら――。
「それじゃさっさと降りるわよ。あんたの部屋もこの隠し通路のすぐ近くにあるから」
「あ、待った待った。最後に聞いておきたいことがあるんだ」
「なに?」
「今回の作戦は君1人で考えて実行したものなのか? この隠し通路を作ったり、久遠を連れ出すタイミングを調べたりだとか」
俺の質問に小春は一瞬押し黙ってしまうが、仕方ないといった様子で口を開いた。
「ああ、茨さんっていう最近本家に相談役で入ってきた人が協力してくれたのよ」
小春が語る茨なる人物は間違いなくあの廊下で会った着物の女性のことだろう。
あの時は俺のことを妙に敵対視してる男に付き従っていたが、あれはスパイをしているということなのか?
だめだ。情報が乏しすぎて何にも分かりやしない。
やっぱあの廊下ですれ違った時に『鑑定』しておくべきだったかな。
「考え事は降りてからにしてよね。またあんな気色悪い怪物に襲われたくないし」
俺は小春に何度も頭を下げながら彼女の後に続いて隠し通路から降りる。
初めは単なるお家争いかと思っていたが、どうやらそう単純なことじゃなさそうだな。
一応は小春に協力するが、もしものことがあったらその時は……。
(ったく、ほんとに悩みの種が尽きないな》
そのことに頭痛を感じながらも、俺たちはそれぞれの部屋に戻っていくのだった。
◇◇◇
「……寝っむ」
朝、布団からもそもそと起き出した俺は一言そう呟くと、洗面台に向かう。
腕時計が指し示す時間は早朝6時11分。いつもはまだベッドで夢の世界を満喫している時間帯だ。
『明日の早朝、当家の今後を決める重要な儀式が執り行われます。伊織様も是非参加していただけないでしょうか?』
昨夜、夕飯の食器を下げにきた式神に言われたから起きてきたけど、正直あと1時間は寝ていたいな。
そんなことを考えながらアイテムボックスに詰め込んでおいた服に着替え部屋を出ると。
「うおっ!?」
廊下には様々なタイプの式神が横並びで立っており、彼らは全員同じように俺に頭を下げていた。
パッと見だけど多分100体はいるんじゃねえか?
「お待ちしておりました、伊織様。これより会場へとご案内させていただきます」
「は、はぁ……。つか何なんすか、この状況」
「万が一に備えて伊織様をお守りせよ、との当主様からのご命令です」
万が一、ねえ。昨日のことがあったから同じようなことが起きる可能性は普通にありそうだけど、それを起こすのがこいつらの可能性があるのがなあ。
何よりその命令を出しているのが、あの久遠宗玄というのが怪しさを増している。
かといって「やめてくれ」と言って素直に何処かへ行ってくれるとも思えないし、ここは素直に従っておこう。
それにこの数ならスキルを使わなくても何とかなりそうだしな。
そうして多数の式神を引き連れて歩くこと早10分、俺たちは観覧席が設けられた巨大な中庭へと到着する。
観覧席に恐らく200人ほどの人が座っており、その中にはあの茨さんの姿もあった。
「……」
茨さんが俺に手を振ってきたので慌てて軽く会釈し、式神の案内で自分の席へ向かう。
「伊織様の席はこちらです。何かご用がございましたら遠慮なく私に仰せ付けください」
他の式神は皆それぞれの持ち場に戻っていき、俺の下には少女型の式神だけが残った。
ただの従者か、それとも監視役なのか。今のところは何ともいえないな。
と、そんなことより……。
(久遠と小春は、あそこか)
小春は俺より数段下の席で式神は着いてはいるが、やや孤立状態にある。
そして久遠は中庭の中心に大々的に設置された祭壇のようなものに端に座っているのだが……。
「おぉ……」
息を呑む美しさとはああいうものなのだろうか。
紅白を基調とした振袖の着物に紅い口紅、そして彼女自身の生来の美しさが合わさり丸で天女様のように思える。
しかしその表情はどこか物憂げに見えた。
「皆様、今日この重要な儀式の場にお越しいただいたことを久遠家家老を代表して深く感謝申し上げます」
などと考えていると紋付き袴の初老の男性が現れる。
「それではまず久遠玄治殿、こちらへ」
「おう!」
(……あ!)
初老の男性の呼び掛けで立ち上がった着物姿のその男は、間違いなく昨日俺を睨み付けてきた男だった。
(あいつが久遠玄治か。どおりで俺のことを嫌っていたわけだ)
と、納得していると紋付き袴の男は観覧席に座る俺たちをぐるりと見回す。
「既にご承知の方も多いでしょうが改めて説明させていただきます。【選定の儀式】は退魔の頭領たる久遠家当主を決めるための儀式で、候補者は妖魔が解き放たれた迷宮に御一人で入っていただきます。そしてこの迷宮から最も早く脱出できた者が正式に次の久遠家当主に選ばれるのです!」
男が言い切ると、久遠玄治は祭壇の中心に立つと、意気揚々と小刀を取り出す。
「それでは【選定の儀式】、始めェ!」
そして次の瞬間、祭壇の周りの紋様が青く目映い光を放ち始めると、中心にいた久遠玄治を取り込んだ。




