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小天狗と敦盛 2


『小天狗と敦盛』2



  ― 第三章 ―


 総司はいらついていた。事情を知らないとはいえ、近藤も佐藤道場の面々も、わざとじゃないだろうかと思えるほど、先を急ぐ気配がまるでないからだ。もっともらしい理由をつけて、早く試衛館へ帰ろうと再三訴えたが、二つ返事の舌の根が乾かぬ内に『ああ、それであの件は――』と話が始まる。もうそれを昨晩から何度繰り返したか分からない。


 近藤を生涯の師と定めた総司だが、酒が入るとやたら話が長いのだけは、頂けないと思っている。とはいえ、久しぶりにあった義兄弟同士、こうして話が尽きないのを少しだけ(うらや)ましく思う所もある。


「――それにしても、一体いつまで話してんだ」


 こういう時、近藤を急かすのはだいたい源三郎の役目である。彼の兄もまた、近藤らと義兄弟の誓いを交わしている関係上、彼らの付き合いは長い。もっとも近藤を御するのが一番上手いのは、悔しいかな、歳三である。


「まったく…、今日帰れるのかな」


 総司がため息をこぼしたのと同時に、またあちらから大きな笑い声が上がった。


 その後、総司と近藤が日野宿を後にしたのは、予定から半日遅い、昼八つが過ぎた頃だった。急げば日暮れにどうにか間に合うかどうかの時刻だ。


「近藤さん、話長すぎです」

「いやぁ、すまんなぁ、総司。彦五郎と積もる話があったもんだから。お詫びに途中で甘味屋寄ってやるから、機嫌直せ、な」

「それはまた今度にとっておいてください。今日は休みなしで帰ります。さ、無駄口はお終いです。急ぎますよ」

「おいおい、総司っ。おーい!」

「ほら、早く! 置いて行きますよ」

「本気かぁ? しょうがないなぁ…おーい待てってば」


 近藤はすっかり頭から抜け落ちているのか、すでに警戒心のかけらもない。総司は出来る限りの早歩きで、さらに四方に目を光らせて山道を急いだ。


◇  ◇  ◇


 同じ時刻頃、歳三はまた市中に居た。道場で夜を明かした連中とは別に、左之助と遅くまで話し込んでいた歳三も大いに寝坊した。朝と言えるぎりぎりの時刻に、かろうじて朝餉(あさげ)を食った。近藤の妻、つねの嫌味に苦笑いを返しつつ、粥を流し込むと早々に板場を出た。しこたま呑んでいた左之助と、道場組は誰も姿を見せていないと聞かされた。これでも歳三はまだましな方なのだから、つねの機嫌も良くなるはずがない。


(俺ぁ、あの嫁は苦手だ)


 何を思ってつねと夫婦になったのか、疑問に思うもついぞ聞く機会がない。というより、よもや惚気(のろけ)話など聞かされようものなら、翌日からつねの顔をまともに見られなくなってしまう。


(勝っちゃんと女の趣味が合わねえのだけは、確かだ)


 存外失礼な事をつらつらと考えながら、部屋に戻った歳三は、支度を整えるとすぐ出かけた。もちろん、昨日買戻し損ねた大刀を手にするためだったのだが…。


「おいおい、なんで閉まってんだ」


 休みなく歩いて来た歳三は、昨日と同じ店の前に立ち呆然とした。時刻は昼九つ、真っ昼間だ。周りの商店はどこも活気に満ちて、人通りも昨夕とは比べ物にならない。


「まさか、休み?」


 念のため、木戸を叩いてみたが、当然ながら物音ひとつしない。


「――あれ、お兄さん、昨日の…」


 すると、またしても後ろから声をかけられた。振り向けば、昨日も声をかけてきたはす向かいの店の男が、藍の前掛け姿でこちらを見ていた。


「すまない、ここの店は…」

「あー、今朝は開いてないね。おかしいな、いつもなら朝から開いてるんだけど」

「……」


 歳三の落胆は大きい。それが顔に出ていたのか、男は自分の店からあれこれ歳三に持たせてくれたが、正直何を言っていたのかもよく覚えていない。


「くそっ」


 いつまでも慣れない刀の軽さに、悪態が口を衝いて出てくる。こうも肩透かしを喰らっては、落ち込みもする。明日も朝から店を訪ねる気になれず、男に店が開いたら知らせてもらうよう、いくらか金を渡した。よほど気の毒に思えたのか、『必ず朝一で文を出すよ』と言っていたように思う。


「まさかこのまま店辞める、とかじゃねえだろうな、あの親父」


 預けた時はさして変な様子もなく、不愛想ではあったが、取り扱っている品も多く、よくある普通の質屋だったように思う。急いでいたとはいえ、馴染みの店に行けば良かったと後悔しても遅い。駄目元で辺りの店に聞き込みをしてみたが、かなりの偏屈者らしく、誰も閉めている理由どころか、家すら知らなかった。


「何かあったらどうする気だ、商売人のくせに」


 こう見えて、十年に及ぶ奉公と、今も実家の薬の行商をしている歳三である。商売において人脈がいかに大事か、身を持って知っている。


(こうなったら、勝っちゃんに頭下げて、一振り借りるしかねえか?)


 こういつまでも、竹光を下げている訳にはいかない。気になる事もある。ひと際大きく息を吐き出すと、大股で歩きだした。





「――え、帰った?」


 ほどなくして、稲本楼に着いた歳三は、思わずそう聞き返した。怪しまれぬよう、『荷物を言付かって来た』(金物屋の男に持たされた荷物をちゃっかり流用した)と、番頭に伝えたところ、反対に怪訝(けげん)な顔をされてしまった。


「ええ、昨晩。まだ(よい)の口でしたかね。ご存知ないんですか?」

「あぁ、ええっと、そうか。おかしいな、入れ違いになったようで。――…では、これは持ち帰ります。失礼」


 頭の先からつま先までをぶしつけな視線を浴びせられ、歳三は早々に退散した。


「どーすんだ、この先」


 昨夜、ということは、ここではないどこかで夜を明かしたということだ。同じ吉原の別の店という可能性は低い。吉原に居ないなら、捜索範囲は江戸中に広がることになる。到底、歳三一人がどうにかできるものではない。まさにお手上げ状態である。歳三は人通りのまばらな吉原大通りを、ゆっくり歩いた。妙に足が重い。来る前に腹が減っていたことはすっかり頭から抜け落ちていた。


「あー…くそぉっ、あの馬鹿!」


 大門をくぐった瞬間、思わず大きな声が出た。近くの通行人が数人、びくっと身体を震わせたが、歳三の知ったことではない。無性に腹が立ってきた。


(だいたい、なんで俺があいつのケツを追い回さにゃならねえんだ)


 歳三は眉間に皺を深く刻んで、大股で歩き始めた。



(大刀を質に入れたのだって、元を正せばあいつのせいじゃねえか)


 そんなことはない。元は歳三の金の無さが招いた結果である。



(もう、俺ぁ、降りる。やってられるかっ)


 心の中で思うまま悪態の限りをつき、肩を怒らせたまま歳三は試衛館に戻っていった。



 試衛館にいつもより短い時間で帰り着くと、そのまま(くりや)に向かい、水を三杯一気に流し込んだ。そこで昼餉(ひるげ)を食べ損ねた事を思い出したが、昼過ぎにようやく起き出した連中が、つねに嫌味を言われている横から何も貰う気になれず、そのまま部屋へ向かった。


 布団が乱雑に畳まれている横を抜け、奥の端まで行くと、両手両足を投げ出して寝転がった。こうなれば、ふて寝である。往復四里近く、行きも帰りも、結局休まず歩き通した。確かな疲れと、寝不足も手伝ってか、すぐに寝息が聞こえてきた。その眠りが妨げられたのは、日が西の空へ沈みかけた頃だった。




「――…方さん、土方さんっ。もう、起きて下さいってば!」


 大きく揺さぶられて、はっと目を開けるとそこには、総司と、近藤の顔があった。そして、その向こうにもう一人。


「お、おまえっ」

「昼間っから寝てると思ったら、起き抜け第一声が、それですか。まったく、こっちの気も知らないで…」


 目の前で眉根を寄せる総司も、近藤も通り越して、歳三の目はその向こうに釘づけだった。その相手が軽く頭を下げた。


「お久しぶりです、土方さん」


 伊庭八郎、その人だった。



◇  ◇  ◇ 



 その夜、機嫌の悪いつねに気を遣った近藤は、皆を誘って町へ繰り出した。馴染みの茶屋に入り、頼んだ飯と酒が運ばれてくると、歳三は(にら)むように八郎を見た。


「で? あんたがどうして試衛館に居るんですか。吉原にしけこんで…あーなんだ、そのつまりあそこに昨日まで居たでしょう」

「ええ、居ました、確かに昨夜まで。私、土方さんと永倉さんを見かけまして」

「俺と新八を?」

「はい、丁度部屋の窓が空いてて、通りから永倉さんの声が聞こえました。すぐに追ったんですが、ちょっと出るのに手間取って、二人を見失ったんです」

「見失うって、俺らの後をつけるつもりだったのか」

「歳、ちょっと落ち着きなさい。八郎君は昨日の夜、うちに来たんだよ」

「は? 昨日、え、夜?」

「あれ、知らなかったのか? 土方さん」


 アゴの甘露煮を丸ごと口に放り込んで、新八が指先を舐めつつ言う。


「知らねえよっ! なんだよ、それ!」

「あー、八郎さん久しぶりだったし? 昨日はもう俺らも飲んでたからよ。そのまま一緒に俺らと飲もうってことになって。そいでいつものように寝ちまってて、明け方に部屋に移動して、そっから昼過ぎまで一緒に雑魚寝(ざこね)だ。なぁ?」


