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8 : Adjustment

「アダム君」

「何だ?」


 医務室から移動中。


「心配なの?」


 アンジュリーナが訊いた。


「逃げたい」


 アダムはそうとだけ答える。「心配」という概念を知らないが、少年は彼女が何を言いたいのかを何となく分かっていた。


 たった十数秒後、一行は点灯していない赤いランプが上に付いた、横開きの扉の前に着いた。ランプには【手術中】との表記。


 チャックが軽く取っ手を引っ張り、白く清潔な手術台が部屋の奥に見えた。周囲にも汚れ一つ無い手術道具の数々。


「簡単なものだ、すぐ終わる。さあ、これを着てくれ。アンジュも、一応な」


 中年男性は二人に外科手術用エプロンを手渡した。命令に従い、二人はそれから手をウエットティッシュで拭き取る。


「今から麻酔を打つぞ。トランセンド・マンの防御機能は薬剤にも及ぶが、その気になれば意識して解除する事も可能だ。出来るか?」

「多分」


 少年は手術台に仰向けに寝ると、自分の体に流れる不可視の輝き、エネリオンを意識する――自己を守ろうとする機能に付加された力を認識する。身体の免疫機能を増幅している力だ。


 解除する。力が抜ける感覚が体中を巡った。と思うとチャックが素早く、正確に注射を血管へ差し込む。


「良い夢を」


 結構強力な麻酔だったらしく、そのジョークを最後に、アダムの意識は照らされる手術用ライトと対照的に、段々と暗闇の奥へ遠のいていった。


 横たわる少年が瞼を閉じるのを見ると、端から見ていたアイルランド系医師がメスを握る。小さいが鋭い刃が、スムーズに少年の皮膚をなぞるのを見て胸の前で手を組んだ。





















 何処かに運ばれている。目が痛い。


 動く意思は無い、が、それにも関わらず何かが運んでいる。


 動かない。動きたいのに。


 動かされるのが不快だ。


 やがて、身体に掛かる速度がゼロになった。目が開く。


 眩しい――ただ白いだけの光。慌てて目を閉じた。


 背は硬い何かの上に載っているらしい。眩しさはカット出来ない。


 ふと、何かが胸や腹の上に触れた。しかも一つだけではない。


 触れた何らかの物体はやがてどれも皮膚の上をなぞり始める。


 そして、触覚は消えた。しかし視覚は消えたままだ。


 見たい――仰向けのまま、少しだけ動く首を僅かに傾ける。


 瞼を開いた。


 そこにあったのは、表面を裂かれ内臓がむき出しになっている身体だった。それも切り口は幾つもある。


 更に傷口の上から細い金属製のアームが伸びて細かく動いている。アームには鮮やかな赤みを帯びる血が付いていた。


 手術用ロボットらしい。アームの根元は天井に伸びている。人の気配は感じられない。


「……!」


 声を出そうとしたが、出せない。


 すると、各アーム達が皮膚の内から這い出てきた。そして傷口を撫でる。


 傷は痕跡も残さず消えた。タンパク質を結合させる医療用の接着剤か。


 不意に、身体が持ち上げられた。抵抗しようにも体はまだ自由を取り戻せていない。


 気付けば、胸と腹が押し付けられていた。上下が逆になっていた。


 一瞬、今度は腕に何かを刺される痛み。


 瞼が重くなってきた。麻酔だろうか。


 首の辺りをなぞられる感覚を最後に、意識は……





















 光――目が自然と開いた。


「あ、起きました」


 少女のソプラノがアダムのぼやけた意識を覚醒させる。


 首を回すと、最後に見た手術室と同じ光景が待っていた。横の台車には血の付着した手術道具や、摘出したと思しきコンピューターチップがトレーの上に置かれている。


 上半身を起こした。服は着せてくれたのだろう、既に着て来た服に着替えられていた。ジャケットに手を入れると、下に隠している拳銃とナイフを触って確認出来た。


 寝ている場所は手術台ではなく横の簡易ベッドだった。同じ部屋に居る人物二人も手術用のエプロンではなく、普段着の姿である。


「少年、実は言いたい事がある。構わんか?」

「何だ?」


 すると、チャックが左上の方角に目線を逸らしながら、躊躇うように発言した。間も無く少年の返事。


「それがな、首の後ろにあったチップだけは除去出来なかった……」

「何故だ?」


 医者の告白に、少年はただ問う。無表情のその顔は、この中年男性にとって責め立てられているようにも感じた。


「言おう。チップが脊椎と一体化していたんだ。接合部は完全に有機体で生体電気が流れている。無理矢理外そうしたら危険なんだ」

「そうか……」


 肩を落とし、謝罪を込めた医者の発言へアダムは一言だけ述べ、それからは何も喋らなかった。


「少年、大丈夫なのか?」

「あまり良い気分ではない」


 表情一つ変えず、少年は平坦に告げた。


 ただ、その台詞に過剰反応したのが一名。その人物は何を思ったのか駆け寄る。


「どうしたの?」

「……」


 アンジュリーナの問い。一方アダムは俯いて何か迷っているらしかった。


