第14話 ある少女と少年の出会い
「はあ……はあ……」
久遠が懐から札のようなものを取り出すと、それから蒼い炎が現れて小鬼へと放たれる。
『ギャッ!?』
炎に包まれた小鬼は悶え苦しみながら塵と化す。
それを見て俺は呑気に「おお、やったか!?」などと思ったのだが、久遠は一切警戒を解いていない。
『ギャギャ!』
小鬼を倒した瞬間、何処からともなく別の小鬼が現れる。
そしてその数も1体ではなく、20体とこれまた多い。
「くっ……」
恐らく今の攻撃で全力を使い果たしてしまったのだろう。
新たに出現した小鬼の大群を前に、ついに久遠は膝をついてしまった。
そんな久遠に小鬼たちは邪悪な笑みを浮かべながら近づく。
今ここで起きていることを俺は何一つとして理解できていないと思う。
それでもここで彼女を放置したら俺は間違いなく一生後悔するということだけは分かっていた。
「……よし」
大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、俺は一息に物陰から飛び出す――。
◇◇◇
――side久遠京里
『ギャギャッ!?』
「……まだ、こんなに……」
襲い掛かってきた小鬼の1体を何とか力を振り絞って撃退するが、それでも一向に数が減らない。
数匹の小鬼が封印から抜け出して山中に逃げ込んだから退治してこい、それが私が本家から受け取った指令だった。
小鬼程度の妖の討伐ならこれまでに何度も経験している。
だから私はその指令に何一つ疑問を抱くことなく、いつも通りの装備でノコノコとこの山へと来てしまった。
その結果がこのざまだ。
『くきき……』
奥にある大きな岩の上に座ってボロボロの私を酒の供にしている大柄な鬼、それが封印を抜け出してきた者の正体だった。
その体から発せられる妖気から推察するに、四天王ないしそれに近い上位の存在であることは明らかだ。
本家は封印から抜け出した妖の正体があれだと気づいていなかったのか、それとも全て分かった上で私をこの山へ差し向けたのか。
どちらにせよ、それを確認することは未来永劫叶わないだろう。
私は死ぬ。だけどタダで殺されるつもりはない。
『ギャギャギャ!』
2本の角を生やした黒い肌の小鬼が襲いかかってくる。
私は自爆用の起爆札を取り出すと、残った全ての霊力を注ぎ込む。
せめて、せめてあの大鬼だけでも道連れにする。そのためなら自分の命なんて惜しくない。
そう覚悟を固めて術式を展開しようとしたその矢先。
『ギャ?』
「!?」
私と小鬼の間に突然1人の人間が現れる。
服装は上下共に青いラインが入った黒のジャージで、その顔はフードに遮られてよく見えない。
体格から男の人だと思うのだけど……、って今はそれどころじゃない!
「どこの誰か知りませんけど今すぐ逃げなさい! あいつは――」
そこから先の言葉は出てこなかった。いや、出す必要が無かったのだ。
彼は一切の予備動作もなく小鬼の群れを丸ごと氷の中に閉じ込めると、それを力強く蹴り飛ばした。
次の瞬間、氷はその内部の鬼ごと木っ端微塵になり周囲に散らばる。
思いがけない展開に言葉を失う。
特別な道具も詠唱も用いずに巨大な氷の中に小鬼共を閉じ込めた上に、それをいとも容易く蹴り壊すことができる人間離れした身体能力。なのに妖などが持つ妖気は一切感じられない。
彼は人間なの? それとも――。
『てめえ、よくも俺のかわいい部下共を殺してくれたな』
その光景を見て、大鬼は盃を放り投げると目の前の彼を睨み付ける。
『チッ、気に入らねえ。お前がどんな表情を浮かべているのかさえ見ることができねえとはな』
どんな表情を浮かべているか分からない?
大鬼がいるあの位置なら彼の顔は容易に見えるはず。それなのに見えないとはよっぽど深くフードを被っているのだろうか。それとも……。
『まあいい。てめえが何者かは殺した後にじっくりと調べさせてもらうぜ!』
大鬼は腰の鞘から数メートルはありそうな大太刀を抜き放つと、それを彼に向けて振り下ろした。
「……え?」
『……ああ?』
大鬼が困惑した表情を浮かべる。
大太刀はまるで硬い何かに弾かれたかのように宙を舞う。
よく観察すると彼は拳を前に突き出した姿勢を取っている。
まさか、あの一撃を拳一つで弾き返したというの?
そんなこと、ただの人間に出来るはずが……。
一方の彼はというと私たちの動揺を微塵も気にすることなく、大鬼へと迫っていく。
『ま、待て! お前、宝は欲しくねえか!? この数珠なんか売れば小判十両はくだらねえ代物だ! オレを生かしてくれればこいつを集めた宝物庫に案内してやる!』
さっきまでの余裕は何処へ行ったのやら。
大鬼は恥も誇りも投げ捨てて彼に命乞いをする。
しかしそんな大鬼の命乞いはある程度効果があったらしい。
彼は立ち止まって何か悩み始める。
それを見て大鬼をニヤリと口角を上げた。
だったら。
「奴の話を聞いてはなりません! あれは、鬼は人を騙し誑かして命と財を貪る外道です!」
『このアマ! 余計なことを……ひっ!』
私が大声を張り上げると、彼はゆっくりと大鬼を見上げる。
その鬼が見た彼の顔に浮かび上がっていたものがどんなものなのか、私には分からない。
確実に言えるのは、それが大鬼に途轍もない恐怖を抱かせるようなものだったということだけだ。
彼は握り拳を作ると、まっすぐ鬼の頭部を見据える。
「ふっ――」
そして彼が目にも留まらぬ速さで顎へアッパーカットを決めると、大鬼の体は空中へと舞い上がった。
それから少しして、空からあの大鬼だったものが降り注いだ。
辺りが静寂に包まれる中、私は自分の膝が震えていることを感じた。
どうやら今になって彼の常識はずれの力に恐怖を覚えてしまったらしい。
正直に言って今すぐにでも逃げ出したいけど、その前に確かめないといけないことがある。
彼が人間なのかどうか、そして人間に仇なす者なのかどうかを。
これは退魔士の一族に生まれた私、久遠京里にとって絶対の使命のようなものだった。
そうして何とか勇気を振り絞って話しかけようとしたその瞬間。
『ビー! ビー!』
何処からか間の抜けたような音が聞こえる。
その音に彼は慌てるような仕草をすると、小さな声で何かを呟きこの場から消失してしまった。
「なんだったの……?」
1人取り残された私は放心してしまう。
あれは全て夢だったのではないか、一瞬そう思い込もうとしたが辺りに広がる光景がそれを否定する。
とりあえず本家に今夜のことを報告しないと。信じてもらえるかは怪しいけど。
何とか立ち上がった私はそのまま帰路につく。
――最後の瞬間、彼の手首から見えた腕時計に謎の既視感を抱きながら。