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人が武器を捨てる時/THE TRANSCEND-MEN  作者: タツマゲドン
Category 9 : Reconstruction
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6 : Rebirth

「ようし、生物学の時間だ。撃っていいぞ」


 散らかった資料や書類が端に寄せられ、中央だけ更地にされた机の上、一匹の白いハツカネズミだけが入った透明なゲージを置いてチャック・ストーン医者は告げた。


 ただし、白ネズミは元よりの毛並みが不揃いで、赤い眼も色味が落ちて鼻も乾き、元気が無い。隅でぐったり寝そべる様は己の死を悟っているようだ。


 だがアダムにはそんな躊躇など微塵も無く、ゲージと掌を一直線に合わせる。


 特殊能力は自身の願いを強く想う──アンジュリーナから教わったコツだ。


 何故なのかは分からないが、管理軍から逃げたかった。そして何故なのかを知りたい。


 仄かに網膜を突き刺す“見えない筈の輝き”が掌に灯った。


 光は一直線にターゲットを照らす。直後、白ネズミは豹変したようにゲージを走り回っていた。


「落ち着けジェリー。ほうらエサだぞ。一見外的な変化は見られ……」


 赤目を血走らせてガラスを引っ掻くのをすくい上げたチャック。一瞥するなり、白い毛が艶を帯びている事に気付いた。警戒してるのか鼻を小刻みにひくつかせ、耳も充血した毛細血管が見える。


「血流は当然だがアドレナリンやエンドルフィンといった生体を活発にさせるモノアミン神経伝達物質の分泌が信じられない程に上がっている。結構老いた個体なのだが……」


 チャックの能力は有機物合成。生物が細胞内で起こす様々な生理反応に対しての観察はお手の物だった。


「どういう事だ? 若返っているのか?」

「だな。それと、細胞分裂の度に消費されるテロメアというものがあってだな、これの長さで年齢が分かるが、これによるとジェリーは一年分も時を遡った事になる……こっちは脳細胞のシナプスだが、本来は増殖しない筈なのに新しい細胞が出現し回路が生まれている」


 説明しながら散らかったデスクの上でタブレット端末を起動、喋りと比べ物にならないスピードで有機ELに二重螺旋や脳を模した図形が書き込まれていく。本人曰わく、耳に引っ掛けたイヤホン型テレパシー受信機が彼自身の知覚を視覚データに変えているらしい。


「ここまで効果があるのか」

「小さいマウスだからな。人間大では効果は遙かに劣るだろうが。だから私自らも実験台になろう。ただ心臓や脳は止めといてこっちにしとくれ」


 白衣の袖を捲る医者。手入れされていない剛毛と弛んだ二の腕目掛け、照準。


「うゴッ!」


 殴られたように呻く医者。途端に赤く腫れ上がった患部をさすり、涙目になりかけだった。


「おー、痛あぁぁぁぁぁ……撃つときは言ってくれ……」

「すまない。大丈夫か?」

「死んではない。部分的に作用した結果、その部分の生命活動のみが暴走しているんだ」


 少年は手を下ろし、謝罪の念を最低限伝える。中年男は歪ませた顔とは裏腹に、興奮を含んだ声だった。


「工作員にエネリオンを放ったが、被弾した際、同じ反応だった」

「トレバーの幻覚にも似ているな。アンジュが管理軍施設からお前さんを発見し……言い方が悪いが、連れ去った訳だが、その時のアンジュの報告でお前さんを連れて施設から脱出する時、エネリオン反応があったそうだが、その際自分が出せる以上の身体能力を発揮したんだと」

「エネリオンの変換処理にも関わるのか」

「宇宙に潤沢にある素粒子を使えるエネルギーにするというある意味生命みたいなものだからな。しかし若返るだなんて……少し待っててくれ……」


 興奮が冷めぬまま、医者は小太りに似合わぬ駆け足で部屋を出た。


 二分も経たず帰って来た彼が持っていたのは別のネズミが入ったゲージだった。


 ただし中身のネズミは色彩が欠けたように白く、目は閉じたまま、ピクリとも動じない。


「昨日老衰で死んだマウスだ。名前はジングルス、今度は彼に撃ってみてくれ。まさかとは思うが……」


 生き返るのだろうか?──この場の二人の疑問と好奇心は完全一致だった。


 第三次世界大戦はインフラの潰し合いをメインに消耗に次ぐ消耗によって地球人口が九分の一になるという惨事を引き起こしたが、自治政府や管理組織はそれぞれで復興し、風邪ウイルスや癌対策、老化による機能障害防止研究の成果もあって、現在も対峙中ながら平均寿命八十歳越えを取り戻した。


