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身長は百八十センチメートル程、白人の平均──俺が乗るこの四・五メートルもの二足歩行戦車には子供同然の大きさだ。
服装は引き締まった身体にフィットするパイロットスーツとウエストポーチのみで、背中にしまうアサルトライフルらしき物体以外に何も武器は持っていない。戦場では必須の防弾ジャケットとヘルメットすら無い。
だが、二十メートル離れていても尚、この機体、コクピットを見透かすような冷たい視線が感じ取れる。
望遠モードという訳ではない。まだ暗いせいか人相は良く見えんが、銃も構えず立っているだけでまるで向こうが猛獣のように見える。俺達など弾を撃つまでもないとでもいうのか。
『ヤロー!』
重圧に耐えられなかったのか、隣の相棒が機関銃を乱射し始める。俺も続いた。
計四丁、秒間四十発の二十ミリ弾の嵐が緩衝装置付きの操縦席をも震わせ、流れ弾が収穫頃のサトウキビを伐採していく。
何十回と跳ね上がる反動と、連続するマズルフラッシュが視界を奪う。強張った肉体が許す限り人差し指を……
次の瞬間、身体が左に押し付けられた。脇腹から全体へ──車にはねられるのはこういう感じなのだろうか。
目の前が眩んだ。意識が戻った時、スクリーン全面は暗黒だった。
いつの間にかうつ伏せになっていた機体を起こす。土が映像の所々にくっついていたが、カメラの振動防塵機能によってすぐ取れる。
【骨格:異常無し】とインジケーターだが、装甲の破片と思われる割れた金属タイルが幾らか道のように転がっていた。
先を辿ると、こちらに歩み寄って来る足。その上は、先程撃とうとしたあの青年の顔だ。
まさかさっきの弾を避けて回り込んだってのか?! 俺の内なる疑問に奴は答えてくれないが、代わりに奴の冷たい目がこちらを覗いている。
普通の人間の二・五倍もデカい筈の機体だってのに、何故あんな……
いや、一つだけ可能性がある。トランセンド・マンと呼ばれる少数の超能力者は並外れた能力を持ち、俺達反乱軍や管理軍双方のパワーバランスを担っているという。
『よくも俺の親友を!』
斜め前から寮機が撃つ。銃声と火花が目の前を覆った。
長い三秒が過ぎ去った。しかし、肝心の人の姿は腕を交差させたまま、同じ場所に留まっている。
ナイトビジョンでは顔をしかめている様子が映し出されている。人肉なんざ軽々ミンチにする弾をあれだけ食らったのにこれだけしか効かねえってのか?……
では、ロケット砲を直撃ならば……四つん這いのまま連装砲が視線に従ってキュルキュル鳴る。
「撃て」と音声コマンドを巨人に言おうと思った時だった。
映像が変わった。目の前の人物が一瞬で消えた。同じ位置に誰かが入れ替わっていた。
『退却しろ!』
横蹴りの体勢で首だけ回してこちらに警告した人物は、見た限り普通の青年だ。防弾装備は無くアサルトライフルと肩掛けバッグのみ、腰に長い帯を巻いた道着のような格好だ。彼もトランセンド・マンなのだろう。
だが大事な事を忘れる訳にはいかない。我を取り戻して、外部スピーカーのスイッチを押した。
「仲間が二人、奥の方で負傷してます! 助けなきゃ!」
『……なら俺がこいつを引き止めながら援護する! 回収して撤退してくれ!』
青年は二十世紀後半ハリウッド映画よろしくアサルトライフルを腰に掲げ、地面を蹴ったかと思うと高さ四メートルの藪の中へ突っ込んだ。
あの謎の男はひとまず彼に任せておこう。だが敵はまだ居る。
前線は別分隊に任せられるが、問題は茂みに居るであろう伏兵と地平線を越えた不可視の爆撃。
だが俺以外に誰が仲間を助けるというのだ。深呼吸した途端、自分の身を拍動させる心音と機体を震わすタービンエンジンの振動が耳に入ってきた。
「オーガスト、そこから援護射撃頼めないか? 俺が隊長達を助けに行く!」
『良いぜノア。さあ来い車輪共め、霊長類の威厳だ!』
「こいつも使え!」
四十ミリライフルを同僚へ投げる。向こうのアームの先端が親指を立てると、巨大な草むらへダイブ。