 新八の話によると、歳三らが広間から席を外した直後、入れ替わりに八郎が顔を出したらしい。道理で昨晩は妙に盛り上がってた訳だ。


「ありえねえ…」

「まあまあ、歳。見つかったんだから、良かったじゃないか」

「見つかった? 探してたのか? 八郎さんを?」


 新八を含む、たくさんの目が一斉に向けられて、近藤は慌てて両手を振った。


「いやいやっ! そういう訳じゃないぞっ。なあ、歳!」

「知るかっ」


(こっちに振るなよっ)


 ぶすっとした顔で頬杖をつくと、そのままそっぽを向いた。源三郎が歳三の背に手を回し、何やら話しかけてきたが、頭の上を素通りしていった。そんな歳三をよそに、徳利がどんどん倒されていく。昨夜もしこたま飲んでいたはずだが、どうやら彼らには関係ないようだ。渡されたお猪口(ちょこ)に口をつけ、斜め向こうに座っていた八郎が、申し訳なさそうに口を開いた。


「なんだか、ご心配をおかけしたみたいで…」

「いや、いいんだいいんだ。――時に八郎君。何か、悩み事あるんじゃないのか? 我ら剣の道を目指す、いわば同志だ。良かったら話しを聞くぞ!」

「いえ、家の問題でもあるので。でも、お気遣いありがとうございます」


 八郎は小さく頭を下げると、手の中のお猪口を握り締め、ぽつりと呟いた。


「やっぱり、試衛館は居心地が良くて、困りますね」

「困ることはないだろう。八郎君なら、いつでも大歓迎だ! むしろこのままうちの食客として、籍をおいてくれても構わないぞ!」


 八郎の肩に手を置き、満面の笑みを向ける近藤に、左之助がすかさず突っ込みを入れる。


「近藤さん、さすがにそれはまずいだろー。天下の練武館の師範代候補だぜ?」

「そうか? まぁ、酒の席の()れ言だ。気にするな」

「しょうがねえなぁ、この人は」


 どっと笑い声が起こり、誰かが酒の追加を告げている。それらすべてに背を向け、未だ歳三はふてくされていた。大人気ないと思うが、愛刀を質に入れてまで奔走した結果がこれかと思うと、やさぐれたくもなる。


「くそっ」


 誰にともなく悪態をつき、焼き串にかじりついた。その様子を端の席に座った総司が静かに見ていた。



 大いに飲んで食べて騒いだ後、一行は二手に分かれた。一方はさらに夜の町へ繰り出す組、一方は試衛館へ帰る組だ。仮にも所帯持ちの近藤は言わずもがな、総司と歳三、疲れたからと源三郎、さらに八郎の五人が試衛館組である。まさか八郎がこちらに来ると思っていなかった歳三は、一番後ろから前を行く八郎に声を掛けた。


「あんたは、行きつけの店があるんじゃないですか」

「さすがに、飽きました」

「おっ、八郎君も言うなぁ」


 嫌味を言ったつもりが、さらりとかわされた。小さく舌打ちした歳三と対照的に、終始機嫌がいいのは近藤である。酔いも手伝ってか、先導する源三郎と、隣の八郎に、あれやこれやと話しかけている。黙り込んだ歳三の袖を、隣を行く総司が軽く引いた。眉間に皺を寄せたまま、歳三が顔を向けると、総司は目線だけで歳三の腰元を差して言った。


「まだソレ下げてんですか。二日も何やってたんです」

「色々あったんだよ。つうか、店が開かねえ」


 さらに皺を深くして、歳三はふてくされた。これみよがしにため息をついてから、総司は声を低くする。


「聞きましたよね、こっちの件。どう思います、土方さんと同じですかね」

「どうだろな。一緒とするには、決め手がねえ」


 自然と上がった目線の先で、ニコニコと近藤の話に相槌をうつ、八郎の横顔が目に入る。


「あ、そうだ。俺の方は土佐の出のもんらしい。左之が同じ四国だし訛りで間違いねえって」

「左之さんが? 話したんですか?」

「バレたんだよ。源さんの報告ん時の俺の態度で」

「ほんと、うかつなんだから」

「うっせーよ。そういうお前はどうなんだ。相手の事、なんか手掛かりねえのかよ。人違いってのは確かか」


 今度は総司が眉根を寄せると、小さく頷いた。


「聞き間違えてはないです。そいつが言った途端、退きましたからね。ただ…」


 口元に手を当て、総司が少し考える仕草をする。歳三は足を止め、総司を見た。


「なんだ、気になる事あんのか」

「ええ、少し。――どこかで、見た事あるような気がするんですよ」

「は? なんだよ、それ、聞いてねえぞっ」

「ええ、言ってませんし」

「阿呆! 言えよ、そういうことは!」


 思わず荒げた声は夜道に響いた。


「どうしたぁ、歳」


 少し距離の開いた向こうで、足を止めて近藤が振り向いた。それに答えたのは総司だ。


「大丈夫です。饅頭の話です」

「ははっ、食いもんで喧嘩するなよ」


 すぐに前を向いた近藤の隣で、八郎がちらりとこちらを見たが、すぐに近藤と共に歩き始めた。二人が前を向いたのを確認して、歳三と総司もまた、ゆっくり前へ進む。


「何だよ、饅頭って。…悪ぃ、つい声が出た」

「気を付けて下さいよ。近藤さんにも言ってないんですから」

「誰か思い出せねえのか」

「ええ、どこかで見たのは確かなんですけど」


 歳三ほどではないが、総司も師範代が板に着いてからは、近藤と連れ立ってあちこち顔を出す機会が増えた。日野訪問は別格として、春以降に限っても片手で足りる数ではない。その一つごとで、実際に手合わせする相手は限られているが、道場に居並ぶ数となるとその比ではない。数十人顔を揃えるなど、ざらである。お互いに武を競う場で、直接仕合う以外に名乗りを上げることは滅多にない。


「どっかの道場に、属してるかもってことか」

「ええ。腕は知りませんが、構えは綺麗でしたし」


 またしばらく押し黙って黙々と歩いて行く。ある程度の階級の武士ならば、いずれかの剣術道場へ通っていてもおかしくない。総司が訪れた道場に的を絞っても、骨が折れるのは間違いない。


 一行の中に歳三が居ると踏んで、彼らの前へ姿を出したのなら、こちらに顔を見られているし、道場を訪ね歩いても顔を出してくる可能性は低い。こそこそ付け狙った割に手際が悪いのも引っかかる。


(ど素人…? まさかな)


「どうも、すっきりしねえな。なんか引っかかる」

「同感です。っていうか、ほんとソレ、どうするんですか」


 総司が歳三の大刀の柄を指でつついた。思わずその手を払って柄を握るが、親しんだ重みはそこにない。


「うるせえ、その内なんとかする」

「危機感ないですよね」

「ほっとけっ」


 歳三は頭をがしがし掻いてから、夜空を見上げる。歳三にとって本日四度目の道だが、月がせめてもの気晴らしだ。昔から月は好きだった。


「おーい、総司。昨日のあれ、なんて言ってたかな。上田村の奴」

「あぁ、彦五郎さんの言ってた話ですか。あれは――」


 足を止めて総司を振り返った近藤の元へ、総司が足早に駆けていく。総司と入れ替わりに八郎が歳三の横に並んだ。歳三は少し眉をひそめたが、ここで毛嫌いするほど子どもではない。またゆっくりと歩き出すと八郎が殊勝に頭を下げた。


「色々、ご足労をおかけしました」

「………別に構わないですよ。あんたの預かり知らぬ事だったみたいだし」


 知らずと仏頂面になってしまうが、今さら(つくろ)う気はない。質屋の件を別にしても、実際に迷惑をこうむったのは歳三である。何があったかと聞く権利くらいあるだろう。


「何か理由があるんでしょう。まぁ、無理に聞きませんが」


 そう聞いては見たものの、正直なところ、八郎の事情にさして興味はない。巻き込まれて迷惑はしたが、理由を聞いたところで首を突っ込むつもりもない。


 歳三たちの少し前を源三郎と総司、近藤が楽しげに話しているのが目に入った。総司が誰かの構えを真似ている。その妙にカクカクした動きが笑いを誘う。案の定、近藤も源三郎も声を上げて笑っている。歳三は目を眇めてその様子を眺めていると、八郎の小さな声が耳に届いた。


「試衛館に私の事を尋ねて、男が来たそうですね」

「あ? あぁ、まぁ…」

「おそらくそれは、義兄の…秀俊の手の者ではありません。そもそも私は、地方へ出張に行くと皆には伝えているので」

「――は?」

「私にしばらく身を潜めるよう勧めたのは、義兄です。居場所も状況も、逐一報告していました。私の居場所を尋ねてくる理由がありません」

「…身内を、装ったってことか」


 八郎はさして気にする様子もなく、肩をすくめてみせた。


「まあ、おそらく。元々門弟内の揉め事ですし、内々に収めようとしたんですが。そのせいでこちらにまで、ご迷惑おかけしてしまって」

「いや、まぁ…別に、それは」


 (あご)をつるりと撫でて、歳三はちらりと隣を見て、ぎょっとした。八郎がまっすぐに歳三を見ていた。その表情は真剣そのものだ。二人は自然と足を止め、真意を探り合うかのごとく、刹那(せつな)見つめ合った。先に口を開いたのは八郎だった。


