4 : Rest
ロサンゼルスの中心近く、ビルやアパートが建ち並ぶ中で、一軒のカフェがあった。
外壁は白い石製の地中海風な外見で、内装は壁が暗めの茶色、テーブルやカウンターや椅子も茶系統に纏められている。正面に掲げられた看板には【Paramount】と表記されていた。
カウンターは横に七席。その奥ではYシャツの上にエプロンを付けた店員が忙しく厨房を往復していた。
厨房の奥には黒板に書かれたメニュー一覧と、様々なコーヒーを淹れる器具。特に高さ五十センチメートル以上もあろう水出しコーヒーメーカーの筒の中を、茶色い液体が一滴一滴流れる様子は見とれる客も多い。
「まあ俺は生憎せっかちなもんでエスプレッソにしてくれ。それから新作のパンケーキもだ。チョコソースも忘れんな」
「いつも通りだな。朝っぱらからスイーツとは相変わらず派手だねえ。お陰で砂糖すぐ切らしちまいそうだ」
店の入り口から入って手前三席目のカウンターに座っているジャケット姿の青年、レックス・フィッシュバーンが言った。
注文を聞いて厨房奥へ行ったのはこの店の店長で、レックスと同じラテン系の黒目黒髪の男性だ。ただし、こちらは顎髭を蓄えており、歳を感じさせる。
席で待つ青年は厨房で昔ながらのガスコンロの火が掛けられ、その上に乗ったフライパンに生地が流し込まれるのを見届けた。
「おおい、レックスじゃないか」
「お前もこんな所来ていたとは、流行に敏感な女かよ」
突然、右側から呼ぶ声がしたので九十度振り向く。そして彼は言った。
「糖分が無い世の中なんて管理社会かチョコミントまみれの世界みてえなもんだろ。歯磨き粉なんて食いたくねえ」
「ああ? チョコミントは立派なスイーツだろうがお前」
レックスが憎まれ口を叩いたのは、フード付きのジャケットを羽織るブラジル系黒人のリカルド・アルメイダ。半分冗談めいて怒りながら言葉を返した。
「前から思ってたが、お前血糖値大丈夫なのか?」
「超越してるからな。それにケーキを食えば治る。砂糖はヘヴィメタルみたいなもんだからな。ガンにだって効く」
三割方心配と呆れを込めた問いは、ブラウスにフリル付きのロングスカートを決めた北欧系女性、クラウディア・リンドホルムによるものだ。それを本人は笑って流す。
ちなみにトランセンド・マンのエネリオンによる身体機能向上は内臓にも及び、肥満等の生活習慣病もある程度抑えられる。しかし生物としての栄養源維持は欠かせない。
「クラウディア久し振りだな。彼は? ボーイフレンド?」
「戦友だ。こき使ってやってる」
「おいおい、勝手に奴隷にするなよ。俺には夢がある、ってスピーチしてやろうか? 撃たれ死ぬのだけは御免だが」
フライパンを動かし、生地を焼いている店長が訊いた。白人女性の冗談に黒人男性は便乗する。
「俺はリカルド、ブラジルから来たんだ。レックスが世話になってるようで」
「よろしく。お陰で店の砂糖がすぐ尽きるんだ」
途端、リカルドは大口開けてゲラゲラ笑う。ネタにされたラテン青年は、両手を広げて苦笑を見せた。
「『パラマウント』へようこそ。俺はルイス。良かったら新作パンケーキ食うかい?」
「“頂上”とはよっぽどの自信らしいな。是非!」
レックスの右隣にリカルドが座り、クラウディアはレックスを挟んで反対側へ静かに腰掛ける。
「お嬢様、こんな俗世に何の用だい?」
「私だってたまには気ままに息抜きするんだぞ? ルイス、フレンチにしてくれ。男達のジョークに疲れた」
「リカルド、お前この前アンジュちゃん達と釣りしたって?」
「おう、料理も作ってもらった。ありゃあ良い嫁さんになるな。じゃあ俺はシティかな。濃すぎるとパンケーキがさっぱりしちまう」
「子供が出来て早々浮気は良くねえぞ」
厨房ではフライパンから手を離したルイスが、業務コーヒーメーカーへその手を向けた。三人の談笑は続く。
「お前こそどうなんだ? また夜な夜なレースでもしてるのか?」
「まあな。アダムの練習にも付き合ってやってる」
「リョウはどんなだ? タイヤが二個か四個かだけで争うなんてお前ら昔の人種間の差別じゃないんだから」
「ああ? バイクは一体化する感覚が楽しいんだってば。あんなデカくて重いの乗り回せるかよ。違う人種だありゃあ」
クラウディアへ得意げに喋り、リカルドへ半分愚痴るような勢いで訴える。ただし、そこで話題にされた当人が乱入してきたのは予想外だった。
「車が何だって?」
「別に、俺にはゴツいのは似合わんさ」
店先に現れた茶髪の青年、リョウ。苦笑気味の笑みを浮かべたまま「今日のエスプレッソはもっと濃くしてくれ」とカウンターに言い放つ。そしてリカルドの隣へ。
「お前あの『ドリフト界のモナリザ』を作るのにどんだけ苦労したと思ってんだ。金属用3Dプリンターが小さい奴しか無えから部分部分一つずつ作っていったんだぞ。可変ターボなんてそりゃあもう。それにああいうゴツいのをどう走らせるかが楽しいだろうが。戦闘機みてえなもんだぜ」
「何百回も聞いた気がするな。俺だってなあのバイク……」
「黒人を挟んで白人同士で喧嘩するなってば。植民地時代かよ」
ラテン黒人の割り込む突っ込みに周囲が爆笑した。店の奥でコーヒーを白いマグカップに淹れ終えていた店長も、口を押さえていた。
