公爵令嬢は隣国の皇太子殿下に恋をする。この世は政略?悔しいわ。でしたら見返してやります。
憎い女…王女だからって簡単に愛しいあの方を手に入れて。
許せない…許せないわ。
あの人もあの人よ。
少しでも、期待させるようなそんな態度で。わたくしを裏切って、あの女と婚約してしまった。
許せない。許せないわ。
カトリーヌが初めて彼に会ったのは王宮の夜会だった。
背が高く男前の黒髪碧眼の男性。
沢山の女性達に囲まれて、白い貴族服を優雅に着こなした彼はにこやかに微笑んでいた。
「噂通りの素敵な方だわ。夜会に現れるっていう情報は本当だったのね。」
文武両道、顔は美しくイイ男との評判の隣国のリード皇太子。
このアリノス王国でも隣国の皇太子であるにも関わらず彼はとても人気が高かった。
絵姿が店で売られる程の人気ぶりである。
絵姿こそ売り出してはいないが、カトレーヌ・キルギス公爵令嬢。
美しいこの銀の髪の令嬢は、国一番の美人として有名だった。
結婚を望む貴族令息は後を絶たず、しかし、キルギス公爵家は、娘が王立学園を卒業するまで、じっくり相手を選びたいと、いまだ婚約者もいないのだ。
王立学園での成績はいつも一位で、ダンスもそれはもう美しく踊る令嬢だった。
そうよ。わたくしよりも、美しく高貴な令嬢はいないわ。
リード皇太子殿下にふさわしい未来の皇妃はわたくししかいないのよ。
カトリーヌは心の中でそう呟くと、銀のドレスを翻し、令嬢達を掻き分けて、彼に声をかけた。
「わたくし、カトリーヌ・キリギス公爵令嬢と申しますわ。皇太子殿下。是非、ダンスのお相手をお願いしたいものですわ。」
リード皇太子はカトリーヌの手を取って、
「喜んで。カトリーヌ嬢。」
リード皇太子とダンスを踊る。
なんて男らしくて頼もしく、わたくしをリードして下さるのでしょう。
カトリーヌはリード皇太子と踊りながら、内心うっとりとした。
カトリーヌは野心があった。
隣国の皇妃になりたいと思っていたのだ。
隣国はこのアリノス王国の二倍はあり、広大な領土を誇る大国である。
そんな大国の皇妃になりたい。
何より文武両道のリード皇太子の噂はかねがね聞いて憧れていた。
国一番の美人で高貴な令嬢である自分にふさわしいのではないのか。
リード皇太子は自国のプライドが高いばかりの口うるさい令嬢達よりも、アリノス王国の高位貴族の令嬢達のマナーの良さを褒めていると噂に聞いた事がある。
帝国に行きたい。だから、帝国語もしっかりとマスターした。
自分にチャンスがあるかもしれない。
リード皇太子に向かって美しい帝国語で話しかける。
「さすがリード皇太子殿下、素晴らしいダンスの腕前ですわ。」
「我が母国の言葉でお話頂けるとは素晴らしい。お褒めに預かり光栄。」
「それで、この国へは何用でいらっしゃったのでしょうか?」
「婚約者探しだ。我が国の女性達よりも、アリノス王国の貴族の女性達から婚約者を選びたくてね。」
「まぁ…わたくしで何かできる事がありましたら、おっしゃって下さいませ。」
ふと、視線を向けて見れば、この国の王女マリリーナが凄い目つきで睨んでいた。
マリリーナも先程、リード皇太子と話をしていたのを見た。
アリノス王国の唯一の王女であるマリリーナも又、リード皇太子を狙っているだろう。