長距離走行と最高速度に足裏を弾力のある手応えがすると同時に無数の切れ長の葉が機体を撫でていった。
救難信号で先輩達の位置はレーダーに示されるものの、視界はどこまで行っても葉っぱに覆われたままだ。
葉の間には明け方に浮かぶ仄かな黒煙が見える。一番近いのは隊長機だが、ペシャンコになったウォーカーが炎に変わるのを俺は見た。間に合えば良いのだが……
通信の声もノイズもしない。ウォーカーの装甲に擦れる葉音と遠くから爆音が断続的に聞こえるが、寂しさと怖さをかえって増幅させるのみ。
レーダーを再度確認しようとしたその時、スクリーンに広がるサトウキビの林が消えた。足元を見ると、細長い茎が何かによって踏み倒されていた。
すぐ先では、バラバラに千切れた金属の塊――骨格が剥き出しになっている二足歩行戦車が赤い火柱と化していた。
『ったく、逃げろっつったのに可愛げのねえ後輩だぜ』
呼び掛けたのは瓦礫の傍、倒れたサトウキビの上でヘルメットを外し、あぐらをかいている短い赤毛を逆立てた人物。防弾ジャケットとPDWのみという自衛の最低限の装備だった。
「クリスさん、無事だったんですね! 見捨てるなんて俺には出来ませんよ……それより、隊長は?」
軽口を吐いていた先輩の顔から笑みが消えた。代わりに視線は火炎の渦に飛び込んでいる。
『隊長は……ロンは、俺が着いた時はもう駄目だった……』
「そんな……」
こちらに対し背中を見せるクリスは握っていた水筒を炎の中に投げ捨て、ヘルメットを拾い立ち上がる。百九十センチメートルはある身体を奮い立たせた彼は目を袖で押さえた後、こちらを向いた。
『……パーシーが残ってる筈だ。ロンのかみさんと子供の為にもさっさ行くぞ!』
「しっかり掴まって下さいよ……」
目を閏わせて歯を噛み締める顔が一瞬見えたが、死者蘇生は出来ない。耐熱プレートで覆われたアームを降ろし、先輩が肘の辺りで跨ぐ。
「そんなとこで大丈夫すか?」
『ちょっと待ってろ』
やがて彼は肩までよじ登り、スクリーンの背部には足と手を操縦者搬入部に着いた取っ手に掴まり、親指と人差し指で輪っかを作ったのが見えた。
歩く。何も考えなければ大した行為ではないが、一歩だけでも人体は効率良くバランスを取る為に一瞬わざと不安定な姿勢になる。ただ不安定ならまだしも、この不安定さによる負荷もまた二足歩行ロボットでも特に研究課題とされた部分である。
陸上選手の一・六倍程度の速力を持ち、成人男性の二・五倍の身長を誇る二足歩行戦車は走行の上下運動で単純に人間が走るよりも四倍も強く振り回される事となる。
それでもクリスさんが振り離れていないのを見ると、脚とボディを繋げる腰部サスペンションはきちんと機能してくれているらしい。先人の知恵とは有り難い。
カキョン!
『何ボサッとしてんだよ! さっさ撃て!』
装甲に硬い物体が跳ね、先輩からも渇を入れられ、二時の方向。多数の細い葉に隠れているが、草丈の二分の一にも満たない、戦闘人型ロボット。茂みの隙間に金属の皮膚が浮いている。
一個分隊規模の小銃の乱射がチタン装甲をカツカツ削る。生身の兵隊を背負ってはいるが、脳に響く程の至近距離の銃声はクリスさんが被るヘルメットの騒音防止機能で防いでくれる筈。そう信じて引き金を一引き。
豆鉄砲に負けるかと巨人の銃がサトウキビもろとも機械の小人を刈っていく。あっという間に屑鉄と銃弾に耕された穴だけが残った。
「無事ですか?!」
『助かったぜ。パーシーまではどれくらい掛かる?』
「走れば三十秒ってとこでしょうが……オーガスト、何か見えるか?」
『今はまだ分かんねえ』
レーダーが示す最後の点は残り五百メートルにも満たない。だが伏兵を警戒せねば。救助に来た所を包囲されるかもしれない。
予め背部に格納されているセラミックナイフを、左右の機関銃先端に取り付けてレバー式のロックをはめ、一歩ずつ進む。
両手の銃剣を振りつつ収穫間際のサトウキビを伐採し、視界を確保。広角レンズによる全方位スクリーンや熱探知、僅かな物音、地面の震動……自らの持つ知覚全てを動員する。