「近藤さん達の一件。――私を、狙っていたのかもしれません」


 歳三はわずかに目を見張った。思わず握り締めた提灯の灯が、ジジと音を立てた。


◇  ◇  ◇ 


 二日後、歳三は町中へ向かって歩いていた。質草に愛刀を預けてから五日。いよいよ誰かに刀を借りるしかないと思っていた所へ、巳の刻も終わり頃、文が届けられた。使命感に燃える男から、待ちに待った知らせだった。


『本日、開店致し候。但し店主曰く、近々店じまい心算有り。急がれたし』


 約束した通りに朝一で出してくれたらしく、今日の日付だった。その中で捨て置けない一文を見て、歳三はすぐに腰を上げた。店を畳むなど言語道断だ。歳三は昼餉の仕度をするつねに頭を下げ、大きな握り飯二つと沢庵数切れを竹皮に包んでもらった。懐の財布をもう一度確かめて、小さな風呂敷包みを背負うと、部屋を出た。


試衛館がある市谷は江戸の西の端に近い。目的の店まで直線でも二里以上ある。江戸市中を行商していた歳三にとってはそう辛い距離ではない。とはいえ連日顔を出せるような距離でもない。もちろん、行った分は帰らないといけないのだ。それを考えると、やはり向かいの店の男に言伝てていたのは正解だった。


 もくもくと歩いて、うっすら額に汗をかいた頃、道端に小さなお堂を見つけて、手ごろな岩に腰を降ろした。太陽はちょうど真上にある。いつもなら休むことなく歩くが、今日は少々特別である。水を一口飲んで、いそいそと風呂敷から包みを取り出した。


 あの日以来、八郎はずっと試衛館に居る。未だ練武館へは戻る気配はない。おかげで連日、なんだかんだと気付けば夜毎、酒宴になっている。毎日飽きもせず同じ面々で酒を呑む輩に、歳三は呆れを通り越して諦めの境地だが、晩酌からの宴会に発展するのは、そう珍しくはないので普段通りと言えば普段通りである。


 飯粒を噛み締めながら、澄み切った空を見上げた。賑やかなのも悪くはないが、こう連日だと一人の時間も恋しくなってくる。それにここ数日の憂いの一つが、今日解消することも手伝って、歳三は気分が良かった。握り飯一つをぺろりと平らげ、沢庵を口に放り込む。噛めば噛むほど味が染み出るそれは、小野路の小島家特製だ。歳三にもし一人部屋があったなら、自室に壺ごと持ち込みたいと常々思っている一品だ。ゆっくりと沢庵を味わい飲み込んでから、次の握り飯に手を伸ばした。


「あー居た居た」


 指先が握り飯に触れる寸前、のん気な声に手が止まった。声の主は、断りもなく歳三の隣に腰をおろした。じろりと睨むも、当の本人は歳三の膝の上に目が釘付けである。


「うわぁっ、美味しそう!」

「八郎さん…。あんた何してんだ、こんなとこで」

「わーいいなぁ…。え? ああ、暇だったので、ご一緒しようと思いまして」

「はぁ? 何を勝手に」

「えー、良いじゃないですか。町へ行くんですよね?」

「良くねえ。帰れ」


(そもそも、お前は身を潜めてんじゃねえのかっ)


 歳三は今度こそ、じろりと睨みつけるが、八郎はにこりと笑みを返してくる。


「邪魔しませんし、何を見ても口外しませんよ」

「……」


 返事をしないまま、歳三は無言で握り飯を掴んだ。言ってもわからない野郎は相手しないに限る。そのまま大口をあけたものの無遠慮な視線に、つい手が止まった。


「……」


 真横から、歳三の持つ握り飯を凝視している。食べ辛いにも程がある。今にもよだれが垂れてきそうだ。


「急いで出て来たから、昼、食べ損ねました」

「自業自得だな」

「だって、土方さんを追いかけてきたんです」

「頼んでねえ」

「あなた歩くの早いから、大変だったのにっ!」

「知るかよっ」


 ついに乱暴な口調になるが、繕う気はない。相手はれっきとした武士の子、最低限の礼儀と出来るだけ抑えてきたが、そろそろ我慢の限界だ。だが、その言葉にも、八郎はむっとするどころか、反対に嬉しそうに笑みを返してくる。


(調子狂うな、まったく)


 その顔を見て、歳三は先だっての夜を思い出していた。近藤の声掛けで町へ繰り出した日の、帰りのことだ。




『―――私を狙っていたのかもしれません』


 あの夜、八郎はおもむろにそう告げた。息を呑んだ歳三は思わず立ち止まり、まじまじと目の前に立つ青年の顔を見た。意思の強そうな目をわずかに伏せると、小さな声で話し始めた。


『よくある話です。門弟から伊庭の養子になり宗家を継いだ義兄を(ねた)む者が、跡取りの血筋である私をだしに、でっちあげの跡目争いとでもいいましょうか。私も義兄も、相手していなかったんですけど、門弟同士が衝突するようになって…』

『………』


 八郎がゆっくりと足を踏み出した。それに遅れて歳三もその横に並んだ。相変わらず数歩前では、近藤らの楽しげな笑い声が響いていた。


 御徒町の練武館と言えば、江戸に四大道場有りと謳われる剣術道場の一つである。門弟は幕臣が多く、人脈も厚い。幕臣のための剣術指南処、講武所への指南役にも声がかかるほどだ。代々、門弟の中から優秀な者を養子に迎え、宗家を継いできた。完全実力主義な世襲で有名でもある。


 八郎は前当主の実子で長男だが、彼が幼い頃、現当主である秀俊が養子となり宗家を継いでいるため、跡目を継ぐことはできない。(余談だが、武士の子は家督を継いで初めて武士になるが、次子以降には身分は与えられない。つまり、八郎は武士の子であるが、厳密には武士ではない)


『剣術は楽しいです。ですが、宗家には興味ありません。父も元は養子ですし、義兄は剣豪としても、当主としてもできた人間です。私が物心つく前に決められていたことですが、父の決定は今も正しかったと思っています』

『――それは、嘘偽りなく、そう言い切れるか』


 歳三はあえて直球を投げかけた。その言葉に、一瞬で眼力を灯した八郎は、再び足を止め、まっすぐ歳三を見据えて言った。


『ええ。神仏に誓って』


 歳三はその目に嘘がないことを見てとると、小さく頭を下げた。


『試すようなことを言った。すまない』


 打って変わって潔く頭を下げるその姿勢に、八郎は刹那呆気に取られたが、慌てて歳三の肩に手をかけ、頭をあげさせた。


『いやいやっ、止めてくださいよ。むしろそう思われても仕方ない――…というか、その口調、いいですね。これからはそれで行きましょう』

『……は?』


 歳三の肩に手を置いたまま、八郎はいつになく不機嫌な顔をしていた。八郎の発した言葉の意味が上手く理解できず呆けていると、肩に置いた手にぐっと力がこもった。


『だいたい土方さんは、どーして、私にだけそんな余所余所(よそよそ)しい喋りなんです? 一人だけ()け者みたいで嫌です』

『あ、え? ――喋り?』

『そうです、喋り方です。私の方がずーーーっと若輩なんですから、もっと皆と話しているみたいなので、お願いします!』

『……………』


 肩を掴まれて両手でがしがしと揺らされながら、冷静に状況を整理した。急な変化に少々戸惑ったが、まじまじと顔を見て気づいた。


(こいつ、すっかりできあがってんじゃねえかっ)


『だから、聞いてます?』

『わーった、わかったから、手、離せ!』


 ようやく、肩の手を払いのけて、歳三は乱れた襟元を正すと、改めて八郎に向き直った。


(そういや、しこたま呑まされてたな…。くそ、あいつら人に押し付けやがって!)


とはいえ、そこで捨て置けないのが、歳三である。


『おら、とっとと帰るぞ。この、酔っ払い』


 手を払われた拍子によろけた八郎へ向けたその言葉は、実に歳三らしく、乱暴な中に優しさが滲んでいるのだが、言った本人は気付いていない。その証拠に、さっさと背を向けたにも関わらず、数歩先で止まって、仏頂面のまま八郎が動くのを待っている。こちらに反身を向ける歳三に、八郎は満面の笑みで返事をした。


『はいっ』


 八郎は返事と同時に駆け出して、その勢いのまま歳三の背中に飛びついた。歳三は提灯を落としそうになって、怒鳴り声をあげて容赦なくふるい落とした。落とされた方も酔っ払いらしく幾度か押し問答を繰り返し、結局最後にはお互いに声を出して笑っていた。そこからは近藤らと肩を並べて、夜道を大いに騒いで帰った。それは八郎の中に残る少年らしさを、垣間見た瞬間だったのだが――。



「―――だから、一口だけ、ねっ! いいでしょう?」

「………」


 目の前の八郎の声で、急に現実に引き戻された歳三は、ため息をついた。


(少年って言うよか、ただの餓鬼だろっ)


 ついに両手を顔の前で合わせて、拝み始めた。腹は満たされていないが、面倒臭さが勝った。歳三は無言で、握り飯を八郎に突きだした。


「はぁー…。いいよ、やるよ」

「えっ、全部? くれるんですか? 本当に?」


 目を輝かせてそれでも遠慮することなく、握り飯を受け取るとがぶりとかじりついた。仕方なく、残った沢庵をぽりりとかじっていると、また視線を感じる。もう見るまでもない。歳三は最後の一切れを差し出した。


「ありがとうございますっ! …あっ、この沢庵、美味い!」

「沢庵名人のばあさんの一品だ。心して食え」


(ついでに俺の好物だ、覚えとけ)


 最後の一言だけ、かろうじて飲み込んだ。よほど腹が減っていたのか、あっという間に握り飯と沢庵を平らげると、手についた米粒も綺麗に舐めとった。丸腰の八郎に歳三が水筒を差し出すと、礼を言ってそれも飲んだ。


(って、よく考えたら質屋にこいつと?)


