13 : Be Water
オアフ島北部は戦火が消え始め、反乱軍による占領が順調に進んでいる。
ところが、突如曇り空に緊張感――青白い稲妻が走った。
一瞬写った軌跡は、雲の向こうから海岸沿いの水平線の向こう側。
あの稲妻、あまりにも真っ直ぐだ――管理軍所属のケビンだが、ロサンゼルスには電気抵抗そのものを操り都市電力をビーム砲として使用するトランセンド・マンが居るとは噂には聞いた事がある。
(ドローンの群れがバレたか。サムの奴やはり慢心したな……)
最初に侵攻した艦隊では諸島を占領できても三日しか持たないと分かっていた。そこで予め占領が最後となるオアフ島に自動機械部隊を潜ませておき、あと五時間後に来る第二波の味方艦隊と合わせて逆転、というのが管理軍のシナリオだった。
だが、予想以上の進撃を見せる反乱軍を見て作戦は失敗するだろう、とケビンは密かに落胆していた。
とは思うものの、ケビンより北西側で援軍との連携に備えた味方達の元へ反乱軍を行かせる訳にはなるまい。それに、手札はまだ切らしていない。
思考から脳を解放する。目の前には無数の紙吹雪。一つ一つの面積は一平方センチメートル弱だが、視界を全て塗り尽くす。
地面に落ちた所を良く見れば、欠片の一つ一つは湾曲した三角形の金属だと分かる。
洪水で押し流しても流体抵抗の少ないフォルムですり抜ける固体も多い。撃ち落としてもそれ自体に動力がある訳ではなく、レックスが直接周囲に気流を起こす事で飛行する為、何度も這い上がってくる。
飢えたバッタの群れのように、ケビン・リヴィングストンという餌を執拗に追い回す。体格の良い中年男性は波に乗って戦場から猛ペースで離れるが、上空から見下ろす青年が常につきまとう。
傀儡を相手にしてはキリが無いと金属吹雪を打ち抜いてウォータージェットが宙の人影へ。
命中する様子は無い。自分自身も避けなければ……
後退を続ける度に鋭い翼がアスファルトや民家の壁に深く食い込む。地下の水道の湧き水に味方してもらっても敵は減らない。
(あと少し……)
錆びたトタン屋根の工場に身を隠した。それを上空から眺めていたレックスは容赦せず吹雪を全方位から突入、薄い壁やガラスや配管を簡単にすり抜けていった。
レックス自身もアサルトライフルの掃射を降らし、海産物加工場と思われる建物はあっという間に瓦礫の山となった。
「俺達を置いてくなよお」
「奴は何処だ?」
やっと駆けつけたラテン黒人と北欧女性の同僚がまだ砂埃舞う解体現場を見た。
「あの中だ。早く出て来やがれ……」
長い戦いに飽きてきたのか、それとも単にあの流体制御能力者が気に入らないのか、どこか黒髪の青年は苛立っていた。
防波堤にぶちまける波が激しさを増す。
「最終形態ってか」
「まだこれからさ」
金属片の竜巻と宙に浮かぶ渦潮がぶつかると、辺りに暴風雨が降りしきる。翼の大群は水を突き破って標的に飛来、弾けた海水は音速の雨と化す。
欠片の群れは海面から湧き上がる水柱に削られていき、
レックスが纏う圧縮空気の鎧が質量の低い雨水を逸らし、後方では細い路地へ逃げ込む反乱軍二人。雨粒が港街に悉く弾痕を残す。
激しい雨を潜り抜けた先、紙吹雪を避けようと飛び回る敵目掛けて更に加速。
すれ違うと、金属音。
レックスが引き抜いた双剣が顔の横で、大きくたわむレイピアを受け止めていた。
右手側で鍔迫り合い、頭上へ逸らすともう片方で胸に向かって押し出す。
突如、横切った水の梁に刀身を叩かれ、外れる。ケビンは細剣を引き、最小限の手首の捻りで引っ掻く。
右剣で咄嗟に防ぎ、距離を取るレックス。自分の番だと白髪混じりの男は剣を伸ばし……
……かけた所で後ろへ薙ぎ払い。群れなす刃を蹴散らす。
ジャングルに生い茂るツタの如く高圧放水が周囲に張り巡らされた。好機と見たラテン白人だったが、海水のツタはこちらまで広がる。
蜘蛛の巣からもがき逃げる蝶々さながら躱し、二人は七メートルの距離を保ったままそれぞれの脅威の対処に夢中だった。