カトリーヌはマリリーナが大嫌いだった。
品の無い赤いドレスを着て、目ばかり大きくした派手な化粧をし、あの甲高い声を聞くとイライラとする。
やはりドレスは銀のドレスで無くては…わたくしの銀の髪にふさわしい高貴な色だわ。
ダンスが終わったので、リード皇太子の手に手を添えて、
「この後、ご予定がありますの?宜しければ、わたくしと場所を変えてお話でも。」
「そうだな…俺も話がしてみたいと思っていた所だ。」
二人で王宮のテラスの手すりの前で外を眺めながら話をする。
「まぁ、リード様は乗馬が趣味ですの?」
「ああ、そうだ。草原を馬で駆けるのは気持ちがいいぞ。」
「わたくしも乗馬が好きですの。是非、今度ご一緒したいですわ。」
「それなら、今度、カトリーヌを馬に乗せて走ろうか。」
「まぁ嬉しい。」
他にも色々と話をした。
カトリーヌは聞いてみる。
「帝都は開けていると聞いていますわ。」
「そうだな。この国の王都よりも、賑わっているぞ。」
「いつか、わたくしも行ってみたいものですわ。」
「是非、カトリーヌ嬢に帝都を見せてやりたいものだ。」
カトリーヌはリード皇太子に手を握られた。
熱い眼差しで見つめられる。
嬉しい…リード皇太子殿下に気に入られた。
そう思っていたのに…
その後、リード皇太子から接触を図ってくることはなかった。
王立学園に留学した形で通うリード皇太子であったが、クラスが違う上、カトリーヌに会おうともしない。
夜会で特別扱いしてくれるかと思いきやリード皇太子は色々な令嬢とダンスを踊る。
あの大嫌いなマリリーナとだってダンスを踊る。
マリリーナのこれ見よがしな赤いドレスにイライラする。
踊り終わったマリリーナが扇を手に挨拶をしてきた。
「ごきげんよう。カトリーヌ。」
「これはマリリーナ様。相変わらず趣味の悪い色のドレスですこと。」
マリリーナは今日も赤のドレスを着ていた。
わたくしは赤が嫌いなのよ。
マリリーナが厭味ったらしく、
「カトリーナ様こそ、銀のドレス、目がチカチカ致しますわ。」
カトリーナは自分の好きな銀のドレスをけなされて、イラついた。
あああ…イライラするわ。
リード皇太子との仲はあれからちっとも進展しない。
しびれを切らしたカトリーヌ。
他の令嬢達と一緒に王立学園でお昼をとリード皇太子殿下を誘ってみよう。
そして、じっくりと会話をする機会を作るのだ。そう思ったのだけれども。
しかし、あっさり断られた。
「すまないな。他に先約があるんで。」
男性の生徒達と昼は一緒に食べているようだ。
カトリーヌは悲しくなった。
あの夜の熱い眼差しは…わたくしは特別ではないの?
屋敷へ戻ったカトリーヌ。そんな中、追い打ちをかけるように、父であるキルギス公爵から話があった。
「お前はユリウス王太子殿下と結婚するように。」
「何で。お父様。お父様はわたくしの好きにするようにと…わたくしはリード皇太子殿下と結婚したいのです。帝国で咲き誇りたいのですわ。」
「リード皇太子殿下は、マリリーナ王女様と結婚する事が決まっている。それは国王陛下と隣国の皇帝が取り決めていた事だ。」
悔しい悔しい悔しい。
あらかじめ決まっていた?
だから、リード皇太子殿下は距離を取った?
