11 : Injection
元気な兵士達が後始末をする中、負傷した兵士達は治療を受けていた。
中年の医師、チャック・ストーンが爆撃によって火傷を負った兵士の表面へ触れる――痛覚に上がる兵士の声。
エネリオンがチャックの体表から脳、そして掌へ、負傷部へエネリオンが流れ込む。
エネリオンは兵士の余ったタンパク質を材料に、チャックが認識し選択した組織細胞へ合成する。
見るに堪えなかった火傷跡は消えた。痕も残っていない。痛みも消え、驚きに兵士は声を失っていた。
「……凄い、こんな事が出来るなんて奇跡みたいだ! ありがとうございます!」
「初めてか。私はこれしか出来んからな。奇跡を分析し実現するのが科学なのだよ。抗生物質を打つのも忘れるな。キャンディいるか?」
「分かってますよ」
医者が差し出した提案を手で断り、兵士はリュックから注射器を取り出した。断られ苦笑したチャックだが、休む訳にはいなかい。次の負傷者の治療へあたる。
自分の左上腕を覆う袖をまくり、もう片方に棒状の物体を握る。その先端に付いた針を皮膚へ一刺、底面部のボタンを押す――血管に液体が流れ込んだ。
その様子をアダム・アンダーソンは見逃さずしっかりと目撃していた。
◇
暗い。
横たわっている。
体が動かない。
僅かに動く瞼を開くが、視界は暗闇のまま。
突然、視界が明転――目が痛い。
正面にあったライトが絶えず白色光線を送り続ける。
目だけを動かし、横を見てみる。何かの白い台。照明や天井や壁と同じ色。
目が痛い。負担が強過ぎる。目を閉じた。しかし瞼で遮っても光はなお消えない。
ドアが横にスライドする音。音の重さからして大人にしては少し小柄と思われる足音。
こちらへ近づき、やがて止まった。
「アダム、起きてくれ」
落ち着いた年を思わせる声で誰かがそう言った。願うように、頼むように。
左上腕に鋭い感覚。横目にそれを見る。
注射銃の針先が皮膚を貫通し、血管へ通じている。
注射銃の引き金が引かれるのが見えた――何かが自分へ流れる。
途端、体の底から何かが込み上げてくる。驚きに体が硬直した。速くなった心臓が体中を響かせる。
目を見開いた。そこには注射銃を引き抜いた赤毛の中年男性がこちらを向いていた。
「――」
声が掠れて出ない。赤毛の男性は何も言わず視界から消えた。
ドアの開閉音――暗転。
◇
「……したの? アダム君! ねえ、どうしたのよ?!」
高い声の呼び掛け――アダムは現実へ戻された。
辺りを見るとアンジュリーナが心配な目つきをこちらに向けているのが分かった。
「どうしたの? まるで何か考え事をしていたみたいだったけど……」
アダムは黙ったままだった。脂汗が一滴、額を滴るのが少女には見えた。まるで答えに困っている、そう少女は受け取った。
「……何でもない」
語調が普段と違って少し荒い気がした。まるで何かを隠し、これ以上話したくない、と言っている様だった。だがアンジュリーナはそれを分かっている上で、
「いいえ、何でも良いの。話して」
少年を突き放さぬまいとする。だが、
「無理だ」
彼女の思いを知らず、そう無慈悲に告げたアダムは逃げるような早歩きをしてその場を去ろうとする。アンジュリーナは追い掛ける。しつこく、そして見守るように。
「待って、私はアダム君が心配よ! だから……」
アダムはまるで少女の主張が聞こえていないかの如く歩き続ける。だが、突き放される。彼女には少年の表情が見えなかった。
ポール・アレクソンは派遣した二体のトランセンド・マンが帰還したという知らせを受け、早速訪ねようと廊下を移動していた。
廊下でばったり遭遇した、茶髪とサングラスの長身な男ブラウン。そして黒髪と髭の一回り小柄なベル。
「話がある」と近くの休憩室にまで誘導し、遮音壁に囲まれた機密度の高い重要な話をするための応接室に案内した。
「まあ座れ。それを飲め」
手で示しながらソファーに深く座った上司。釣られて二人の部下も正面に腰掛ける。
テーブルに置いたコーヒーを差し出し、断る素振りも無く二人は黒い液体で喉を潤した。どちらもコップの半分を飲んだのを確かめた所で話題を切り出す。
「さて、聞きたい事がある」
「何でしょう?」
答えたのはベル。時々不気味な笑みを浮かべたりするが、もう片方の無口なブラウンよりは社交的だ。
「お前達、先程の作戦中誰かの命令を受けなかったか? 俺以外の誰かにな」
ポールは手元の腕時計を弄りながら続けたポール。ただの腕時計ではなく、携帯端末の役割も果たす代物だ。
偏光技術によって腕時計型端末の画面はポールだけにしか見えない。本人からは画面にマイクから計測した音波の波形を可視化するオシロスコープが映っている。
「いいえ」
ベルの返事だ。ポールはベルから目を見放さないと同時に、視界端の腕時計型端末の画面を見切っていた。
オシロスコープが複雑に上下。トランセンド・マンはその複雑なパターンを正確に知る処理能力が備わっている。
人間は嘘をつく時、無意識に緊張して声が不自然になる。古典的だが、真偽を確かめる効果は第二次世界大戦以前から実証済みだ。
波形を確かめ、そしてポールは眉間に皺を寄せながらもう一度尋ねた。
「お前は作戦が始まる前に誰かの命令を受けたか? お前は作戦における私の命令に背いただろう」
「いいえ」
二つの質問に対し一言で済ませたベル。ポールが腕時計型端末の画面を見ると歯を噛み締めた。青い眼光が二人の部下を睨むが、肝心の向こうは何も反応を示さなかった。
(何故何も出てこないのだ?!)
