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11 : Phantom

 顔を撫でる冷たい風が背筋を凍らせる。


 近くで起きた甲高い叫び声が、寝ぼけた目を覚醒へと導いた。


 バラバラに散らばった家具の木屑の上でうつ伏せになっていた自身を起こす。白く弾力のある頬に付いたザラザラした砂のような物を手で払った。


 ゾクゾクする異変に不審がって見渡した時、閉じ気味だった目は完全に見開かれた。


 窓ガラスは粉々になっていた。それどころか金属製の窓枠も千切れ、寒さを防ぐ為の多重層構造コンクリートの壁さえも焼き菓子の如く、一面が割れ崩れている。


 透明な破片が床に散らかったその上、大きい男が一人仰向けに横たわっていた。


 状況の変貌に言葉も出ないまま、起こそうと揺さぶる。温かさと呼吸を失った不動の胸にはガラスの欠片で出来たナイフが突き立てられ、鮮血が生み出した赤い飾り花が服を染めていた。


「……!!!!!」


 意味の無い叫び。視界が滲む。鼻をすすり、涙と髪をかき分けて横たわった人物を起こそうと青白い腕を引っ張ろうとした。


 だが、短く細い腕で懸命に引いても自分よりも遙かに大きな巨体はまるで動かず、精々瓦礫の上で数センチメートル滑らせるのやっとだった。


 見ると、赤塗りの壁が剥げ落ちた窓の外では更に悲惨な光景が待っていた。


 改良され百五十年来の歴史を持つロシアの近代的アパートは、カラフルなコンクリートの壁を剥がされ破片が散乱し、柱や配管がむき出し。建物の彫刻は原型を留めておらず、木材の一部には火が付いており、壊れた水道の噴水がパニックを起こしている。


 帝政時代から文化が栄えてきた馴染みのある色相豊かな街の、見渡す限り悲惨な爆撃の爪痕。今も尚、空気が破裂するような音と悲鳴が続いており、道路にはうつ伏せになった人影まで……


「……!」


 轟音に紛れ、誰かが叫んだような気がした。正面、砂色の迷彩模様に上下を包んだ人物が待ち構えていた。


 顔もヘルメットとゴーグルで覆われ、まるでロボットだ。辛うじて兵隊だという事は分かるが、人相も表情も見えない。手に持っている筒状の物体の先端と、不透過の無機質な目に睨まれ、体中が強張っていた。


 気付けば、隣にも同じ格好をした人物がもう一人、同じくこちらに向かって……いや、三人、四人……


 気付けば迷彩柄が八人分、こちらをアーチ状に取り囲っていた。皆が同じ姿勢で呼び掛ける。


「おい……おい聞こえないのか?! 両手を上げろ!」


 八本の筒先が輝いた。反射的に目を閉じ、耳を押さえる。


 それでもフラッシュは脳裏に焼き付き、振動が地面を、骨の髄をも揺るがす。


 死ぬ時は痛いのだろうか。天国はあるのだろうか。お父さんに会えるのか……七歳の少女にはそんな事しか考えられなかった。


 しかし、痛みは来ない。心なしか、足裏から伝わる振動が和らいだ気がする。


 瞼を開けると、一メートルも離れていない位置で、見上げるばかりの大きな人間の姿が出現していた。


 誰なのかも何故現れたのかも分からない。その内、もう一つ疑問が浮かんだ。


 針のような細い物体が空中に浮いていた。良く見ると八つ、それぞれの筒からこちらにかけてゆったりと漂っていたのだ。


 景色が遅いのか、夢でも見ているのか──大気が低くうなる。瞬間、針は全て小惑星よろしく不規則に回転しながら違う方向へと弾き飛んだ。


『……した? どうした?』


 何かが頭でこだまする。途端、目に映る瓦礫と謎の人物達の光景が遅くなってゆく。


『アンジュ? アンジュ?!』


 次第に呼び声は大きくなっていき、それ以上目の前で何が起こっているかを見る事は出来なかった。





















「大丈夫かっ?!」

「ふえっ?」


 耳のすぐ傍からの呼び掛けに、間の抜けた声を発しながらアンジュリーナは瞼を勢い良く開けた。


「心配したぞ、何か物音がすると思って起きたら何やら寝言を言っていたんだ」


 最初に目に入ったのは長い銀髪、ベッドの傍らに長身の女性、クラウディアが立ってあくびをしていた。


 青い目は眠そうに半分閉じかけだが、鋭く凜とした顔付きは普段から変わらない。上下を覆うのはスポーツタイプの黒いブラジャーと同じく黒のスパッツのみ。女しか居ない部屋とはいえ、豊満なボディが露わとなっていた。


