第105話 文化祭の準備が始まりました 8
「もう食べれない。ちょっと頼みすぎたな……」
「私もお腹いっぱいです。今日は夕飯必要ないかも……」
2人いるからといけるだろうとLサイズの照り焼きチキンマヨネーズとナポリタンミックスのハーフ、それに唐揚げとサラダを注文したのだがどうやら見通しが甘かったらしい。
テーブルの上には注文したものがまだ半分近く残っていた。
残ったやつは冷蔵庫なり冷凍庫なりに入れておいて今日の夕飯と明日の朝飯代わりにしよう。
「ところでその、本当に良かったのですか? 全部奢ってもらっちゃって……」
などと考えていると京里が申し訳なさそうな表情を浮かべて
「今日は京里にお世話になってばかりだったからさ、それくらいはさせてくれよ」
「修君がそう仰るのでしたら……」
さて、勉強会のペースは想定よりも早く進んでいるし、区切りとしては今がちょうどいい。
そうなると生駒先輩の件について話すのはこのタイミングがいいだろう。
「……京里、ちょっと真面目な話があるんだけどいいか? 君の身の安全に関わる話なんだ」
「私の身の安全……。分かりました。聞かせてください」
「……京里の入ってる文芸同好会の会長の生駒先輩、あの人が異能力者かもしれないんだ」
「……え?」
京里は俺の言葉に困惑した様子を見せる。
少なくとも生駒先輩と接してきた期間は俺より京里の方がずっと長い。
それなのにこんな反応をするということは生駒先輩が異能力者だとは知らなかったのだろう。
「私にそれを伝えるということは何か根拠があるんですよね。それを教えてくれませんか」
しかし京里はすぐに冷静さを取り戻し、真剣な表情でそう問い返してきた。
「まず京里と初めて登校したあの日、生駒先輩が不良たちに囲まれていて俺が助けたんだけど交番の警察官含めて周りの人間が誰一人としてそのことに一切反応しなかったんだ」
「あの日そんなことが……。すみません、私がもう少し修君の側にいたら――」
「京里が気にすることじゃないよ。それに生駒先輩の能力を考えたら京里は関与できなかったかもしれないし」
「生駒先輩の能力?」
俺は一呼吸置くと、超能力や異能と聞いたら誰もが思いつきそうな馬鹿げた能力の効果を真面目に話す。
「“妄想を現実にすることが出来る”、それが生駒先輩の能力の効果だ」
「……その効果について何か確証は?」
「あの日の放課後に京里からメッセージを受け取って部室棟に行っただろ? その時に生駒先輩から直々に相談されたんだよ。夏休みに入ってからその力が現れるようになって、その力をコントロールすることが出来ずにいるって」
「能力をコントロールを出来ない……。つまりいつ暴発するか分からないということですか」
「別の誰かが生駒先輩の妄想を現実にする異能を発動しているって可能性もあるけど、何にせよ危険な状況には変わらないと思う」
そう言って俺はピザと一緒に頼んだ烏龍茶を飲んで喉を潤す。
「一応こっちで打てる手は打ったけど文化祭の準備期間や当日は正直対処できる自信がない。俺は部外者だから準備期間の間は部室棟に立ち入ることができないし、当日は校外からも大勢の人が来るから尚更対処が難しくなると思う」
「だったら修君を同好会に……、ああでも、準備期間中の入部は一律禁止なんでしたね」
「だろ? だからとにかくその期間能力の暴発を抑える手段が思いつかなくってさ」
「そうですね……。それに生駒先輩、小学校で虐められたことが原因で男の人が苦手らしいですから修君が付きっきりでいるのも却って暴発のリスクを高めてしまいそうですし」
虐められたことがきっかけで男が苦手……、思い返してみれば部室で話している時もかなり緊張した様子だったな。
いやでも、だとしたらなんで男の俺に話しかけて自分の悩みを相談なんかしたんだ?
