表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

小天狗と敦盛 1


小天狗(こてんぐ)敦盛(あつもり)



  ― 序章 ―


 地面を()るように踏み出すその一歩ごとに、銀細工の花かんざしがシャラリと音を立てる。夏の夜に幾重(いくえ)にも重ねた着物を(まと)い、通りを練り歩く花魁(おいらん)は一粒の汗も浮いていない。ひっきりなしに掛けられる声にも、眉一つ動かさず一歩ずつ前を見据(みす)えて練り歩いていた。


 堂々とした花魁とは対照的にまだ幼さの残る禿(かむろ)は、大きな目をあちらこちらと動かしていて落ち着きがない。とはいえ、花魁に野次(やじ)を飛ばす輩に、そんな禿の様子は眼中にないのだろう。


 行列に群がり野次を飛ばす男共のほとんどが、花魁どころか、女郎(じょろう)の一人も買うことはない。甘いのは上辺ばかりのここ吉原(よしわら)で、実際に最上位に君臨(くんりん)する花魁を買うことのできる者など、江戸中探してもほんの一握りである。


 それでもいつかはと夢見つつ、今日も彼らは花魁を憧憬(しょうけい)の眼差しで眺めて、やんややんやと(はや)し立てる。その様子を横目に眺めて浮かない顔の男が一人、行列に背を向けた。日野の豪農(ごうのう)の息子、土方歳三(ひじかたとしぞう)(かぞ)えで二十七の青年である。


「はぁ、やってらんねぇ…」


 歳三は通い慣れた吉原だが、今日は少し目的が違う。馴染(なじ)みの店にも顔を出しただけで、そこいらの店を覗いてはまた別の店へと渡り歩いて行く。花魁道中(おいらんどうちゅう)を冷やかす気すら起こらない。


「やっぱり、断りゃよかった」


 引き結んだ口からは、もうずっとぼやきしか出てこない。それもこれも全て同日の夕刻、歳三が身を寄せる剣術道場、試衛館(しえいかん)頭目である近藤勇の呟きに端を発していた。


◇  ◇  ◇


「おい、歳ぃ~。八郎さん、どうしたんだろうなぁ」

「俺が知るか」


 八郎とは心形刀流伊庭(いば)道場の息子、伊庭の小天狗こと、伊庭八郎の事である。異名が付くほどの剣の腕前だが、意外にも剣を手にしてまだ数年しか経っていない。これぞまさに天武の才である。そんな八郎と、たまたま出張稽古をしていた近藤が出会ったのが、数ヶ月前。


『伊庭殿! ぜひ、うちの道場にも来てくださいよ』


 年は若いが、相手は有名道場の嫡男(ちゃくなん)。れっきとした幕臣の息子とあれば、田舎道場のこちらとはまるで格が違う。腹の底が見えぬ内はと、歳三があえて八郎と距離を取っている間に、近藤は実にあっさりと声を掛けていた。


 一言二言、にこやかに言葉を交わしていたもののすぐに別れたのを見て、単なる社交辞令に終わったのだろうと歳三は思っていた。ところが数日後、八郎は本当に試衛館へやって来た。しかも、その日から三日と空けず、通って来るようになったのだ。


 剣の腕は確かだが、出自の違いもあり、初めのうちは単なる冷やかしだと思っていたが、一月経っても相変わらず居た。稽古が終われば誰とでも屈託(くったく)なく話す八郎に、歳三も態度をやわらげるべきかと思い始めていた頃、八郎はある日ぱたりと姿を見せなくなった。なんの前触れもなく、いきなりの音信不通である。そのまま七日経ち、十日経ち、気付けば半月が経っていた。


 凝り固まった考えを改めようと、思っていた矢先だっただけに、歳三の落胆は大きかった。傍目には傍観者を決め込んでいたものの、そこは気心しれた仲間のこと。知らぬは本人ばかりであったのだが。もっとも、近藤だけは最初から歳三と八郎は馬が合うと勝手に決めつけていた。それをいちいち訂正するのも面倒で放っておいた。その余波が、思わぬ形で歳三に降りかかった。


「それでだなぁ! お前ちぃと様子見に行ってはくれまいか」

「なんで俺が。そんなこたぁ、総司や平助に頼めばいいじゃねえか。年も近いんだからよ」

「いやいや、俺はお前が適任だと思う。この前、新八がだな…、いやいや、それよりもだ、歳!」

「あぁ?」


 急に声をひそめて口元に手をやり、近藤が手招(てまね)きをする。歳三は(いぶか)しげに眉をひそめつつ、素直に耳を寄せた。


「実はなぁ、八郎さん、伊庭道場にも顔を出してないようでな。昼にあちらさんから相談されてしまったのだ」

「伊庭の道場がうちに?」

「そうなんだ。こちらもどうしたらいいもんか弱りきってなぁ。しかも内容がだな」

「なんだってんだよ」


 いい大人が、しかもガタイの良い男が二人。膝突き合わせるような近い距離から、さらに歳三を手招く。仕方なく鼻が触れそうなくらいに顔を寄せると、口元に手の平を立てて歳三の耳元で(ささや)いた。


「女だ、お・ん・な」

「女ぁ?」

「しーっ、声がでかいぞ!」

「汚ねぇなっ、つば飛ばすなよ!」

「そんなことより! 歳ぃ!」

「なんだよっ」


 歳三は顔にかかったつばきを袖で拭いながら、不機嫌そのものの顔で近藤を見やる。すると、今度は顔の前でぱんっと手を合わせてきた。俄然(がぜん)、嫌な予感がする。


後生(ごしょう)だ! 八郎さんを探し出して、剣の道へ引き戻して来てくれ!」

「御免こうむる」


 歳三は即答すると、さっさと立ち上がって近藤に背を向けた。案の定、面倒臭いことこの上ない内容だった。後生だなどと抜かし始めたら、ろくな内容じゃないのはすでに何度も経験済みだ。そもそも、後生というからには一度でなければおかしい話だが、すでに何度も聞いている。


(誰がやるかっ)


 話は終わりとでも言うように、縁側で立ち上がった所で後ろ手をむんずと近藤に(つか)まれた。そのままぐいと後ろに引き倒されて、強引に元の位置に座らされた。地味に尻が痛い。


