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企業  作者: 珈琲フロート
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職業訓練校

03職業訓練校



1朝食


 朝、起きると直ぐに食堂に向かった。フードコートに隣接した幹部用の食堂に入る。席に座ると賄いのおばさんが「オハヨウ」と言いながら料理を運んできた。


 ラグマンという、茹でた麺に野菜と肉を煮込んだスープをかけた料理、それに丸いナンと珈琲が出てきた。ここでは全ての料理にナンが付いてくる。



 私は、これから毎日三食ともここで食べる予定だ。この店の従業員に、折を見て日本食も作らせてみよう。かつ丼や天丼、出来ればラーメンや和風カレーを裏メニューとして入れてほしいのだ。

 フードコートの経営は、当社から全てを請け負った下請け業者が、各店舗を個人経営者などに再委託している。大家の立場を十二分に活用して裏メニューを作るのだ。


 朝食は、モーニングセットか日替わりの現地料理しかない。だが、昼と夜はファストフードのほか、各種の現地料理とロシア料理や中華料理が食べられる。ここには売店も併設されているので便利だ。

 



2.本部


 本部基地には社宅や食堂、診療所などの設備が整っている。私の仕事場の本部には社屋や倉庫が並んでいるだけだが、その西側の丘の上には、社宅や寮など幾つかの建物がある。私もそこの住棟の一つに住んでいるのだ。丘の下、南側には訓練校の校舎がある。そこから東側道路を挟んで向かい側にフードコートの建物がある。訓練校から直ぐにフードコートへ行けるのだ。


 今日の昼までに各地から訓練生が集まって来る。勿論こちらで用意したバスに乗って、荷物を抱えてやってくるのだ。


 昨日までの静けさは嘘のように、今日は賑やかになった。10時過ぎには、集合場所付近の空き倉庫では、係員たちがグループごとにガイダンスを行っていた。




3.再会


 「健さん」と数回、声を掛けられた。そうだ、うっかりしていた私のことだ。本名ではないのだが。振り向くと少女がいた。一瞬、日本人かと思つた。クルグズの人たちと我々日本人の顔立ちは、よく似ているのだ。彼女は「アルマグルです」と名乗った。


 そう、難民キャンプで訓練生を募集したときに助けてくれた娘だ。「久しぶり、待っていたよ」と答えた。「先日は、ありがとう。お陰で助かったよ」とお礼を述べた。


 前に会ったときには顔の色が薄黒く見えたが、今日は白く見えた。彼女は、ここに来るまでの数週間、私から貰ったパソコンで日本のことをあれこれ検索したそうだ。そして日本語を勉強したことなどを話してくれた。あのとき、彼女にお礼として手持ちのパソコンをあげたのだ。現地で入手した中古品の安物なのだが。


 そう言えば、彼女の口から日本語がポンポンと軽快に飛び出してくる。以前より上達していた。



 集まった訓練生たち百数十人は、フードコートに連れて行かれて昼食を振舞われた。皆、嬉しそうに食事をしていた。その後、宿舎へ案内された。


 翌日は訓練校の開校式を行った。来賓としてウズベキスタンの軍や役所の関係者が来ていた。私も要人扱いなので、あいさつをした。中野が用意した日本語の原稿を読んだ。後から通訳が、現地語に翻訳した原稿を読んで皆に伝達していた。




4.カリキュラム


 訓練校の校長以下教官のほとんどは、クルグズ人とウズベキスタン人だ。訓練校のカリキュラムは軍事教練だけではなく、一般教養や外国語もある。外国語はロシア語、ウイグル語、ウズベク語などだ。私は日本語のコースも追加した。



 中央アジア諸国ではロシア語が共通語の地位にある。また、カザフ、トルクメンなどの諸言語がある。ウイグル語のコースを設置したのは、中央アジア連合軍がUYG独立組織を支援しているからだ。また、本部基地はウズベキスタンのアンディジャンの外れにあるし、他にも密接な関係があるので、ウズベク語も外国語コースに入れている。クルグズ語とウズベク語は、何とか意思疎通できる程度に近い言語なのだと聞いた。まあ、当社としては、日常会話ができればよいのだ。


 訓練校では、1週間ほどオリエンテーションが行われるので、本格的な訓練はそれからだ。




5.フードコート


 その日フードコートに入ると、各店舗のカウンターには昼食を注文する人の行列ができていた。私はいつも正面出入り口から右側に進み、『将校及び同伴者』と現地語で書かれた幹部用の食堂に入る。


 幹部用と言っても、特別に豪華な料理を食べられる訳ではない。ただ、全ての店舗の料理を注文できるし、係員が料理を運んで来てくれるのだ。それと、周りからの視線を気にすることなく食事ができる。外国人や幹部職員などを凝視する人間もいるのだ。


