7話
―――― 4月20日夜
涼香が家に帰った後、田辺さんは『明日、また来ます』と言ってどこかへ飛んで行ってしまった。
今日は久しぶりに疲れた。まさか、この事務所に涼香が働くことになって、しかも殺人事件の依頼が舞い込んでくるなんて予想できただろうか。それに加え、依頼人が幽霊だなんて思いもよらなかった。
オレは早速メールを送ることにした。要件は3つ。
1つ目は今日のお礼、つまり隠岐田さんに対し電話をしてもらい、オレが事件調査ができるよう手配してもらったこと。2つ目は一番の容疑者である渡会さんとのアポを取ってもらうこと。3つ目は監視カメラを見えるように手配してもらうことだ。
早ければ明日の朝には返信が来るだろう。とりあえずは、返事が来るまではこの件に関してやることがない。
*
メールが来るまでの間オレは近所から頼まれていた雑用をこなすことにした。比較的時間がかかるような依頼もなく、正午になるまでにはすべての依頼が済んだ。事務所に戻ってくると、お願いしておいた3つの件についてメールが届いていた。
渡会さんは今日の15時から16時までなら大丈夫なそうらしい。監視カメラの方は沢田刑事の同行ありでいいなら24日に見ることが出来るそうだ。
渡会さんの方には今日の15時半に会う約束を取り付けてもらい、監視カメラはその条件で24日に見に行くことにした。
「そのメール誰に送ってるんですか?」
「えっ! ……田辺さんですかびっくりさせないでください」
幽霊であることをいいことに窓から侵入してきたみたいだ。いくら幽霊を見ることが出来るとはいえ、気配を感じ取ることまではオレにはできない。突然後ろから話しかけられればさすがのオレでもびっくりする。
「すみません、伊神さんのことだから私に気づいてるかと思いました」
「それより、田辺さん昨夜はどこへ言ってたんですか?」
「幽霊になると飛べるんですよ。せっかくこの姿になっているんですから、飛んで街を見下ろしたりしていました」
殺されたというのになんとも気楽な幽霊だ。
「それで、そのメールなんですか?」
「渡会さんと会えるかどうかを確認してもらっていました。それで今日の3時半に会うつもりなんですが、来ますか?」
『渡会』という単語を聞いて一瞬田辺さんはピクッとした。田辺さんが渡会さんに会ってくれればもしかしたら何かを思い出してくれるかもしれない。オレとしては絶対に連れていきたいところ。
「すみませんが、遠慮しておきます。幽霊になったとはいえ、あまり会いたいとは思えないので……」
こればっかりは無理強いは出来ない。田辺さんに記憶を取り戻してもらうことが一番良いが、無理に会わせたことで暴走されても困るかなら。一応はじじいに対処の仕方は教わってはいるが、それでも悪霊化した場合は手に負えなくなる。涼香も連れて行くとなると危険な目に遭わせることはできないからな。
「分かりました。何か思い出したことがあったら教えてください」
「あまり協力できることは少ないと思いますが、よろしくお願いします」
そう言い残して、田辺さんは飛び立っていった。
*
15時になって涼香が事務所にやってきた。もう少し来るのが遅ければ書置きを残して置いて行くつもりだったが、間に合ったみたいで良かった。
「これから、渡会さんに会いに行くが、来るか?」
「はい、もちろんついて行きます!」
「じゃあ、すぐに出発するから準備してくれ」
「了解しました」
ビシッと、敬礼みたいなことをして2階へ駆け上がっていく涼香。ここから渡会さんが働いているというコンビニまでの距離は歩いて10分程度で着く距離だ。ちなみに埋められていた山へはタクシーで30分程度だった。
15時20分ごろにコンビニに着くと渡会さんはすでに外で待っていた。
「お待たせしました。伊神探偵事務所の伊神真也と言います」
オレはそう言って名刺を差し出した。
「お待ちしていました。渡会慎太郎です」
「私は……」
「それで今日はどういったご用件で?」
涼香が自己紹介しようとしていたが、渡会さんの言葉によって遮られてしまった。涼香の存在に気づかないというよりは、はなから興味がなさそうだ。
「田辺美帆さんの事件についてお話を聞きに来ました」
「美帆さんのことは本当にショックだったよ」
渡会さんは顔を押さえて、辛そうな顔をした。彼女が殺されればそうなるのも無理はない。顔を押さえる右手には絆創膏のようなものが貼られていた。
「右手どうしたんですか?」
「ああ、これ? 昨日飼っている猫にひっかかれたんですよ。そんなことより、ここに来たってことは僕も容疑者の一人だと思ってるんですね?」
「言いにくいのですがそうなりますね」
「気にしないでください。美帆さんが殺されて真っ先に思い浮かぶのは恋人である私でしょう。警察の方にも話しましたし、どうぞなんでも聞いてください。私の無実が証明できるならば協力は惜しみませんから」
まるでシナリオがあるかのように冷静な反応だった。名門大学に出ていることだけはある。さっきまで辛そうにしていたが嘘みたいだ。
「では、まず事件当日のことを聞かせてください」
