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10 : Smash

 ハワイ島北部沿岸。


 月の姿が消えた夜空では、綺麗な空気と鏡代わりの海が天然のプラネタリウムを作り出していた。


 巨大な何物かの軌跡の如き天の川は、遮る物が一切無い平たい海の上で壮絶に輝いている。微かな風と虫の羽音が柔らかな光の幻想に拍車を掛け、癒やしを求めにキャンプで来る者も多い。


 やや小柄な人のシルエットが何者かの追走を振り切ろうと必死だった。


 逃げようと地を駆けていくその時、踏み込んだ左足裏に違和感。


 上手く地面を蹴れない。身体の芯までもが揺れる。


 振動に足を刈られた彼女、イザベルは咄嗟に転がって体勢を整えるが、更なる違和感に見舞われた。


 立ち上がろうとするが、ぬかるんで足が滑ってしまう。足元に目をやると、泥の如く柔らかい土の中に足首までが埋まっていた。


(振動で土を液状化させたのか?)


 直後、不協和音がイザベルの耳をつんざき、圧縮された空気が彼女を押し飛ばした。


(エロジジイめ、汚れたじゃねえか!)


 唾を吐き心の中で癇癪を起こす。だがどうであれ、向き合うべき敵を見失ってしまった。


 大きく露出する腕と足、そして肌に張り付く競泳水着に付いた泥を振り払う。体表という位置を認識し、熱で乾かせば土汚れを取るのは簡単だった。


 苛立ちに震える体を見つめ直し、目を閉じた。見えなくとも“視える”。木の枝に潜んでいる摂氏三十六度の熱源。


 ストーカー目掛けて、暗闇に溶け込む輝き──エネリオンの嵐を送り込む。目に見えぬ大量の爆竹が奴を囲った。


 マシンガンの如き熱された空気の炸裂を前に相手は両腕で頭を覆うが、上下左右前後全てから全身を防ぐ事など不可能だった。


 位置は判った――斜め上に跳び上がり、木々に隠されていた新月の夜空が一望出来る。ミルキーウェイを浴びて白く透き通った肌と赤いボブカットが妖艶に輝く。


 高度三十五メートル。一瞬星空の中に浮かび、重力に従い、下される手刀の追い撃ち。


 少し沈むような腕の感触がしたと思えば、相手の中年男性、ベルが交差した二本の腕に挟まっていた。


「なあ、糧食くらい食わせてくれねえか? 四時間も隠れたり逃げたりばっかだぞ、お前も休憩したい……」


 腹に衝撃、息が出来ない。


 今度は背を何かに強打。地面に不時着した所で、前方にあった細い幹の木が真っ二つに折れ落ちていた。


「あたしはあんたを追ってる時にもう食べたよ。だったら餓死させるまで追い込んでやる」


 膝蹴りで野郎を仰向けにさせ、十メートル先に向かって拳を振り上げる。


「意外と器用な女だな。獲物をとことん追い詰める肉食系女子という奴か?」

「何ニヤニヤしてるんだよっ!」


 相手の視線が自身の胸の膨らみと股に向かっている事に気付き、一気に距離を詰めるイザベル。だが、その後ろ手を大きく振りかぶるような動きはベルに一目瞭然だった。


 一歩踏み出し、懐へ。弧を描くフックの根元から掴んで投げようと……


「熱っ?!」


 握った手を刺す痛覚に思わず手を放し、間もなく、車に跳ね飛ばされるような重い一撃が彼を数十メートル後方へ追いやった。


 地面を削ってようやく止まり、次はどう仕掛けようかと考えたその時、


『ベル、引き付けご苦労だった。カイワイエに合流しろ』

『やっと終わりですかい。子守なんてこれ以上こりごりだ、腹も減った。それにもう歳だ、手の内も無え』


 脳内に響く声。上司の声に彼は頭の中でため息をついた。


『だったら標的を変えるまでだ。こちらも再び増援の空挺部隊が到着した』

『波状攻撃という訳ですかい。“波”ならば俺の得意ですがねえ……』


 通信に要した時間は一秒未満。テレパシー型通信機は超越した知覚能力を利用してこうした素早い伝達というメリットもある。


「もうお別れらしい。口以外は良い女だったのによ」

「何を!」

『よせイザベル、追うな!』


 森の闇に消える中年男性目掛けてエネリオンを飛ばそうとするが、突如イヤホンから制止が掛かった。


「でも……」

『市街地で長期戦に持ち込むしかない。幸いヒロにはソロモン滑走路から輸送機隊が到着した。民間人も避難させられるし、向こうの艦隊も島西部に退いている。あと一日の辛抱だ』