向こうがこちらも異能力者だと知っているのなら分からなくもないが、そうでないなら友達とかに相談する方がまだ自然に思える。
いや、それについての考察は後回しにしよう。
今、優先的に考えるべきことは暴発時の対処方法についてだ。
「今さらな質問だけど生駒先輩は文化祭当日に登校するのか?」
「各部活の部長と同好会の会長は原則絶対参加だと聞いています」
「となると生駒先輩にストレスを感じさせず、周囲の人に違和感を持たれないような人間をずっと側につけるしかない、か。そんな都合のいい人間いるわけが―――」
もうお手上げだと天を仰ごうとして、ふと自分の家の郵便ポストが視界に入る。
そして次に思い浮かべるのは招待状を届けるために久遠家から送り込まれた黒い着物の女性型の式神に、家事などの雑務をこなし、人間のように自然な動作をする久遠家本邸の式神だった。
これはひょっとすると……?
「どうかしましたか、修君?」
「なあ、久遠家の屋敷の家事とかの雑用は基本的に式神がやっているんだよな?」
「ええと、そうですね。それが何か?」
「その式神を利用してうちの学校の女子生徒、それも文芸同好会の部員に仕立て上げて生駒先輩の側に付きっきりにするっていうのはどうだ? 先輩を騙すような形にはなると心苦しくはあるけど、暴発の被害に巻き込まれる人を減らせるかもしれないし」
「式神ですか……」
俺の提案を聞いて京里は黙り込んでしまう。
「やっぱり無理があるか……?」
「いえ、式神を応用するという案自体はありだと思います。問題は女子高生の動きを模倣できる式神を今から用意するのが不可能だということです」
……模倣?
京里の言葉に困惑していると、彼女は懐から1枚の札を取り出す。
そして京里がそれに力を注ぐと、札は可愛らしい子狐型の式神へと変化する。
子狐型の式神は欠伸をするとまるで本物の動物であるかのような動作で大人しく京里の膝の上に移動すると、そこで丸くなって眠ってしまった。
「式神は身体的に優秀だったり、特別した能力を持つ人間や動物の動きや言動など細部に至るまで特殊な呪具で記録し、それを術式に置換することで初めて基礎となるものが完成します。この式神の本物の子狐らしい動きも術式に刻まれた子狐の記録の1つを再現したものです。そしてその基礎術式に用途に合わせた術式を重ね掛けすることで従属化に外見の変更、能力の付与などを行ってようやく完成するというわけです」
動きや言動を特殊な道具で記録し、それを術式で再現する……。モーションキャプチャーみたいなものなのか?
「つまり俺の案を実現するには生駒先輩に好印象を持たれそうな女子高生を説得して、その特殊な呪具で動きを記録しないといけないってことだな?」
「そうなります。それに記録作業には最低でも半年は必要です。今から作業を始めるようでは文化祭当日には間に合いません」
「式神って1つ作るのにそれだけの手間隙がかかるのか……。そう考えると屋敷の雑用を全部任せられるくらい式神を用意してた久遠本家って色々と凄かったんだな……」
「確かにあれだけの数の式神を用意できる家は少ないと思います。ただ修君が思っているほど難しいことではありませんよ」
「あれ、そうなのか?」
「……これは実践して見せた方が早そうですね」
そう言って京里は子狐の式紙を紙の札に戻してテーブルに置くと、テスト勉強で使っていたノートの一部を切り取り隣になるように配置する。
そして京里は式神が封じられている方の札に刻まれている文字を指でなぞっていく。
すると札の上にそれぞれ異なる複雑な文様が刻まれた五芒星が重なって宙に浮かび上がる。
京里はその中でも一番下にある五芒星を摘まみ、それを今度はノートの切れ端の上に乗せると、紙の上から五芒星と中心の紋章を指でなぞりだした。
「おお……」
そうするとさっきまでただのノートの切れ端だったものは淡い光を放ち、京里が摘まんだものと同じ紋章が一瞬で刻み込まれる。
最後に京里が新たに紋章が刻まれた切れ端に式神を呼び出した時と同じように力を込めると、紙切れはさっきお札から呼び出されたものと全く同じ姿の子狐に変化した。
呼び出された子狐型の式神は最初に召喚されたものと同じように自然な動物の動きをしている。
「確かに式神の基礎術式を1から作るのはとても大変です。ですが、完成すればこのようにいくらでも複製することが出来るんですよ」
「ということは屋敷で雑用をしていた式神も複製したものってことか?」