「アンジュもやはり胸が大きいのは気になるのか?」

「えっ? いえ別に……」

「冗談だ。寝ぼけてるみたいだし無理もない」


 少女自身どこを見ていたのかをようやく意識し、自虐じみたからかいに戸惑う様子を見てクラウディアは笑う。


 アンジュリーナが横たわるのは二段ベッド。反対側にも二段ベッドがあり、下段は毛布がめくれているのでここにクラウディアが寝ていたのであろう。


 二人のベッドの間の壁に掛けられた円形の時計の短い針は一時と二時の間。


「怖い夢でも観たのか?」

「まあ……」

「少し待っててくれ」


 ぼうっとした少女に頼もしく応えた大人の女性は時計の真下にある、テレビが載ったテーブル兼キャビネットの引き出しを開ける。金属製のカップとプラスチックの密閉袋を卓上に出した。


 予めカップに袋の茶色い粉を入れると、クラウディアは自分が半裸であるのにも関わらず、胸と尻の膨らみを見せつけるかの如く平然と四隅が丸い扉を越えていった。


 漠然と独りぼっちにされた少女、時折目をパチリと瞬かせるがアナログ式時計の針の音以外何も聞こえない。


 耳を澄ませば、遠くから耳鳴りのような雑音が聞こえる気がする。この空母のディーゼル機関か、それとも夢の残響か。


 額に湿った感覚、ようやく自分が寝汗をかいている事を知り、自身がどれ程うなされていたのかを人事のように実感するのだった。


 二分後、丁度枕元のティッシュで汗を拭き取った所で、ポットを持ってルームメイトが帰って来た。蒸気がほとばしる湯を金属カップへ注ぎ、使い捨てマドラーで混ぜ、シンプルな桃色のジャージの袖に半分包まれた白く透き通る細い手に渡す。


「ほら、ココアだ」

「いただきます」


 取っ手を持ち、視線を寄せる。カカオの茶色に白い乳成分の円形の線がほのかに浮かんでいる。寝起きで冷え切った肌がセラミックを浸透する熱で心地良い。


 飽きるまで渦を作り続け、白人女性にしては低めの鼻を近づけて甘味の強い香ばしさに少々浸り、やっと口を付けてカップを浅く傾けた。


「熱っ?!」

「おっと冷ましてからの方が良かったか?」


 黙って口をすぼめる。三十秒程念入りに息を吹き続け、再チャレンジ。


 口の中をまろやかな甘さとバランスを取るほろ苦さが広がっていく。三回喉を鳴らした所で彼女は美味しさに口元を緩め、同居人に声を掛けられるまで「ああー……」と幸せそうに呆けていた。


「落ち着いたか?」

「何とか。クラウディアさんは飲まないんですか?」

「私はいいよ。アンジュは親切だなあ」


 腕を組むクラウディアにも笑いは伝染した。彼女が組む腕で巨乳が強調されるが、気にする者は誰も居ない。アンジュリーナの世界にはカップとココアと自分の手しか無かった。


「寝られるか?」


 飲み干したタイミングで尋ねられ、頷く少女。しかしアンジュリーナは何かを思いだしたように急に目覚めたような顔になった。


「クラウディアさん、私の居たサンクトペテルブルクで地球管理組織が侵攻したのは知ってますよね?」

「それって、アンジュもそれを体験したんだろう? そんな無理に喋らなくても……」

「いえ、自分と向き合うって決めたんです」


 つい先程までの夢、七歳の時の記憶。


「私、その時の夢を見たんです」


 ロシア西部のサンクトペテルブルク、昔よりバルト海からの接点を持ち、第三次世界大戦が始まってからは欧州からの疎開者が多く、大戦終結後も百万人規模の人口を誇っていた。


 ところが地球暦〇〇〇七年、地球管理組織がこの地へ踏み込んだ。勢力拡大を表の理由にインフラ整備や技術導入を交渉材料として自治政府に行政介入を申し入れたが、これをサンクトペテルブルク側は拒否。


 こうして管理軍は手懐けられぬと見るや否や武力行使に踏み切り、十万人を超す死者を出したという。多くの住民は更に東へと移住し、半数は管理組織の配下となっている。後に判明したが、本当の目的は当時都市に特に集まっていたという能力が未発現のトランセンド・マンの拉致だったという。


 実はアンジュリーナはその時の体験によって心的外傷後ストレス障害を患った。誰彼構わず人を助けようとする癖はその為である。発作は滅多に無いが、


「気が付けば街が壊れてて、お父さんが目の前で死んでいて……人が死んでいくのが今でも堪えられないんです。私が“力”を使えればって……」


 今まさに身体は小刻みに震え、これ以上言うまいと途端に口を閉じていた。目には涙を浮かべ、閉じた喉の奥からは嗚咽。十七歳の“超越”した少女は、恐怖に負けた七歳ばかりの子供のように成り下がっていた。