 しかし、人道や人口の爆発的増加問題はともかく、体内でのテロメア合成や脳細胞の増殖といった課題は解決されず、不老不死は夢のままだ。


 それをこの少年は手を翳すだけである種の禁忌に触れようとしているのだ。


 それでも尚、この場の二人にとっては好奇心の方が勝るらしく、少年の小柄な掌が再びネズミを灯した。


 四つの目が死体を見据える。目は閉じたままで、色味も病的なままだが、彼らはすぐにネズミの胸部が周期的に膨らみと萎みを繰り返すのを発見した。


「間違いない、生きている……」


 やがて瞼を開いた白ネズミは何事もなかったかの如くゲージ内をマイペースにウロウロし、間もなくチャックが与えたニンジン一片にありつけたのだった。


「少年、エントロピーとは知ってるか?」

「状態の複雑さの事か?」

「そうだ。お湯を冷ましたら元には戻らないのがエントロピーの増大であり不可逆性だが、生物は自らエネルギー源を取り込んで化学反応を行い、お湯を温められる、つまり逆らえる訳だ。それでも老化というエントロピーには抗えないし、死んでしまっては戻らない」

「自分の能力というのはそのエントロピーとでも言うのか?」

「広義的にはな。私にやったように一点集中すればエネルギーが暴走もする。まあ、無秩序さなど簡単には測れないからな。文字通り若返ったとするなら時間が巻き戻ったとも捉えられる訳だが……」


 空調の効いた筈の部屋で汗が茶髪の生え際が湿り気を帯びているのをアダムの目は見逃さなかった。それを誤魔化すように大人は、二分前まで死体だった餌を貪る小動物に目を向ける。


 とはいえアダム自身も同感はするのだが――この力があれば多大な犠牲を無くせるのか。例えば、アンジュリーナが守りたくて守れなかった人々……あるいは、戦争全ての修復……その力で出来る事の重大さに息を呑む。


「まあ原理解析は後にしよう……少年、人道問題は慎重にせねば。ネズミは小さいからまだ良いものの、人間程大きな生物の蘇生となると流石に負担が大きすぎるだろうし、少年とて死者蘇生マシンにはなりたくなかろう。不確定要素も多い。今はまだ誰にも話すな」

「分かった」

「こういう約束事に関しては頼もしいものだな……管理軍が欲している理由も分かったよ」


 少年の無機質な顔つきには多少は慣れたが、タイムラグ無しに返事をするとロボットを相手しているようで相変わらず気味が悪い。反面、ロボットのように頼みを聞いてくれるという信頼もあるが。


 とはいえ、アダムにも感情が無いとは言えず、何かを飲食する時、何かに興味を持った時、等、口数が変わる事は多く、眉の動きも誤魔化せない――チャックもこの少年と同様、大いなる力と向き合う事に緊張している。


「そうそう、この前の工作員の件の話もしようか。紅茶は好きか?」


 なのでストーン医師は台所からポットを持って来て勧めた。ティータイムが全てを解決してくれると信じて。


 しかし現実に目を背ける訳にもいかない。前進する為にこそ休む、それが彼のモットーだ。書類を机の片側にどけ、もう片側に座る。アダムは牛乳と角砂糖一個、チャックはレモンと共に紅茶を注いだ。


「それで、まずアルフレッドと名乗った工作員の毛髪から取ったDNAとウイルスのDNAは一致だ。彼がウイルスを作ったと見て間違いない」


 最初の一口の前に話題を切り出す医師。お構いなしに少年はカップを傾けるが、目だけはきちんとチャックの茶系統の瞳を捉えている。


「それから捕らえた二人の工作員は能力を持たないトランセンド・マンではあるが、彼らを調べたらウイルスを発見した。特に全身の神経細胞と同化していて、恐らくこれで後天的にエネリオンの知覚制御能力を得たんだろう」

「ウイルスが寄生して能力を得られるのか?」

「あらゆる生物がミトコンドリアを取り込んで酸素をエネルギー源にするくらいだから、それと同じようなものだろう」


 ようやく一口飲んだチャック。それでも喉の渇きよりも専門を語りたいのが勝るのか、休憩時間僅か三秒。


「押収品にウイルスが入った弾頭の弾薬も数種類あったが、それぞれのDNAは微妙に違った。ウイルスの作るタンパク質まで制御出来るという訳だ。対策も大変そうだが、得るものも多いぞ。そういえばロサンゼルスに工作員が紛れていないか警戒態勢だというらしいが、あれ以降捜索はどうだ?」

