第51話 肝だめしが始まりました 7
「うぇ、こいつはまたエグいな……」
スキル『感覚共有』で妖刀、もといそれに取憑いている侍が人であった頃の記憶へと潜り込んだ俺は、写し出された光景に思わず吐き気を感じてしまう。
「いけぇ! 攻め落とせ!」
「何としてでも姫を見つけ出すんだ!」
巨大な火柱に包まれた天守閣、血飛沫を浴びながら進撃する敵軍、そして地面に横たわる無数の死体の数々。
それは平和な現代日本で生きてきた人間には刺激が強すぎるものだった。
――こんなものを見せつけられているというのに平静さを保っていられるのは、感覚を共有している相手がこういった光景を見慣れているからなのだろうか。それとも……。
などと考えていると、戦場に程近い山の中を必死に走る男女の姿が目に留まる。
1人はあの妖刀にどこか似ている立派な刀を握る軽装の若い侍、もう1人は綺麗な着物を纏った俺と同じくらいの歳の少女だった。
「姫、桜の木まであと少しです! どうかご忍耐を!」
「はあ……、はあ……、分かりました……」
息も絶え絶えな少女を励ましながら、侍は行く手を阻む敵を切り捨てていく。
「勘兵衛、こっちだ!」
そうしていると侍を呼ぶ声が聞こえてくる。
侍とさらに感覚を共有させて声が聞こえてきた方角を見ると、そこには立派な兜と鎧を着た年配の侍の姿があった。
「岡島殿! ご無事でござったか!」
「ああ、間一髪の所で逃げ出すことが出来たわ。ところで姫、お怪我は?」
「勘兵衛が守ってくれましたので、私は平気です。それでお父様は……?」
不安げに尋ねる少女に、年配の侍は場違いとすら思えるほど穏やかな笑みを浮かべてこう返す。
「どうかご安心を。殿は敵の手が届くことのない安全な所にお隠れです」
「そうですか……。勘兵衛、私たちもお父様の所へ参りましょう」
「承知しました。岡島殿、早速で悪いのですが殿の元へご案内を……?」
勘兵衛という若い侍は腹部に違和感を覚え、思わず下を向き、そして混乱した。
何故なら彼の腹に岡島という名の侍が持つ刀が突き刺さっていたからだ。
「……これは、どういう……」
「儂自らお前を殿のいるあの世へ送ってやるというのだ。だから儂に感謝してさっさと逝け」
そう言って岡島は勘兵衛にトドメとばかりにもう一度刀を突き刺す。
「勘兵衛!」
「ごふっ……、ひ、姫様……早くお逃げを……」
「しぶといな。だがこの傷ならもう助からんだろう。では姫、こちらへ」
姫は咄嗟に口から血を流しながら横たわる勘兵衛に駆け寄る。
一方、岡島はというとそんな勘兵衛を蛆虫のように見下すと、気色の悪い笑みを浮かべて姫に手を差し出した。
「岡島、お前は……!」
「ご安心ください、姫。この地を治める新たな殿は姫を妾として厚遇してくれますよ」
「お前は、お父様を、この国を裏切ったというのか!?」
「裏切ったのでありません。あの暗愚にこの国を任せていては滅んでしまう。そう考えて其は行動を起こしたのです」
実の兄、あるいはそれ以上の存在と慕っていた侍を殺され、姫は相変わらず気味の悪い笑みを浮かべている岡島をキッと睨み付ける。
そして何か覚悟を決めたように息を吐くと、勘兵衛の腰の脇差を掴むと、それを鞘から抜き放った。
「っ、お前!」
「でしたら私もお父様の下へ参ります。案内ご苦労様でした」
そして姫は脇差を自分の胸に突き刺すと、勘兵衛に覆い被さるようにその場に倒れる。
「岡島様、これは……」
「……自害しおったわ。クソっ! こいつめ、よくも俺の情けを踏みにじりおったな……!」
「あの、我々はこれからどうすれば……」
「姫の首を切って城へ持って行け。それでまだ抵抗している他の連中を黙らせられる」
「……畏まりました」
駆けつけた家臣にそう指示すると、岡島は姫の死体に唾を吐き捨てた。
そしてこの苛立ちを収めようと悠長に姫の首が切り落とされる所を観察しようとしたその時。
「ぐはっ!?」
姫の死体を取り囲む家臣の1人が胸から血を吹き出しながら倒れてゆく。
「がっ!?」
「に、逃げ……ぐあ!?」
1人、また1人と岡島の家臣が倒れ、やがて彼らを切り捨てた者の正体が露わになる。
そこにあったのは黒い煙と血を纏わせながら宙に浮かぶ1振の刀だ。
刀は存在しないはずの目で岡島たちを睨みつけると、独りでに動き出す。
「よ、妖刀だ……!」
それを見て家臣の1人がそんなことを呟いた。