 因みに、正面出入り口の左側には一般職員用の食堂がある。本部各課や訓練校・診療所などの一般職員用だ。訓練生や警備兵、関連業者などは、セルフサービスのフードコートで食事をとるのだ。勿論、幹部や一般職員もフードコートで食事することもできる。


 幹部用食堂に入る直前、ふと左前方を見ると行列にアルマグルさんが並んでいた。目が合うと「健さん、こんにちは」とあいさつして来た。「一緒に食事しないか」と誘ってみる。「でも、あそこは幹部用ですよね」「構わないさ、俺と一緒だし。おごるよ」私は片手で彼女の背中を押して促した。このとき私は周囲の人間の様子には全く無頓着だった。彼女の表情すら見ていなかった。


 クルダクという肉とジャガイモの炒め物、マンティという小籠包のような蒸し料理、ショルポというスープなどを食べた。勿論、丸いナンも付いている。彼女は小さくて細い体に似合わず、沢山食べた。若いのだと思った。




6.名字


 ところで、彼女が私の名字を呼ばないのは、クルグズの習慣なのだ。馴れ馴れしい訳ではない。この国では普通、名前しか呼ばない。


 父親又はおじいさんの名前が名字になるからだ。元々は女性の場合、誰々(父親の名)の娘の何々(自分の名)と名乗ったそうだ。例えれば、太郎の娘の花子です、みたいに。別に父親を紹介している訳ではなく姓名を名乗っているのだ。


 そもそも、これが名字なのか私には疑問だが、花子(名)さんのことを呼ぶのに、太郎(姓)さんとは言わないことは納得できた。最近はロシア式が人気で、自分の名の前後に、おじいさんの名や父親の名を付けているらしい。違いがよく分からないが、そういうことだそうだ。

 アルマグルさんの名字は...忘れた。ここは、私が覚えにくい名前が多いのだ。



7.食事デート


 食後は飲み物を飲みながら、彼女の近況について聞いた。外国語は、やはり日本語を選択してくれていた。訓練生には日本語の学習希望者が他にもいたし、ここには日本語の通訳が数人いる。報酬を追加して、訓練校の日本語教師も彼らにお願いした。


 その後も時々フードコートで彼女と出くわすと、食事に誘っておしゃべりをした。夕食も何度か一緒に食べた。シャシリクという羊肉の串焼きやパローという炊き込みご飯などの現地料理、そのほか、ロシア料理などをよく食べた。ただし、彼女は未成年なので酒の相手はさせられない。早めに返した。


 とはいえ、夕食どきには周りの席にいる幹部連中は皆、酒を飲みながら食事をしている。出来上がって陽気になる者も多いので、彼女にもよく声が掛かった。彼女は幹部達とも打ち解けてすっかり馴染んだ。夕食の時間には私に通訳が付いていない。だが、彼女がいれば私と意思疎通ができるので、現地人の幹部達も私たちと同席することが多くなった。


 勿論、彼女の食事代は全て私が払った。おごったのは当然で、若くて貧しい彼女には助けになるだろうと思った。それと日本語で会話してくれることへのお礼でもあった。

 英語が怪しく現地語ができない私には、数人の日本人スタッフと通訳以外に話し相手がいない。彼女とのおしゃべりは貴重なのだ。


 しかし訓練が本格的になった頃に、ようやく気が付いた。既に私たち二人は公然の仲とされていた。そう、気が付いたのは最近だった。管理課職員との打ち合わせ中に、ある現地人職員とクルグズ人訓練生のことが話題に上った。「この二人が婚約したそうです」と通訳が言った。


 以前、若い訓練生を大量に受け入れるに当たり、社内恋愛の扱いについて聞かれた。「大人同士ならば構わない」と答えた。


 クルグズでは18歳で成人なのだが、話題の女性は17歳だという。相手の男性は28歳だ。「以前からの方針通り、業務に支障のない限り会社は関与しない」と答えた。

 「年の離れたカップルだね」と言ったところ「司令官ほどではありませんよ」と、やり返されてしまったのだ。後で通訳から私とアルマグルさんのことが噂になっていると聞いて、やっと事態を把握した。

 「私と彼女はなんでもないのだ」と通訳に言うと「ハァそうですか。では失礼します」と言って無反応のまま彼は帰って行った。


 そうだ彼女は今、17歳だった。ただし、私と恋仲などではないのだが。円光疑惑か。私の脳裏に母国の円光条例の知識が悪夢のように浮かび上がった。そうだ母国では、おじさんは何があっても少女に声を掛けてはいけないのだ。この国には、そんな概念はないだろうと思うが気を付けよう。


 若年女子社員の訓練が本格的に開始された。会社の開業準備は順調に進んでいた。




                    了



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