 赤外線や熱を探知する暗視ゴーグルといった夜戦装備は、視認距離は当然、僅かな温度差や動体検知、生物の吐く二酸化炭素のスペクトルにも反応する程に性能が向上してはいるが、電磁波が壁を通過する訳ではないので遮蔽物が多いエリアでは流石に効果が薄れる。


 装備や科学技術では管理軍に先手を取られている為、有利に立ち回る為にも地の利を最大限活用するしか反乱軍には道は無い。


「あのエロオヤジめ、今度会ったら……」

『お前も露出多いんだよ。いきなり脱いで水着になったりして新人達が困ってると噂だぞ』

「そっちじゃない! あの男、汚い言葉ばっか掛けやがってセクハラだぞ!」

『いつの死語だよ。ともかく戻って来い、着替えも用意してるから』


 プルプル震えながら、八つ当たりに端末を握り潰し投げ捨てないように気を付け、代わりに無言で通信を切る。そして自分が今まで着ていた水着にため息をつく始末だった。





















 ロサンゼルス、現地時間二十三時三十分。


 サンタモニカ丘陵の麓にある反乱軍基地、その端にある高さ二階、深さ三階ある研究棟、の廊下をアダムは歩いていた。


 途中、扉が開いていたが、目的地ではない。しかし何故開けたままなのか。


 細かい事でも気になってしまう。閉めようかとスライド式の取っ手に手を掛けた。


「ん? おっアダムじゃん」


 腕を引く直前、自分を呼ぶ馴染みの声がし、手を止めた。


 夜中だというのに陽気で好意的なリョウは構わんと言わんばかりに寄ってきたかと思うと、手の中にある拳銃の形をした物体を見せびらかした。


「この前の奴らの武器を改造してたんだ」

「おい、“改造してもらってた”だろ? 下っ端ギークを侮るんじゃない。全盛期の東京だって下町の小さな工場が支えてたんだ」


 突如、部屋の奥から得意気な青年を呼び止める声。白衣と軽くパーマした黒髪。目が細めで鼻も少々低いのはアジア系の血筋か。


 特徴的なのは角が丸みを帯びた方形の縦に狭い眼鏡。半永久的に取り付け可能な酸素を透過するハニカム構造コンタクトレンズが一般的な世の中では珍しい。少し目を凝らすだけで光の屈折と偏光による様々な波長の錯乱が見える。


「こいつはニコラス。偉そうだが腕は確かだ」

「姓はカーペンターだ。大工ではないが。一応ミドルネームはマツシタだ。誰も呼ばんが。能力に見合った地位が与えられんのが悲しいがね。まあデスクワークなんかより油まみれになる方が好きだが」

「いつも一言多い奴ではあるが」

「悪いかね?」


 涼しげに手を広げるニコラスと呼ばれた人物。自分のターンが回ってきた所でリョウはようやく本題にありつけた。


「ところでこれ見てくれ、電磁パルスだ。電磁波で電子回路を乱したり壊したりする。このタイプのは指向性あるレーザーみたいなもんだな。この前は監視カメラをこれで駄目にして映像証拠残さねえようにしたんだろうな」