その傍ら、荒れ狂う海面を走る二人の姿。リカルドはナイフを真上に放り上げ、クラウディアがその後を追うようにジャンプ。
水流がナイフの横を叩き逸らし、時間差で細剣の斬撃――重力と水流を合わせて放つ突進斬りと打ち合い、すれ違う。
勢い余ってケビンは真下のリカルド目掛けて水弾の掃射を放つが避けられ、すかさずレイピアの追撃。
ナイフ二本が細長い刃を挟んで受け止め、リカルドの靴先が腹に向かって伸びる。
カウンターの膝蹴りが靴底もろとも黒人を押し飛ばす。バク転で海面に着陸したリカルドはすぐさま粘度が一時的に増加した荒波を踏み込んで前進。
リーチで勝るケビンのしなやかな刺突の連続が先手を取り、防御を余儀なくされる。
ふと足元が盛り上がる感覚。後方へ退くと、噴水を幾つも合わせた水流の壁が二人を隔てる。
引き離し、中年男は剣を頭上に掲げる。丁度降りてきたクラウディアの唐竹割を受け止めた。
重い一撃は跳ね返された。海を踏みしめるケビンが噴水と共に突如上昇したのだ。行き先は空中で全方位を取り囲む水流と格闘する青年。
雄叫び――横を振り向いた瞬間、脇腹に痛み。
リカルドの跳び横蹴りに飛ばされた大柄な中年男性は水球のクッションでブレーキを掛けるが、今度は上から重くのし掛かる感覚。
レックスは空気塊で撃ち落とした敵目掛けて急降下するが、またも水流のジャングルが通せんぼ。
上の安全は確保したが、正面から突っ込むラテン黒人と、斜め下には銀髪女性……
掌をかざす。それを見たクラウディアが一瞬のみ水素結合が増幅された荒波を蹴ってバックステップ。
不規則な繊維状に走る水の柱が目の前に広がる。隙間からは交戦中のリカルドが見えた。
黒人の首を狙った回し蹴りをしゃがんで躱し、振り抜いた所を左手で掴む。もう片手の剣が……
突き刺さる前に膝を伸ばして横蹴り。英国人風の男から逃れ、足を後方へ。
空気の摩擦が増幅され、反動でリカルドが前進。今度は側頭部へとフックキックを放つが、向こうの肘が跳ね返した。
逆回転、同じ足でミドルキック。水を纏った相手は空中を滑るように後退し、空振る。
ケビンは港を見回した。下は高潮が防波堤を乗り越えて倉庫まで浸水している。荒れ狂う波を駆け抜けるはクラウディアとかという北欧系のナイスバディな女。こちらにジャンプして来るのが見える。
見上げれば空を六割方覆い尽くす積乱雲。その中心には鳥野郎――レックスと名乗る饒舌な若造と、向かってくる金属片の吹雪。
正面のリカルドというニヤけ面が気にくわないラテン黒人はナイフを投げている。ケビン自身の味方である海から上昇する噴水はまだ間に合いそうにない。
ケビンを包む水球が上一面で甲羅となる。引力に身を任せてナイフが頭上を掠め、上昇してくる女性と鍔競り合い。
天蓋となる水の装甲が渦を巻く。通り抜けた一部の翼が二人に降り注ぐが、当たる直前で逸れた。
(女には手を出せねえって訳か)
すぐ先で睨むクラウディアを見て思い付く。刃を横向きに滑らせて切っ先を喉に近づけた。
クラウディアは身を横によじり、刃を内受け。回転の勢いで後ろ肘を繰り出した。
掌で押し返す。他の二人と違って踏ん張りが利かない女性はそれだけで失速し、落ちていく。天井の渦巻が複数の線に分かれ、彼女を刺そうと襲い掛かる。
だが、水のミサイルは何も無い所で何かにぶつかったように軌道が曲がる。上を向くと、やはりレックスが手を向けていた。
今度は左右側面から挟み込む紙吹雪。咄嗟に水流の反動で上昇するケビンの足先を過ぎる。
あっという間に剣の間合い、そのまま剣を頭上に突き上げた。
腕が伸び切る寸前、横で動く気配――片腕で胸を守ると、靴底がそこを押し飛ばした。
二メートル下がって停止する。蹴りを放ったリカルドに向かって剣を振り降ろした。
摩擦が増大した空気を踏んで右へステップ、左ローキック。五十センチメートル浮き上がっただけでケビンは躱した。
振り抜いた足を軸に右後ろ回し蹴りを放つも距離を離されて不発。踏み込んで一回転、右前蹴りが顔面へ。
