第75話 お屋敷に招待されました 3
「こちらが大広間に通じる『水面の回廊』です」
式神に案内された場所はこれまた立派な日本庭園を突っ切る形で建てられた両面ガラス張りの廊下だ。
枯山水の上に建てられているということもあってか、まるで自分が水の上に立っているように感じられる。
(あー、だから『水面の回廊』なんて呼ばれてるんだな……)
そんな能天気なことを考えながら廊下を歩いていた矢先、突如式神が廊下の反対側に向けて深々と頭を下げた。
何かあったのかと思い式神が頭を下げる先を見ると、向こう側から2人組の男女がこちらに向かって歩いていることに遅れて気づく。
1人は恐らく俺より1回りは年上と思われる長身痩躯で黒のTシャツにジーンズとラフな格好をした男性で、もう1人は俺より恐らく年下であろうお団子ヘアで綺麗な赤い着物を纏った女の子だった。
「――っ!」
男は俺の隣を通りすぎる瞬間、不愉快なものを見たと言わんばかりに顔をしかめる。
(……俺、あの人にどっかで会ったことあったことか?)
突然見ず知らずの相手から敵意に満ちた視線を向けられたことに困惑していると、赤い着物の女の子が穏やかな笑みを浮かべながら俺の前で立ち止まった。
「貴方が伊織修様ですか?」
「そうですけど……、あなたは?」
「申し遅れましたが、私、久遠家の相談役をさせていただいている茨と申します。以後お見知りおきを」
そう言って赤い着物の女の子、もとい茨は頭を下げる。
てか、相談役なんて大層な役職に就いているってことは俺より年上だったりするのか?
「それで自分になんの用ですか?」
「いえいえ、お越しになれると伺っておりましたからご挨拶させて頂きたいと思っておりまして、こうしてお声をかけた次第でございます」
「え、ああ、そうでしたか……。というか俺のこと知ってたんですか?」
「当然でございます。伊織様は異能社会にその名を轟かす期待の星であられますからね」
「はあ……」
いやまあ、アリシアから聞いてはいたけど、本当に俺の名前って異能世界に知れ渡っているんだな。
となると傍流派から担ぎ上げられて本家派からはヘイトを集めることになるって話も本当のこととして考えないといけないか……。
(……あー、お腹が痛い)
などと考えながら茨さんからの称賛を受けていると、俺を睨み付けてきたあの男が明らかに苛立った様子で大声を上げる。
「茨! いつまで無駄話をしているんだ!」
「申し訳ございません。すぐに参ります。……それでは伊織様、私にこれにて失礼させていただきます」
茨さんは申し訳なさそうな表情を浮かべて軽く頭を下げると男の元へ歩いていった
(ああ……、マジで疲れた……)
そうして彼らの姿が見えなくなると、俺は大きなため息をつく。
褒められているとはいっても内容が内容だ。それに茨さんが喋っている間ずっとあの男に睨まれてたからなぁ。いや本当に気まずかったわ。
「お待たせいたしました。案内を再開させていただきます」
「うおっ!?」
あの居心地の悪い空間から解放されて一息ついていると、今まで彫像のように固まっていた式神が突然動き出して思わず変な声を出してしまう。
一方の式神はというとそんな俺の言動に一切反応することなく、最奥部にある久遠宗玄の部屋へと歩いていく。
慌てて式神の後を追い、ほどなく俺たちはこの屋敷へ来るまで乗ってきたリムジンと同じくらいの大きさはありそうな襖へとたどり着く。
「この先が当主、久遠宗玄がいる大広間となります。私はここより先に立ち入る許可を与えられておりませんので、申し訳ございませんが室内にはお1人でお入りください」
襖の巨大さに驚いていると、式神は事務的な口調でそう伝えてまたも彫像になったかのように一切の動きを止めてしまう。
1人、1人で入らないといけないのか……。いやまあ、もしもの時を考えたらその方が楽ではあるけど。
でも見ず知らずのお爺さんと2人っきりになるかもしれないってのはなあ……。
(……って、入ってみないことには話は進まないか)
そう自分に言い聞かせると、念のためにいつでもスキルを発動できるようにしながら襖をゆっくりと開く。
襖の奥に広がっていたのはゲームのダンジョンのような構造の本邸そのものに比べると、まだ常識的な範疇の広さのお座敷だ。
両隣の襖は明け開かれており、そこからは立派な枯山水を覗くことができ、また涼しい風が絶えず部屋に流れ込んでくるおかげか室内はエアコン要らずな快適な湿度と温度が保たれている。
だが何よりも目を引くのは部屋の中心にいる、もといあったものだった。
それは一瞬場違い感を覚えてしまうほどに異質なものだ。
男性型の式神を側に置き、虚ろな目で虚空を見て、半開きの口から涎を垂らしながら脱力状態で座布団の上に座る地味な色の着物を纏った老人。
え? まさかそんなわけないよな……?
