第76話 お屋敷に招待されました 4
「あ……、あぁぁ……」
「申し訳ございません。宗玄様は本日体調が優れないようですので」
「わ、わかりました……」
困惑しながらそう答えると、式神は会釈をしてから宗玄を連れて反対側の襖から出ていってしまう。
え? もしかしてこれで終わりなのか?
質問どころかまともに会話をすることすら出来なかったんだけど……。
そう困惑している間に大広間は俺1人だけになってしまう。
(はぁ、完全に無駄骨じゃん)
あまりにも酷すぎる結果に落胆しながら偽体を立ち上がらせようとして、そこで俺はある疑問を持った。
鑑定結果を見るに久遠宗玄が毒を盛られたのは昨日今日の話ではないだろう。
となると俺をここに来て欲しいと呼んだのは本当に久遠宗玄なのか?
いや、そもそもあの手紙を本当に書いたのは……。
(……お?)
その時、どこからかゴソゴソと物音が聞こえてくる。
音が聞こえてきた方へ視線を向けると、式神と久遠宗玄が入っていた奥の襖がガタガタと音を立てていた。
……さっきの式神がこの部屋に何か忘れ物でもしたのか、それとも次の予定が入っていたのか。
ともかくここでやることはないしさっさと退散してしまおう。
などと考えていたのだが。
「……おい、確かにこの部屋に入ったんだな?」
「……間違いない。奴の案内役の式神がそこにある」
「……よし、玄治様のためにここで確実に仕留めるぞ」
今度は俺が入ってきた方の襖から複数人の足音や人の声が聞こえてくる。
しかもうっすら聞こえてくる話の内容から察するにどうやら連中の狙いは俺の、より正確に言うならば俺の命のようだ。
さてどうしようか。空間転移をしたらそれこそ大騒ぎになりそうだし、かといって認識阻害はこの偽体の性質上あまり乱発はしたくない。
「……こっち、こっちよ」
そう考えていると奥の襖からどこか焦ったような若い女性の声が聞こえてくる。
見ると襖の隙間から人の手が出ていて、俺に来るにようと手招きをしていた。
罠っぽいような感じがするが、反対側から迫ってきている連中が殺気に満ちていることを考えると選択肢はないか。
(それに偽体だから俺自身にダメージが来ることはないだろうしな)
今後の方針を決めた俺は、念のためにこの大広間に予備のドローンを設置し、奥の襖へと偽体を向かわせる。
すると襖は人1人が入れる程度に開かれ、薄暗い廊下が室内に差し込む日光により照らし出された。
(多分ここに入れってことなんだろうけど……って、うお!?)
隙間を覗き込もうと襖の縁に偽体の手をかけたその瞬間、中にいた何者かに腕を掴まれて薄暗い廊下へ無理やり引き摺り込まれてしまう。
そして偽体が完全に隙間の先の空間に引っ張られると、襖は勢いよく閉められてしまった。
(な、中々に乱暴なことをするな……。で、ここは――)
襖の先に広がっていたのは和風ホラー映画やゲームに出てきそうな四方八方から無数の階段が伸びて迷路状態となっている空間だ。
どうやらこの廊下も屋敷の他の部分と同様に空間がねじ曲げられているらしく、内部は明らかに外観より広い。
しかも厄介なことにこの廊下には照明器具が全く存在せず、明かりと呼べそうなものは階段の先にある扉から僅かに差し込む光だけ。これではまともに歩くことすらできなさそうだ。
幸いなことに『感覚共有』は機能している。いざとなれば偽体だけ『空間転移魔法』で脱出させてしまおう。幸いここなら見られるリスクもなさそうだし。
(ん? 今誰かに触られたような……)
そんなことを考えていると服(※水魔法で再現したもの)の裾が誰かに引っ張られる。
振り返るとそこにはミディアムヘアーで、恐らく佳那と同い年くらいだろう身軽な服装の小柄な女の子が立っていた。
「ほら、さっさと行くわよ。ここにいたら連中に気付かれるでしょ」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ。ここはどこだ? というか君は誰なんだ?」
そう聞くと、彼女は呆れたようにため息をつく。
「……時間がないの。質問は歩きながらにしてくれる?」
「わ、わかった」
困惑しながら返事をすると、彼女はツンとした態度で奥へと歩いていってしまう。
俺は慣れない地形での操作に苦慮しながらも、何とか偽体を女の子に近づけ、改めて話しかけた。
「さっきは助けてくれてありがとう。君の名前は?」
「小春、久遠小春よ」
やはりこの子も久遠家の人間だったか。まあやけに屋敷の構造に詳しいから薄々察してはいたんだが。
「小春さん、ね……。君はどうして俺を助けてくれたんだ?」
「あんたが京里姉さまの友達だから。それ以外の理由はないわ」
うーん、何か当たりが強いな。それ自体は気にはしないが……。
というか今、京里姉さまと言わなかったか?