足にブレーキが掛かる。見ると、水の玉が足首から先を閉じ込めている。細長い煌めき――
蹴り足に力を込め、水玉から離れる。しなるレイピアは爪先の一寸先の虚空を裂いた。
背後の空気を蹴って今度は後ろ蹴り。反射的にケビンが肘を頭上にかざす。
それを見たリカルドはガードを踏みつけると斜め右上へ跳び、オーバーヘッドキック。
ケビンの頭頂部に激痛が走る。体勢を整えようとした矢先、凝縮された突風の追い撃ちに為す術も無い。
海面が半径十メートルの半球状に凹んだ。変形を修復する水の力が噴水を生み、大柄なイングランド人を射出した。
まず歓迎するのは鋭い破片の群れ。急いで水のバリアを張るも、突き抜けた固体が次々彼の皮膚を切り裂く。
嵐は過ぎ去ったが、全身には引っかかれたような傷跡。流体制御能力を持たなければ出血多量で負けただろう。
安堵も束の間、右から輝く物体が多数――上昇すると、幾つもの投げナイフが真下を跳んでいく。
ナイフが通り過ぎた先を見た途端、刃の群れは再びこちらに向かってきた。後ろへスライド。
一本も当たらなかったが、背筋が凍る。次に振り向いたのは斜め後方。
長い銀髪をたなびかせながら降りてくるクラウディア。左掌を前に、後手は弓を引くように細剣を携えている。
単調だ。レイピアで横に逸らして……
カウンターが決まる前に女性の剣はケビンの左胸を貫いていた。
ケビンには銀髪の女性が瞬間移動したように思えた。水上走行ならまだしも、空中機動手段を持たない筈の彼女が何故……
視界が暗くなりゆく中、頭上を三角翼の飛行機が通り過ぎたのが確かに見えた。
「良い子だ『ライトニング』!」
翼長〇・五メートルの全翼機はレックスの褒めに応えるかの如く、錐もみ回転した。
勢いのままクラウディアは串刺しにしたケビンもろとも漁港の小さな埠頭に着き、だらしなく手足をぐったりさせたケビンから得物を引き抜いた。
「ありがとうレックス。お前が押してくれなければ私は……」
「お前の背中を押してやったのはあのライトニングだ。セクハラで訴えられたくないからな。まあ正確には圧縮空気だが」
舞い降りた青年が苦笑い。「お前と私の仲だろ」クラウディアが駆け寄る。
「なあ休憩しようぜ。この辺に良い店無いか?」
「どこも閉店だ。自分で魚でも釣れよ」
遅れて到着したリカルドがコンクリートの上で体育座りした。
「良い腕だった。実に良い腕だった」
誰かが言った。反乱軍三人は辺りを見回すが、この場に居る三人よりもやや老けている男性の声に馴染みは無い。
「心臓にしっかり刺さった」
五メートル離れた所、急所を刺された死体に視線が集まる。
「俺じゃなけりゃ死んでた」
死体はふらついた足で立ち上がった。
左胸の血痕は確かにある。が、それ以上血は噴き出ていない。
「だが、頭を狙うべきだったな」
よろよろ立つ敵は人差し指を銃の形にしてこちらに向けた。
「クソッ!」
親しい青年の焦った声を最後に、クラウディアは左肩に痛みを覚えた。
重力の方向が狂う。頭を強引に押され、這いつくばった。
空気がつんざく爆音が聞こえた。
リカルドが咄嗟にナイフを二連投するが、何かに弾かれて虚しく落ちる。
半分白髪のイングランド系人の姿はそこに無かった。代わりに佇む姿は人の形をしているが、全身が銀色に覆われていた。
表面は滑らかで、ドロドロした液体金属だろうか。
「光栄に思え、お前は俺の切り札を最初に使わせた」
(あいつ、まだあんな力が……)
ラテン系黒人が後を追おうとするが、金属人間は既に大海原のどこかに消えた後だった。
「済まんレックス、まさかまだ生きていたとは……」
二度も助けられた青年に言うが、普段なら返ってくる筈の軽口は来なかった。
仰向けになった女性の胸の上に伏した青年はそのまま微動だにしなかった。
「レックス!!!!!」
仰向けに起こそうとするも、目は閉じ、手足は完全に脱力している。額には血が滲む数ミリの穴。
三人の上空を飛び回っていたドローンも主人と運命を共にするかのように失速し、津波に流された廃墟のどこかに消えた。