「土方さん、飯足らないですよね」

「今更それ言うかぁ? …一つは食ったし、まあなんとかなるだろ」

「じゃあ、団子おごりますよ」

「団子…ね」


(やっぱり餓鬼だな、こりゃ)


「さて、行きますか」

「どこ行くか知ってんのか?」

「知らないです。どこ行くんですか」

「…野暮用だ。あんたの道場に近いが」


 歳三は注意深く八郎の様子を探るが、さして動揺することなく、八郎は腰を上げた。


「…ついでに、顔を出しときますよ」


(自分の立場が分からないほど、馬鹿な奴じゃねえしな。…ま、なるようになるか)


 小さく笑って立ち上がると、二人で並んで歩いた。


「それで、あんたの方は何か進展は?」

「んー、特にはないです。義兄に日野の件も知らせましたが、証拠が無い以上、どうにも動きようがない」

「こそこそしやがって、女々しい輩だな…」

「ははっ、うちは幕臣の息子が多いですからね。彼らも表だって動くわけにいかないんですよ。色々と面倒ですから。それに腕は今一つな奴ほど、自尊心だけはやたら高くて。正直なところ、扱いに困ります」

「あー…それは、わかるな」


 状況が容易に想像できて、苦笑いが出る。


「結局、権力に固執する輩は、自分に有利な奴を担ぎ上げておいて、用済みになればすぐ鞍替えをする。まったくもって、男の風上にも置けない、(くそ)野郎です」

「あんた、中々言うじゃねえか」


 歳三は意外そうな顔をして、改めて八郎を見た。伊庭の小天狗と囁かれ、錦絵が出回るほど人気の若き剣豪が、百姓出の自分と考えが通じる所がある。何故か妙に嬉しくなった。


「ちょっと見直したぜ」

「今頃ですか? 酷いな、土方さん」

「悪ぃな。俺ぁ、ひねくれてんだ」

「あっ、じゃあ詫びついでに、今度、手合わせして下さいよ」


 実は八郎が試衛館に通い始めてしばらく経つが、歳三とは一度も剣を交えていない。意図的に避けていたのだが、どうやら気付かれていたらしい。


「俺はあんたの綺麗なそれと、合わねえよ」

「そんなことないですよ。沖田さんが言ってました。土方さんは実戦になったら、めっぽう強いんだって」

「あいつ、余計なことを」


 思わず舌打ちするが、口を開けば減らず口を叩く総司が、そんなことを言っていたとは意外だった。口端が自然と上がる。悪い気はしない。


「そのうちな」

「約束、ですよ」

「わーった、わーった。ったく、ほんと誰かさんとそっくりだな」

「え? 何か言いました?」

「なんでもねえよ。おら、さっさと行くぞ」


 上空を(とんび)が円を描いて飛んでいる。いつになく穏やかな午後。そんな様子を見つめる複数の目があることに、まだ二人は気付いていなかった。


◇  ◇  ◇


 それより三日ほど前、品川のとある江戸下屋敷。もっとも奥まった一室に、いら立った声が響いた。


「―――それでお主らは、おめおめ帰ってきたというのか」

「面目次第もございませんっ」


 上座に座る人物が、下座で平伏する男を見下ろしていた。そこに居並ぶのは、他に数名、皆一様に頭を垂れている。


「これだから、郷士は使えん! もう良い、江戸留守居の者から適当に見繕う。――たかが、田舎侍に遅れを取るなど、恥を知れ!」


 怒りが収まらないまま、上座から扇を投げつけた。扇が肩に当たった男は、わずかに頭をあげ、主君の顔を見るが、その憤怒の形相に、さらに額を畳みにこすりつけて懇願した。


「殿! 次は必ずっ」

「聞かぬ。下がれっ、顔を見るだけで気分が悪うなる」


 容赦なく浴びせられる言葉に、頭を下げる男達は唇を噛み締めている。それを視界の端で捕らえた一人の男が、上座に向かって口を開いた。


「――殿、お怒りもごもっともでございますが、どうでしょう。この者たちに今一度、機会を与えてやっては?」


 そう語ったのは、上座すぐ近くに控えた家臣、深尾である。謹慎中の主君に傍仕(そばづか)えをする筆頭家老の若き嫡男だ。正式に家督を譲られてはいないが、実質上の筆頭家老である。


「なにゆえだ」

「主命は果たせませんでしたが、こたびの一件でかの者を討つ理由が出来ました。その点は評価すべきことかと存じます。それに…」


 まだ怒りの納まらぬ主君に、深尾が一礼して傍に寄る。未だ頭を下げる男らを一瞥した後、脇息にもたれる主に耳打ちするように話した。


「いざ命を果たした後…、いらぬことを喋られては困りましょう。郷士なら何かと使い捨てられますゆえ」

「――ふむ」

「ここで彼らに温情をかけ、恩を売る方が得策かと」

「なるほど」


 黒い笑みを浮かべて深尾を下がらせると、一つ咳払いをして命を下した。


「では、深尾の進言に考えを改めよう」


 一度言葉を切って口火を切る。


「今一度、そなたらに命を授ける。名誉挽回したくば、命を賭して任を遂げよ。見事目的を果たした暁には――、そちら故郷での待遇も今より良くなろうぞ」

「はっ」


 畳に着く手が白くなるほど握り締めていた手を緩め、男たちは一様に頷いて部屋を辞していった。部屋から足音が遠ざかると、上座から低い笑い声が聞こえてきた。


「何がおかしいのです? 殿」

「わしも人のことを言えぬが、お主ほど腹黒い男は、見たことがないと思ってな」

「何をおっしゃいますか。殿には敵いません」

「お前が言うと冗談に聞こえぬ。怖い男よ」

「褒め言葉として受け取っておきます」


 向き合って座った深尾が深々と頭を下げる。その白々しい態度を鼻で笑うと、土佐守、山内容堂は立ち上がった。


「吉原へ参る。おぬしも着いて参れ」

「はっ」


 深尾は主君に深々と頭を下げると、部屋を出て行く容堂について部屋をあとにした。





  ― 第四章 ―


 歳三が八郎と町へ向かうより数刻前、総司は夜明け前に起きていた。近藤に頼まれた所用を済ませるためだが、もちろんこんなに朝早く出る必要はない。この若者、何故か食が細く、特に朝餉は鳥の餌ほどしか口にしない。それを見咎められ、常に誰かから小言をもらうのが毎朝の日課のようになっていた。


 口にする側は日替わりでも、言われる方はたまったものではない。どうせ食べる気にならないなら、朝餉を作るより前に出てしまえば良いと、こんな時分に部屋を出てきた訳だ。


「ん~、いい天気だ」


 外へ出て知らずに詰めていた息を吐くと、心なしかいつもより気分が良い。ちゃっかり懐に饅頭を忍ばせており、甘いものに目がない総司のとっておきの非常食だ。あえて文句を言うなら、熱いお茶を飲みたかったくらいなものだ。


 ひとつ伸びをして、裏門から外へ出てすぐ、視界の端に妙な黒い塊が映りこんだ。おもむろに足を止め、ゆっくりと振り返ったその先に、屋敷の木塀を背に、座り込んで舟をこぐ見知らぬ男がいた。


「……は?」


 徐々に東の空が白み始めているとは言え、来訪者にしてはいささか早すぎる。さらに男は上から下まで黒ずくめで、無精ひげに薄汚れた袴、いつ櫛を入れたかわからない(まげ)で、どちらかといえばあまり身なりが良いとは言えない。総司は眉をひそめて、男に控えめに声をかけた。


「――…もし、うちに何か御用ですか」


 これで用がないならただの不審者なのだが、それにしてはあまりの緊張感のなさに、総司の警戒心は若干薄れてきていた。


「…ん」


 身じろぎするも、目を開けない男の肩を軽くゆすってみた。すると唐突に男は目を開けた。


「――え。あ、えっ?」

「うちに、何か御用ですか」


 同じ質問を繰り返した総司を、二度三度瞬きをして見てから、慌てて立ち上がった。


「あっ、えーっと、その、用…? そう、そうだっ。あの、こ、近藤、そう、近藤殿はそのご在宅で…?」


 ようやく頭が覚醒したのか、言葉を探しながらしどろもどろに説明する男に、総司は目を細めて言った。


「はい、居りますよ。でもさすがにちょっと早すぎるかと。皆、まだ寝ています」


 最後に空を仰ぎ見ながらそう返すと、男は慌てて頭を下げた。


「あ、ああっ、もちろん、そうでござった。…その、申し訳ない」


 くすりと笑うと総司は屋敷の方を見やって答えた。


「お急ぎでしたら、私が戻ってつなぎをつけて来ますが、それにしても、しばらくお待ち頂かないといけないかと」


 いまだ静まり返っている屋敷は、下男がようやく起きだした頃だろう。近藤も朝は早い方だが、さすがにまだ寝所から出てきているとは思えない。そう申し出る総司に男は慌てて両手を振った。