 腕と足を組んでシェイプアップされた健康的な白い太腿を露わに、反対のベッドに腰掛ける大人の女性は何も言わない。無理に刺激せず、先程までの笑顔を消して深刻に聞きに徹している。


「最近、アダム君にも訊かれたんです。どうして自分を責めるのかって……ハンさんにも慰められましたけど、やっぱり直接思い出すと……」


 ロサンゼルスから出発前、アダムに問い責められた事は彼女にとって心の奥底に突き刺されたようなものだった。本人にはその意図は無いのだろうが……


 もっともその時の少年の意思は結果が重要、という趣旨だったのだが、彼女には未来を求めようとする意志はあれど、過去に縛られ続けている。忘れたくとも、何かのはずみに虫の大群の如く湧き上がる。


 でも立ち向かわなくては。その為に彼女は反乱軍に加わり、力をコントロールする術を学んだのだから――少女はティッシュを一つ取り、顔を撫で落ちる雫を拭った。


「私、もう何も出来ないまま見過ごしたくない」


 縮こまるような震える姿に対し、握り締める大きめの掌が肩を優しく叩いた。


「アンジュは立派だよ。自分で進むべき道が分かっている」

「そうですか? でもいつも皆さんを守り切れないのに……」

「何言っているんだ、何時だってアンジュは私達を守ってきただろう? 中和障壁あってこそ実現した作戦だってあるし、皆だってアンジュを褒めてる」


 俯く少女は差し伸べようとする言葉に何かを思ったようだが言葉は出なかった。代わりに時計が時を刻む音が続き、しばらく後に鼻をかむ。沈んだ表情の浮き上がるタイミングを逃さずクラウディアは更に畳みかける。


「完璧になろうとしなくて良い。だからこそ前進出来るんだから」

「……私はいつも悩んでばかりなのに……ちゃんと進めるでしょうか?」

「そんな事ないぞ。子供の時の癖が抜けなくて苦労する大人だって多いだろうし。心の問題は人生の問題だ。長く付き合っていけば良い。自分をきちんと見詰めるだけで大したものだ」


 「あっ」と緊迫感皆無の拍子抜けたアンジュリーナ。大きく灰色の目を丸くしていた。


「そういえばあの時の事、あの後から思い出せなくて……なんというか記憶が抜けているような……」

「今は無理に思い出そうとしなくて良いさ。心理的なブレーキのようなものか。詳しくは分からないが……だとすると、アンジュの癖もそこから来ているのかもしれないな。罪の意識が恐怖症に関わっているという話も聞いた事がある……」


 何時までも腕を組んでも解決策が閃く事はなく、結局は小柄な会釈が大人の考えを引き留める事となった。


「すみません、いつも助けてもらってばかりで……」

「そんなに謝らなくて良いのに。でも原因がそこまで分かるのなら解決も近いんじゃないか?」

「癖でつい、えへへ……」

「またかしこまるんだから。日本人の奥ゆかしさというものか。だから私と違ってモテるんだろうな」


 どこかに羨望を込めた大人の、どこか疲れたようで、何かを欲しがるような視線。童顔や小柄さや鼻の低さは欧米女性には見られない魅力だからなのか。「欲しい」とでもいうようにクラウディアは妹同然の子共を見詰めた。


「なのかなあ、でも子供っぽく扱われるのはちょっと……それにクラウディアさんも男の人から声掛けられる事多くないですか?」

「そりゃあ私からすれば妹みたいなものだ。困った時はお姉さんに任せなさい……男共は皆胸と尻ばっかり見るんだ」


 わざと胸を張って自らを親指で指す大人の女性に、最後には噴き出してしまったが気を改めて「分かりました」と相変わらずの生真面目さを見せるのだった。


「眠れるか?」

「はい、もう大丈夫です。ありがとうございます」

「明日は早いぞ。予め聞いていると思うがアンジュ、艦隊の守りは任せた。私はリカルドと共に一気にオアフの滑走路を取り戻す。まだ早いが、お互い頑張るぞ。おやすみ」

「皆さんを守ってみせます。クラウディアさんもお気を付けて。おやすみなさい」


 目が輝いて見える後輩を見て微笑み、頭をポンポン撫でてやる。「もう十七歳なのに」と語尾を上げて怒らせるが、嬉しそうな顔は隠し切れていなかった。


 ココアで身体の芯から温まったお陰もあり、アンジュリーナは床に着くなりスムーズに瞼を降ろし、朝の五時までうなされずスヤスヤ寝る事が出来た。


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