「なんだよ! 俺じゃなくても若ぇ奴らに頼みゃいいじゃねえか!」

「まあ、待て待て! 歳を男と見込んで頼んでるんだ」


 近藤も道場の行く末を左右する一大事と、八郎を(つな)ぎ止めるのに必死なのはわかる。どうせ、道場に(はく)がつくとか、連れ戻して本家道場に恩に着せるとか、姑息(こそく)な事を考えているのだろう。こう見えて、この男は中々の策士(さくし)なのだ。しかし、こうと言い出したら絶対に引かない性格なのも、歳三はよく知っている。うんざりするほど押し問答を繰り返した後、結局根負けしたのは歳三の方だった。まさに近藤の粘り勝ちである。


◇  ◇  ◇


―――かくして、押し切られる形だったが、引き受けてしまった以上、捨て置くわけにもいかず歳三は吉原に居た。ここで〝何度か見かけた〟という新八の話を聞いての事だが、どうしてもここへ来ると他所事(よそごと)に気が逸れる。それでなくても、しばらく誰かさんの不在の余波と、とある事情でしばらくご無沙汰なのだ。


「くそっ、どこにしけこんでやがる、あいつは!」


 歳三は頭をがしがし掻いて、しばらく往来の真ん中で仁王立ちして腕組みをして考え込んだ。ふいっと顔をあげると、(きびす)を返して入ったばかりの大門を出て行った。


 半刻ほど後、歳三は馴染みの店に居た。いつもの花魁を指名して線香一本分だけを払い、部屋を取った。花魁相手に線香を切るなど、歳三以外ありえない。手代(てだい)も相手が歳三と知ると、言うだけ無駄とばかりに、通してくれた。もちろん、今晩も食事は頼まない。いつもなら持ち込む手土産と称した飯も今日は無い。今日の軍資金は、あくまで八郎を見つけるための金だ。贅沢(ぜいたく)できるほどの額はない。事と次第によってはすぐ出る羽目になる。


 しばらくして、慌てた足音が近付いてきたかと思うと、すぐさま勢いよく襖が開いた。


「歳さん!」

「おう」

「なによぉ、さっき来てすぐに帰っちゃったって…」

「そうそう。ちょいとやっかいな頼まれ事があってな。まだお役目中だ」

「もう、久しぶりに来てくれたのかと思えば、こっちの気も知らないで…。どうせそれが片付かないと、遊べないとか言うんでしょ?」

「よくわかってんじゃねえか」

「本当、酷い男。…それで? 吉原なんかで仕事って、一体何なの?」

「なあに、お前らの色恋話を聞かせてもらいてえだけさ」

「え?」


 不思議そうに首をかしげる女の細いうなじに手を伸ばし、そっと内緒話をするように耳元に唇を寄せ、そのまま耳の後ろに吸いついた。


「きゃっ! と、歳さん、話は?!」

「それもあるが、こっちが先だ」


 この女の弱いところは全て知っている。すぐにろくな言葉を(つむ)げなくなった。そのままじゃれあうように、白粉の匂いのするやわ肌をたっぷり楽しんだ後、歳三はようやく女を解放した。


「もう…、歳さんの馬鹿」

「男は皆馬鹿さ」


 歳三は(つや)やかに光る唇を手の甲で乱暴に(ぬぐ)って、おもむろに煙草盆(たばこぼん)を引き寄せた。慣れた仕草で煙管(えんかん)に煙草を詰めていく。女は乱れた(えり)を軽く直してから、歳三の背中に頬を寄せゆっくり息を吐いた。


「…それで? 何を聞きたいの?」


 ぷかりと紫煙(しえん)をくゆらせて、歳三はもう一息深く煙を吸い込んだ。こうした場所に()えられた煙草は、ほとんどが不味(まず)くて吸えた代物ではないが、この女の支度部屋だけは違う。女が店の男衆(おとこしゅう)に頼んでわざわざ取り寄せている品だ。花魁を買うのは安くないが、歳三はこの女のこういう所も気に入っている。


 三口ほどたしなんだ後、景気よく灰を落とした。小気味いい音が部屋に響いて消える。深く息を吐き出すと、背中から女の膝へ頭を落として寝転がった。歳三は、女の膝に頭を乗せて言った。


「―――居続けの男を探してる」


 結局線香をもう一本足して、二本燃え尽きるまでをそこで過ごしてからぶらりと夜の町へ出た。ただ話をして居ただけな訳がない。足した線香の分しっぽりと楽しんでいる間に、女たちに話を回してもらって、出がけにまとめた内容を確認して出て来たのだ。


 歳三は近藤を策士と言うが、歳三こそ本物の策士である。この男は昔から人を使うのがやたら上手かった。馴染(なじ)み以外の浮気には手厳しい吉原で、歳三は少しだけ特別だった。さすがに別の女に手は出せないが、歳三が声を掛ければ、大抵の者が頬を染めて少なからず好意を示してくれる。金の切れ目が縁の切れ目…とならない所が歳三の魅力だろう。それは女に限らず、男衆にもある程度の人脈ができるほどには気に入られている。型にはまらず、無鉄砲なのにどこか憎めない。そんな歳三を揶揄(やゆ)するあだ名があった。


 ひってん敦盛。同じ二つ名でも、八郎とはまるで方向性の違うそれは、多分に皮肉も含まれている。だが、同時に人に好かれた歳三らしい名と言える。(ひってん=文無し、敦盛=美男子の例え)その歳三が珍しく人探しをしている。それも、何やらお役目の匂いをさせているとなれば、好奇心も相まって(くるわ)総出で協力してくれた。そのおかげで、粗方絞り込みが出来た。噂を探るなら、発信元の女に聞くのが一番である。


 とはいえ、すでに日付が変わった。(くだん)の店は、明日また出直しだ。少し冷たい夜風が、火照った頬に心地良い。


「酔い醒ましに歩くか」


 (かご)を拾う金もないくせに、つい言い訳がましく呟いてしまう。当然辺りに人影はない。己への言い訳だ。人知れず、口元に苦い笑みが浮かんだ。


◇  ◇  ◇


 歳三が吉原大門を出て行く頃、その後ろ姿を見つめる人物が居た。今回の騒動の発端、八郎である。


「あれは――」

「ん…、何か、おっしゃりんした?」


 八郎の背後から、まだ年若い女の声がかかる。稲本(ろう)の女郎だ。余談だが、後に四代目小稲(こいな)を襲名する女である。閨から身体を起こしているものの、すでに(まぶた)が閉じかけている。