「えーっと、小春さんは久遠の妹さん、なのか?」
「……違う。わたしが勝手にそう呼ばせてもらってるだけ。京里姉さまとわたしはただの親戚よ」
「なら君はどうして久遠のことを姉さまと呼んでいるんだ?」
「それはその、姉さまに憧れてるから……」
確かうちの学校でも久遠に憧れている人は多いからそれ自体は不思議じゃない。
しかしわざわざ姉さまと呼ぶということは恐らくその憧れも相当強いものなのだろう。
「憧れ、ね。具体的にはどんなところを?」
何となく口に出したその言葉に小春は突然立ち止まる。
どうしたのだろうかと様子を窺っていると、彼女は突然両手を大きく広げた。
「もちろん姉さまの全てよ!」
「……すべて?」
「姉さまはね! 誰よりも優しくて! 努力家で! 力強くて! 可愛くて! 美しい! 最高で最強で完璧な人なの! そんな姉さまに憧れない方がおかしいでしょ!?」
「わ、わかった。わかったから取り敢えず落ち着いてくれ……!」
突然の態度の変化に戸惑いながらも、何か錯乱させるような呪術を受けていないかを確認するため、俺は小春に対して『鑑定』を発動する。
――――
久遠小春 人間 13歳
状態:健康
補足:早く久遠京里と2人きりになりたいと考えている。また久遠家に対して怒りを覚えている。
――――
あー……、単純に久遠への愛が凄すぎる子だったか。
とりあえず悪意は持ってないと分かったけど、無理やりにでも話題を変えた方が良さそうだな。
「そ、そういえばここはどういう場所なんだ? 明らかに物理法則を無視したようなものがあるけど」
「え? ああ、ここは結界術式を応用して作られた近道みたいなものよ。あちこちに扉があるでしょ。あれをくぐることで屋敷のあらゆる場所に移動できるの」
つまりこの前の林間学校の肝だめしで俺と久遠が閉じ込められたあの空間と同じようなものなのか。
と、そうだ。一番大事なことを聞き忘れていた。
「ところで今さらな質問だけど俺たちは今どこへ――」
「……?」
そこまで言いかけて偽体の眼球は暗闇の中を猛スピードで飛び回る人の形をした何かを捉える。
それは階段を足場にしてさらに加速すると、一瞬で俺たちの真上に移動し、手に持った短刀を勢いよく小春に向けて投擲した。
「どうしたのよ。いきなり黙って……」
「っ、危ない!」
俺はとっさに偽体を操作し、覆いかぶさるような体勢で彼女を庇う。
間一髪で、投げられた短剣は小春を傷つけることはなく、偽体の背中で止まった。
「え、え……? あんた、それ……」
「大丈夫だ。気にしなくていい。それより……」
先ほどの攻撃により『感覚共有』の感度がかなり悪くなった偽体を何とか動かすと、俺は攻撃をしかけてきた何者かの正体を知るために辺りを見回し、そして天井に張り付くそれを視界に捉える。
――そこにいたのは異形の怪物だった。
以前戦った小鬼に似たような輪郭の顔、体に対して不釣り合いなほど伸びた両腕、不潔な緑色の肌、血走った目、長い耳、そして所々ノイズがかった肉体。
『ギシャシャシャシャ!』
天井の床に張り付いた正体不明の怪物は不愉快な笑い声を上げながら、品定めをするかのように俺たちを見下ろしていたのだ。