「えっと、15日の夜でしたっけ? あの日は僕はここでバイトをしていましたね。バイトの時間は20時から深夜の2時までだったと思います」
「それを証明できるものってありますか?」
「刑事さんが調べていましたが、ちゃんと監視カメラには僕がバイト中、コンビニ店内にいることは証明できると思います。この店には監視カメラがレジ、商品棚、入口、そして従業員室に設置されています。僕はその日レジを担当していたので、ほとんどの時間、レジか従業員室のどちらかの監視カメラには映っていますよ。あとは、一緒のシフトだった三田君が、僕がここから出ていっていないことは知っていますね」
監視カメラにしっかり映っているのであれば、アリバイとしては完璧だろう。唯一アリバイを崩すことが可能であるとしたら、映像の差し替えだろう。けれど、三田さんという証人もいることからその線はないだろう。渡会さんのアリバイを偽証してまで危険を負うのは三田さんにメリットがなさすぎる。
アリバイがあるない、どちらにしろ監視カメラの映像は確認する必要はあるだろう。警察が渡会さんを犯人として断定できない理由が分かったな。
「三田さんは、今日はいらっしゃいますか? いらっしゃるようなら三田さんからも話を聞きたいのですが……」
警察、田辺さんと話を聞いてきたが今まで『三田さん』という人物の名前は上がってこなかった。念のため、渡会さんと同じぐらい注意しておく必要があるだろう。
「三田君は今日は来ないですね。次のシフトは土曜日なのでその時に行けば会えると思いますよ。なんなら、僕の方から伝えておきましょうか?」
アポを取っておいてくれるならありがたい。当日に行っても仕事中だろうから、話を聞くのも一苦労だ。
「では、お願いしてもいいでしょうか?」
「はい、構いませんよ」
「こちら、事務所の連絡先です。アポが取れましたら連絡していただけると助かります」
オレは1枚の紙を切り取って渡した。
「他に私に聞きたいことはありますでしょうか?」
渡会さんの方から質問を求めてきた。もう1つだけ聞きたいことはある。まだ質問させてくれるのはありがたい。オレが質問しようとした時、
「じゃあ、私から良いですか?」
ここまで一言も発せず、渡会さんの話を熱心にメモしていた涼香が口を開いた。
「別にいいけど、それよりその前に1つ良いかな?」
「はい?」
首を傾げた涼香に質問を投げかけた。
「さっきから気になってたんだけど、君は誰だい? 言っちゃ悪いけど大人のようには見えないからね」
気になってたか。露骨に涼香の方を向いていなかったのに気になるも何もあるか。
「確かに私は渡会さんがおっしゃる通り大人ではなく、ただの高校生です。ただ同時に、ここにいる伊神さんの助手です」
涼香の言ったことを簡単には信じられないのか、こちらの顔を見て「本当か?」みたいな視線を向けてきたので頷くと、急に優しそうな顔になって、少しかがんで涼香に話しかけた。
「探偵さんの助手さんならちゃんと話を聞かないとね。それで何を聞きたいんだい?」
明らかに涼香のことを子ども扱いしているような態度だ。探偵ごっこの真似事だと思っているのだろう。
「では、田辺さんとのことを教えていただいてもいいでしょうか?」
子ども扱いが嫌いな涼香が不機嫌にならないか心配であったが、一切顔に出さなかったのは偉いな。
「まあ、私が一番彼女と関係があるから、君のような子でも疑いたくもなるよね。美帆さんとはね、3年前ぐらいに会ったんだ。それから、何度か遊びに行って付き合う感じになったかな。彼女とは上手くやれてると思ったんだけどね……」
「田辺さんが浮気していたというのは本当ですか?」
「それは私にも分からないんですよね」
「知らない? でも、田辺さんが浮気していたみたいな噂の出所は渡会さんの知人からだという話なんですが……」
「ええ、私も実際に彼女が浮気してる現場も見てないし、証拠もないんです。ただ、私の周りの人たちが『彼女が浮気をしてたよ』と言っていただけなんです」
「じゃあ、田辺さんに恨みというのは」
「一切ないですね。浮気していたらまだしも、僕の学業のサポートもしてくれた彼女を感謝することはあっても恨むことはありません」
田辺さんが浮気していたなら、渡会さんが田辺さんを殺害する動機としては十分だった。ただ、渡会さんが、田辺さんが浮気していたことを知らなかった上に、去年まで大学生だった渡会さんのサポートをしてくれたのなら、渡会さんが田辺さんを殺す動機なんてないだろう。
「あの~、そろそろいいでしょうか? 休憩の時間が終わりそうなので」
「ああ、すみません。今日はありがとうございました」
「いえ、私も彼女を殺した犯人は許せませんし、いつでも捜査の協力はします」
そう言い残して渡会さんはコンビニへと戻って行った。
「真也さん、私には渡会さんが犯人には思えないんですが……」
「ああ、オレもだ」
動機もなければ、アリバイもある。どう考えても渡会さんを犯人と結びつけるのは難しい。他に犯人がいるのか、それともオレたちが知らない動機があるのか。
とりあえず、監視カメラの映像見ないことにはオレは渡会さんが白とは確定できない。