「いや、何でもないよ。いいから、お休み」

「あい。八郎さんも…一緒に」

「私はもう少し、夜風に当たってからにするよ。先にお休み」

「お風邪など、召されんしよう…」


 女はすべて言い切る前に、寝入ってしまった。二階の窓枠に腰かけたまま、しばらく女を見つめて、八郎はもう一度大門を見た。すでに見知った背中はそこになかった。


「………」


 八郎は柱にもたれて、暗い空を見上げた。視線の先には、欠け始めた月が浮かんでいた。




  ― 第一章 ―



 吉原大門を出て南へ足を向けて、鼻歌混じりに歩いていく。しばらくしてふいに声が途切れた。慣れない酒を呑んだとはいえ、人の気配に気づかぬほど、腑抜(ふぬ)けではない。それが不穏なものとくれば、なおのことである。歳三は、しばらく気付かぬふりをしてそのまま歩いていたが、おもむろに立ち止まり、まっすぐ闇を見据えて言った。


「誰だ。姿を見せろ」


 辺りは田んぼしかない。月明かり以外は手元の提灯(ちょうちん)だけだ。足元は見えても、一寸先は薄闇が広がっている。こちらの声掛けに素直に従ったのかどうか、前方右手から数人姿を見せた。


(二、いや、三人…。右と左はだんまりか)


 じっと見えぬまま相手を見極めようと目を凝らし、歳三はぎょっとした。


(――って、おいおい、なんだそりゃ)


 闇から出てきた男達は、揃いもそろって顔を黒布で覆っていた。顔どころか、全身黒ずくめである。人相どころの騒ぎではない。


「俺が誰と、知っての待ち伏せか」


 あえて名乗らず、顔見えぬ相手に問う。密かに周囲に目を配り、抜け道を探すが、ふいに後ろに新たな気配が現れ、退路を断たれた。


「土方、歳三殿とお見受けいたす」

「ははっ、違いねえ」


 いよいよ、腹をくくるしかない。だが、今日はまずい。とにかくまずい。思わず(つか)に手を伸ばしたが、その軽さに泣きたくなる。今日酒を口にしたのは、久しぶりの吉原で、女からのふるまい酒だ。ほとんど呑まない歳三は、自分から進んで酒を口にしない。廓の高い酒など、まず頼まない。


 歳三はあだ名の通り、まるで金がないのだ。いよいよツケが貯まり、さすがの歳三もバツが悪く、しばらく控えていたくらいだ。そこへ押し付けられたとはいえ、よりにもよって吉原へ来る羽目になり、気持ちばかりの軍資金を持たされたが、それでツケが払える訳もない。第一それでツケを払うのは他人の(ふんどし)で相撲を取るようなものだ。


 自力で店を一軒一軒尋ね歩いていたが、あまりの不毛さに考えを改めた。そこで歳三は一旦吉原を出て、手近な質屋で愛刀を預け、その金でツケの一部を払い、女に会いに来たという次第である。折しも明日は試衛館の大先生、周斎老人が楽しみにしている講釈がある。その後、老人の話に付き合って、小遣いをせしめる算段で、思い切って質入れしたのだが…。


(捕らぬ(たぬき)のなんとやら、か)


 とにかく、まともにやりあう訳にはいかない。竹光(たけみつ)など抜けば、それこそ笑い者だ。かといって、脇差し一本でどうにかなるのだろうか。楽観視できる状況ではないことは確かだ。何より格好がつかないが内心の焦りを微塵も出さず、ふてぶてしい態度のまま歳三が問うた。


「で、夜更けにこんな所で、何の用だ」

「できれば事を荒立てたくない。――…何も言わず、花魁と手を切ってくれまいか」


 提灯を持つ手を変え、まだ見えぬ敵を数えていた歳三の眉がぴくりとあがった。


「花魁?」


 てっきり、剣術試合の逆恨みかと思いきや、まさかの艶事である。


「おいおい、ちょっと待ってくれ。花魁ってぇと、(まゆずみ)のことか? 天下の吉原の花魁捕まえて、てめえ以外客を取るな、とか言い出すんじゃないよな?」

「無理は承知だ。――だが、ただの客…というには、貴殿は特別扱いされておるようだが」


 放り出す寸前の提灯を再度握り直し、改めて声の主を見る。提灯の灯りでは、黒頭巾の奥の顔まではよく見えないが、身なりは決して悪くない。どこかの藩士であろうことはかろうじてわかる。


「さる〝お方〟が、花魁がそなたを特別扱いするのを面白く思っておらぬ。…ここはひとつ、そちらから身を引いてはくれまいか」

「断る」


 その場の空気が一気に張り詰めた。逃げ道を探していた歳三だが、一見、丁寧な申し出のようなその内容に反吐(へど)が出そうだった。こちらはツケもろくに払わない客だが、筋の通らない道理に従う義理はない。


「どこのお偉いさんだか知らねえが、吉原には吉原の流儀ってもんがあるんだよ。一度決めた女以外のケツ拝もうもんなら、それこそ女どもに折檻(せっかん)されちまわぁ。そんなのも知らねえたぁ、お前んとこの〝お方様〟こそ、田舎もんじゃねえのか」

「なっ、なんと無礼な!」

「はっ、無礼なのはどっちだってんだ。てめえだけのもんにしたけりゃ、さっさと身受けでもなんでもして、囲っちまえばいいんだよ。それを暗がりでコソコソ待ち伏せたぁ、どこの腑抜(ふぬ)けだってんだっ!」

「き…さまっ、下手に出ちょればいい気になっちゅうろ!」


 先ほどまで話をしていた隣の男が、怒りもあらわにしてついに鯉口(こいくち)を切った。


(今の、――国(なま)りか?)


