4 : Interrogation
「俺か? 俺はデューク・トンプソン」
六面全てが白い殺風景な小部屋、無機質な金属製の机の前で座る男が二人居た。
デュークと名乗った濃い茶髪の男――先日、アダム少年を誘拐しようとした内の一人は一定のリズムで何やら指先で机を叩いている。
「偽名みてえな名前だな」
「文句なら俺の親父とお袋に言え。まあ話せるだけは話すぜ。何しろ今まで労働条件が最悪だった挙句、ボスに見捨てられちまうんだからな」
「二度目の人生って訳か。このコーヒー欲しいか?」
向かい合う席に居るのは同じく茶系統の肩まで伸びた髪が特徴的な青年、リョウ。こちらは鍵が付いた金属製のドアを背にし、五百ミリリットル程のタンブラーに入った湯気を放つ茶色い液体をズズッ、とすする。
「やらん。だが答えりゃドーナツのセット付きだぜ」
「人権団体に訴えてやりてえぜ。どことなく前のボスに似た野郎だ」
鉄格子の窓を背にする人物に中指を立てられるも、リョウは反省どころか更に音を立てた。
「で、どこまで話したっけ……とりあえず目的は管理組織のお偉いさん直々の依頼達成だった。どういう理由であのガキを誘拐しなきゃならんのは知らんが……これはこの前言ったと思うが」
「今日はあんたらのボスだった人物とやらを詳しく知りてえ」
「成程、それなら退屈しのぎになりそうだ……ドーナツくれよ」
今度はおもむろにテーブルの上にあった皿の上の赤いジャムが塗られたドーナツを食べ始める日系人。甘味を苦味で胃の中へ流し込み、冷ややかな視線に答える。
「今度連れて行ってやる。良いイタリアンカフェがあるんだ。ケーキも美味い。糖尿病で死んでも惜しくねえくらいにな」
「この野郎……で、まずボスの名前はアルフレッド・ジョンソン。世界を転々として管理組織の工作員をやってる。人脈が広くそれを利用して足りない人員を即興で雇ったりする。俺みたいな金の亡者をな」
ドーナツをむさぼる様子を見せびらかせられ、相手は机の上の拳を硬く握る。髪と同色の瞳はテーブル向こうのドーナツに焦点を当てている。
「今度は執事みたいな上品そうな名前しやがって……能力は? 詰まる所それが一番興味あってな」
「そういう訳か……俺もほんの少ししか聞かされてねえが、どうやら自分のDNAからウイルスを作るんだとよ」
「自分でウイルス作るとは趣味悪いな……」
「ドーナツ食べさせてくれねえあんたが言うな。ウイルスの性質は自在に変えられるらしい。物質を粉々に食い尽くすだとか、薬剤を生み出させるとか。テレパシーで遠隔操作も出来る」
「ウイルスねえ……うちの医者もそれは突き止めてたな」
顔をしかめる囚人を無視しながら腕を組んで寝るように椅子にもたれる。
「今そのアルフレッドって野郎がどこに居るかは分かるか? 今度会ったらあのウザい髭を燃やしてマシュマロを焼いてやる」
「俺はあんたの顎髭も燃やしたい。ここ数ヶ月はカナダのカルガリーに居たが、今もしばらくはそこに居るだろう。それ以降は分からんが。だがボスが管理軍の依頼で動く時ってのはよっぽどの事だぜ。隠し事が好きな政府の奴らの事だ。そりゃとんでもない事態だぜ」
「ますます気になるな……」
ドーナツを一口頬張ってモゴモゴ喋る態度は誰がどう見ても興味なさげだったが。
『そこまでにしよう。無理する必要はない』
「了解……今日はもう十分だ。精々残った仲間の一人とロスでの滞在を楽しめよ」
「じゃあここから出してくれ。せめてハリウッドサイン拝ませろ」
白けた目が向けられる中、左耳のイヤホンから静止を求める声。隠すのが面倒臭いのか気だるげに虚空に向かって喋り、皮肉を交えて皿とカップを取る。
「ここもロサンゼルスだろ、一応。ありたきりな観光地ばっか行っても詰まんねえだろ」
椅子から立った茶髪の青年は机に身を寄り出し、半分だったドーナツを自慢する如く捕虜の目の前で食べてみせた。