「ジョークは程々にな。コーヒーが冷めちまう」と店長が四人へカップを渡す。リョウはミルクを入れて半分程飲み干し、クラウディアは香りを楽しみ、リカルドは砂糖だけを入れて少しずつ口に含んでいく。
尚、レックスだけはミルクと砂糖だけを入れるだけ飲まない。代わりに無言で厨房へ視線を送る。
大きめのフライパンの上でこんがりと茶色に焼き上がっている平らな生地が四つ。取っ手を持ち上げ、店主は二つの皿にフライ返しでそれぞれ二つ乗せる。生地は裏面まで茶色で、熱がしっかり通っている証拠だ。
まず二つの生地の内一つの上にクリームを塗りたくる。次にメープルシロップを塗り、その次はもう一つの生地を上に重ね、それから融かしたチョコレートとホイップクリームを付けていく。
最後はケーキの頂上に白いクリームを飾り、ハーブを頂点に立たせて完成。「おまちどう」と店長は言って皿をレックスとリカルドの席へ置いた。
「私も頼むべきだったかなあ」
「太っちまうぞ」
「言ったなこのっ!」
「良いだろ。ただでさえデカいし」
ふと呟いたクラウディアへ火種を放ち、見事怒りを爆発させる事に成功したリョウ。料理にありつこうとしていたレックスが急いでナイフとフォークを置き、立ち上がった女性を押さえ込む。
「リョウ、お前は女にモテたいと思わんのか?」
「暴力女だけはごめんだぜ。アンジュちゃんみたいな淑やかな娘が良い」
「だからそういう態度が駄目だってば……」
黒人青年が問い掛け、日系アメリカ人の反発へ更に突っ込む。ラテン白人の向こう側では北欧女性が拳を振り上げているのが見えた。
「リョウ、女ってのは男から寄り添ってやるんだよ。女の子が気にしている所を優しく包み込んでやりな。そうすりゃ女の子は自然とお淑やかになってくれるもんだ。俺だってそうしたもんだ」
「……この幸せそうな既婚者め」
ラテン黒人を目の敵にするような言い方をする。対するリカルドは得意げに両腕を広げ、歯を噛み締めて笑った。
「じゃあルイス、そのドーナツをくれないか? こうまで言われては糖質を気にしてしまいそうでケーキなんか頼めない」
「ん? 了解。別にあんたみたいな美人はもっと食って良いんだよ。食う姿が可愛いし、店の宣伝にもなるし」
「ハハハ、ラテン人は誰かと違って女性の褒め方が上手いみたいだな」
「情熱的なのさ。一度は俺達の故郷のローマに来てくれよ。景色も料理も良いし、見た目も心もイケメンの男達だらけだぜ」
店主がジョークを放ちながら店のレジ隣にあるショーウインドから茶色くこんがり揚がったドーナツを皿に盛り、多少不機嫌だったクラウディアを和ませる。上機嫌になった女性へ更にレックスが追撃を掛け、満足げな笑顔にさせるのだった。
すると店長はチョコレートソースをドーナツの半分に掛けて覆い、少々冷ます。熱したチョコが固まると、店長は皿をカウンターの客席側へ運んだ。
「美人だからサービスしておいた。リョウ、こうやって女は褒めちぎるんだよ」
「わざわざありがとう。だそうだリョウ」
当の茶髪の青年は腕を横に広げ、やれやれ、とそっぽを向いてしまった。他全員がそれぞれ苦笑した所で程々にしておき、いたたまれない本人が強引に話題変更を持ちかけた。
「ところで、前アダムに俺のバイクをやったが、あれからアダムの方はどんなだ?」
「んああ、すげえぜ、プロレベルだ。コーナーの攻め方が思い切り良すぎかな。教えた事すぐにマスターするんだ」
「ほう、何でも飲み込みが早いみたいだな。前一緒に戦闘した時も自分の持ち場を分かっている感じだったぞ」
レックスの賞賛に、クラウディアが付け足す。それはレックスも先日共闘した身としては分かっている事で、素直に頷いた。
「きっと適応力が高いんだろうな。記憶喪失って聞いた割には戦い慣れしてる感じだったぜ」
「そういや前一緒に銃撃訓練した時は俺の戦い方を真似してきたな。天才って奴? ハンも武術の素質があるとか言ってたっけ」
リカルドまでも同調した。連鎖するように白人青年が思い出しながら言う。
「で、肝心の本人はどうしてるんだ? アダムがレースするってんなら一度見ておきてえな」
「そういやアダムって普段何処居るのかも分からねえな」
「チャイナタウンでも居るんじゃね? 俺が誰かに脅迫されて何度奢ってやった事か」
リョウがまた話題を変える。レックスの疑問に、日系人は二席間を空けて離れている女性へ目を向ける。
「お前はちゃんと仕事をしろ……そういやアンジュが色々観光名所案内してあげていたのを見掛けたな。アンジュったら面倒見が良いもんだ」
「アンジュちゃんはああいうミステリアスでクールなのが好きなのか?」
「まさにお前とは正反対だな。優しいから放っておけないんだろう」
「お前だって人をすぐ殴ったり暴言吐いたりするだろ。だからボーイフレンド出来ないんだろうが」
「このっ!」
再び椅子から立ち上がろうとする、握り拳を振り上げたクラウディア。またもレックスがブレーキ役を担う事となる。
「そういう所だぜお前」
「あーもうどいつもこいつも面倒臭え!」
「だからそれをお前が言って……」
しばらく北欧女性と日系アメリカ青年の罵倒の掛け合いが続き、間に挟まれた二人はひっきりなしになだめ、結局リカルドがリョウとクラウディアへ喫茶店自慢の特製ショートケーキを奢る事で問題は解決した。