 考えるよりも先に身体が動く。激昂(げっこう)した相手が、抜刀して間合いを詰めてきたのだ。姿の見えない左の(やぶ)から、別の声があがる。


「――待て、早まるな!」

「あ? どっちがいい気になってんだ。ちくしょう、ついてねえなっ」


 歳三は言うが早いか、提灯を素早く投げ捨てると、馴染んだ柄を一気に抜き放った。先に相手が抜くのを待っていたのだ。


「うわっ!?」


 炎をあげる提灯を投げつけられて、ほんの一瞬相手がひるんだ声を上げる。


「っと、これじゃねえっ」


 軽すぎる刀を慌てて(さや)に戻し、隣の脇差しをすらりと抜いた。少々心もとないが、背に腹は代えられない。投げた提灯に気をとられたか、竹光には気付かれていない。地に落ちた提灯が燃え尽きるのと同時に月が雲にかかり、薄闇から真っ暗闇へと切り替わった。


 大人数で囲った割に、最初に鯉口を切った男以外は、判断を迷ったのか初動に遅れを取った。その隙に歳三は脇差しを短く持って一気に間合いを詰めると、胴を一文字にはらった。


「ぎゃっ!」


 一人がもんどり打って倒れた。すぐさま、左を撫でるように斬った。短く持ったのは尺の違いを気取られぬ内に、懐に入り込むため。鍔ぜり合うほど近付けば、刀の長さは気にならなくなる。瞬く間に二人倒れた。正面のもう一人は、刀こそ構えているが、実践の経験がないのか、わずかに光を返す白刃が震えているのが見えた。


(いける)


 相手が誰であろうと、刀を抜いた以上後には戻れない。奇襲が効くのは最初の一手だけだ。あいにく、月を隠した雲は薄い。ちらと見上げた空は、すでに月が顔を出し始めていた。少しだけ軽い刀を握り直し、四方に神経をとがらせる。退路を探っていた視界の端に、わずかに(ひらめ)く白刃を捕らえた。


―――キン!


 素早く体勢を変え、顔の正面で凶刃をしのいだ。頬に風圧を感じるほどの近さだ。


「あっぶね!」


 前髪が数本、顔を滑っていくのがわかった。寸でで受け止めた刀を大きく弾き返す。即座に横に飛ぶと、歳三が居た場所を別の刀が空を切り裂いた。


「おのれ、ちょこまかと!」

「あいにく、てめえらにくれてやる安っぽい命は持ち合わせてねえんだよっ」


 軽口は己を落ち着かせるための虚勢である。こめかみがチリチリする。命のやり取りをすると感じるが、終われば綺麗に消えている痛みだ。


「たぁ!」

「っ!」


 詰めていた息を吐いた瞬間、新たな刃の気配に後ろへ飛んだ。だが、わずかに刀が腕を掠めた。その血が垂れるより早く、斬りこんできた男の無防備な脇腹を鋭く衝いた。


「ぎゃあ!!」


 ()き出た温かい血が頬に掛かるが、そのまま相手の胴を押して刀を引き抜く。声もなく相手が闇に突っ伏した。斬られた腕に痛みはない。おそらく興奮状態で痛みを感じないだけだろう。しかし歳三にそんなことを考える余裕はない。


(あと何人)


 ようやく闇に目が慣れてきた。あちらは最初からある程度見えているのだろう。刀を抜く仕草も、構える姿もぶれがない。すでに息が上がってきたが、あちらはバラバラと走り寄る足音が聞こえる。


(絶体絶命、か?)


 その状況に、歳三は知らぬ間に笑みを浮かべていた。これを武者震いというのかもしれないが、自覚はない。いよいよ月が雲から顔を出した。くっきり浮かび上がった黒い影を、息を整えながら数えていたその時、黒影の向こうに揺れる提灯の灯りが見えた。まだ遠いが、複数の人の気配がする。


「――おい、いかんちや、気付かれたが」

退()け、退け!」


 あっという間に、周囲から気配が消えた。奴等は獣の目を持っているのか、地に転がしたはずの(やから)まで、きっちり伴って闇へ消えた。そこに残っているのは、血の痕と燃え尽きた提灯の残骸だけである。


 にわかに人の声が近付いて来る。さきほどより近い距離で悲鳴が上がった。血の痕でも見られたのか、歳三も顔を見られると面倒なことになるのは必至である。


「ちっ」


 歳三は刀を仕舞うと、藪に飛び込んだ。足には自信がある。一里、二里くらいなら余裕で走り抜けられる。走る速度を緩めないまま、藪の中を突き進み、思わず笑みが浮かんだ。


(――どうにかなった)


 人を斬ったが、表沙汰(おもてざた)にはならないだろう。撤収の手際の良さや風体から察っするに、明らかにあちらの方がおおっぴらにしたくないはずだ。完全に人の気配が消え去り、徐々に走る速度を落としていく。息を整えながら、小走りから早歩きに切り替える。辺りを見回し藪を出て、街道をゆっくり歩いた。


「勝っちゃんに知れたら、どやされるな」


 金策のあては相変わらずないが、二度と刀は質に出すまいと誓う歳三であった。


◇  ◇  ◇


「どこの誰ですか、いったい」

「知らねえよ」

「んもう、抜けてるなぁ。それくらい、聞いてくださいよ。どこの誰べぇかわからないと、探しようがないじゃないですか」

「聞いたところで、素直に答えるか」


 朝日の差し込む縁側で寝転がり、眉を吊り上げる総司を見上げた。沖田総司、まだ随分と若いが試衛館の師範代である。入門の遅かった歳三に比べ、近藤の内弟子である総司は二十七になる歳三の兄弟子にあたる。普段憎まれ口を叩き、尊敬する近藤の悪友を見るような態度だが、根っこの所は慕ってくれている…と思いたい所だ。出来の悪い兄、程度だとしてもである。


 朝稽古の後、顔を洗ったのか前髪から水が垂れている。総司は少々潔癖(けっぺき)な所があり、意気揚々と吉原へ向かう歳三をあまり良く思っていないのは知っている。だからこそ、今回の件は特に総司には言うつもりはなかった。それが歳三の腕の刀傷を目ざとく見つけて、問い詰められた。寝起きだったのもあり、昨夜の襲撃事件をぽろりと漏らしてしまった。すぐに他言無用の約束をさせたが、少々心もとない。


「何か身元に繋がるような、手掛かりはないんですか」


 しつこく食い下がる総司は、態度こそ悪いが真剣そのものである。竹光だったのを差し引いても、絶体絶命の状況だったのには変わりない。歳三も身体を起こし、改めて記憶を辿ってみた。