「いやいやっ、滅相(めっそう)もござらん。そのようなお気遣い申し訳ない。――そろそろ、この先の茶屋も木戸を開けていましょう。一旦、そちらに参ります。また、改めてお伺い致しますゆえ。では御免」


 襟元をぐっと正して、折り目正しく礼をした男は、一寸前とはずいぶん印象が違って見えた。それを「目が覚めた」のだと判断した総司は、軽く頭を下げて男をその場で見送った。


 茶屋がこんな時分から開いているとは思わないが、こちらとて、得体のしれない男にこんなところに座り込まれていては、おちおち出かけられない。そこは暗黙の了解である。もう一度屋敷の方を振り返り、遠ざかる男の背中を見つめて、小さく息を吐いて口の中だけでつぶやいた。


「さすがに、あれは関係ない…よな?」


 そうごちると、男とは反対方向へと足を踏み出した途端、足を止めた。


「あ。名前聞くの、忘れてた」


 そうして男の去った方を振り返ったが、そこにはすでに誰も居なかった。小さく息を吐くと、今度こそ前へ足を踏み出した。


「ま、いいか」


 段々と明るくなる空を背に、総司は早々に饅頭を取り出してかぶりついた。


「うん、美味いなぁ」


 朝の静けさの中に青年のつぶやきだけが響いていた。




 昼を過ぎてから戻った総司は、その足で近藤へ報告をすませ、冷えた昼餉を軽く腹に収めると、稽古着に着替えて道場へ向かった。道場入口で一礼した総司は、軽く肩を回して壁に立てかけてある竹刀を手に、ぐるりと道場を見回した。


 開け放った木戸の向こう、縁側に足を投げ出して座るのは左之助と、その隣に斎藤も居る。道場の奥では一際大きな声を上げて竹刀を振る新八の姿が見えた。佇む総司に気がついた左之助は、額の汗を拭うと明るく声をかけた。


「おう、総司。今からか?」

「ええ、遅くなりました。左之さん、あとで手合わせお願いしていいですか」

「俺かぁ? 新八かこいつに頼めよ」

「俺はとうぶん総司とやりたくない」


 即答する斎藤に苦笑して、憮然とする総司に向き直った。


「言われてんなぁ、お前何したんだよ」


 そう言いつつも、総司の稽古が厳しい事は、試衛館に籍を置くものならだれもが知っている。己に厳しい彼は、他者にもそれを要求するてらいがある。型の稽古だろうと、体力作りだろうと容赦ない。それだけの実力を誇る彼だからまかり通るのだが、そもそも彼ほどの剣豪の相手が務まる人物は限られている。


 必然的に、新八か斎藤、もしくは歳三がその役を担うことになる。今、他人事のように笑っている左之助は、槍術を一番の獲物と公言しているが、その特性から、剣術も決しておろそかにしていない。


 槍は乱世の合戦場ならいざ知らず、その形状から、いざという時、手元になかったり、狭い屋内だったりと、思いのほか活躍の場が限られている。当然、こういった事情をこの男もわかっていて、腰の大小は決して伊達ではない。ただ、斎藤や新八の域に達していないだけで、つまりは体のいい逃げ口実である。


 そうは言いつつ、総司になんだかんだと押し切られるのが常だったのだが、この日はいつもと違っていた。


「――あれ、土方さんは?」


 道場を見回していた総司が首を傾げた。


「ん~? あぁ、出かけてったぜ。なんか文が届いてよー」

「文?」

「ありゃ、付け文には見えなかったなぁ。お? そういや、八郎さんも見えねえな?」

「……」


 顎に手をやり、しばし考え込んだ総司は、ふいに顔をあげて左之助に向き合った。


「今日、近藤さんに男が訪ねてきましたか? 黒ずくめの」

「男? いや、今日は誰も来てねえぞ。なぁ」

「ああ、そうだな」


 庭へ降りてすでに練習を再開していた斎藤も、耳は傾けていたらしく小さく頷いてみせた。それを見た総司は、くるりと二人に背を向けた。


「? おい、総司、どうした」

「用を思い出しました」

「は? ちょ、総司っ、おい待てって」


 左之助が慌てて腰を上げて一礼して道場を出ていく総司の後を追う。その背にのんきな声がかぶさってきた。


「おーい、どしたー? もう上がりか?」

「わり、急用ができた。あとは頼む、新八」

「お、おう。なんだ、ありゃ」


 残された斎藤と新八が一様に首をひねっていたが、すぐにいつもの稽古に戻っていった。



「おい、ちょっ、待てって!」


 大部屋手前でようやく追いついた左之助は、総司の肩をつかんだ。一瞬足を止めた総司は、その手をすげなく払い、部屋の中へすたすたと入っていく。


「こら、総司。ちゃんと説明しろ。じゃねえと、行かさねえぞ」


 足を止めた総司の後ろで仁王立ちし、声をすごませる左之助に、帯をほどいていた手を止めると、総司が振り返った。


「いやな、予感がします」

「予感?」

「何か僕の知らないところで、何かが動いている」

「土方さんの例の襲撃か」

「そういや、左之さんも知ってたんでしたっけ。というか、僕もわからない。ただ、何かおかしい」


 そう言うと総司は稽古着を脱ぎながら、今朝塀の所で出会った男の話を、手短に話して聞かせた。話しながら脱いだ稽古着を軽くたたんで置くと、さらに衣紋掛けに手を伸ばした。それを見て慌てて、左之助も自身の稽古着を豪快に脱ぎ散らかしていく。


「怪しいな、そいつ。とにかく、土方さんを追うんだな。あてはあるのか?」

「例の店、だと思うんですけど、くそっ。どこの店か聞いておけば良かった」

「店? 馴染みの女の店か?」


 あっという間に褌一丁になった左之助が、襟足の汗を拭いながら発した一言に、総司がぎろりとにらみ返した。


「あんたらは、店といえば吉原しか出てこないのか」

「違うのか? だったらどこだよ」

「……」


 歳三の性格からして、大刀の顛末までも語っているとは思えず、総司は口をつぐんだ。無理やり目線を左之助から削ぐと、手早く外出着に袖を通していく。慌てて左之助も自身の着物を平積みされた中から引っ張り出す。


「とにかく俺も行くぞ」

「好きにしてください」


 最後の帯をしゅっと締めると、総司は愛刀を手に部屋を出ていく。それに慌てたのは左之助だ。未だ袴の紐が長く垂れている。


「ちょ、待ってくれ、総司!」

「うるさいな、行きますよ」


 羽織を肩に引っ掛けて、紐を手で押さえた左之助がドタドタと後を追ってきた丁度その時、表玄関から誰かの声が聞こえてきた。


『――もし、どなたかいらっしゃいませんか』


 二人で足をとめて耳を澄ますが、今日に限って誰も応対に出ていく様子がない。思わず舌打ちしそうになった二人は、次に続いた言葉に息をのんだ。


『土方歳三殿は、ご在宅でしょうか――』


 その名前に顔を見合わせた二人は、同時に踵を返した。


◇  ◇  ◇ 


(これは、まずい)


 目指す質屋を目前にして、歳三はおおいに困っていた。勢いに任せて質草を出しに行くと告げたはいいが、何を預けたかまでは言っていない。言う必要ないと思っていたのだ。だがここにきて質草が何かわかってしまうと気づいた上で、愛刀を預ける羽目になった顛末をようやく思い出していた。


(いや、別に理由を言う必要はないが)


 とはいえ、侍の魂とも言える刀を手放す、それも質に入れるなど恥ずべき愚行、というのが世間の良識だ。それが仮にも剣の道を生きると決めた者なら、なおのこと。何振りもある内の一つだから、などと見え透いた嘘はつく意味もない。歳三の場合、己の無計画さと、金の無さが招いた結果で、言うなれば身から出た(さび)である。


(つうか、正直に理由まで言うとこいつのせいみたいで嫌味ったらしいし、金に困ってってのも、なんだかなぁ)


 もう一度言おう。身から出た錆である。最後の角を曲がった時、切羽詰まった歳三の足はついに止まってしまった。数歩行った先でそれに気づいた八郎が振り返った。


「土方さん? どうしまし――」


 ふいに途切れた言葉に、歳三がふっと顔を上げたのと、八郎が歳三の腕をつかむのはほぼ同時だった。


「――振り返らずに」

「っ」


 その言葉にすべてを察した歳三は、舌打ちしそうになるのをどうにか堪えて言った。


「このまま、行くぞ」

「ええ。後ろに二人、その向こうもおそらく」


 何事もなかったかのように歩き始めた二人は、最大限神経をとがらせて背後を探る。確かに嫌な気配を少なくとも複数人、感じ取れた。


「ちっ」


 今度こそ漏れた舌打ちを気にするそぶりもなく、八郎は質屋の看板を見て言った。


「店って、ここですか?」

「あぁ」


(くそっ、油断した)


 くだらない事に気をとられて、気配に気がつかなかったのは、完全に歳三の不覚である。そうこうしている内に、この数日間、待ち望んでいたはずの質屋の前を素通りしていく。歯噛みして俯いたまま、やり過ごそうとしていた矢先、思いがけぬ方から声がかかった。