「こんな旧式のゲル化電池では長くは持たんがね。しかし無くとも“君達”なら車両や重火器相手ならコテンパンだろうし、いざとなればハンに任せれば良い事だろう」

「そういう無駄が楽しいんだろうが。俺だって刀持ってるがやっぱ殴るのが一番だ……あっ、ところで何の用だっけ?」


 アダムを置いてきぼりにした事に気付き、顔色を窺う。何時もの無表情だったが、飽きられているようにも見える。ニコラスは眼鏡を指でクイと整え、見てるだけ。


「ドアが開いてたから気になっただけだ。チャック先生に用がある」

「さっきトイレ行ったもんでな。だったら臨床試験室だ。場所は分かるか? ここ最近お前のゲノムや薬品調べてるのにめっちゃ苦労してるらしいぜ」

「それなら知っている。ありがとう」


 真意は分からなかったが、少し考え過ぎだったようだ。無愛想に背中を向けて一つ返事をするのは相変わらずであったが。


「そうそうアダム君、君の事はリョウから色々聞いたが、」


 戸の取っ手に手を掛けた少年を呼び止めたのは眼鏡の男だった。


「少々面白そうな獲物を考えているもので、出来上がったら知らせよう。私はハンの武器も作った事があってね、他にも普通の人間の特殊部隊でも、我ながら評判だ。かつてない使い勝手の近接武器をあげよう」

「分かった」


 約一分、彼は目的地のドアの向こう、茶髪の白衣を着た中年男性を見つけた。


「おっと、噂をすればか。瞬間移動能力でも持ってるんじゃないかと思ったぞ」


 目当ての中年医者を目前に、少年は無意識に鼻に入って来る違和感に思わず口を開けた。


「臭くないか?」

「そういえば風呂に入ってなかったな……で、何の用かね?」


 呼吸の音も聞こえなかったのに何故? と軽くショックを受けながら威圧され気味に応じる。アダムは表情一つ変えない。


「自分の能力を知りたいんだ」

「と言うと?」

「自分に何かしらの特殊能力があるという事が分かった。だがその正体が分からないんだ」


 悩むように手入れされずボサボサな茶髭を撫でつつ、中年男の顔はどこか不気味にも見えるように口元を緩めていた。


「トランセンド・マンの能力は人それぞれで違うが、それには遺伝子が関係しているという説が有力でな、親子や兄弟で似た能力を持つという事例は多い。能力の生む効果がどうであれ、その根本的な部分はつまりはお前さんのDNAの内容次第という訳だな」


 興味あるのかアダムは何か期待するような眼差しを向けていた。


「お前さんのDNAの塩基は六種類もあって、残り二種類の糖の構成は分かってはいるが、タンパク質の合成に関わってはいない。つまり“今の時点では機能していない”ジャンクDNAとやらだ」


 ジャンクDNAはDNAの大部分を構成してはいるが、生命の維持には皆無といって良い程機能しない。しかし、断片化したDNAから進化の過程を読み取ったり、潜在的な遺伝子を生み出したり、即ち種の世代を超えた存続の歴史に深く関わっている。


「そのジャンクDNAの分析内容で能力が分かるのか?」

「いや、遺伝子が関係しているという説は有力だが、今までは遺伝子のどの部分がどのように能力に作用しているのかは分からなかった。しかし、お前さんの特異なDNAでそれが分かるかもしれない。それと思われる部分には目星が付いているからな。丁度それの研究を行っていてな」


 向こうが食い付いてくれると医師は遙かに上回る熱意をぶつける。キリの良い所でようやく後悔したが。


「独り言ばかりですまん……」

「いや、自分も似たような話をしようと思っていた」


 ばつが悪いように苦笑いを浮かべていたチャックは、「ほう?」と途端に目を輝かせた。


「この前襲撃された時、何とか撃退しようとエネリオンを掌から撃った。命中した相手の皮膚が赤く腫れて血管が浮き出ていた。この正体を知りたい」

「リョウからも聞いたな。そういえばお前さんが急に病気みたいに熱が出たが、あの時お前さんの体内からウイルスが確認された。しかも工作員の持ち物からも似たウイルスが数種類見つかってな……」


 ギュルルルルル……

 

 突如、自分の腹の底から鳴る音に絶句する。


「カッコ付けたかったのに……」

「昼間から何も食べてないでしょうが先生。医師の不摂生なんて何時の時代だか」


 近くの椅子で何やらキーボードを打ち込む若い研究者が水を差す。ひもじそうに辺りを見回し、一周回って自分の机に置かれた銀色の包み紙に入ったプロテインバーを鷲掴みにした。


「そうしよう……という訳で明日で良いか?」

「構わない」


 踵を返し、廊下に出たアダムを、ストーン医師は後輩と一緒に大きく欠伸しながらも手を振ってやった。




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