やがて彼らは阿鼻叫喚で妖刀から逃げ出していく。
その中には岡島という名の侍の姿があった。
「ひい、ひい、お前たち、絶対にあれを儂に近づけさせるな!」
『逃ぃガスかアアあアアっ!!』
岡島は必死の形相で家臣にそう命令しながら山を駆け下りてゆく。
当然のことながら侍、もとい侍の魂が取憑いた妖刀は岡島を逃すまいと彼を追おうとする。
しかし侍の魂は地縛霊のようなものになってしまっていたらしく、妖刀が姫だったものから離れることが出来なくなっていた。
『姫……姫……』
やがて妖刀は姫と自分の死骸に寄り添う様に地面に突き刺さると、延々と咽び泣く。
侍と感覚を共有していた俺は知ってしまった。
彼は岡島にもう1度刺されてもなお虫の息ではあるが意識を保っており、愛する姫が自害するその瞬間を目撃してしまったということを。
妖刀に取憑いた侍の魂はただ嘆き、呪い続ける。
自分たちをこんな目に遭わせた者たちを、自分たちの運命を、姫との約束を果たすことが出来なかったことを、そして己の無力さを。
だから気づけなかったのだろう。
姫から抜け出た魂が成仏することなく嘆き続ける妖刀を悲しげに見つめていることに。
「……ふぅ」
さて、ここまで確認できたら十分だろう。
俺は目の前に広がる光景全てを対象にしてスキルを発動する。
「『ディスペル』」
次の瞬間、俺と妖刀を除く全ての物体がひび割れ、ガラスのように崩壊していく。
それと同時に黒い煙のようになっていた侍の魂もまた妖刀から剥がれる。
『なっ、これは……!?』
「ようやくお話できますね、お侍様」
人の姿を取り戻した侍の魂に仰々しく一礼すると、スキル『認識阻害』を発動しながらにこやかに話しかける。
『お前は先ほどの……。しかし一体どんな術を使ったというのだ? こんな芸当、某を封印した退魔士ですら――』
侍の魂は多少理性を取り戻したようだが、その顔に困惑した表情が浮かんでいた。
――何百年も束縛していた、あるいはされていた刀から突然解放されたのだから混乱するのも当然か。
そんなことを考えながら、俺は侍の魂に向き直る。
『感覚共有』で記憶を覗き見した結果判明したこと、それはあの妖刀はそれ自体に異常性はなく、黒煙を噴出させたり鎧を形成したりしていたのは取憑いていた侍の魂の方だということだ。
それが分かれば後は簡単、侍の魂の物体に取憑くという能力を『ディスペル』で無効化してしまえばいい。
そうすれば妖刀はただの錆び付いた刀になり、侍の魂とも安全に対話できる、というわけだ。
「そこはまあ色々と。それで気分の方はどうですか?」
『……よく分からない。だがこんなにも頭がはっきりとしているのは怨霊と成り果ててからは初めてだ。それでお前は一体どんな目的で某の心へやって来たのだ?』
「それは勿論、お侍様の悩みを解決するためでございます」
『悩みを解決する、だと?』
「はい。お侍様が未だ成仏できずにいるのは何か果たせなかったことがあるからではないですか?」
そう言うと侍の魂は黙り込んでしまう。
(ま、時間は幾らでもあるし、ゆっくり考えてもらおうじゃないか)
にしても自分の心の中に土足で入ってきた奴の言葉に耳を貸すようになるとは。
『認識阻害』恐るべし、だな。
――などと考えていると。
『……姫とあの桜の木まで行くという約束を果たすことが出来なかった。それが某の一番の心残りだ』
「なるほど、ではそれさえ解決できれば成仏できると?」
『だがその心残りを解決することは不可能だろう。姫の魂はもうこの世には……』
「いえ、解決できると思いますよ」
さらっと出した俺の返答に、侍の魂は呆気に取られて立ち尽くしてしまう。
『今、なんと? お前はこの無念を晴らせるというのか?』
「ええ。ただそれには貴方の協力が必要になりますが」
『某に出来ることであれば何だってする! だから頼む! この無念を晴らしてくれ!』
そう言うと侍の魂は俺に土下座して頼み込む。
「頭を上げてください。それに言ったでしょう。自分は“お侍様の悩みを解決するためにやって来た”と」
『おお、おお! では頼む! どうかどうか某の無念を晴らしてくれ!』
……よし、これで言質は取れたな。
そのことを確認すると、俺は『感覚共有』を解除して現実の世界へと意識を戻し始める。
侍と姫の問題を完全に解決するために。




