2話
涼香は今朝オレに言った通り、3時前にはここへ戻ってきた。
「ただいま」
「おかえり……、ただいま? 別にここは涼香の家じゃないだろ」
あまりにも自然に『ただいま』と言われたものだから『おかえり』と返してしまった。
「別にいいじゃないですか、私は今日からここで働くんですし、それに自分の部屋みたいなのがあるですから、自分の家みたいなものですよ」
「それもそうだな」
「では、さっそく着替えてきま~す」
今朝とは比べ、だいぶ言葉が緩くなった気がする。今朝は畏まった感じだったのに今ではそんな感じがしない。オレにとっては、変に敬語使われるよりは楽だから今のままでいいんだがな。
着替えが終わった涼香が下りてきてすぐに事務所のドアがノックされた。
「私が出ますよ」
椅子から立ち上がろうとしたオレにそう言ってドアを開けた。
「真也ちゃん、この前はありがとうね。これお礼……あれ、アナタ見ない顔ね?」
ここを訪ねてきたのは先日、ペットがいなくなったと依頼に来た飼い主の細谷さんだった。年齢は50代くらいの女性で、高校生ぐらいのお子さんがいる人だ。お礼というのは迷子犬を細谷さんの家に連れて行ったことだ。その時細谷さんはいなかったから犬は娘さんに引き渡すことにした。だから今日は細谷さん自らお礼をしに来たのだろう。
「初めまして、今日からここで真也さんの弟子になる影井涼香です」
「あら、涼香ちゃんって言うのね。よろしくね」
勝手に弟子を名乗る涼香。ここで働かせるとは言ったが、弟子にするとは一言も言っていないんだが……
「涼香ちゃんは今いくつなの?」
「高校1年生です」
「あら私の娘の1個下なのね、高校はどこかしら」
2人は入り口で話し始めた。あの人話し出すと長いからな。何度事務所で話そうとしても入り口から動かない。立ち話が好きなんだろう。涼香には可哀そうだが、犠牲になってもらおう。
涼香が犠牲になっている間、今朝見たメールをもう一度見ることにした。今回の件は実際の現場に行かないと解けそうにもないかもな。正直最近の依頼の中で一番難解かもしれない。
「それにしてもその年で真也ちゃんのお弟子さんね~、確か真也ちゃんがここに事務所を立てたのもそれぐらいの年じゃなかったかしら?」
「17の年にこの場所へ来ましたね」
「じゃあ、1個上なのね。最初私びっくりしちゃったわよ。ここに探偵事務所が出来たかと思えば、中にいたのは17歳の男の子でしかも1人しかいないんですもの」
「人を雇う余裕なんて当時ありませんでしたから」
「それが今では涼香ちゃんを雇うことになったのね」
結局、オレは立ち話に巻き込まれてしまった……
*
「じゃあ、これ以上お仕事の邪魔をするのも悪いから帰るわね。真也ちゃん、涼香ちゃんまた来るわね」
「はい、お待ちしてます」
長い時間、オレ達を拘束した細谷さんは事務所から出て行った。今の時刻は4時。どうやら1時間近く話していたみたいだ。
「話好きな人ですね……」
涼香はずっと立ち続けていたせいか足がガクガクとしている。そして近くのソファにもたれかかった。
「あの人は細谷さんと言って、話好きな人なんだ。結構な頻度でここに話をしに来るんだ」
「探偵の仕事大変ですね……」
あれは仕事と呼べるのだろうか。まあ、近所の人と話すのは仕事といってもいいか。ただ、始まってから1時間しか経っていない。出鼻をくじかれて心が折れてなければいいけれど。
「お手上げか?」
「いえ、まだまだやれます」
「そうか、じゃあそろそろ仕事の説明をしようか」
「はい」
オレは涼香が学校へ行っている間に作成した紙を渡した。
「これは?」
「この仕事のマニュアルだ。といっても、電話や依頼が来た時の対応と、オレが留守にしたときの対応表みたいなものだから難しいことは書いていない」
メールの方は後からオレの方でチェックできるが留守中に電話が来た場合はそれが出来ないからな。その時用のマニュアルだ。
「あとは、依頼内容に応じて指示を出していく」
「頑張ります」
涼香に任せる依頼は全て電話か直接訪ねてきた依頼だけだ。メールの方はごくわずかの人しかいない。その依頼は全て、今後もオレ一人だけでやるものだからメールの存在は知らせない。
とりあえず、涼香にも出来そうな依頼を渡すか。オレは今依頼されている中から簡単なものをいくつかピックアップした。そして、1つ良さそうなのを見つけそれを涼香に紹介しようとしたとき、
『ピンポーン』とチャイムが鳴った。
「今日はいつもより依頼人が多いみたいだな」
「私が出まーす」
涼香がドアを開けその先にいたのは20代の女性だった。だが、どうも様子が変だ。顔があまりにも白い、それに若干透けているような……
「こちらに伊神真也さんという方はいらっしゃいますか?」
その女性の目当てはオレらしい。ここに来たからそうなんだろうが。
「はい、いますよ。どうぞ、こちらに」
涼香は何故か自然にその女性を引き入れた。どうやら涼香にも見えているらしいな。
「涼香、あの人のこと見えているのか?」
「ん? 急に何を言ってるんですか? 働き過ぎで頭でもおかしくなったんですか?」
言葉にとげがあるな。だんだん遠慮なくなってきていないか? だからと言ってオレがどうこう言えるわけではないのだが。
「涼香、気づいてないみたいだけど、その人もう亡くなっているぞ」
一瞬理解が追い付いていないのか「え?」みたいな顔でこちらを見てきた。
「亡くなっているってどういうことですか? じゃあ、ここにいる女性は何なんですか?」
「幽霊ということだ」
幽霊という言葉を聞いて顔色が悪くなった涼香がこちらを向いた。
「嘘ですよね……」
「嘘じゃないわよ。私死んでいるもの」
信じようとしない涼香に痺れを切らしたのか幽霊が口を挟んできた。幽霊の方から本当だと聞かされ言葉を失う涼香。この幽霊はそこまで透けているわけではないから、普通の人間と思ってしまうのは無理もないが、涼香も幽霊が見えていることに驚いた。
「あの、真也さん、なんで、真也さんは幽霊を前にして、そんなに、冷静でいられるんですか?」
プルプル震えながらオレの袖をつかんで聞いてくる。どんだけ怖がってるんだろうか。
「オレは一応神社で育てられたから幽霊には大して怖いとは思わないんだ」
12から16歳ぐらいまでは神社のじじいと暮らしてて、いろんなことを叩き込まれたからな。じじい、元気にしてるかな……
「あの、後で利きそうなお守りがあったら下さい……」
今にでも泣きそうな顔をしてお守りをねだってくる。じじいにももう何年も会っていないからな、お守り調達ついでに会いにいくとするか。
「あの、そろそろ私の話を聞いてもらってもいいですか」
扉の前で立たされている幽霊が申し訳なさそうに話しかけてきた。幽霊とはいえずっと立たせているわけにはいかない。
「あぁ、すみません、どうぞこちらにお掛けてください」
この世に強い想いが残っているのか、この幽霊は実体が残っている。この世に未練を残している証拠だ。
「それで、ここに来た理由は何ですか?」
幽霊の表情が一気に変わった。それはまるで怒りを思い出したかのように……
「私を殺した人を捕まえてほしいんです」