立てられた中指と憎しみを背に、金属製の重いドアの向こうへ。そこでは、白衣を着た小太りな中年男性が待ち構えていた。
「全く、子供じゃないんだから……」
「ドーナツ欲しさに吐いてくれるだろ」
「だから子供かお前は……でもこれ以上も情報は引き出せなさそうでもあるがな。向こうの守秘義務も徹底されてるんだろう」
医師が唾を吐かんばかりの青年をなだめようと一汗。
「ウイルスはテレパシーで操作するという推測は正しかったな。しかし、性質まで変えられるとは驚きだ。まさかゲノム編集を自力でやるとは。様々な種類のウイルスどころか薬品まで……」
「要は脅威って事だろ?」
「だな。しかし、この場合ウイルスに対する血清を種類分用意しなければならないから向こうがどんどん変えていけばキリがない。大変だ……」
「そうかやべえな……いざとなりゃ俺が燃やすか?」
「お前さんならそれで大丈夫だろうが、これでパンデミックを起こされたらなあ……とはいえ、これを扱う男が極秘任務に特化した者ならそう大々的に使う訳でもなかろう。だが念には念をだ……」
一段落し、チャックは皮脂でべっとりした額を白衣のポケットから出したハンカチで拭う。
「しかし、奴らの処分はどうする? もう敵意は無さそうだが」
「私は医学しか学んでこなかったから法制執行なんて分からん。まあハン達が帰ってきてからになるだろうな」
その時、リョウが着たカーゴパンツの前ポケットが不自然に震える。手を伸ばし、バイブレーションを発する携帯端末を手にして画面を見た。
「……どうやら客が来たらしい」
「最近はロスにも結構集まってきて嬉しいな。皆近頃はアジアやら中東やら居るからなあ」
「しばらくは退屈はしなさそうだ。どうやらトレバーも帰ってくるらしい」
「それは頼もしい。不可解な言葉に頭痛が酷くなるかもしれんが」
簡易メールを閉じ、青年は楽しそうに笑った。対する中年の医者はまたも冷や汗をハンカチで拭う。
ロサンゼルス、ロングビーチ港。現地時間で午前十時。
反乱軍がロサンゼルス市の統治機構を整えて以来、空軍基地となった旧ロサンゼルス国際空港やサンタモニカ山の軍事施設等と同様、サンディエゴと統合され新たな軍港としても機能してきた。
岸から海に伸びた簡素な堤防のような港の埠頭から、複数の戦艦が出航した。付近を響かせるサイレンが近くの住民達の不安を煽る。
空母を中心に、計十一隻のチタン複合材料により軽量化された船が時速百キロメートルにも及ぶ高速で、海面を押しのけて全速前進。
全長三百メートル以上にも及ぶ巨大な滑走路を持つ空母の上では、左右の翼に角度可変のプロペラが付いた、垂直離陸可能なティルトローター式輸送機が複数降り立っていた。
荷物を出し入れしたり、甲板端のエレベーターから格納庫へ降ろしたり、内部は更に整備士や金属音で賑わっていた。
少し離れた艦橋では居住スペースや指揮室を、兵士や技師が行き来している。その一つ、
廊下同様、配管がむき出しになった、二段ベッドが部屋の端に二つ置かれたコンクリートの壁の狭い部屋、片方のベッドの下段で座り込む一人の姿があった。
ロングの灰髪の彼女は、まだ成熟しきっていない顔を俯かせ、手に取っている小説を虚ろに眺めている。
突然、ギイ、と金属で出来たハンドル式の水密扉が鳴った。
「アンジュ、具合は?」
「ん? 大丈夫ですよ?」
姿を現した中華系青年、ハンがすぐさま質問。若干幼さが余る顔がキョロキョロ動く。
「疲れた顔をしているよ。今日は並みも穏やかだし、余程酷い人じゃない限り大きな船じゃあ酔う事は無い筈だ」
「あ……あうぅ……」
何故か落ち込みを見せるアンジュリーナ。想定外の反応に困惑したが、青年は傍に寄ってなだめた。
「ごめんごめん、責めるつもりは無いよ……出発前のミーティングでアダムと何かを話していたみたいだけど、何かあったかい?」
