従業員の採用
企業
プロローグ
私は、異世界に飛ばされてしまった。ここは、元の世界とよく似た別世界だと直ぐに分かった。
だが驚いたことに、この世界での私は元の世界とは大きく異なる境遇だった。天涯孤独で家族や親戚もいない。私が働いていた会社は存在していない。知人たちはもとより、誰も私のことを知らなかった。私は無職で、地元の市役所に戸籍や住民登録もなかった。
でも幸運なことに、ホームレス生活に入る前に謎の人物に拾われた。
市役所に駆け込んで相談したことが良かったのか。案の定たらい回しにされたが、私の情報がどこかに伝わり、転機を呼び込むことになったのだろう。
街中を歩いているときに、知らない人から声を掛けられた。そして必要な金や携帯などを貰い、色々と指示を受けた。その人とはその時以来会っていない。だが、その指示通りに行動すると何人かの人たちと面会することができた。その結果、住居のほか健康保険証や住民登録・パスポートなどを得た。その代わりに私は外国へ渡航するように要求された。
外国の会社で働くのだ。言葉の壁が心配になったが、行くしかなかった。私は中央アジアの、ある国の空港に降り立った。
01従業員の採用
この世界の国際情勢は、私の知る元の世界とはかなり違っていた。東アジアの国境線は私の見知らぬものだ。地図を見ると私の知らない国名が幾つもある。
私が滞在している中央アジアでは、10年前から紛争が続いていた。確か、元の世界では平和な地域のはずだが。そして、私がこの地に渡航してから既に3か月が経過していた。
1. 難民キャンプ
私は中央アジアのある国の、とある難民キャンプにやって来た。案内人と私の通訳、それに会社の下請け業者。それにクルグズ人の護衛など数人を伴ってキャンプの難民事務所に向かう。周囲には大勢の女子供がこちらを覗っていた。皆一様にくたびれて薄汚れた服装だ。表情も冴えない。しかし、目だけは妙に輝いて見えた。
難民事務所での打ち合わせは1時間で終わった。これまでに何度か打ち合わせを繰り返してきたが、ようやく話がついた。このキャンプの難民の中から、我が社の従業員を雇用出来ることになった。
早速、明日から面接を始める。難民事務所で働く日本人ボランティアが通訳として手伝ってくれる。他にもクルグズ人とウイグル人のスタッフが助けてくれることになった。難民事務所としても、難民の経済的な自立支援事業の一環として協力してくれるのだ。今夜は、ボランティア達の宿泊施設に泊めてもらうことにした。
まだ午後4時なので夕食までの時間つぶしに、少しキャンプ内を徘徊することにした。直ぐに何人かの子供たちが声を掛けてくる。おねだりをする子供が多い。何を言っているのか分からないので、適当に対応する。
「ニホンノカタデスカ」突然後ろから声を掛けられた。振り向くと、まだ幼そうな少女が恥ずかしそうな表情で立っていた。黒ずんだ色の顔、身長は150㎝程だ。痩せこけた細い体と粗末な服装が、彼女の現在の境遇を物語っていた。
挨拶をして年齢を訪ねると16歳だと答えた。私には、まだ11~12歳にしか見えなかったが納得した。キャンプには栄養不足ぎみで、成長が遅れている子供達が多いのだ。
ここはクルグズ人が多い戦争難民のキャンプだ。彼女は手元のノートを見ながら、片言の日本語で話しかけてきたのだ。流暢ではなかった。でも身振り手振りを交えて、何とか意思疎通を図ることができた。私が何をしにやって来たのか尋ねられたが、適当に答えておいた。
彼女はアルマグルと名乗った。2年前から8人の家族と共に、このキャンプで暮らしている。キャンプに設置されているパソコンで見た、字幕付きのアニメや歌で日本語を覚えようとしているそうだ。明日は働き口の募集があるので応募すると言っていた。
家族のために働いて収入を得たいのだろう。ここには、そういう子供が沢山いる。「採用されると良いね」と言って別れた。明日、私が面接をすることになるのだが。
2.面接
次の日は小さなテントの中で、早朝から応募者の面接をしていた。既に私の目論見は外れて内心参っていた。会社の従業員を10~20人採用するので、面接者数の上限は100人程と考えていた。そうなるように、難民事務所の人に相談をして条件を付けておいたのだ。しかし、こちらの付けた応募条件などは無視されている。
早朝から千人を超す人数が列をなしていた。難民事務所のスタッフに一次面接をしてもらい、条件に合わせて選考してもらう予定だったが、この応募者数では無理だ。
午前10時の面接開始時間を1時間繰り上げたが焼け石に水だ。ここでは、何事も予定通りに進まない。分かっているつもりだったが、十分な対策を取っていないことに気付き後悔した。例えば先着何人までとか、人数を切っておけばよかったのだ。だが、今から面接の定員を定めると、混乱が起こる可能性がある。後々よろしくないだろうと思った。
どうにかしなければと思い、急いで整理券を配った。そして大方の応募者の面接日を後日に回して帰らせた。しかし、私の滞在日程では捌けるはずがない。
そんな時に救いの神が現れた。そう、昨日の女の子だ。片言とはいえ私と意思疎通出来るのだ。私は即刻、彼女を採用した。そして彼女にも面接を手伝わせることにした。
通訳を通じて必要な情報を彼女に伝えた。すると彼女は、友人たちをバイトとして雇うことを勧めてきた。不足する採用関係の書類を作成してもらえば助かる。漸く対応策が出てきた。救われた気がした。
結局、面接は私の滞在日程最終日に終了した。難民事務所関係者の他に、アルマグルさんとその友人たちにも面接官をやらせたのだ。
一次面接の対象者が多すぎたので、応募者が年齢その他採用条件に合う人物かどうか、事前に把握しようと思った。それで彼女たちに、面接の事前準備として聞き取り調査を行わせた。するとそれは直ぐに正式な面接試験として扱われることになった。
応募者のほとんどが、彼女たちと同年代か年下の者達なので順調に面接試験を行うことが出来た。
当初私は、若年の男性を中心に採用する予定だった。しかし、難民キャンプから応募して来たのは女性ばかりで、大多数はとても若い人たちだった。それは若い男性、否、幼い男の子達まで既に戦争に駆り出されていたからだ。各キャンプ地には対象となる年齢の男の子は数少なく、残る子供たちは親の意向に従い応募してこなかった。
結局、このキャンプから中年女性5人と十代の少女30人を採用した。中年女性は、売店の売り子や寮の賄い婦、掃除婦などとして我が社の下請け業者が採用したものだ。
弊社の従業員として採用したのは、若い子ばかりだ。予定よりも少し多く採用したが、まあ良いだろうと私は思った。
私は十代の採用者を集めて訓示した。「あなた達は、三か月間の訓練を受けてもらいます。そして、UYG紛争に参戦してもらいます」通訳が訳して皆に伝達した。勿論、彼女たちは事前に説明を受けているので既に知っていることなのだ。他に、キャンプから会社へ移動する日程など、2.3の注意事項を伝えた。
私は軍事会社という民間企業を営む業者なのだ。ある機関からの指示と提供される資金によって、この地で募兵して中央アジア連合軍に傭兵団として参加するのだ。私は、某機関のエイジェント(代理人)になったのだ。
了