12 : Darkness
「カイル、これ本当に当たってんの?」
「バッチリだ、続けてくれ」
オアフ島中央部の密林では積乱雲が舞う空を見上げる若者が二人居た。
片ややや小柄な金髪の青年は、身長より三十センチメートル長いライフルを携え一切ブレずに雲の向こう側を見据えている。
もう片方、赤毛のボブカットの女性は掌を頭上に掲げ、集中力が切れたか難しい顔をしていた。
二人の意識は二万メートル彼方。時折カイルの指が引き金をカチンと鳴らす。
イザベルは隣の青年の力を借りて、未知なる素粒子を辿り、ようやく標的が分かる。
同じV-TOL型の機体は規則正しく並び、六角形が重なった幾何学模様が空を覆っているのが分かる。
これ夜じゃ機能しないんじゃない? と疑問にも思ったが、青年曰く中継の衛星かドローン経由で地球の反対側の光を送り届ける可能性もあるとの事。
それ自体に反撃能力はなく、数こそ際限ないが二人の射程距離の前には問題は無い。カイルのライフルは空気分子による僅かな減衰でも十分な威力を発揮し、何ならイザベルの空間座標指定による熱操作は空気抵抗を無視出来る。
島北部からハンによる電子ビーム艦砲という強い味方も居る。オアフ領空に散りばめられた無人機は火炎放射器で炙られた虫の大群よろしく失墜していく。
カイルによれば今のペースでは三十分で全機破壊が可能だそうで、半信半疑ながらも機械仕掛けのハエ共を燃やしてやるしかない。
イザベルは飽きっぽい。長時間同じ事を続けるのはただでさえ苦手な上に、ロサンゼルス艦隊が来るまでの間ひたすら同じ敵の足止めを任された。
十分な仮眠──トランセンド・マンは休息や睡眠による回復機能も常人より優れている──は取ったものの、たった五分の単純作業でも音を上げるくらいには気が短かった。
「ごめんちょっと喉渇いた」
嘘か誠かも分からない口実を作って離脱すると、目を擦る。重そうなスナイパーライフルをほぼ直角に掲げる隣の青年が頷いたのが見えた。
水筒に口を付けながら目を左右にやる。
「ねえ、周り見て!」
アラームのような呼び声がカイルの頭に響いた。聴覚は肉体と同調しているが、視覚とエネリオンの感覚は二十キロメートル上空だ。
遠方へ集中する五感を戻すには、遠くまで伸びた糸を引っ張るように時間が掛かる。
「危ないっ!」
視界が元に戻った時、碧眼に映ったのは背中から火柱を立てる多脚戦車の残骸だった。
熱で燃料か潤滑油が気化して破裂したのだろう。ゼンマイの切れたオモチャ同然の
「まさかドローンの攻撃から私達の位置が逆探知された?」
「いや、あの高度であのサイズのドローンから地上観測は難しいよ。予め待機していたこの無人戦車の群れがやっと動き出すタイミングになったんだろうね」
「ほら、目的は僕達じゃない」
指差した先には、多脚戦車が虫の大群の如く山を駆け降りていく光景が見えた。
「でもあたし達に気付いたのがちょっかい掛けに来てるみたいだね」
「この数は流石にキツいな……」
カイルの狙撃はコンマ五秒分空間から吸収したエネリオンを秒速三千四百メートルで射出され、機関部や電装品を的確に撃ち抜いて機能停止させる。が、時速最高五十四キロメートルでジャングルを踏み荒らす機械の大群相手には間に合わない。
熱で回路や可動部を焼かれぐったり倒れる機体も見えるが、更に後続が屍を乗り越えるだけだった。
背負った口径四十ミリメートルの砲塔が光るのを見て二人は左右に散らばる。初速は千メートル、彼らには十分に避けられるが、数の暴力に何時まで通じるか……