まさかの状況に不安を感じながらも恐る恐る老人の元へ近づくと、俺を案内したものと同じように固まっていた式神が動き出し、軽く老人の体を揺さぶって起こそうと試みる。
「起きてください、宗玄様。お客人がお見えですよ」
「ん、ああ? ああぁ……」
式神の言葉に老人はそのように返事、というより呻き声を上げると、再び何もない場所を見つめ出した。
それを見て俺は嫌な予感をしながら、老人を対象にスキル『鑑定』を発動する。
――――
久遠宗玄 人間 76歳
状態:重度の毒状態 関節炎 意識障害……etc
補足:長期間に渡って毒を盛られていたため、生命活動に支障を来している。
――――
……どうやら嫌な予感は的中してしまったらしい。
大ボスだと思っていた相手、久遠宗玄は既にゲームから退場してしまっていた。
◇◇◇
「玄治様、不機嫌そうですが如何されましたか?」
久遠家本邸の渡り廊下、そこで赤い着物の少女――茨は穏やかな口調で男に語りかける。
「不機嫌になるに決まっているだろう! あいつが……! 俺の計画を尽く邪魔してきたあのクソ野郎が同じ屋根の下にいると考えたら腸が煮えくり返る!」
それに対してTシャツとジーンズというラフな格好をしたその男――久遠玄治は血が出るほど拳を強く握りしめながら吼えるようにそう返した。
「ええ、ええ、そうでしょうね。ですが分かっておいででしょう? 私たちでは異能者である彼に敵わないということを」
「ッ……!」
茨の言葉に玄治は顔を歪める。
本来異能者とは全能に近い存在だ。どういうわけかあの男は能力を無意識にセーブしているようだが、それでも古代の異能者が開発した技術に依存している自分たちとは実力において天と地ほどの差がある。
そして厄介なのが能力を抑えて使用しているためか、あの男は殆どの異能者が迎えることになる破滅の兆候を一切見せないでいるということだ。
そのためとあの男と敵対するということは、能力の底が分からない上に理性的な異能者と真正面から戦うという負け戦を意味していた。
(分かっているさ、そんなことは! だが!)
久遠玄治は立ち止まると、さらに拳を強く握りしめる。
頭ではそう分かっていても、感情では簡単には受け入れられない。
あの男がいなければ自分は確実に次期当主の座を射止めていた。
それなのに……!
「――安心なさいませ。玄治様の勝利はこの私、茨が保障いたします」
そう言って茨は玄治を背中から抱き締めると、彼の耳元でそう囁く。
「あ、ああ……、そうだな……。お前がいてくれるんだものな……」
「ええ、ですから貴方様は安心して構えていればいいのです」
一瞬のうちに完全に力が抜けてしまった玄治は、うわ言のように何かを呟きながら歩いていく。
(……さぁ、見せてもらいましょうか。貴方の本当の力を)
一方、茨は怪しげな笑みを浮かべて自分たちが歩いてきた方向を見つめると、軽い足取りで玄治の後を追うのだった。