「相手は上から下まで黒ずくめ、顔もだ。何にも見えやしねえ。――ただ、訛りで喋る奴がいたな」

「訛り? 地方の出ってことですか?」

「んー、多分な。まあこの時勢、江戸に居んのは殆ど地方の出だけどな」

「どんな訛り?」

「忘れた」

「あなた、馬鹿ですか、馬鹿でしょう、ええ馬鹿ですよね? なにせ、竹光をぶら下げているくらいですもんね」

「げっ、なんで知ってんだ」

「わかりますよっ! あぁもう、本当にそんなので斬り合いとか信じられないっ!」


 ついに怒りだした総司は、歳三の隣に転がって両手を床に打ち付けた。子どもじみたそれを歳三は苦笑して見ていた。


(こりゃぁ、勝っちゃんにばれるのも、時間の問題だな)


 無意識の内に腰へ手が行く。勝っちゃんこと勝太とは近藤の改名前の名だ。歳三の義兄と古くから付き合いのある近藤とは、歳三自身も長い付き合いだ。歳三は柄に手の平を乗せ軽く握る。相変わらず重みを感じないそれに、やはり苦笑しか出ない。


(義兄さんに金を借りる?)


 地元の名士でもある義兄の顔を思い浮かべるが、すぐに姉の怒った顔も一緒に出て来た。軽く頭を振ると総司と並んで寝転んだ。頭の下に手を置き、雲の浮かぶ青空を見上げる。


「あ~あ、どっかに金、落ちてねえかなー」

「…馬鹿に付ける薬なし、ですね」

「そんな薬があったら、こっちが売りに行く」

「確かに」


 寝転んだまま、二人で顔を見合わせて、声を出して笑った。命のやり取りをした次の朝、のん気に笑っている。馬鹿らしいが、おかげで生きている実感がした。死ぬつもりは毛頭ない。ならば、誰が相手だろうと勝つしかない。


 心が決まれば、自然と現実を受け入れる心構えもできた。気付けば腹の底から活力が沸いてくる。歳三は何を成すべきか、考えた。答えは即座に出た。


「とにかく、質だ」

「そうでしょうね」

「金、だな」

「僕、持ってませんよ?」


 器用に片眉あげる総司に、また笑いがこみ上げてくる。


「阿呆、お前なんざ、端っからあてにするか」


 朝陽の差し込む縁側で、しばらく二人の明るい笑い声が響いていた。




「歳、じゃあ例の件、頼むぞ」

「ん? あぁ、おう」

「なんですか、例の件って」


 同じ日の午後、試衛館の玄関先で支度を済ませた総司は、きょとんとした顔で近藤を振り返った。これから総司は近藤らと日野へ向かう。明日の出稽古へ備えて前泊となる。帰りは二日後である。当初の予定では、歳三が一緒に(おもむ)く予定だった。


「いやっ、何でもないぞっ。それよりも、総司! 急に頼んで悪いなぁ~。ぜひとも総司に来てほしいと、その、せがまれてだな」

「? まぁ、それは嬉しいですけど」


 怪訝(けげん)な顔をする総司を、近藤が強引に誤魔化している。まだ眉根を寄せていたものの、総司もそれ以上突っ込まなかった。同行する井上源三郎が手荷物の事で近藤に話しかけると、総司はふいに歳三に振り返った。つつと寄って来て小さく耳打ちする。


「ところで、土方さん。アレ、なんとかしといてくださいよ?」

「あー、アレな」

「大丈夫ですかぁ? それと、無駄に出歩かないでくださいね、僕も近藤さんも居ないんですから」

「わぁってるって、お前もしつけーよ」

「ん? どうした総司」

「いえ。何でもありません。さ、もう行きましょ、近藤さん」

「ああ、そうだな。じゃ、あとよろしく頼む、歳」

「おう」


 二人が門を出て行くのを見送り、歳三は背を向けた。


「はぁ」


 部屋に戻りつつ、ついつい重い息が口をついて出てくる。ここ数日、ここぞとばかりに、頭の痛い事ばかり降りかかっているせいだ。近藤が頼んだ〝例の件〟とは、言わずもがな八郎の一件で、総司の言う〝アレ〟とは、質入れしてしまった愛刀のこと。〝出歩くな〟とは、襲撃事件を気にしての言葉だ。


 事件を未だ知らぬ近藤が、歳三をこちらへ残したのは単純な理由である。八郎の一件が彼の中で何より優先すべき事案なのだ。


(俺があいつに何か言った所で、素直に聞くとも思わねえんだがな)


 何を思って吉原に居るのか皆目見当もつかないが、歳三に言わせれば、大きなお世話である。いい大人なのだ。周りがどうこう言うことではない。


「はぁ~、面倒くせえ」


 何度目かわからない台詞を吐いて歳三は畳の上に寝転がった。とにもかくにも、もうすぐ周斎老人が講釈から帰ってくる。先立つ物を手に入れなくては、どうにも腰回りが落ち着かない。


「爺さんの話、付き合うしかねえかぁ」


 すべては愛刀を取り戻すためと渋々自分を納得させて、来るべき時に備えて、目をつぶった。


(金がねえのは、てめえのせいか…)


 じんわり沁みてくる眠気にあらがうことなく身を委ねた歳三は、どこか笑みを浮かべていた。




  ― 第二章 ―



 人々が帰り支度をし、屋根を赤く染めていた陽は、稜線(りょうせん)の向こうに消えた。商店が(のき)を連ねる通りは、すでに人通りもほとんどない。歳三は、先ほどからしきりに質屋の戸を叩いていた。舌打ち仕掛けたその時、後ろから声がかかった。


「――お兄さん、そこは居ないよ」


 はす向かいの店で、戸板を手にした男だった。振り返れば、先ほどよりさらに通りは木戸が目立っている。


「ああ、そうみたいだな。ここの店主の家は近いのか?」

「家は知らないなぁ。そこの親父さんとはあんまり親しくないんだ」

「そうか、騒がせて悪かったな」

「いやいや」


 歳三が手を降ろすと、その男も最後の戸板の向こうに姿を消した。


 これより少し前、無事に周斎老人から小遣いをせしめた歳三は、その足で急ぎ町を目指した。いつになく殊勝な態度の歳三に気をよくした大先生は、いつもより話しに熱が籠り、老人の長話を嫌う他の連中は、いつの間にかさっさと姿を消していた。


 気付けば歳三ただ一人。これはまずいと思うも時既に遅く、周斎老人の気が済むまで、きっちり付き合う羽目になってしまったのだ。


「はぁ、どうすっかな」


 町へ向かう時、誰かに刀を借りることも考えたのだが、脇差しならともかく、大刀を理由も言わずに借りられるとは思えなかった。浅慮(せんりょ)した後、自身の愛刀が一番と判断したのだが、こうなっては元も子もない。


 昨日の今日で、また…なんてことはさすがに無いと思うが、出がけに総司が言っていた事もある。かといって、このまま帰るのも妙に癪にさわった。道場から町まで、決して近い距離ではない。


(あそこなら、刀はいらねえし、無駄でもねえよな?)


