3 : Pressure
「アンジュ、訊きたい事がある」
部屋のドアを開けて皆を出し、鍵を掛けようとしていたアンジュリーナだったが、最後に出ようとしたアダムが問い掛ける。
「な、何?」
辺りにはもう誰も居ない。この時を待っていたかの如く、少年は詰め寄った。少女は青く冷たい目に見透かされるような恐怖を覚え、自動的に息を殺していた。
「この前工作員が誘拐しようとした時、君が何故自身を責めるのか分からなかった」
「そんな、だって私が……」
「ハンやカイルも言っていただろう。結果が全てだ」
アダムは少女を責め立てるつもりなのか、それとも励ましたいのか――彼女自身からでは全く読み取れなかった。
「でも、私が止められたのに止められなかったら、それは私のせいだと思うわ」
「考える必要の無い事だ。ならば不意打ちに対応出来なかった自分が悪い」
「でも……」
少女の長い髪が、色白なその顔に影を差した。
「何故自分のせいにするのだ?」
「……」
質問が増える度に影が深さを帯びる。何故こうも問い詰めるのか、少女には分からない。
「アダム? アンジュ?」
後ろの方から爽やかな落ち着いた声がした。解放されたように少女は一息、無意識に閉じていた目と口を開く。
手はいつの間にか胸の前で組んでいた。なだめるような声を発する大人に向かってすがるように、歩み寄る。
「早く行こう。顔色が悪いけど大丈夫?」
「あ、はい」
「空母は大きいから波があっても安定してるからゆっくり休めるさ」
もれなく泣きそうなアンジュリーナの肩を落ち着かせるようにポンポン叩き、部屋の外へ。
「気を付けろ」
「勿論だよ。じゃあそっちも気を付けてくれ。見送りに来ないかい?」
「結構だ」
「じゃあ戸締まりしてくれるかい?」
「分かった」
手を振って何処からかアンジュリーナから貰っていた部屋の鍵を渡す中華人。素っ気なく受け取り、ドアの向こうに消える彼を見届けた。
(アンジュに言ったつもりだったが、別に良いか)
どこか落胆したかの如く、少年は肩を落としていた。
(自我、か……その奥の無意識にアンジュの根本的な行動理念があるのか……)
ミーティングの前、チャック医師に言われた事を思い出す。
それが分かればアンジュリーナがああいった極端な行動を取らない日が来るのだろうか。
ハワイ、オアフ島。
島南部の反乱軍基地では、一人を除いて切羽詰まった空気に気圧され、動けずにいた。
「しかし驚いたな、あっさり降伏するとは」
「故郷を守りたいだけの老いぼれさ。こっちこそ、そちらのレーザーの破壊力とやらには感服だ」
管制室、普段は飛行中の航空機の場所を示すレーダーである中央デスクは消え、代わりに一人の青年が居座っていた。
銀髪も碧眼も明るく、身長は百八十センチメートル程だが、顔には幼さがまだ残っている。
「流石だろ? でもまだこんなもんじゃねえぜ。じきに援軍がこっちに来る。詳しい話はそん時だ」
得意げに、そして室内の人間を見下すように言った。
「お前一人でこの島全てを掌握するつもりか?」
「人間なんて大勢を相手する方が簡単だ。ちょっと脅かすだけで良い。それに島の北の方では揚陸部隊が到着している頃だろう」
質問するのはこの中で一番最年長であろう、頭頂部が禿げた白髪のやや太った老人。額には汗。
「一応訊こう、何が望みだ?」
「そりゃハワイだ。あんたらの本拠地を攻めるのに丁度良いだろ。それに南国は誰だって行きたいだろ? 月の次にな」
「宇宙旅行に行きたいと思うのは二十一世紀半ばの人間くらいしか居ないと思うがな。だがそれだけではない筈だ」
「簡単に言えばここに埋まってる資源が欲しくてね」
緊張か恐怖か、老人の口調は平坦だった。
「やけに親切だな。敵だというのに」
「まあな。どうせオアフの外には漏れんし」
「どういう事だ?」
「明るく照らすだけがこの能力じゃねえのさ」
白い人差し指が天井を向いた。
「まさか、島全体を電波妨害しているとでもいうのか?!」
「一体どれ程の規模の処理が出来るんだ……」
その時、管制室の正面窓ガラスが煙を上げ、穴が空いた。
驚いて声を張ったオペレーター一名が椅子から転げ落ちたのは、全く同じタイミングだった。
直後、オペレーターは額に穴が空き、彼は横向きにだらりと動かなくなった。焼けたのか穴から煙が僅かに生じている。
「な、何を!……」
「お前達の心臓は俺が握ってるってこった。凄えよな、力ってのは。金持ちだろうが貧乏だろうが、頭良くても馬鹿でも、強力な力の前には無意味だ」
死体と狼狽える人間共をあざ笑い、座っている管制パネルの上に仰向けになった。
「自分が神とでも言いたいのか?」
老人の青い目が睨む。
「まあな。俺達はそんなもんだ。ところでトランセンド・マンはどこに居る? 無防備な訳でもあるまい」
「皆本島に向かってもらったさ。こっちが陥落しても、あっちは渡さんよ」
「別に俺が行くまでもねえ。俺はサムってんだ。退屈だから色々話でもしようや。折角ハワイに来たんだから観光地にも行きてえもんだぜ」
舐め腐った態度の青年に刃向かう者はもはや誰も居なかった。