『おい待て、この辺で動きの反応があったぜ』
スクリーンに【四〇・五メートル】と表示された半透明の三角形が突き立った。スポッティング任せて良かった。
ただ見るだけでは駄目だ。隠れていそうな場所を探り、避ける。
鼓膜を伝う、ガスタービンに混じった僅かに高い異音。あの時俺達を襲った多脚戦車のものと同じだ。
十時の方向、人の手によって分厚く作られた自然のカーテンの隙間、黒光りする影がそこにあった。
『こっちにも居るぜ』
上司のヒソヒソ声の通り、こちらは二時の方向で不自然に揺れる草。座標指定モードで両肩のロケット砲が十時十分を示し、
「ファイア!」
掛け声を聞いてくれた巨人はたちまち肩からロケット噴射──光の尾を引く物体が茂みの奥に消え、瞬く間に二つの火球が誕生した。
草丈のラインの上を舞う粉塵と金属アームが見える。微小な機械音が近付いてくる。
そこへデカい二丁拳銃をブチ込む。火を噴く銃口の前にサトウキビ達は薙ぎ倒れ、姿を現したメカ共は野菜屑同然だった。
視界端に接近反応──センサーに任せて肩の砲架が旋回する音。
シュボッ!──背後で炎がボディを焼き、スクリーン端から陽光と爆音二つ。
「オーガスト、援護しろ!」
『もうやってる! ゴキブリみてえに湧くぞこいつら!』
「クソッ……クリスさん降りた方が……」
『その方が良いようだな』
幾ら引き金を引いてもその度に来る反動をコクピットに感じても襲撃が止まる気配は一向に無い。
『後ろだ!』
振り向くと目の前の草むらが一瞬で巨大な炎に変わり、人型の群れが散った。
クリスさんが手榴弾を投げたのだろう。無数の黒土と共に金属製の人型。その後ろには多脚戦車が畑の上で八本足を広げていた。
軋む巨大なカニの脚が降りてくる。俺は右腕を真上に振り上げる。
サンドバッグを叩いたような感触がしたかと思うと、デカいカニが宙で回転し、サトウキビをクッション代わりに不時着した。
腹を向けた薄い甲殻に機銃弾を数発与え、動かなくなったのを確認するとスクリーンを見渡す。
巨人の背中をグレネードで狙おうとする多脚戦車を認め、銃口を合わせようとしたその時、標的は閃光の塊と化していた。
『間に合ったか!』
『てめえ、心配したぞ! 逆に助けられちまったみたいだがな』
『いや、お前らが陽動起こさなきゃ俺はもう駄目だったかもしれねえ』
短機関銃を腰にマシンの残骸を踏んで駆け寄ってくる人物――パーシー先輩。髪はヘルメットに隠れているが、普段ならツーブロックの金髪がその奥に隠れている筈だ。
救出すべき人物が揃い、二人が並ぶとクリスさんの方が若干大きく見える。しかしパワーもスピードも防御も俺の操る巨人に比べれば無力に近い。
『行けえ!』
呼ばれると、スクリーン後部に開閉ハッチの搭乗補助取っ手にしがみつく二人が見える。
大きく踏み出すと、慣れぬ重力加速度にしがみつく二人の顔が歪むが、乗り心地は命に代えられん。小刻みな反動で震える二丁拳銃と銃剣が、正面を阻むサトウキビとマシン共を切り拓く。
突如、骨の髄まで響く衝撃――視界左で何かが光ったと思うと、左腕が千切れ飛んだ。
痛みがパイロットに到達しないのは幸いだが、数十メートル先、畑の起伏の縁から何者かが銃口を向けている姿が明け方に浮かんでいた。
「お前、あの時の……」
管理組織が運用を得意とする多数の無人兵器ではない。人間のものと同じ顔――隊長の仇が無言で二足歩行戦車を見詰めていた。中の自分を見透かすように。
肩のロケットを四発発射。流星の如く輝く軌跡を描いて畑にクレーターと火柱を作る。だが、肝心の奴は爆心地から外れ、こちらへ走って……
不意にどこからか飛んできた跳び蹴りが奴を撥ね飛ばし、畑に溝を作る。キックの主、少し前に俺達を助けてくれた青年が頷いてくれた。
すると、彼は何かを思い付いたように上空に向けてアサルトライフルを肩付けし、そして何度も引き金を引く。
上空で黒煙と橙の閃光で出来た品の無い花火が上がった。榴弾にしろロケットにしろ、まさかあの銃で撃ち落としたのか?