 ふと、怒った総司の顔が頭に浮かぶが、すぐに頭から追い出して、星の瞬き始めた空の下へ足を踏み出した。



 吉原にはいくつかの決まりがある。武士同士のいさかいを避けるため、身分にかかわらず、登楼(とうろう)する際、刀を預けるのもそうだ。中には、何かと御託を並べて押し通る者も居るが、そう言った連中は大いに煙たがられる。


 店側も馬鹿ではないし、面倒事は避けるにこしたことがない。問題があった客は、この先、たとえ敷居をまたげてたとしても、いつまでもお目当ての女が来ないとか、何故かツケができなくなる、くらいのことは当然覚悟しておかなくてはならない。


 他にも十年を越える年季契約を禁止していたり、余所から貰った養子を勝手に身売りできなかった。だが実際は、気の遠くなるような年季奉公が課せられたり、支度品や禿の世話で働いても働いても借金が減らない、というのは良くある事だった。


 さらに決まりごとの一つに、連泊禁止がある。それらの決まりが作られた理由は様々だが、すべて建前上のこと。廓において、金より重いものはない。逆に言えば、金さえあれば何とでもなる。


 八郎は、まさにその典型的な居続け客だった。金払いは決して悪くなく、むしろ気前がいいくらいで、それが余計に店もうるさく言えずにいる要因だった。日中、仮眠を取る女郎と入れ替わりに外へ出ることはあっても、夕刻にはまた戻ってきた。だが、そうした客はどうしても目立つ。


 歳三が女たちから聞き出した情報で、店は数軒に絞られていた。その二軒目で当たりが出た。店に出入りする下男にそれとなく話題を振って、裏も取った。部屋の位置も把握済みだ。方々駆けずり回った昨夜とは大違いである。八郎は最初の登楼から、実に半月近く居続けている計算になる。さすがにいつ番所へ突きだされてもおかしくない状況だった。


(まったく、こんな所で飽きもせず、何やってんだか)


「吉原でやることっつったら、一つか」


 目的の茶屋の前に立ち、二階を(にら)み付けて小さくごちる。いざ店の者に、どう切りだすべきか、歳三が腕組みして思案していた時だった。


「――土方さん!」

「あ?」


 息を切らし一人の若い若者が、歳三の元へ駆けて寄ってきた。


「ようやく見つけた、探したぜっ」

「なんだ、お前。今日は道場で呑むって――」


 眉を潜める歳三の肩をがっしり掴んで、男は歳三の問いに被せるように口を開いた。


「――総司達が襲われた」

「っ」


 眉間にぎゅっと(しわ)を刻んで、さっと辺りを見回すと、まだ息の整わない男の身体を向かいの路地へ押し込んだ。厳しい顔のまま、低い声で切りだした。


「怪我は」

「ふいをつかれたが、皆無事だって。相手は何もせずに逃げたらしい。近藤さんらはそのまま日野へ向かって、俺らに伝言頼まれた源さんが戻って来た」

「なんで一緒に戻って来ねえんだ!」

「俺に言うなよ! 俺だって訳わかんねえんだっ」


 思わず出た大きな声に、通りから何人かがこちらをのぞいているのが見えた。はっとして背中を向けた歳三は、苛立たしく舌打ちをする。短く息をはいて、同じく口をつぐんだ男の胸を手の甲でぽんと叩いた。


「わりぃ。帰るぞ、新八」

「ああ…」


 歳三は言うが早いかさっと着物を(ひるがえ)した。その後を新八が黙って追った。




「――間違いないんだな、源さん」

「ああ、〝こいつらじゃない〟と、確かにこの耳で聞いた」

「はぁ? なんだよそれ。それじゃ、ほんとに人違いなのかぁ?」

「………」


 静まり返った道場で、歳三たちは膝を付き合わせて座っていた。土方を呼びに来た新八こと永倉新八、神道無念流の剣豪だ。その隣は、伊予出身の槍の名手、原田左之助。その二人より年嵩(としかさ)で、近藤や歳三の義兄とも交流の深い、同郷の井上源三郎である。


(昨日の奴らか? そもそも俺らが日野へ行ったのをなぜ知っている?)


「それで被害もないし、ただの人違いだろうと近藤さんは、そのまま皆で行こうと言ったんだが、総司がどうしても歳に、このことを知らせてくれって聞かなくて」

「で、源さんが戻ってきた、と」

「総司の奴、なんで土方さんだ?」

「さぁ?」

「……」


 三人があれやこれやと話をする間、歳三は顎に手をあて、考え込んでいた。総司は疑っているのだ。昨日の襲撃と今日の輩が同じかもしれないと。


(ちくしょう、どこのどいつだ)


 日野へ向かう連中を待ち伏せていたなら、こちらの内情が()れていると考えるべきだろう。相手がだれであろうと、悠長に構えていられない。ぎりと奥歯を噛み締めた時、締め切っていた道場の戸が開いた。