わたくしはからかわれたのだわ。いえ、他の令嬢達も。
「解りましたわ。お父様に従います。」
ユリウス王太子は外見ぱっとしない地味な王太子だった。
何度も王家からキルギス公爵家にユリウス王太子と婚約して欲しいと打診があったが、今までは断って来た。しかし、叔母が王弟殿下に輿入れをしていたのだが、去年急死したのだ。二人の間には子がいなかった。キルギス公爵である父も王家と結びつきを強めたいと思えるようになったのだろう。
断っても断ってもユリウス王太子はカトリーヌに惚れているらしく、良く赤い薔薇の花束が公爵家に王太子の名で贈られてきた。
わたくしは赤は嫌いなのよ。
贈られてきた薔薇はゴミ箱にいつも直行している。
ユリウス王太子自身、夜会で見かけたことは無い。彼は夜会は嫌いで出たくないとの事だった。だから、どんな男性か話をした事がない。
だから夜会が大好きで、派手な事が大好きなカトリーヌにとってまるで魅力を感じない男性だった。
ユリウス王太子に会わない訳にはいかない。
銀のドレスを着て、王宮のテラスでユリウス王太子とお茶をすることになった。
「やっと承知して貰えたね。」
ニコニコしてユリウス王太子はカトリーヌを見つめて来た。
ぱっとしない茶の髪で眼鏡をかけている地味なユリウス王太子。
カトリーヌは不敬を承知で、
「家の為に承知をしたまでですわ。」
「君は、帝国の皇妃になりたかったと聞いている。」
「マリリーナ様に聞いたのかしら。そうよ。わたくし、リード皇太子殿下の妃になって、帝国で暮らしたかったのですわ。帝国は開けていて、大きな国で。そこの皇妃ですもの。
美しいわたくしにふさわしいと思いません。」
ユリウス王太子は紅茶を一口飲んでから、まっすぐにカトリーヌを見つめて、
「この国も悪くないと思うけどね。マリリーナはこの国を愛していた。本当は帝国に行きたくないんだよ。」
「だったら…」
「マリリーナが輿入れする事に意味がある。君だって解っているだろう?一国の王女と帝国の皇太子。その婚姻は両国の平和な関係を象徴する事になるだろう。」
「それでも、わたくしは…」
涙がこぼれる。
ユリウス王太子は立ち上がり、カトリーヌの肩に手を置いて、
「君はこのアリノス王国の王妃になる。マリリーナより、君の方が優れた女性である事は解っているよ。まだ、マリリーナが嫁ぐまで日がある。リード皇太子と共に夜会に出て来るだろう。未来の帝国の皇妃よりも優れた所を見せつけてやるがいい。私も協力しよう。」
ユリウス王太子は眼鏡を外した。
「これは伊達眼鏡でね。夜会で騒がしく過ごすより、自室で読書の方が好きだったが、そうは言っていられないようだ。私も少しは社交界に出ないとね。君に恥をかかせないように、頑張るよ。」
「有難うございます。ユリウス王太子殿下。」
まだ、この方がどういう方かよく解らないけれども、マリリーナには負けたくない。リード皇太子に、わたくしの美しさ、優秀さを見せつけてやるわ。
夜会でユリウス王太子にエスコートされて、出席したカトリーヌ。
赤のドレスを着て、濃い化粧をしたマリリーナとリード皇太子に会った。
カトリーヌはマリリーナの顔を睨みつけてから、優雅に微笑んで挨拶をする。
「ごきげんよう。マリリーナ様。」
「ごきげんよう。カトリーヌ。」
マリリーナがこれ見よがしに扇を口元に当てながら、
「わたくし、来春には帝国へ嫁ぎますわ。」
「おめでとうございます。わたくしも来春にはユリウス王太子殿下と婚姻致しますの。」
「それはおめでとう。」
マリリーナはオホホホと笑って、リード皇太子と共に背を向けて、
「さぁ、参りましょう。皇太子殿下。」
「ああ。」
リード皇太子と腕を組んでマリリーナはカトリーヌに見せつけるように歩いて行く。
悔しいわ…とても悔しい…
夜会には帝国からも何人かの客人が見えているようで、リード皇太子と共にマリリーナも挨拶をしているようだ。