長期戦を避けたく先走ったイザベルが跳び上がり、先頭の一体に両足蹴りがめり込む。
前に宙返りし、着地と同時に正拳突き。外側の甲殻が砕け、拳から放出された熱エネルギーが脆弱化に導く。
もう片腕から突き出す肘でトドメを刺すと、両側面から挟むように二体。
すると、左側が突如力尽きて胴体が地面に着く。右側へ一気にダッシュ。
迎え撃つ機銃弾に対しスライディングで懐に潜り込むと、拳を突き上げる。
赤熱した甲殻をジャンプの力積を足したパンチが背中まで貫いた。
更にガラクタから腕を引き千切ったイザベルは、砲塔を向ける三体を認めるとお構いなしに突っ込んでいく。
マズルフラッシュとほぼ同時に彼女の一歩横の地面が噴き上がった。丸太の如き金属の蟹の爪を振り回す。
鈍い音とともに脚を殴られた一体が体勢を崩し、イザベルの振り下ろすアームが装甲を頭部もろとも叩き潰した。
スクラップと化した同族もろとも残り二体がアームで刺しに掛かる。イザベルは踏みつけをアームで前に逸らし、後方からの横薙ぎをしゃがんで避けた。
イザベルの番──斜め上に振り払うと、前足の一本が千切れ飛んだ。
機体は残り七本脚で難なく立つが、機敏に動く同胞の腕に滅多打ちされて動く暇が無い。
後ろから襲おうともう一体が機銃と擲弾筒の狙いを定める。味方が背景に弱っているにも関わらず、搭載AIは射撃を選んだ。
赤毛が揺れる。見えていない筈だが、頭は完全に対物弾の五センチメートル隣に傾いている。
どれだけ撃とうが一発でもスペイン系の女性に命中する事はなく、続けざまに撃ち込むグレネードをアームで強引に殴り止める。
腕先端が爆風でもげた。舌打ちしたイザベルは助走を付け、背中から前へ両腕を思い切り振る。
巨大ダーツが合金の甲殻を射貫き、半分めり込んだ所へ女性のドロップキックの追撃によって深々と電装部を貫いた。
前後二体の巨大蟹は力尽きてへたり込む。見回すと、来た道の先で五体ほど群がっていた。
「カイル?!」
中心に囲まれているパートナーを助けに行こうとするが、泥の破裂が行く手を阻んだ。
爆風によろめくのを転がっていなす。反対側には小口径榴弾砲を小気味良く点滅させる別の機体。
「邪魔!」身体をスライドして連射を避けながら内部加熱で爆殺。
一悶着つけて走り込み、突き出した両膝蹴りに装甲が凹む。前のめりになった所を潜り込み、アッパー。
赤熱した腹部から手を引っ込めるとたちまち脱力。警棒一本で太い力殴りを捌く金髪の青年まで十メートル離れている。
「伏せて!」
両手で警棒ごとアームを押し返したカイルは反射的に腐葉土の上を腹ばいになった。
首だけ傾けて見えたのは、顔面が爆ぜた敵。振り向くと、赤毛の男勝りな女性が一メートル程ある榴弾砲を腰に抱えていた。
多脚戦車から引き千切ったのだろう。足元に捨てるイザベル、その背後……
「屈んで!」
いつの間にかカイルの左手に握られていた短銃の引き金が引かれた。射線は指示通りしゃがんだ赤いボブカットの頭上を過ぎると、蟹型のボディの中心――
直線的な電磁波パルスに基盤を破壊されて為す術も無く崩れるカニ野郎をイザベルは振り返って確認した。
「それあたしも欲しいかも」ソードオフショットガン型の銃を指す。
「今度ナガタさんに言っておくよ」
「そういやロスに渡ったんだっけ。いいなあそっち賑やかそうで」
「生憎僕が来たタイミングでテロ警戒態勢だよ」
「それでもここよりはマシじゃん」苦笑しながら背中を合わせた二人は八方を塞ぐ巨大蟹達を睨んだ。
多脚戦車達の兵装はこちらを覗くが、撃つ気配が無い。
(指示が変わった?)