「む、無理しないで良いわ」


 少女がそう提言したのも無理はない。彼女は、今のように彼が何か黙り込んで口を開くまいとしている様子を見た事があった。


 この前イエローストーンの管理軍施設を攻撃した際、その帰り道、彼は悩んでいた。そして怒鳴った。彼にとっては発言自体が苦なのだと、この時悟っていた。


「いや、言うべきだ……あらゆる内臓や首の後ろに何かを埋め込まれる夢を見た」


 息を呑むアンジュリーナ。少し離れていたチャックも絶句していたが、やがて何かを考えた挙げ句、喋りだした。


「……まさか今摘出したそれだと言うんじゃないだろうな」

「それ以外考えられないだろう」

「自信家だな……」


 ストーン医師の出したその言葉は雰囲気を少しでも紛らわすためなのだろう。しかし、アダムには自信という言葉すら知らない。ただ確率でしか考えないのだ。


 気を取り直し、チャックは医者としての発言に切り替える事にした。


「少年、そういう記憶は段々思い出してきているんだな?」

「少しずつだが、分かってきている」

「良い傾向だな。記憶だの情報というものは連鎖する。私の専門じゃないがな。別に記憶じゃなくても、他に何か自分の癖や仕草とかも手がかりになるかもな」


 アイルランド系男性は医師らしく助言し、一息つく。その様子を少女は見逃さない。


「チャックさん最近働き過ぎじゃないですか?」

「だろうな。弟子にも言われた。もっと平和な世の中ならマシだというのになあ……」


 鋭い言われ様に赤毛の男性は苦笑する。そして何故か戦争を嘆き、明後日の方を向きながら黙り込んでしまったのだった。


 見かねたアンジュリーナ、持っていたウエストポーチから、広げた片手にギリギリ乗るサイズの箱を取り出した。


「実はこの前ハンさんと一緒に中華料理食べに行ったんですけど、これハンさんからお土産の月餅です」

「おお、わざわざすまんな。今度のお礼は何が良いかな。イギリス料理は駄目そうだが」


 唐突なジョークに少女は口に手を当ててこらえた。


「もう話もここまでにしとくか。どれ、コーヒーでも飲んでいかないか?」

「良いんですか?」

「アンジュの言うとおり休む事にするよ。ハンみたいに濃いのは期待しないでくれ」


 チャックはそう言うと、率先して手術室から出ようとした。アンジュリーナの方はそれに従おうとしたが、足を止め、そして振り向く。


 彼女の目線の延長上には、ベッドの上から微動だにしないアダム少年。上体だけを立てたまま何かを考えているらしく、首だけが俯いている。


 中年男性の方は不気味なオーラを繰り出す彼にポカンと目を奪われた。残った少女は物怖じせず、傍に寄った。


「不安なの?」

「嫌な予感がする」


 間を空けずに来た返事にアンジュリーナは眉をひそめる。問題の少年はまだ視線を変えず。


「私だって不安だわ。でも、だから私達は訓練するんでしょう? 不安じゃなくなるまで準備をする。それが戦いで一番大事だって、ハンさんも言っていたわ」


 少女は楽天的だった。彼女自身が戦争の悲惨さを最も知っている。だから悲劇を起こさないために必要な事も良く分かっている。


 ただ過去に苦しむのでは意味がない。だからアンジュリーナは前に進む。未来で苦しむ事が無いように。少女は自然と拳を握り締めていた。


「時間、か」


 少年の呟き。かつて、アダム自身がハンから貰った助言に内容が似ていたのだ。彼は顔を上げていた。


「過去、現在、未来、という一つの流れが大事なのだな」

「その通りよ。何だって流れが大事よ」

「という訳で早く紅茶でも飲んでリフレッシュするぞ。早く月餅とやらも食べたい」


 唐突に傍観していたチャックが肩をすくめ、空気を打ち破る。アンジュリーナは拍子抜けて脱力し、振り返った。


「そ、そうでしたね……え、えへへ……」

「若者達よ、ティータイムは何でも解決する。冴えない老いぼれからの貴重なアドバイスだ、しっかり受け取れよ」


 半分苦笑気味な中年医師だった。少女にも苦笑いが伝染し、少年は静かに目線を移していた。


「アダム君、早く行かない?」

「……そうだな」


 少しの間黙っていたが、少年はやがて頷いて賛成し、それを確認したチャックは待ちくたびれたように力なく出口のドアを開け、とっとと出て行った。


「あっ、私が淹れますよ。アダム君も早く、鍵閉めるわよ」


 ドアの前でアンジュリーナの手がアダムを招く。


(解決、か。まだ今じゃなくても良い。大事なのはこれからに繋げる事だ)


 そう思った時、遂に彼は簡素なベッドから降り、声の主の元まで歩いていた。そして口を開ける。


「ありがとう」

「……へっ?」


 予測すらしなかった言葉に、少女は力が抜けたように反応した。一方、アダムの方はそれだけ言い終えると、振り返りもせずにごみごみした手術室から出るのだった。


「あっ、待って」


 疑問の残ったまま、急いでデジタル式の錠へ携帯端末を通し、ガチャリと閉まった戸が音を立てた。そして、先行する少年の背中を追い掛けていく。


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