「あっ、お兄さんっ。来た来た~」

「――あ」


 質屋と反対側の店から、藍の前掛けをした男が手をあげて出てきたのだ。悪気がないとは言え、かなり間が悪い。


「もう寄られたんです?」

「――いや、あんたには改めて礼をする」


 歳三はさりげなく顔を反らして素っ気なく答えるが、男はついに往来の真ん中までやってきてしまった。


「え? そんな礼なんていいですよ~。あれ、親父さん、居ませんでした? おかしいなぁ」


 言葉を濁す歳三の真意など知るよしもない男は、歳三の肩ごしに向こうの店を覗こうとしている。それに慌てたのはこちらの方だ。


「――いや、その」

「そこに居るんは、この間の――」


 仕方なく顔を上げた歳三の背中に、杖の音とともに届いたもう一つの声。良くないと思いながらも、歳三はゆっくりと後ろを振り返った。そこには暖簾から顔を覗かせた質屋店主、その人だった。


「ああ、やっぱりあんただ。例の奴だろ? 待ってたよ」

「…っ」


 今すぐ喉から手が出るほど、取り戻したい物がそこにある。ほとんど無意識の内に足を踏み出しかけた歳三を押しとどめたのは、低く抑えた八郎の声だった。


「――こっち、見てます」

「っ、くそ…」


 その声に目線だけ上げると、通りの影に身をひそめた輩と一瞬目があった気がした。


「ん? 何かあった――」

「悪い、親父さん。必ず戻る」

「……」

「え。ちょ、お兄さん?」


 片眉を上げる店主に目で念を押すと、まるで状況を理解できていない男には返事をせず、歳三はさっと踵を返した。その様子に背後でざわつく気配があった。


「悪ぃ、つい足が止まった」

「いえ、どのみち――」


 そう交わした直後、背後から声が上がった。


「気づかれたぞっ」

「追え!」


 姿を隠すことをやめた輩がバラバラと通りに走り出てきた。


「お出ましだ」


 その姿をちらと肩越しに確認し、二人は一気に駆けだした。それを追う輩は、通りを行きかう町人に怒鳴り散らしては土埃を上げ、こちらへ向かってきた。二人はぐんと速度を上げて、通りを駆け抜けていく。その後ろ姿をあっけにとられて見ていた向かいの男と質屋店主の目の前を、必死の形相の男たちが後を追って通り過ぎる。


「どけっ! じじい、邪魔だっ」

「おっと」


 さらにその後ろから、もう二人。通りに立つ二人の間を今まさにすり抜けようと、彼らを押しのけるべく腕を振った瞬間――。それにぶつからぬよう横によけた、向かいの店の男の足が地面すれすれにすっと出され、反対側からは杖の先がするりと、まるで示し合わせたかのように差し出されていた。


「うぉっ!?」

「ぬぁ!」


 派手な音を立て、もんどりうって転がった二人組は哀れな通行人を巻き込んで、ごろごろと地面を転がっていった。何事かと集まってきた野次馬が、彼らを覆い隠していく。


「派手に行ったのー」

「みんな大丈夫かな」


 そそくさと脇によけた男と、初老の店主は同時にそう言うと、お互いの顔を見合わせてにやりと笑った。


「親父さん、なかなかやりますね」

「なんだ、わしが何かしたか?」

「いえいえ、別に何も」

「ふむ。なんだかあんたとは気が合いそうだの。…ん? そういや、あんたどこかで見た顔だな」

「いやだな、ずっと向かいで商売してますよ~」

「ほう、そうか。どうもわしは面倒くさがりでいかんな。――時に、わしんとこに丁度、美味い茶と菓子があるんじゃが」

「私もちょうど、今から休憩なんですよ」

「そうかそうか」


 闇雲に怒鳴り散らす輩を完全に無視して、二人は楽し気に笑っていそいそとその場を後にした。




 そんな顛末など露ほども知らないまま、二人はひたすら走り続けていた。少し距離は稼いだものの、未だあとを追ってくる気配がある。押しのけられたであろう通行人の悲鳴と、何かをひっくり返す物音が彼らの居場所を教えてくれていた。


 方角がわからなくなる程曲がり、時には大通りの人混みの間を抜け、人の影に隠れてまた裏通りへと体を滑り込ませて町を抜けていく。困ったのは駆け出してすぐに、江戸屋敷が立ち並ぶ界隈に入ってしまったこと。


 太平の世になり久しいが、諸国大名は何かにつけ参内せねばならず、その為にも各々江戸に屋敷を構えている。徳川幕府発足のころならいざ知らず、近頃は参勤交代も形骸化したとはいえ、江戸屋敷を引き払うような恐れ知らずはいない。そうしてそれらは登城しやすいよう江戸城に程近いところほど、大きな屋敷が集中していた。


 さらに江戸屋敷は大名に一つではない。小さな国であろうと上、中、下屋敷と最低三つは所有(上屋敷の殆どは幕府より拝領)している。それが旗本ともなれば中屋敷や別邸の意味もある下屋敷は、複数構えるのが普通だ。屋敷の規模に差はあれど、そうした屋敷は町民とは分けられ、必然的に固まって建てられていた。つまり、行けども行けども白塀や長屋門が続く通りが出来上がるという訳だ。当然、身を隠す場所などどこにもない。


 なんとかそこから抜け出し、さらに北へ向かうと、八郎の地元に近い場所だった。地の利がこちらに来ると、徐々に罵声が遠のいていった。もちろん、行商で培った歳三の指示も的確だったのは言うまでもない。歳三は走りながら、追っ手の事を考えていた。昼日中(ひるひなか)から姿を見せたこと、人目もはばからず追ってきたこと。釈然としない点はいくつかある。隣を行く八郎にちらと目線をやった。


「おい、どっちの客かわかるか?」


 一瞬の間の後、八郎は前を向いたまま答える。


「――いえ。それはわかりませんが、今追ってきているのは二人のようですね。もう少し居たように思いますが、どうやら出鼻をくじかれたみたいで、今は居ません。二手に別れた風もない」

「そうだな」


 その追っ手もすでに遠く引き離している。それきり二人は無言のまま、足を緩めることなく裏通りを駆けて行った。


 さすがに息も上がってきた頃、ふいに視界が開けた。緑が目立ち、町家の向こうには寺社の屋根がいくつか見える。奥には果樹や田畑もある。自然と走る速度も緩やかになり、息を整えながらゆっくりした歩きに変えていく。


「はぁ、どこだ、ここ」

「ふー、えっと、駒込ですね」

「だいぶずれたな」

「すみません、色々避ける内にこっちへ来てしまいました」

「いや、良い選択だ」


 とにかく、二人とも一度腰を落ち着けるべく、手ごろな神社の境内へ入った。宮司も居ない小さな社で、ひっそりとしているのは好都合である。雑木林に囲まれ、身を隠すにはうってつけだ。


「ようやく、諦めたか」

「ええ、しつこくて参りました」


 井戸を見つけて水を汲み上げた。桶から直接浴びるように飲んで、ようやくひと心地ついた。新しく汲み上げた桶を八郎に手渡すと、歳三は近場の切り株に腰を下ろした。手ぬぐいを出して額の汗を拭っていく。


(さて、どうするか)


 新しく額に汗が滲んでくるのをそのままに、歳三は頭を巡らせていた。その横では、桶の水でさらに顔も洗ったらしい八郎が、豪快に頭を振って水しぶきを飛ばしている。手ぬぐいを持ち合わせていないのか、袖で拭おうとしているのを、歳三が手ぬぐいを差し出した。


「良いとこの坊ちゃんが、手ぬぐいくらい持っとけ」

「坊ちゃんじゃないですし。すみません、借ります」


 受け取った手ぬぐいで控えめに顔だけ拭うと、丁寧にたたんでそれを返した。前髪から滴が垂れているのはご愛敬だ。


(すぐには戻れねえ。だが、こうなると余計に刀は手に入れねえと…)


 受け取った手ぬぐいを手にしたまま考え込む。そんな歳三の横顔を黙って見つめていた八郎が、ふいに目の前に立った。


「ところで」

「ん?」


 ふいに顔を上げた歳三を彼はまっすぐに見つめて言った。


「あなたは、誰に追われているんですか」





 

  ― 第五章 ―



 一方、同じころ試衛館では、表玄関に回った二人は、土間で所在なさげに立ちすくむ町人風の男に対峙していた。


「――ああ、良うござんした。どなた様もいらっしゃらないかと」

「待たせてすまねえな」


 年長者らしく、左之助が来訪者に軽く頭を下げて応対する。総司はその後ろに無言のまま立った。土間に立つ来訪者にとっては、居心地悪く感じる立ち位置だ。総司にしてみれば、今朝の失態は記憶に新しい。つい眼光が鋭くなるのも致し方無かった。ただ、そんな事情を知らぬ者には落ち着かない事この上ない。


「――で、ご用向きは」


 愛想笑いを引っ込めて左之助が問うと、男は頭を下げてから言った。


「こちらに土方歳三殿がいらっしゃると伺って参りやした。手前、――玉屋の平治と申しやす」

「玉屋?」

「へえ、土方殿へ火急の文を預かって参りやした」

「ちなみに、差出人を聞いても?」


 左之助が慎重に言葉を重ねていく。玉屋という屋号はそう珍しくない。いくつか頭によぎるものの、直接歳三に結びつく店は思い当たらない。


「いや、あの、土方殿は…」

「あぁ、留守にしてんだ。だからそれも預かることになる」


 総司も左之助の肩越しに、そちらを覗いている。平治と名乗った男は慌てて懐を押さえて、逆に一歩下がって頭を下げた。


「申し訳ありやせん、お武家様。必ずご本人様に、と言いつかっておりやして」

「あーっと、弱ったな」


 左之助がどうしたものかと、頭を()いていると、苛ついた様子で総司が前に出た。


「急ぎなんですよね? 私に預からせてください。――私、ここ試衛館の師範代を務めている、沖田総司と申します。怪しい者じゃありません」

「す、すいやせん、沖田殿。決してお二方を怪しんでいる訳では…。その、土方殿ご本人様に手渡してほしいと」


 それまでつぶさに平治を観察していた左之助が、ふいに声を上げた。


「もしかしてお前さん、北洲からか?」

「へえ、火炎の玉屋のもんでさ」

「あぁ、やっぱり。――なるほどそういうことか」


 神妙な顔つきで頭を下げる平治に、左之助が小さく頷いて見せた。北洲とは浅草田苑の別称で、浅草の北辺りを指す。つまり吉原の事である。火炎玉屋は歳三の馴染みの店、となると、差出人は十中八九、左之助の頭に浮かんだ人物で間違いない。