甲殻達はそっぽを向き、ローラー脚で山を滑り下りていった。
(誰か居る?)
半径百メートルにイザベルの思索が巡る。一人称的に捉えるサーモセンサとは違い、熱源を第三者目線で知れるから障害物は意味を成さない。
見つかるのは森に隠れ住む小動物ばかり。野鳥は騒がしさのあまり怯えて逃げているのか見当たらない。
自律機能を持った戦闘用機械も例外に溢れず、エンジンや電子部、摩擦による発熱にもイザベルは敏感だ。だがやはり自分達に接近する存在は何処にも――
考えは骨の髄まで揺るがす地鳴りに消えた。隣には、青年が仰向けに地面へと押し潰される光景があった。
あまりの圧力にぬかるんだ大地まで半球状に押し広げられている。不思議なのは、カイルの上には誰も居ないことだ。
感覚を研ぎ澄ませば、見えない加重の正体はエネリオンだと分かる。発射する先――前方二十メートル、歪な影。
反射的に掌をかざす。手応えはさほど無かったが、少なくとも人の姿をした“それ”は跳び退き、カイルもようやく起き上がれた。
「ねえ、“あれ”何だか分かる?」
その場の景色を消しているかのように黒く、艶さえ見えない。辛うじて人の形をしている事だけは分かる。
顔はバイザーのような目が一つ、赤く怪しげに光を放ち、丸い瞳がじっと二人を見据えている。
身長はおよそ二メートル。全身の満遍ない太さから見るに厚い鎧を着ているのだろう。
だが、装甲の節目や隙間は見えない。ネジの一本さえ見えない。部品を組み立てて作られている感じがしない。
まるでこの鎧が一つの生体で出来ているかのように滑らかに動いている。しかし動きはどこか不気味で、呼吸による胸の上下さえ無い。音も無く必要最低限だけ動く様はロボットだ。
「僕は見た事が無い……気を付けて、体のエネリオン密度が尋常じゃない」
「あたしにも分かるよ。気色悪い……」
黒い掌が睨んだ。呼応するかのようにイザベルも色白の手を差し出す。
物理作用を及ぼす前のエネリオン同士が中間地点で衝突する。エネリオンは質量や電荷を持たないが、エネリオン同士で干渉する現象が多々見られる。
眩しい――エネリオンの干渉子が瞼を超えて脳裏に焼き付いた。
錯覚をこらえるイザベルは攻撃の手を止めず、黒い鎧の周囲に千度超の空気が漂う。
腐葉土が灰色の煙を上げ、スコールで濡れた木の枝や苔が黒ずんでいく。
一方、元から黒いボディは燃焼や熱脆化は起きない。
更に火力集中――いかなる物質も電子と原子核が分離する程の熱量で固体を維持出来るものは無い。
黒い姿が揺らいで見える。身体が蒸発しているのか、それともただの陽炎か。
銃の標線を黒い鎧に定めたカイルが引き金を引く。音速の十倍で飛翔する徹甲弾は頭の中心へ一直線に向かう、急所を狙った一撃だった。
赤く輝く目がエネリオンを帯び始め、咄嗟にカイルは銃を手放しながら横に転がった。
直後、弾丸は莫大なエネルギー量に敗れ、青年の顔があった場所を眩いレーザー光が通り過ぎる。後ろでは赤熱した大穴が木の幹に空けられている。
距離八メートル、背中に手を回し、膝立ちでソードオフショットガンを発砲した。
チャージ時間〇・五秒、十度に拡散した散弾七発は、大腿の黒い皮膚に吸い込まれたかと思うと内部で弾けた。
黒い脛が千切れ落ちた。血は一切出ていない。断面まで光を完全吸収している。
膝から先は空気に溶けるかの如くスッと消えてしまった。
