第107話 文化祭の準備が始まりました 10
「……このまま部室に連れて行って大丈夫なんですよね?」
「ああ、後は京里から『こいつが文芸同好会に興味があって手伝いだけでもしてみたいらしい』と紹介してくれたら受け入れてもらえるはずだ」
中間テスト最終日の放課後。
昼頃に帰りのHRが終わり教室を出た俺と京里は、部室棟の近くにある人気の少ない中庭で段取りの確認を行っていた。
「でしたらなるべく自然な態度で部室に入ってみますね」
「そうしてくれると助かる。あと俺の方でも異常な行動をしたらすぐに検知できるようにしてるけど、何か違和感を感じたらすぐに連絡してくれ」
「わかりました。……では、お願いします」
京里のその言葉を聞いて俺が『アイテムボックス』を発動すると、この学校の制服を着た端から見れば人間にしか見えない人形が出現する。
それにMPを注いで起動させると、彼女は変わらず温和な雰囲気を漂わせながら俺たちに一礼した。
「おはようございます。主様、そして京里様。今日は何をご所望でしょうか?」
「京里と一緒に文芸同好会の部室に行って、この学校の生徒のふりをしながらそこの部長と仲良くなること。今はそれだけを考えるように」
「承知いたしました。それでは京里様、参りましょうか」
「は、はい。……じゃあ行ってきますね」
茨に先導されて部室棟に向かっていく京里を見送ると俺は大きく息をついた。
……うん、何というか茨が俺たちに従順な態度をしてるっていうことに滅茶苦茶違和感を感じるし、話していると無駄に緊張してしまう。
やっぱり外見だけでも変更するべきだったか? いやでも下手に弄ると変な見た目になりそうだしなぁ……。
「確かにあれは事前に人形だと聞かされていないと人間としか思えないわね」
そんなことを考えていると背後から声が聞こえてくる。
驚いて振り返るとそこには腕を組んで納得したように頷くアリシアの姿があった。
「び、びっくりした……。急に出てくるなよ」
「驚かせて悪かったわね。でも大事な彼女さんの前でわたしとあなたが親しげに話すわけにはいかないでしょ?」
「それはまあ、そうだけど……」
俺とアリシアの関係性、そしてアリシアの素性については京里には明かしていない。
理由は至極単純、アリシアから「言うな」と言われているからだ。
まあ彼女の正体は公に出来ないような仕事をしている者だし、俺としてもアリシアのそういった裏の顔に今後も頼ることがあるかもしれない。
というわけで俺とアリシアの表向きの関係は林間学校で同じ班になっただけで仲が良いわけでも悪いわけでもないという何とも中途半端なものとなっていた。
「そうだ。茨の学籍を用意してくれてありがとう。助かったよ」
「別に感謝されるほどのことでもないわ。わたし達からしても一般人が大勢集まっている状況で能力の暴発で大パニック、なんて事態は避けたいから」
新生した茨には常時この学校の生徒だと思い込ませるように『認識阻害魔法』を付与して発動させてはいるが、それでも誰かに不審に思われて戸籍や学籍の確認をされる可能性がある。
そこでアリシアに連絡を取って偽の身分を用意してもらったというわけだ。
「ところであの人形、久遠家で騒動を起こしたものを流用したようだけど出所についての調査はしたの?」
「勿論したよ。分かったのは俺が全く知らない異能で作られてるってことくらいで何処の誰が作ったのかは不明だったし、記憶というか記録を取り出そうと思ったけどそれも出来なかった」
「正体不明原理不明なのは変わらないと。あの人形が暴走する可能性は?」
「基幹部分に式神の術式を加えたし従属化もさせたから暴走する可能性はないと思う。一応予防策として変な動きをしたら内側から体を動かせなくするようにしておいたから多分大丈夫だと思う」
「……まあ、今はそれを信じるしかないか。それにしても京里さん、よくあの外見の人形を使うのを認めたわね」
「いやまあ、最初に見せた時はすっげー嫌な顔をされたけど、現状あれを使う以上に効果的な策がないから暫定措置として納得してもらったって感じ」
人形を改造した次の日のテスト勉強会、その休憩時に新しい茨を見せたのだが、案の定京里は「これをこのまま使うのか?」と困惑した様子を見せた。
何とか説得して理解は得られたけれど、それでもその姿を見る度に今すぐにでも目を背けたがるような、そんな表情を浮かべる。
やっぱり何かしらの改善策を用意した方がいいだろうな。素材が何であれ、茨はこれからも長く使っていくことになるだろうから。
と、そうだ。俺の方からも聞いておきたいことがあったんだった。
「ところでテスト期間中に生駒先輩の能力が発動することはあったか?」
「2度能力の暴発と思われる異常現象を確認しているわ。1度目は彼女が住んでいるマンションの隣の部屋にSNSなどでフォローしたり熱心なファン活動をしている舞台俳優が都内から突然引っ越してきた。2度目はその次の日にまた不良たちに絡まれていたところをその舞台俳優に助けてもらって、さらには何の脈略もなくメッセージアプリでフレンド登録をしようと誘われた」
「それに対して生駒先輩は?」
「何度も何度も頭を下げて謝ってフレンド登録を断ってその場から逃げ出したわ。恐らく能力の暴走だと自覚したのでしょうね」