 廓の女郎が世間から(さげす)まれる立場なら、廓の男衆はさらに蔑視(べっし)の対象であった。身体を売る女たちを、食い物にしている印象が強いのだろう。現実には、廓で男出が必要な場面は思いの他多い。となれば吉原に客が来る限り、男衆が居なくなることはない。それでも世間の風当たりは強く、平治があえて言葉を濁したのも、大門の外の世界で穏便に過ごすための処世術だった。


「なんです? 左之さん、なるほどって、何ですかっ」

「まあ落ち着け、総司」


 吉原を毛嫌いする総司は、この手の話に疎い。一人蚊帳の外のようで、回りくどい言い方をする二人に、ついにしびれを切らしたのか、珍しく声を荒げた。


「人の命に係わっているんですよっ」

「えっ!?」

「総司! ――お前、ちょっと席外せ。少し頭冷やして来い」


 土間に降りようとしていた総司の肩をつかんだまま、左之助が総司を無理矢理振り向かせる。


「は? 嫌ですよ、僕はいたって冷静ですっ」

「いいから、厨で水でも飲んで来い。ついでに紙と筆がいる。取ってきてくれ。――いいな?」

「……」


 左之助の有無を言わさぬ口調に、総司は渋々背を向けた。荒れた足音と共にその背中が角から消えたのを確認して、左之助は平治に向き直った。


「悪いな、あいつも悪気はないんだ」

「いえ、その、人の命って…」


 小さく咳払いした左之助は、上がりかまちに腰を下ろすと平治を見上げて言った。


「平治と言ったな。土方さんはこの間、何者かに闇討ちされてよ。あぁ、大人しくやられる玉じゃねえんで、本人はピンピンしてる。…ただその一件、とある人物が深く関わってんだ。本人の意思と関係なく、だ」

「……」


 平治は知らず知らずの内に生唾を飲んだ。


「その、とある人物ってのが、吉原の花魁。あんたんとこの黛って話だ」

「っ!」


 平治が大きく目を見開いた。左之助は平治から目をそらさないまま声をさらに低くする。


「今朝、うちに怪しい男が張り付いてた。俺らの周りもここん所やたらきな臭えことが続いてる。どうもおかしいってんで、土方さんを追って今から俺らも出る所だ」

「そう、ですか…」


 神妙な顔で左之助は頷いた。少々誇張した感も多少あるが、嘘はついていない。


「なもんで、こっちものっぴきならねえ状況でよ。今この時に、花魁から訳ありな火急の文って事は…」

「あ」

「ま、そういうこった。花魁がどこからそれを知ったか知らねえが、その文の内容によっちゃ、土方さんのこれからが左右されるかもしれねえ」

「――」

「俺のイロから聞いた話だが、花魁の方が土方さんに入れこんでるらしいじゃねえか。そんな女が、襲撃の話を知ったとしたら」


 さらに、左之助は平治に畳みかけた。


「もし、そこに関係ねえことが書かれていたら、見なかったことにする。他言もしねえ。頼む」


 左之助は頭をぐっと下げた。それに慌てたのは平治である。


「頭を上げて下せえっ。…文はお渡ししますんで、どうか」

「! 本当か、恩に着るぜっ」

「へえ、事情はよくわかりやした。花魁にはオイから説明しやす」


 平治はようやく表情をやわらげ、文を差し出した。左之助は丁寧に礼を言ってそれを懐にしまった所で、静かな足音と共に総司が戻ってきた。幾分落ち着いて見えるものの、顔は仏頂面そのものだ。左之助は苦笑すると、総司から矢立(やたて)を受け取った。


「そう不貞腐(ふてくさ)れんな。文、預かったぞ。お前からも礼言っとけ」

「え、そうなんです? …なんなんだ。―――そりゃどうも」

「いえいえっ、事情もお察しせずご無理を申しやした」

「お前、もうちょっとこう…まあ、いい。おい、中改めるぞ」


 早速、その場で文を開く。文を持つ左之助の手元を、後ろから総司がのぞき込む。その様子を少し離れて平治が見守っている。


「……これは」

「おいおい、こりゃ」

「あの、」

「いや、なんでもねえ。とにかく知らせてくれて助かった。必ず本人に届ける。気遣い、恩に着ると伝えてくれ」


 左之助は文を懐にしまうと、総司が持ってきた紙に一筆したためていく。文を預かった経緯を花魁に口添えするためである。それを平治に渡すと左之助は人懐っこい顔を向けた。


「ところで、この人らも案外自由な手足を持ってんだな」

「…いいえ、オイがこちらに参ったのはあん人の独断でさぁ。何が書いてあるか知りやせんが、戻れば自分もあん人も、お叱りを受けると思いやす」

「え、そうなのか」

「へえ。どうしても土方殿にお知らせしねえとって。オイは長くお傍仕えしとりますが、あん人がここまで我をおし通したんは、これが初めてです。――お武家様、オイがこちらへ参ったんはどうぞここだけの話に」

「そうか、わかった。お前さんも辛い役回りだな」

「いえ。あん人の役に立てんなら、こんくらいお安い御用でさ」


 そう言うと平治は晴れやかな笑顔を見せた。平治は何度も頭を下げて帰っていった。その姿を見送り、左之助は改めて総司へ向き直った。


「で、どうする。相手が相手だけに、下手に動くと」

「ええ。まずは、土方さんを探さないと」

「だな」

「問題はアレがどうなったか…」

「ん?」

「いえ、とにかく行きましょう」


 二人は足早に道場を後にした。




 市谷の道場を出てから三軒目。歳三から聞いた覚えのある店は、ここで最後になる。


「そうですか、お邪魔しました」


 使い古された暖簾をくぐって、総司が通りへ出てきた。その顔を見て左之助は思わず苦笑した。


「ここも、外れか」

「………」


 むっつりとしたまま、口をつぐみ、総司は通りを進む。その横に左之助が並んだ。


「どうする、総司。キリがないぜ。質屋に行ったのは間違いないのか?」


 顎に手をやり総司は考えを巡らせていた。


「ええ、金が入ったなら最初に質屋に行くはずなんですよね。…ところであの日、彼は町で何をしていたんでしょう」

「ん? 襲撃の日か?」

「はい。もしかしたら、急に金が必要になって…」

「――飛び込みで一見の店を利用したかもしれねえってことか。なるほど。闇雲に探すよりか、ましだな」


 すでに日は中天をとおに過ぎている。一息入れるべく傾き始めた日差しの中、二人は手近な茶屋に腰を落ち着けた。


「茶を二つくれ」

「あ、お団子もお願いします」

「なんだ、食うのか。――それは一つな」


 後半の台詞は、売り子の娘に目配せをして、二人で通りに置かれた長椅子に座った。空が高く、雲がない。天気が良い分、喉も渇く。


「夜道を歩いてたら黒ずくめの男が出てきた、って言ってましたよね」

「そいで、花魁から身を引けって言われたんだよな」

「は?」

「え?」


 二人して気の抜けた返事をして、顔を見合わせる。その顔を見た左之助がしまった、という顔をするがもう遅い。実の所、総司はただ〝襲撃にあった〟としか聞かされていない。愛刀の件は図らずともバレてしまったが、吉原嫌いのこの男に歳三なりに気をまわした結果なのだ。一方、左之助の場合は、二件の襲撃者の正体が話の焦点だったこともあり、歳三の襲撃の顛末を話して聞かせている。


 そして重要な鍵を握るのが、八郎説得に関わる近藤からの頼まれごとである。それが〝吉原〟で繋がるのだが、この件に関して歳三はどちらにも話していない。何かしら勘づいたのが八郎本人だけである。


そのことが話を余計にややこしくしてしまったのだが、火のない所に煙は立たぬもの。結局、吉原通いを誰も疑わない、歳三の日頃の行いに端を発している。見る間に眉間に皺を刻み、眼光鋭くした総司がことさら低い声を上げた。


「へ~…、花魁。あ~そうですか。襲撃の理由って、吉原絡みなんですね」


 背中に冷や汗が流れるのを自覚した左之助は、どうにかこうにか矛先を変えようと口を開いた。


「ほ、ほら! 男のサガっていうか、なんちゅうかホラ! 無性に人肌恋しくなる時っていうか! お前もあるだろ、たまにはっ!」

「ありません」

「…だよな。そう言うと思った」


 とりつく島もない返事に左之助は肩を落とした。剣術では柔軟な頭を持ち合わせるくせに、こと女関係は融通が利かない。それもこれも、元服間もないころ無理やり吉原へ連れて行った彼らがその一因なのだが、もちろん、彼は知る由もない。