漆黒の傷口から何かが生えてくる。徐々に伸びてくると、五秒もせず黒い足は欠けの一つ無く完治していた。
「……跡形も残さず粉々にしてやれば良いって訳ね」
イザベルの口から歯ぎしりが聞こえる。
「質量のある球体がある……イエローストーンで発見された未知の物質に似ている!」
珍しく声を上げるカイルに相棒は呆気に取られていた。
「そんなにヤバいの?」
「……“あれ”にエネリオンを供給しているのは間違いなくその物質だよ」
「弱点って訳ね。位置は? あたしじゃ見えなくて」
「丁度頭の中心」
言い終わると女性は猪突猛進。振り下ろし気味のストレートを顔面へ。
黒く二回りも太い腕が手首を掴み止める。イザベルがどれだけ腕を引いても外れなかった。
誤魔化すように左フック。内受けに阻まれるが、白い手はそのまま前腕を掴んだ。
頭突きが黒いクリーチャーの頭にめり込む。怯んだ気配はしないが、両腕を引き寄せながら膝蹴りの連発。
暗黒の鎧は硬く一切変形しない。どういう原理か反動による痛みは無く、打撃音も聞こえない。それでも足を引いては刺し続けるが、大した反応は無く、左腕を外して頭頂部に肘を決めた。
首が微かに揺れるのを見逃さなかった。無意識に笑みを浮かべるイザベルの肘フックが顎を抉り、耐えかねた黒い奴は殴り掛かる。
頭を覆うように振り上げた縦肘が軌道を上にずらし、反転、両肘の振り落としに頭蓋が潰れる。
暫く滅多打ちが続く。僅かにのけ反る程の手応えはあるが、それ以上の……
芽生え始めた不安と攻勢はトラックに撥ねられたも同然の衝撃に全て壊された。
相手が動いた気配は無かった。あの念動力か――仰向けで見上げる彼女には目を赤く輝かせる黒い物体が怒っているようにしか見えない。輝きは更に増して……
突如、黒い右腕が雲散霧消した。狙いが狂ったビームは倒れた一メートル横の大地を水滴もろとも灰になるまで焼き尽くした。
赤い目が睨んだ先は拳銃を持った小柄な青年。だったが、景色は巻き上がる土煙が遮った。
破裂音と共にカイルは後方へ吹き飛び、凹んだ土からは湯気が立っている。一拍遅れて熱っぽい空気が漂った。
(熱膨張? あたしの能力と同じ?!)
呆れ気味に黒い肢体を見る。消し飛んだ肩から先の景色は再び腕の形に塗り潰された。味方はガジュマルの幹に受け止められ、すぐに立ち上がった所を見るに戦闘継続に支障は無さそうだ。
「そういや成層圏ドローンの方はどうすんの?」
「……今の所はハンさん達が引き受けてくれるけど、北部の艦隊にまで手を出されたらなあ……それまでにどれだけ削げるかだね」
「でもそれじゃあ電波妨害もレーザーも残ったままだよ」
「一つ方法はある」
小柄な青年は泥を被ったライフルを拾い、汚れに見向きもせず照準を合わせた。
「屈折能力者とドローンの操縦者を直接狙う。テレパシーを辿ったら空港方面にエネリオンが往き来しているんだ。正確な位置が分かるまでは僕も援護出来るけど……」
「その間はあたしがカイルの事守ったげる」
「損な役回りで済まない」
「なんの、昨日の恩返しに丁度良い。安心しな」
自信ありげにイザベルは胸を叩いた。
「これ使って」と散弾拳銃をグリップから手渡すカイル「横のダイヤルで範囲を調節出来るよ」
頷き一つだけして受け取った速攻、一発撃つ。
胸に小さい穴が一つだけ空いた人影が足音一つ鳴らさずに走り来る。歓迎するようなイザベルとの首相撲が始まった。