「なんだ、こんな時間にこんなところで」

「斎藤!」


 入ってきたのは、斎藤一、彼もいつの間にか試衛館に居ついていた中の一人だ。食客の中で、永倉、斎藤の二人の剣腕は抜きんでている。


「部屋に居ないと思ったら、何をしている。皆で真剣な顔して」

「それがだなぁ」


 源三郎が斎藤に事の顛末(てんまつ)を説明する。その傍らで、左之助は土方の脇腹をつついた。そっと身体を傾けて小声で耳打ちしてきた。


「なぁ、心当たりあんだろ? 誰だ、やばい相手か?」

「わかんねえんだよ」

「ってことは、既になんかあったんだな」


 ニヤリと笑った左之助は、少々短気で喧嘩っぱやいが、実は頭が切れる。こいつになら話しても大丈夫だろう。


「部屋で」

「わかった」


 正体不明の襲撃者の話は、あまりに情報が少ないこともあり、堂々巡りだった。その内に誰が持って来たのか、酒がまわってきた。見えない相手の話は早々に打ち切りになり、結局いつもの酒宴へと切り替わった。ほどよく皆の酔いが回った頃、静かに歳三は腰を上げた。そこへすかさず新八が声をかけた。


「どこ行くんだー、土方さん。まだ呑もうぜ」

(かわや)

「なんだ、小便か」

「俺も小便」

「あっ、斎藤! それこっち寄越せ!」


 左之助がすっと腰をあげた。すでに他の皆の意識は、新しく持ち込んだ酒の(さかな)に移っていた。二人は静かに道場を後にした。



「んー、手掛かりなしか。厳しいな、そりゃ」


 大部屋の濡縁(ぬれえん)で、あぐらをかいた左之助が頭をかいて天を(あお)いだ。ちゃっかりと左之助は(くりや)に寄っていくつかのつまみと、新しい徳利を持ち出していた。歳三にはお茶と、至れり尽くせりだ。いつも宴会が始まると、そのまま明け方まで雪崩れ込む事が多い。酒が得意でない歳三は、大抵早めに抜け出している。いつものことと、彼らが探しに来ることはまずないだろう。


 歳三は茶を一口すすっただけで脇に湯呑を置き、左之助に一連の事件を説明して聞かせた。関係のない八郎の件と、愛刀の事はあえて言わなかった。八郎の一件はさておき、刀に関しては既に金は手にしている。今日はあいにくと空振りだったが、明日には取り戻せる。わざわざ言う必要なし、と歳三は考えた。


 何より、竹光を差していることを知られたくないのが本音である。だがこの時の判断が、後に響いてこようとは、この時の歳三はもちろん知る由もない。


 襲撃の相手と同じならば、正体不明とはいえ、黛の客だと自ら宣言している。上客を洗い出せば簡単だが、こう見えて遊郭(ゆうかく)は、客の名や藩などの情報はおいそれと出てこない。店の信用に関わる問題だからだ。店から聞き出すのは容易ではない。


 あとは黛本人に探りを入れる手もあるが、できるだけ女を巻き込みたくない。最終手段だと歳三は考えている。それにああ見えて勘のするどい女だ。下手な事を言えば、黛自身が首を突っ込みかねない。下手なことはできない。無意識に唇を噛み締めると、襲われた翌日の総司との会話を思い出した。


「そういや、手掛かりつうか、何人か訛ってた」

「訛り? どんな?」

「どうだったかな。あー、なんとか…ちや? とか、他は――」

「あっ、そりゃ土佐だ!」

「は?」

「土佐は伊予の隣だぜ。んー、他に、何とか言っちゅうろー、とか、何とかやきーとか、言ってなかったか?」

「そうそう、それだ! 土佐かっ、左之助~、でかした!」

「へへっ、一つ貸しだな」

「ちゃっかりしてやがる。ま、でも助かった。恩に着る」


 歳三は無意識に安堵(あんど)の息を吐いて、この前よりさらに小さくなった月を見上げた。その視線を追って左之助も柱にもたれて黒い空を見上げる。


「そいで、その土佐もんだと思ってるのか? 今日の奴ら」


(あれだけの人数をあてることのできる人物、となると…)


「どうだろな。そいつらが俺を狙って来たってんなら、同じと考えるのが妥当だが、なんか、出来すぎてて引っかかる」

「まぁ、そうさな」


 そのまま二人で押し黙った。遠くから一際大きな笑い声が聞こえてきた。これは確実に朝まで呑む展開だろう。歳三は左之助と目を見合わせて、どちらともなく小さく笑った。


「いずれにしろ、売られた喧嘩は買うまでだ」

「おっ、そうこなくっちゃ。腕がなるぜ」

「なるべく殺すなよ? あとが面倒くせえから」

「あんたがそれ言うか?」


 左之助の大きな手の平が歳三の肩を叩く。


「いてぇな。先に抜いたのはあちらさんだ」


 左之助は、すっかりぬるくなった徳利から、手酌で注いで一気に煽った。


「よく言うぜ、どうせあんたが抜かせたんだろ」

「はは、知らねえなぁ」


 男二人の明るい笑い声が響いていた。


◇  ◇  ◇


 少し時を遡り同じ日の夕刻、吉原町角町。稲本楼の二階で、八郎は一人、部屋に寝転がっていた。この部屋の女は随分前に番頭に呼ばれたまま、帰ってこない。大方別の客の相手でもしているのだろう。


「――潮時、かな」


 ここ数日、こうした日が続いている。しばらく経って女が戻って来ても、返って八郎の方が気遣ってしまい、ただ一緒の布団に入って寝るだけだ。何も考えず、ひたすら女の身体を(むさぼ)ったのは最初の数日間。だがそれも身体が満足しても、心が満たされることはなかった。


「どうするかなぁ」


 八郎は考えていた。ここへ来てから、時間だけはあるので、ひたすら考えていた。己の存在、というものを。食って行くのに困っているわけではない。生まれに不服もない。剣術は思っていたより楽しく、もっと先を目指したいと思った。少々複雑な家ではあるが、実父の養子になった義兄(後の義父となる)が跡目を継いだことに、不満はない。父とて伊庭へ養子に来た身だ。そういう家なのだと納得もしている。


 それに物心ついた時には、すでに義兄が家督(かとく)を継ぎ、練武館(れんぶかん)は多くの弟子であふれていた。早々に家督を譲らざるを得なかった父も、日々道場に出ては熱のこもった指導をしている。今さら八郎が、道場や家の事をどうこう言えるものでもない。