「その通りです。ただ全員同じ容姿だと気味が悪いですから外見や声などを変更しているというわけです」
「なるほどねえ……」
「ちなみにこの子狐の基礎術式も大昔に作られたものを複製したものなんですよ」
「へえ、すると基礎術式が劣化するとかもないのか。そう考えると物凄く便利だな」
「はい。なので殆どの退魔士が最初に覚える術式は式神の複製術式と従属化の術式なんですよ」
いやはや式神って思っていた以上に便利なものなんだな。
……まあ今回は使うことが出来ないんだけど。
今はこれ以上考えても答えが出そうにないし、勉強会に戻るとするか。
「時間を取らせてごめん。勉強会に戻ろうか」
「いえ、注意喚起してくれてありがとうございました。私の方でも何か良い案がないか考えてみます」
と、その前にテーブルの上を片付けないとな。
「京里、そっちの唐揚げがのってる皿持ってきてくれないか」
「わかりました」
そう言って京里が余った唐揚げがのっている皿を俺に渡そうとすると、新たに呼び出された子狐の式神が悪戯するかのように彼女の腕に飛び掛かろうとする。
京里はそれを受けて即座に子狐の式神を紙の札に戻すがどうやら爪で指を少し引っ掛かれてしまったらしい。
俺はとっさに京里に『治癒魔法』を発動させると、彼女の元に駆けつける。
「っ……」
「だ、大丈夫か?」
「ちょっとかすっただけですから大丈夫です。それよりごめんなさい。ご迷惑をおかけして……」
京里はコピーされた方の子狐をノートの切れ端に戻すと、申し訳なさそうな表情を浮かべて俺に頭を下げた。
「気にしなくていいよ。にしてもあんな風に主人の邪魔をすることがあるんだな」
「……あの式神は基礎術式だけで構成されていましたから。従属化の術式をかけていないと基礎術式の記録の模倣しかしないんです」
従属化の術式、最初の式神の説明でもちらっと出てきたな。
「さっきも言ってたけど従属化の術式ってどういうものなんだ」
「式神や術式や魔法などが施された特殊な人形に術者を主人だと認識させて命令に従わせるようにするものです」
人形。京里のその言葉を聞いて一瞬何か思い浮かびそうになるが、すぐに霧散してしまう。
「どうかしましたか?」
「ああいや、何でもない。あ、コピーした方の式神って貰えたり出来ないか? 研究に使いたい」
「構いませんよ。でしたら『従属化の術式』も一応掛けておきますね」
「頼む」
そう言うと京里は先ほどと同じように札を取り出して五芒星と紋章を出現させると、コピーした方の式神が封じられた紙に同じものを刻み込んでいく。
(うーん、もう少しで何かが掴めそうなんだよなぁ……)
その光景を見て俺は魚の小骨が喉に引っ掛かったような感覚を覚える。
しかしそれを抜き取る方法はやはり思いつけない。
本当にもうあと少しのところまで来てる感じがするんだけどな……。
「修君、できましたよ」
「あ、ああ、ありがとう。それじゃ改めてだけどテスト勉強を再開しようか」
「はい!」
そうして俺たちは片付けを済ませると、またテスト勉強へと戻るのだった。
◇◇◇
「わざわざ駅まで送っていただいて本当にありがとうございました」
「大切な彼女にもしものことがあっちゃいけないからな。これくらいは当然よ」
時刻は夕方の5時50分。
妹が道場から帰ってくる時間帯になったのでテスト勉強会を切り上げた俺は駅まで京里を送っていった。
またどこでどういった形で能力の暴発が起こるか分からない以上、警戒しておくに越したことはないからな。
「それではまた明日」
「ああ、またな」
京里が駅へ入っていくのを見届けると、俺もまた家へ帰ろうとする。
と、その時、駅前ビルの街頭ビジョンに流れている最近話題の物真似芸人が出演しているCMが視界に入った。
普段だったらスルーしているものだが、その日その瞬間だけは何故か妙に気になった。
(物真似、模倣、複製、それと人形。……あ!)
京里の「人形」という言葉を聞いて思いかけていたものが、物真似から連想して思い浮かんだ「模倣」という言葉によってはっきりとした形となる。
(これはもしかするといけるんじゃないか?)
となればこんな所でボーッと突っ立っているわけにはいかない。
ようやく最後のピースを見つけパズルを完成させることが出来た、そんな高揚感を抱きながら、早くこのアイデアを実証するために俺はすぐに近くの路地裏へと移動すると『空間転移魔法』を発動した。