「はい……でも良く分かりましたね」
「そうかなあ? 兄弟が多いからかな……」
アンジュリーナが膝に置いた手を握るのが見えた。
「……人を殺せないのは、おかしな事ですか?」
上段のベッドの影で隠れてはいるが、眉を曇らせる少女が見える。肩がわなわな震えている。
「いいや、それが正しいと思うよ。戦いというものは本来は勝利ではなく平和という目的のためにある。具体的には殲滅じゃなく、撤退か降伏させるかが肝心だね。こちらの要求を受け入れさせるためには、互いに条件を出し合うんだ。戦争もやっている事は同じだ」
目をチラチラ合わせているが、何やら納得が行かないのか、顔を一向に上げない。
「……でも君に大事なのはもっと別だ。本当にどうしたんだい? 君はいつも戦いの前は皆を守ろうと張り切っている」
眉はまだハの字だが、灰色の瞳が上を向く。
「……私、アダム君に言われたんです。私は自分の事でもないのに責任を負っているって……」
片手で自身の側頭部を鷲掴み、黒目が泳いだ。
「なるほど……僕も同じだよ。リョウやレックスにも言われる。僕の指揮で結果を生み出せなければそれは僕の責任だ」
すると、同調するように青年もどこか悲しげに言い始める。
「僕には下に四人も兄弟が居る。だから僕がしっかりしなきゃならないと思っているよ。弟達のために動く事を考えれば、あまり重圧に悩まされずに済んだ」
考えるように、ぼんやりとハンは明後日の方角を見ていた。
「アンジュ、君は何のために自分が責任を持たなければならないと考えるのかのか……原因があるから結果もある。大事なのは突き詰める事だ。少し聞いた事があるけど、心理学においても精神病や鬱といった心の乱れにおいて、その原因が分かった時点で治療はほぼ解決していると思っても良いらしい」
何かと疑わしい目を向けられるが、青年に揺るぎは無い。年下を制す年長者の優しさだ。
「それから、君は往々にして他の人の事ばかり考えている。それは別に悪い事じゃあないけど、自分にも考えを巡らせる事は大事だ」
アジア青年は少女がページをめくる手を止めている本を見て、更に言った。
「本だって、ただ文字を読むだけじゃ駄目だ。文字の羅列が何を意味するのか、真実を見通すんだ。そして、それを紐解くのはそれらの意味を理解する根本、他ならない自分自身の問題だよ。本なんて無い」
「やっぱり、私自身の事も気にしなきゃ駄目ですね。自分を見つめ直します」
背筋をピンと伸ばすロシア系少女の目からは澱みが消えていた。
「疲れないよう程々にね」
「ハンさんまで頭撫でないで下さいよー」
「弟達はこうしたら喜ぶんだ。到着までまだまだ時間はある。ゆっくり休むと良いさ。さっきレックスとリカルドが誰か一緒にゲームをやらないかと言っていたけど、どう?」
「私もう十七歳ですよ? シューティングはちょっと……」
何かを思い出すようにして遅れて言う少女の顔は何やら苦笑しているが、眉の形はすっかり戻り、口元もせり上がっている。
「まあうるさいから無理も無い……自分がしたい事で良いよ。オススメは何か無い? 最近は実用書ばっかり読んでしまっててね」
「そうだなあ……これとかどうです? 記憶を題材にしたSFサスペンスなんですよ」
「夢が現実が混じっているようで面白いよね。まだ開発されてなかった時代なのにVRの本質を突いているようでもあるし。久し振り読んでみようかな。僕はこの頃のSFなら宇宙の戦士もおすすめかな。パワードスーツが楽しめるエンタメだよ。他にも……」
部屋の小さなキャビネットに並んだ本を一瞥し、青年は一つを手に取る。向かいのベッドに腰掛け、二人は雑談を始めるのだった。
尚、十分後にはハンはベッドに寝そべり、アンジュリーナは行儀良く座ったまま、それぞれの本を無言で読むだけの読書会となった。