推しの俳優が突然隣の部屋に引っ越してきて、その次の日には俺の時と同じように不良たちに絡まれていたところを助けてもらう。
ネットに投稿されている漫画ならありそうな展開だが、現実ではまずありえないシチュエーションだな。
そしてフレンド登録を誘われたことに対して生駒先輩はひたすら謝り倒した、と。
自分が妄想したことが現実のこととして起きてしまう。
それをただの偶然だと思えたらラッキーだと思えたかもしれないが、生駒先輩はそれが自分の能力の暴発だと知っていて、しかもそれを申し訳なく思っている。
加えて生駒先輩は小学生の時に受けた虐めが原因で男性に対して苦手意識を持っているときた。
それを考えると恐らく今、生駒先輩は相当なストレスを抱えているだろう。
って、今ここであーだこーだ考えても仕方ないか。
とりあえず今は茨が生駒先輩に気に入られることを祈ろう。
「それじゃ、わたしそろそろ行くわ。また何か異変を感じたら連絡して」
「わかった。じゃあまた来週学校で」
「ええ」
アリシアは軽く手を振ると下駄箱がある校舎に向かった。
さて……。
(茨からも部室内に仕掛けたドローンからも異常な反応は検出されない。今のところは上手くいっていると見ていいのかな)
しかし万が一ということもある。幸い今日は家事当番ではないから佳那には「帰りが遅れる」とだけ伝えて暫くここで様子見しておこう。
「!」
そう考えた矢先、スマホが振動する。
何かあったのかと急いでスマホを開いて見ると京里からのメッセージが届いていた。
そしてそのメッセージの内容は完全に俺の予想外のものだったのだ。
『すみません。生駒先輩が修君のメッセージアプリのアカウントを知りたいと言っているのですが、どうしましょうか?』
◇◇◇
――十数分前。
「初めまして、【茨優那】と申します」
「は、はじめまして……! ぶ、文芸同好会の会長をしております、い、生駒樹里、です」
私、久遠京里が修君との打ち合わせ通りに例の人形――茨を紹介すると、生駒先輩はとても緊張した様子で挨拶を返した。
修君が安全に使えるようにしたと言っていたから大丈夫なんだろうし、今この状況で必要なのも分かるけど、やっぱりつい2週間近く前に殺し合いをした相手とこうして肩を並べるとどうしても警戒してしまう。
「……先輩、彼女が以前お伝えした文芸同好会に入部したいという子です」
「は、はい。話は聞いています……! ただその、文化祭の準備期間なので入部届けを出すことは出来ませんが……」
「存じております。ですが文化祭の準備を手伝うことは問題ありませんよね?」
「そ、その通りです。で、でも、本当にいいんですか……? いつも退屈な作業を延々と続けるだけの同好会ですし、それに茨さん、とっても綺麗だから、その、も、もっと華のある部に入部希望を申請した方がいいような……」
「いえ、私はこの同好会に入りたいのです! そのためなら手伝いでも何でもさせていただきます!」
「そ、そう、ですか……。で、でしたら、その、この書類のコピーをお願いします……」
生駒先輩は茨の熱意に押し負けた……、というより諦めたような様子で手伝いを頼む。
『今の先輩なら茨が文化祭に向けて文芸同好会の手伝いをしたいと熱心に頼み込んでも、それを自分の異能の暴走と勘違いしてくれるかもしれない』
段取りを決める時に修君はそう話していたけれど、どうやらその通りになったらしい。
生駒先輩を騙してしまっていることは申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、とにかく第一段階はクリア出来た。
あとは先輩とあの人形が仲良くなるのを待つだけ、そう思っていた矢先……。
「あ、あの、京里ちゃん。ちょっと聞きたいことが、あ、あるんだけど、いいかな?」
生駒先輩は顔を赤らめながら私に話しかけてきた。
「大丈夫ですよ。それで聞きたいこととというのは?」
「あっ、あの、この前部室に来てた、その、伊織さんのメッセージアプリのアカウントって、し、知ってる……? 知ってるのなら、教えて欲しいな、って……」
生駒先輩からの予想外の頼みに私は驚き、その場で固まってしまう。
先輩は小学校の頃に同学年の男子に酷い虐めを受けて、それ以来ずっと男性のことが怖いと以前話していた。
それなのにどうして修君の連絡先を……?
「知っていますよ。でも先輩、男の子ですけど大丈夫ですか?」
「う、うん、大丈夫、だと思う。伊織さんは優しく話してくれたし、その、私の問題にも詳しそうだったから、ま、またお話したいなって……」
生駒先輩が言っている問題というのは十中八九、自分の妄想が現実になってしまう能力のことだろう。
修君から聞いた話では生駒先輩の能力について色々と確認したとのことだったし、先輩はそれで彼が自分が抱えている問題にも詳しいと思ったのかもしれない。
……だとしても、あれほど男性と接するのを恐れていた先輩が修君にだけは別対応なのは気になるけど。
「わかりました。まずは向こうに教えてもいいか確認を取ってみますね」
「ぁ、うん。よ、よろしくお願いします……!」
そう言って私は自分のスマホを開くと彼にメッセージを送る。
……心の片隅でどこかモヤモヤとした思いを感じながら。