ポールはオシロスコープのギザギザした波形を見ながら、嘘をついたとき特有の波形が混じっていないかを確かめていた。だが僅かにも発見されない。
(一番妙なのは、私の命令に背いた事について否定した。嘘ではなかった。何故だ? まさか忘れている訳でもあるまい)
彼自身の疑問を解消出来る見当は無い。分からぬまま、彼は一旦諦めのため息をつき、ついでに行おうとしていた目的を果たす事にした。
「ところで、「変圧器」を返してくれぬか。数が少ないから早く次の運用に使わなければ」
テーブル越しのソファーに座る二人は何も言わず、潔くそれぞれ首からそれを外し渡した。あっさりとし過ぎて不審感を覚えた位だ。
無駄に身構えながら首輪を受け取るポール。これだけは正直すぎて何かの罠ではないか、と思ってしまう程だ。
疑いに神経を集中させていた、だからこそ彼は受け取った時、違和感に気付いた。
ブラウンの方から返された首輪は確かに現物そのものだ。だがもう片方――首輪の中央部にある薄い宝玉の様な素材。しかしこの物体は、この時代において価値の殆ど無い宝玉なぞ比べ物にならない価値を持っている。
バックルの中心部に縦横一・八センチメートルの正方形。光を一切反射しない黒一色。良く見ると、中心から細いラインが放射状に伸びている。
違和感の発端は受け取って触れた時。見るだけでは凹凸が一切分からないが、触る事でその事実が判明した。
宝玉らしき部分の端、ざらざらしたひび割れのような穴。直径五ミリメートルにも満たない欠けだ。
「おいベル、この欠けた部分は一体どうした?」
「知りません」
否定。オシロスコープは本当の発言である事を示していた。だからそれがポールを更に刺激した。
「お前が付けていたんだぞ! 何故お前が知らない?!」
「さあ、分かりませんな。アレクソン殿がお怒りになるとはよっぽどの事ですかな? ハハハ」
変わらずオシロスコープは嘘のでない事を示していた。ついに怒りを抑え切れないポールが爆発し、目を見開いて。
だがベルはこれを見て煽るように笑いながら返答した。ポールの怒りのスロットルは更に開く。
「おい、良く聞け! お前達を検査に掛ける!」
勢い良く立ち上がった。テーブルの向こう側を指さしながら怒鳴り、腕時計型端末へ手をやりながら部屋を出ていく。
ガシャン!――横開きの半自動ドアは大げさに音を立てて閉まった。
少し経過し、ポールは白い無機質な廊下を歩いていた。医療部門へブラウンとベルの精神異常確認をするために引き渡すという通信を終えた所だった。
歩きながら彼は深刻な問題を一つ思い付いていた。
(あの「変圧器」の失った欠片が反乱軍に渡っているかも知れん。問題は奴らが「ユニバーシウム」を知る事が出来るのか。もし知られればこちらが不利になる。それだけは避けなければ……いや、知られるのは時間の問題だ。先に動くしかあるまい……)
整理され過ぎて殺風景な研究室でたった一人、座面も背もたれも硬い椅子にぼんやりと座って机の上で手を組むのは、赤毛と赤い目のクリストファー・ディック。
彼は何かを思い付いたのか、気まぐれに椅子から立ち上がり、何処かへと歩く。
研究室の端にある壁と同色の横開きドア、その中へ。研究室の出口ではない。
中へ入るとまずガラスに仕切られた一面の白い実験室らしき部屋。眺めるクリストファーの視線は、ガラスの向こう側に居る人物を見定める。
ため息――疲れと悩みが半分ずつ。
白い手術台らしき台に仰向けに横たわり、呼吸の動作すら見せない。主張が強い濃い赤の髪の毛と対照的に、病的に白い肌が脆さを感じさせる。
首の後ろには太いケーブルが繋がっている。生命維持や信号送受信等あらゆる役割を果たす。
「アダムは恐らく「目覚めた」筈だ。そうでなければあんな行動はあり得ない」
誰も聞いている筈がないのに、クリストファーは誰かに語り掛けるような口調だった。まるで防音機能を持つガラス越しの、眠る少年へ。
声など届く筈もない。だが彼は語り続ける。
「お前もきっと「目覚める」だろう」
名の通り管理社会を徹底する地球管理組織は監視システムによる管理を実現している。しかし、この部屋には監視カメラやマイクの類は無い。
クリストファーは監視カメラが嫌いだ。監視という言葉も嫌いだ。自分を見る者が嫌いだ。人が嫌いだ。
まるで逃げ疲れたかのように彼はもう一度ため息をつくのだった。