やがて、静けさと電波妨害に包まれたオアフ島基地には、揚陸してきた大勢の管理軍車両がどこからともなく現れ始めた。
オアフ島より東百キロメートル、モロカイ島より北五十キロメートル。
数十キロメートルもの距離を取って二つの艦隊が水平線の向こう側をそれぞれ睨み合っていた。
西側には揚陸艦一隻を従えた管理組織軍、駆逐艦二隻、巡洋艦二隻、ミサイル防空艦一隻、空母一隻。
東側には駆逐艦三隻、ミサイル護衛艦二隻、巡洋艦二隻、これらで編成された反乱軍。
しばらくの間それぞれの発射するミサイルが上空を行き来するが、どちらも対空機関砲やミサイル、レーザー砲に撃落されては空中で虚しく爆風と破片を散らすだけだった。
艦砲も同様だった。地球の丸みに隠れて発見・撃墜されにくい砲撃を行えるのが艦砲射撃の利点だが、“超越せし者達”がそれを阻止していた。
管理軍側、艦隊より先陣を切って穏やかな波の上を歩く一人の姿――白髪混じりの茶髪、ケビン・リヴィングストン。
トランセンド・マンが兵器として台頭した事は、海戦においても大きな意味を成した。
トランセンド・マンの運動能力は水中も例外ではない。時速二百メートルを超す潜行速度は当然ながら、エネリオンをエネルギー源にする事で潜水時間も遙かに長い。現在の戦闘艦の最大速度でさえ時速百キロメートルという事を考えれば驚異であろう。
特に、ケビン・リヴィングストンの「液体制御」のように水中戦に適した特殊能力を持っていれば殊更だ。更には元が人間なので艦船への侵入も容易で内部から簡単に制圧される可能性もある。
こうして現在の状況と同様に、水上でも両陣営のトランセンド・マンはそれぞれを抑制する役割を持つ事が多い。また、速力も劣る空母や潜水艦では強力な防御機能を持たせるのがセオリーだが、兵装に限界のある潜水艦は比較的運用される事も少なくなったという事情もある。
海と空の境界、見える――直径百二十七ミリのドングリ型の砲弾。
念ずる。海が隆起した。
念を空へ。隆起は鋭く尖り、柱となり、勢い良く上空へ。
ドゴン――海水から出来上がった槍が弾を貫き、黒ずんだ火球が天を覆う。破片や塵が降ってきたが、気にしない。
手を前に、更に生まれる水柱。上空へ飛び立つ度に空が破裂する。
(詰まらんな、俺から直々に相手してやるぜ)
足の裏だけで浮くケビンの身体が沈んだ。途端、水流が彼をまとい、海面すれすれを高速潜行する。衝撃波の如く押しのけられた水が白い波を作り、彼の軌跡を描いていた。
止まり、浮いて視界正面、豆粒のような敵艦隊を認めた。時折ミサイルや砲撃の発光が見える。
逃さず、海面から水槍を生やす。数百メートルを一瞬で登り詰めたそれは秒速千メートルを優に超える質量と炸薬の塊を正確に貫き、誘爆させる。
と、背後から空を裂く衝撃波――味方の放った砲弾が、敵艦の手前で爆発した。
良く見ると、透明な壁に阻まれた如く、爆風や破片は奥側へは届いていないらしい。
(強力な防御能力者が居るらしいな。なら俺が相手だ)
数百メートル先に向かって手を差し出す。海面が隆起し、横方向へのジェット水流と化する。
甲板の上──誰かが手をかざすのが遠目に見えた。微かな光。
音速を超える水流は何故か途中から勢いを失い、水の塊となって重力に従って海に戻った。
(成程、少しは骨のありそうな奴だ。以前イエローストーンで俺の水流を止めた女のガキに匹敵するか。それ以上か)
こちらを襲ってくる気配は無い。砲やミサイルも相変わらず遠く斜め上を向いていた。
(ベル、聞こえるか? お前の番だ)
『やっと活躍出来るか。しかし、どうあがいてもあんたやサムにも劣ってしまうのは辛いぜ』
(そう泣き言言うな。地味さが大切な時だってあるさ)
『あいよ』
低い声が防水イヤホンを通じて応じる。髪の色と同じ大柄な中年男性の目は海、その下に潜む何かを見ているようだった。
果てしない水の世界には、時折回遊魚が泳いでいるのと光の届かぬ奥底……
一端に辛うじて人影が見える。姿は手を前に、何かを発射するかの如く……
グオン……前方遠くで、船が横にゆっくり大きく揺れた。
『ちくしょう、威力が足りねえし、おまけに防御能力担ってる奴がこっちにも気付いて障壁張りやがった。これが本当の“陽動”ってか』
(防御に徹させて退かせるだけでも十分だ。ここを退かせりゃ後は上陸戦ってこった。三日後に到着するだろう反乱軍の軍勢にも備えても早く制圧して防衛線敷く方が良いだろう。お前はそのまま正面から揚陸隊を導け。俺は島の裏から回る)
『戦場での頭の回転は流石だな。俺と来りゃあ地上でも水中でも中途半端だ』
(まあそうネガティブになるな。万能ってだけさ。さっさと羊の群れを追い込むぞ)
『制圧終わったらラム肉のソテーにするか?』
(生憎俺は臭みが好みじゃなくてな。そこはガーリックシュリンプつまみにラム酒だろ)
『その案に賛成。ではしばしの別れだ』
(安いフラグで死ぬようなタマじゃないと信じるとしよう)
フッ、と苦味を帯びたイヤホンから息が漏れる音。直後、ケビンは再び潜り、ミサイルをレーザーで迎撃しながらバックし始める艦隊目掛けて水を味方に追跡するのだった。