 幼い頃は蘭学にのめり込んだ。厳しい稽古をする門弟たちを尻目に、目新しい学問に夢中になった。それを剣の道に誘ったのは、義兄である。すでに剣豪として内外から認められていた義兄、秀俊は八郎の才能を見抜き、少々強引に剣術の世界へ引き込んだ。最初こそ反発していた八郎だったが、すぐにその面白さ、奥深さにのめり込んでいった。そのまま師範代をめざすのかと、おぼろげに考えて、ふと思考が止まった。


『その後は?』


 何も出てこなかった。父は既に隠居の身だ。家督と道場は義兄が立派に跡を継いでいる。剣の腕に多少の自信はあるが、幕臣の身分を引き継ぐのは義兄だ。八郎は長男でありながら、次男という立場にある。存在する、ということは、そこにあるという意味である。では、ただそこにあるだけで存在しているのかというと、八郎は、否と考えた。そこにあるだけでは、物と同じである。では、どうすれば存在していることになるのか、それがわからなかった。


 漠然とした不安に足元が揺らいだその時、ある問題が起こった。何も考えられず、勧められるまま馴染みの女郎の所に転がり込んでいた。そのまま、一体ここで何日過ぎたのか、よくわからない。五日や六日でないのは確かだった。その翌日、ふらりと外へでて戻ってきた時、廊下の奥からの声に耳を疑った。


『――続けて泊まりんしたら、お縄でありんせんか? 花魁が言ってなんした。いつまでおりんしょう?』


 頭を殴られたような衝撃だった。八郎は知らなかったのだ。ふらつきながら、後ずさると、その背中にそっと小さな手が添えられた。


(ぬし)様? お帰りなさいんす。夕餉、お持ちんした」

「――お前」

「部屋、行きなんし」


 女はこの決まりを知ってか知らずか、初日からずっと態度を変えていない。言われてみれば、いつだったか番頭が何か言いたそうな顔をしていたように思うが、そもそも最初の頃の記憶が曖昧(あいまい)で、よく覚えていなかった。


 結局、女に背を押されてすっかり見慣れた部屋に入った八郎は、二日を過ぎたのなら七日も十日も同じと腹をくくった。どうせ行く場所などない。それから居心地の悪さを自覚しつつ、同じ部屋で過ごすことさらに数日。いよいよ追い出しにかかったのか、女の居ない時間が増えてきてここらで潮時かと、八郎が一人きりの部屋で寝返りを打ったその時。


〝――土方さん!〟


「え?」


 思考の海を漂っていた八郎の耳に、通りからよく通る声が飛び込んできた。慌てて身体を起こし、素早く窓辺からそっと通りを見た。大柄な男が誰かに駆け寄るのが見えた。


「あれは、永倉さん?」


 駆け寄った先は、軒が邪魔してよく見えない。おそらく先ほど呼ばれた相手で間違いない。八郎がアレコレ考えるよりも先に、視界に戻って来た二人組は、やはり見知った二人で、そのまま隠れるように向かいの路地裏に消えた。


「なんでここに? ……何か、あったのか?」


 八郎はさっと掛けてあった羽織を取り、襖を勢いよく開けた。


「きゃっ!」

「おっと」


 そこにはこの部屋の主が盆を手に、まさに襖に手を掛けようとしていた。上気した頬に少し髪が乱れているが、そっと見て見ぬ振りをした。知らないままがいいこともある。


「あぁ、おどろきんした。主様、どちらへ?」

「あ、ああ。――長らく世話をかけたね。今宵、帰ります」

「え」


 するとどこに居たのか、番頭が脇からぬっと顔を出した。


「いやいや、そうですかぁ。お帰りですか! 残念ですけど、無理は申せませんからね~。また、吉原にお越しの際は当稲本楼をご贔屓のほど、よろしくお願いしますよ! ささっ、お前、お見送りしてさしあげなさい」

「…あい」


 八郎の綺麗な眉がほんの一瞬、くっと歪むが、次の瞬間には綺麗な笑みを二人に向けた。


「いや、急ぎの用を思い出したので、ここで失礼しますよ。長逗留(ながとうりゅう)、世話になりました。では」

「っ、主様!」

「いいから、ね。…そのうち、また来るよ」


 女は以前から八郎の気に入りだった。居座った理由は話していないが、詮索してくることもしなかった。何か事情があると察してくれているのだろう。とにかく、今はそれより気になる事がある。女の袂にさっと路銀を落としこむと、そっと頬を撫で背を向けた。


 八郎が玄関の暖簾(のれん)の隙間からそっと窺った向かいの路地裏に、既に人影はなかった。慌てて暖簾をくぐり通りを見やると、今まさに大門を抜けようとする二人が見えた。


「出遅れたか」


 八郎は手にした羽織を肩にひっかけ、静かに人混みへその身を投じた。



  


文中に出てくる現代に馴染みのない言葉を少しだけご説明。意味自体が諸説あるので、当作品内ではこちらの意味で使用しているという説明です。


花魁 : 吉原において最上位の高級女郎。呼び出し茶屋を介さずに呼ぶことができない。初回から床入りできず、花魁から同意を得た上で三回目でようやく床入りできた。呼び出しに応じた花魁が番頭や禿、新造を従えて揚屋まで行くのが花魁道中。道中の支度や茶屋での飲み食い、祝儀に至るまですべて客持ちであったため、庶民には縁がなかった。(当時、京の島原の太夫と同列に扱われた。幕末に吉原に太夫は存在せず、花魁が最上位にあたる)

禿 : 花魁など高位女郎が寝食の面倒を見る、見習いの10歳前後の子ども。

廓 : 遊郭のこと。置屋ともいう。

番頭 : 遊郭において楼主の次、二番手の権限を持つ。現場を取り仕切ることが多い。

手代 : 番頭の下につく役まわり。実働部隊。

男衆 : 吉原で働く男性。置屋、茶屋ごとに雇われている。主に力仕事や警護、取り立てなどを担当する。

線香を切る : 低層女郎を買う際、線香が燃え尽きるまでの時間買いするやり方。

一刻 : 江戸の時の数え方で約2時間。半刻は約1時間。四半時は約30分となる。

竹光 : 本物の刀の代わりに鞘に入れておく、竹でできた刀もどき。殺傷力ゼロ&価値ゼロ。

鯉口を切る : 鞘から刀を抜く行為。先にどちらが抜いたかが重要視される。


一度載せた単語は、これ以降の説明とルビは省略させていただきます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