帝国語で応対するマリリーナ。
だが、所々聞き取りにくいらしく、リード皇太子がフォローしている様子が見えて、
「未来の皇妃が帝国語も満足に話せないだなんて。」
「本当に不安ですわ。」
帝国の客人達が嫌みを言っている。
マリリーナは青くなりながら、懸命に帝国語で、
「申し訳ありませんわ。帝国語は難しくて…わたくし、一生懸命勉強したのですのよ。」
カトリーヌは優雅にマリリーナの隣へ進み出て、綺麗な帝国語で、
「リンデル公爵夫妻とお見受け致します。如何ですか。アリノス王国の王都は。
帝都と比べれば開けてはおりませんが、川が多くて美しいでしょう?」
リンデル公爵夫妻は驚いたように、カトリーヌを見つめ、リンデル公爵が、
「これは完璧な帝国語だ。貴方はどなた様でしたかな?」
「わたくしはこのアリノス王国のユリウス王太子殿下の婚約者で、カトリーヌ・キルギス公爵令嬢です。」
「おおっ。未来のアリノス王国の王妃でありますかな。素晴らしい帝国語だ。」
「お褒めに預かり嬉しいですわ。」
マリリーナが慌てて、
「わたくしはアリノス王国の王女ですのよ。」
リード皇太子も、
「マリリーナはアリノス王国の歴史に詳しくて、博識な女性だ。」
彼がマリリーナを庇っているのを見て、心が痛む。
その時、ユリウス王太子が、
「マリリーナは歴史には詳しいんですが、まだ帝国に対しては勉強不足で。もっと勉強しないと、未来の皇妃として、失格だぞ。」
「お兄様。わたくしだって一生懸命勉強しているのですわ。」
「いや、まだまだ足りない。カトリーヌを見習うんだな。」
カトリーヌはオホホホホホと笑って、
「帝国の流行りは銀色のドレスだそうですわ。その趣味の悪い赤のドレスはやめた方がよいのではありません?」
「そ、そうですの?」
ランデル公爵夫人は頷いて、
「赤は…我が帝国人は着ませんわ。変わっておられるのですね。マリリーナ様は。」
マリリーナは真っ赤になっている。
カトリーヌはにこやかに微笑んで、
「わたくしはユリウス王太子殿下とダンスをして参りますわ。楽しんで下さいませ。」
優雅にカーテシーをすると、ユリウス王太子と共に、広間の中央へ歩を進めた。
ユリウス王太子はカトリーヌの耳元で囁く。
「ダンスを一生懸命練習してきた。君に恥じないように踊るから、少しは私を愛してくれるかな。」
「貴方はわたくしの味方になって下さいましたわ。もっと貴方の事をわたくし…知りたいわ。」
ダンスの曲が始まる。
ユリウス王太子のダンスのリードはまだまだ未熟だけれども、それをカトリーヌはカバーをし、優雅にダンスを踊る。
リード皇太子とマリリーナもダンスを踊り始めるが、カトリーヌの美しく見せる技術には負けてしまって。
ダンスを踊りながらユリウス王太子は、
「今度、銀のバラを100本贈るよ。」
「銀の薔薇なんてあるんですの?」
「作らせる。君の為に…生花じゃないけれど、その花で君のドレスを飾ったら素敵だと思うよ。」
「まぁ本当に素敵だわ。有難う。ユリウス様。」
ユリウス王太子に対して愛しさを感じた。
なんて素敵な…なんて優しい人…
リード皇太子殿下の視線を感じる。
マリリーナに睨まれている。
でも…もう関係ないわ。
あの人達はいずれ帝国へ行くのですもの。
わたくしはこのアリノス王国の王妃として咲き誇って見せる。
それがわたくしの生きる道なのだから。
ユリウス王太子と結婚したカトリーヌは、後に美しき王妃として名を馳せ、王国で華やかに権勢を誇った。
二人の仲は良く二人の姫に恵まれた。
一方、翌春、マリリーナは帝国へ嫁いだ。
リード皇太子殿下に愛されて、皇子を二人産んで幸せに暮らした。
ただ、マリリーナは帝国の気風に慣れるのに、かなり苦労したらしい。
色々とあったが両国の仲は良く、アリノス王国の姫を又、帝国の皇太子へ嫁がせる等、二国間の平和は長く続いたと言う。