「ふ~ん、金もないのに、吉原ねえ?」

「――あ」


 ふっと何かを思い出したように、左之助が呆けた声をだした。


「つうか、普通に吉原じゃねえか? 昼間は違うにしろ、夜遅くに歩いてたってことは、日が暮れた後はおそらく」

「――遅くまで吉原に居た。なんだかムカついてきました。…まぁ、でも当たりでしょう。つまり、吉原から近い質屋」

「それだ」

「行きましょう」


 すっと腰を上げた総司はそのまま通りへ出た。それに続こうとした左之助の背中に、焦った売り子の声が追ってきた。


「あ、あの! お団子とお茶!」

「おっ、わりぃ。――これだけもらってくわ」


 困り顔をした娘の掲げた盆から、団子の串を持ち上げると、代わりに四文銭を数枚置いた。


「釣りは駄賃だ。あんがとな」


 先を行く総司に追いつくと、すいっと団子を差し出した。


「ほら、団子。食いたかったんだろ」


 差し出された団子を無言で受け取り、直に頬張ったが、にわかに顔が曇っていく。


「ん? どうした、不味いのか?」

「最高に美味しいですよ! そうじゃなくて、無性に腹が立ってきたんです」

「は?」

「だって、もしかしたら女買うためにっ、…っ、あんな――」

「?」

「くそっ、あの人、ほんと馬鹿だ!」

「なんだかよくわかんねえが、あんまり土方さんいじめんなよ?」


 頭の中で女と刀が天秤にかかっている総司と、あくまで男の性には寛容的な左之助と、会話が微妙にかみ合わないまま、無駄口を止めた二人は吉原を目指して黙々と歩いていった。


◇  ◇  ◇    


 時を同じくして、駒込の小さな神社境内。濡れ髪を垂らして、八郎が歳三の前に立った。


「あなたは、誰に追われているんですか」

「………」


 眉をぴくりとさせるも、そこは年輩者。表情には出さず、務めて冷静に返した。


「なんのことだ」

「とぼけても無駄ですよ。さっき言いましたよね。『どっちの客だ』って」


(言った、な。確かに)


 思わず口端が苦く持ち上がる。どうにか誤魔化せないものかと、ちらりと考えてすぐ止めた。そんなに甘い男ではない。目の前の若者は、試合以外で見たことない真剣な眼差しで、こちらを見据えている。


「おかしいと思っていたんです。私の方の厄介ごとは、元より、命を取る取らないという類のものではなかった。少なくともこれまでは」

「……」

「だけどあなたと多分、総司さん。あなた方は別の…どちらかというと、もっと厄介な相手を警戒している。違いますか?」


(よく、見てやがる)


 つい吐息をこぼして、小さく笑ってしまった。二十歳そこそこの若者に、初顔合わせから妙に身構えていたは、歳三の本能がこのただならぬ男に警鐘を鳴らしていたのかもしれない。未だ汗ばむ額に張り付く前髪をうっとうしくかきあげると、歳三はまっすぐに目の前の男を見据えた。この男には下手な駆け引きは通用しそうにない。


「そうだ。お前の言うとおりだ」

「やっぱり! 相手はっ?」

「それがわかってたら、とっくに殴り込んでらぁ」

「くそっ」


 吐き捨てるように呟く青年に、歳三はさらりと続けた。


「言っておくがこの一件。一切関わり無用だ」

「――は?」

「喧嘩を売られたのはこの俺だ。元より誰の助けも借りるつもりはねえ。……それに、のこのこ練武館の息子なんざ連れて行けるか」


 あえて道場の名前を出したのだが、それは逆効果だった。


「わざわざ、田舎道場の喧嘩にまで首突っ込んでんじゃねえよ」

「……なんだよ、それ」

「あ?」

「道場とか生まれとか、今、関係ないだろ」

「関係ねえと思ってんのは、関係ない立場の奴だけだ」


 ついに己の皮を脱ぎ捨てて挑戦的な目をする若者に、歳三もゆらりと立ち上がると、笑みを消して真っ向から対峙した。どんなに努力して這い上がったところで、出自だけは変えられない。死ぬまで付いて回る。八郎のような実力主義な考えの者も中には居るが、結局は大局を変えることはできない。


 それをこれまで、嫌という程歳三は味わってきた。髷を結い、腰に大小を下げ、袴を履いていても、変わらないもの、変えられないもの。それが持って生まれた身分である。


「てめえの厄介ごととやらも、とどのつまりはそういうこったろ」

「……」


 きつく眉根を寄せ、歳三を睨みつける八郎も頭では分かっている。今では立派に武家の立場に居る近藤でも、何かにつけ出自が彼の道を阻まれ、講武所の教授推挙の件は八郎も義兄から聞かされていた。それでも、彼にも譲れないものがある。それだけだ。


「とにかく、首を突っ込むな。話がややこしくなる」

「――……てんだろ」


 視線を剥がして一度地面に落とすと、八郎が小さく呻いた。


「あ?」

「あんたがっ、ややこしくしてんだろう」

「…どういう意味だ」


 こうなれば、もはや後には引けない。目と鼻の先に立ち、再び互いに睨み合った。


「あんたは、逃げてんだ」

「はぁ? 何言って…」

「恰好つけて、逃げてるだけだ。出自だ、身分だ、なんだと理由つけて」

「…おい」

「結局は、そんなつまんねえ理由で勝ち負けを左右されるのが嫌で、鼻っから勝負を投げ出してんだ」

「いい加減にしろよ、てめえ」


 歳三がぐっと胸倉をつかんだ。眉間に刻んだ皺は彼の本気を表している。その眼光にひるむことなく、八郎は睨み返した。


「俺はあんたは強いと思ってる」

「…っ、何が言いたいんだ」

「でも今のあんたには、正直負ける気がしない。つまらない事にこだわってる限り」


 八郎は、掴まれたままだった手を払い落した。ざっと襟を正す間も目線は外れない。その視線を真っ向から歳三も睨み返す。


「…言ってくれんじゃねえか」

「なんでか知らないけど、試衛館にはやたらめっぽう強い人が揃ってる。近藤さんはああ見えてやり手だから、人が寄ってくる。ただ、あの集団の中にあっても、あんたは別格だと思ってた」

「……」

「あんたの強さは、絶対勝ちに行く、その姿勢だ。勝つためなら何でもありだ。それこそ、流派もくそもない。うちの門弟らに言わせると泥臭いって揶揄する奴もいるだろう」

「はっ、泥臭くて悪かったな」

「褒めてんだよ」

「どこがだっ」

「そのあんたが、そんなつまんねえことに拘ってるようじゃ、俺の見立て違いだったってことだ」

「……」

「で、だ」

「あ? まだ何かあんのかよ」

「あんたに試合を申し込む」

「は?」


 ここで初めて歳三の眼光が緩み、反対に眉をひそめた。話の流れが、さっぱり理解できない。


「俺が今のあんたに負けるようじゃ、足手まといにしかならない」

「……」

「だが、俺が勝てば――」

「性懲りなく首を突っ込む、ってか」

「そうだ」


 歳三から目を離さず言い切った。手の届く距離で向かい合う二人は、当然お互い間合いの内に居る。どちらかが抜けばたちまち鍔ぜり合い、背を向ければ、その時点で負けを認めることになる。深い嘆息を吐くと、歳三は前髪をかき上げた。


「つうか、それ、お前になんの得があんだよ」


 それまでずっと張り詰めていた八郎の表情がふっと緩んだ。口端をにっと上げた青年は、得意顔で答えた。


「本気のあんたと、やれる」


 仰け反りそうになるのを堪えた歳三が、一声咆えた。


「――おまえ、馬鹿だろっ」


 葉を震わす罵声に、一斉に飛び立った鳥の羽音が辺りに響いて消えた。先ほどまでの苛つきも怒りもどこかへ吹き飛んでしまった歳三は、そう咆えた後、目の前の若者をまじまじと見つめていた。すでに試合うことへ気が向いているのか、どことなく楽し気にも見える。


(総司といい、こいつといい、最近の若い奴らは皆こんななのか? さっぱり理解できねえ…)


 後先考えずに突っ走れるほど、そう若くもない。どうするのが最善か考えを巡らそうとした、その時…。二人の表情が一変し、示し合わせたように背中合わせに立った。そのまま動かず辺りに神経をはり巡らせる。


(ゆっくりしすぎたか…)


「おい」

「しつこいなぁ…」

「やるか、やらねえか」

「そんなの、聞くまでもない」

「だろうな」


 そう答えた二人の前に周りを囲うように、武士の集団が藪から躍り出てきた。二桁はあろうかという人数が一斉に二人を取り囲む。抜刀こそしていないが、それも時間の問題のように思える。


「やけに増えてねえか」

「妙だな…」


 眉をひそめて小声を交わす二人の前に、一人の人物が歩み出てきた。年の功は五十手前くらい、歳の割りにがっちりとした体格の男だ。その男を認めた瞬間、八郎が明らかに動揺した。その異変に歳三が口を開くより早く、歩み出てきた男がよく通る声を響かせた。


「お遊びはそこまでだ、八郎」

「おいおい、勘弁してくれ…」


 目を丸くする歳三の横で、八郎は額を手で覆い、完全に天を仰いだ。


「え、お前の客なのか?」

「…いやその、客というか」


 八郎が顔を覆っていた手をのけ、男を睨みつけると、苦々しい表情で口を開いた。


「俺の親父、…です」

「――は?」


 敵を見るような眼をする八郎と、その横顔を呆けた様に見つめる歳三。そんな二人の様子を、したり顔で眺めるもう一人の男。忠実な弟子を未だ数多く抱える前練武館当主、伊庭秀業(ひでさと)、正真正銘八郎の実父だった。



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