『行け!!!!!』
叱咤を受けて走行再開。今度は正面から機関銃を乱射する多脚戦車が障害物となる。
カキン、と小気味良い音がコクピットにも届くが、五十口径のライフル如きではこの装甲は破れない。それでもカニのフォルムが迫ってくる。
一本だけ残った二十ミリ機銃で迎撃するが、絶妙なカーブを描く殻に傷が付いて逸れるだけ。
足元を掬わんとする多数のアームに対しこちらも屈む。腕一本で左側から伸びてくる節足を肘裏で掴んで、出力を足腰に込める。
脚の根元から甲殻もろとも体幹のトルクで引き回し、ズシンと衝撃。畑に半ばめり込んだカニ野郎の腹を、銃剣が呆気なく貫いた。
同時に背中から狼狽が二つ聞こえる。先輩達が重力加速度に耐えきれなかったか。
「大丈夫っすか?」
『余計な心配無用だ。ジェットコースターみてえなもんさ……』
ドゴン!──草陰から潜望鏡型補助カメラを伸ばすと、音がした方向、緑に覆われたフィールドのど真ん中で巨大な火柱が現れていた。
炎に包まれているのは、こちらへ大口径砲塔を向けるキャタピラを履いた車両。その横で青年――味方トランセンド・マンが銃を構えている。
人間サイズの小銃で爆破出来るとは……もう驚き飽きてしまったが、直後、別の驚愕が待っていた。
突如青年が銃を乱射する。余裕の無い表情をした彼が見る方向にはサトウキビに身体を隠しながら、敵トランセンド・マン。
【視線照準】――ロケット連装砲が火を噴く。彗星の如く複数の光の筋が人影目掛けて一直線。
強引な焼畑が出現するが、肝心の奴は焦げた空気を掻い潜って拳銃型の物体を差し向ける。
ガコン!──瞬間、奴の身体に眩いオレンジの火花が咲いた。
後方に吹き飛んだ敵は畑の茂みの奥へ消え、そこへ味方のトランセンド・マンも突っ込んでいく。
振り向くと、畑の外の僅かに隆起した所で三脚付きライフルを構える二足歩行戦車が片手でガッツポーズをしており、丁度その後ろで太陽が顔を出していた。
『待たせたか?』
「射撃大会だと時間切れで失格だぞ」
『針に糸通すのは大変なんだぜ。少しは主婦の苦労も分かってくれや』
「裁縫どころか料理もスクランブルエッグしか作れねえだろうがお前」
朝日で無駄に神々しく見える同僚の元へ一目散、無駄口を叩くオーガストを走り抜いた。
『ちくしょう管理軍共め、今日の所はこれまでだが……』
一方で砲を抱えたまま、延々と負け犬の遠吠えといわんばかりの罵りを畑の向こうへと投げながら同僚はついて来る。畑から出た俺は計器のスイッチをまた一つ入れた。
【機動ローラー ON】
踵に振動。足元は見えないが、脛に格納された長距離移動用のローラーが展開し、オフロード四輪乗用車が走れる道なら時速七十キロメートルで走れるという仕組みだ。
丘陵の奥から陽光が段々と満ちていく。スクリーン端のデジタル時計によると、午前五時四十分。島東部に通じる舗装された並木道と農村地帯が地平線まで続く。
『ノア、サンキューな。ロンの事は残念だが、いつか仇を取ってやる』
「いえ、俺なんかよりあの人が……」
『噂に聞くトランセンド・マンだっけ。でもお前が来てくれなきゃ駄目だったぜ。何が出来るかじゃねえ、何をするかだ。ノアもオーガストもあの人もそれをやっただけだ』
機体後部に掴まっていた二人の先輩は肩までよじ登り、向かい風か朝日か、それとも仲間を失った悲しみか、目を細めて前だけを見つめていた。それでもスクリーンには親指を立ててみせる。
後部カメラの映像には、ローラーを器用に操って後ろ向きに走りながらライフルを構えっぱなしの仲間。強がりな奴だが、何も喋らないから追ってこないか余程心配なのだろう。
間もなく朝日はハワイ島を包み、戦場特有の爆音も遠ざかっていく。後は路面の凹凸の振動とガスタービンの回転音だけ。