「廃墟やメキシコ街で工作員の住居は発見している。捕虜の二人にも訊いたが他は居ないらしい。現時点で他の人員や痕跡は見つかってもない」

「ほう。トレバーもリョウもナガタ君も居るし、ひとまず安心かな。私も戦えるようにならねば……」


 服に隠れた太っ腹を不満げに見下ろす中年男性。返事は無いので恐らくコメントに困っているか興味無いか……とりあえず進める事にする。


「それともう一つ、お前さんの身体に埋め込まれてあったチップだが、カイルとハンが少し手をつけていてな、現時点で分かっているのはあのチップは受信専門で、電子機器ですらなくエネリオンで動くらしい。神経と一体化しているのはトランセンド・マンのエネリオン処理能力を借りる為だろう」


 トランセンド・マン専用武器は彼らの神経細胞を模した回路を使用するが、それ単体でエネリオンを取り入れる事は不可能で、トランセンド・マンの処理能力を用いて発動する必要がある。この例に従えば、アダム自身がそのチップにエネリオンを送るか、それとも第三者が発動させる必要があるのだが、


「試験はリスクが流石に高かろう。下手に弄るんじゃないぞ」

「ああ。受信したエネリオンの記録は無いのか?」

「残念ながら記録どころかチップは全く起動していない。データは解析を進めている所だ。受信信号が分からなければどうしようもないが……」


 言葉を濁し茶の酸味で取り繕う。仕方なくアダムも真似し、無言で目配せをして「気にするな」と彼なりの気遣いオーラを放つのだった。


「……エネリオンといえば、管理軍が所有していたあの未知の物質はどうなった? イエローストーンでも同じ物質が見つかっていたが」

「あれもハンの担当だがな。物理学は高校生の時に諦めた。もはや数学みたいなものだ……カイルがロサンゼルスに越してきたのもその研究を手伝う為でな、あの少年は優秀だ。エネリオンの粒子一つ一つを認識出来る程の知覚の持ち主だよ」


 アダム少年の質問に、医師は向かいの瞼が若干開き気味になるのが見えた。元はといえば彼が最初に発見したのだから、興味をそそられるのも当然だろう。


「あの物質、ニュージーランドの火山地層からも発見されたらしい。イエローストーンの件といい、管理軍があの物質欲しさに火山を制圧したいんだろうな。丁度現在のハワイもそうだし……今後は管理軍の攻撃もある程度予測は出来るだろうがな」


 カップを口に付け、残った三分の一を喉に流しながら頷くアダム。「もう一杯どうだ?」と勧める医者に彼は首を縦に振り、肯定する。


「今の所はエネリオンを自発的に吸着する性質を持ち、トランセンド・マンの脳神経のような構造が確認された。能力の発揮までは確認出来てないが、発動の条件が分かれば永久機関までも実現してしまうぞ」


 チャックはもう沢山とばかりに頭を抱えた。物理学が素粒子間やそれよりも小さい現象までも捉えられるようになっても、閉じた系の中ではエネルギー総量は一定という前提は覆らず、変換効率も限りなく向上されるもののどう足掻いても損失をゼロには出来ず、第一種・二種永久機関も完成しなかったのだ。


 しかし、エネリオンは質量が存在せず、トランセンド・マンが他エネルギーに変換しようが宇宙が膨張しようが密度は一定のままという法則を持ち、ここから無限にエネルギーを引き出せるのではないかという研究は続けられている。


 そして行き着いたのがあの凹凸も見えない程暗い鉱石だ。


「しかしハワイの方も大変だな。あそこ治安が未だに改善されてないというのに」

「どういう事だ?」

「あそこ人口が急激に増えて格差問題だとか生まれて自治政府も手に負えなくなっているらしい。私も平和になったら一度観光に行きたいがなあ……ハン達の土産を待とうか」


 手元のカップが空になっているのを確認したストーン医師。喉は潤ったが、昼飯を少なめに済ませたせいか腹が鳴る。


「……時々、アンジュからお菓子を貰うんだが、こういう時が寂しいもんだな」

「アンジュが作るのか?」

「そうだ。家庭的で将来良い奥さんになるぞ。昔、まだ戦闘員じゃない時は救護を良く手伝ってくれてた……ロシアだと紅茶にジャムを入れたりするらしい。気分だけでも紛らわせようか……」


 チャックは寂しげに残して立ち上がり、戸棚の瓶詰めや菓子袋を確認しに行った。


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