白殻のパンドラ #.02
わたしは頭を抱えていた。
……やっちゃった。やってしまった。
デートなんて、いままでしたことがない。
特定の誰かとの深い行為や関係に、しないしならないようにしてきたから、当然といえば当然なんだけど……。
せっ(うぅっ……言えない)からの落差で、つい受けてしまった……。
ま、まあ報酬としてだし、い、一度くらいならだいじょうぶ、だよね?
お泊まりの話も、そのあとまたすぐに、気にしないでください忘れてください、って謝られたし。
成瀬さんと別れたあと、舞桜ちゃんと合流。
八重ちゃんに連れられ植物園へ。
「――白羽先輩、なんで植物園なんですか?」
「魔女機関の海月支部に向かうためです」
「……? 街中にある大きなビルが支部なんじゃないの?」
「公にはそうですね。事務的なこととか色々はそっちです。
いまから行くのは、支部の本部と言ったほうがわかりやすいでしょうか」
矛盾してるような言い方だったけど、うん、わかりやすい。
今日はアルルを見かけなかった。
わたしが植物園に来る時は、まるで待ち伏せてるみたいに、いつも現れるのに。
ルルナもあのあとから会ってないし、とか考えているうちに、誘われるまま、植物園の管理室へ到着。
「えりちゃん、姫ちゃんたち連れてきましたよー」
奥の方(たぶん給湯室)から声が返ってくる。聞き覚えのある声。
「はいはーい。さくちゃん、ありがとう。――えっと、飲み物は何がいいかしら?
姫乃さん、舞桜さんも、何か希望があれば言ってね?」
頭に『?』を浮かべながらも、わたしたちはそれぞれ好きな飲み物を注文して、八重ちゃんに勧められた席に座って待つ。
しばらくすると、
三つ編みカチューシャの女の子が、お盆に飲み物を載せて、わたしたちの待つテーブルの許へ。
飲み物を配り終え、席に着いた彼女は、この植物園を管理している橘先生。
わたしたちと……ううん、舞桜ちゃんたちと変わらないくらいの、高校生みたいな容姿。制服を着てたら、学生に間違われてしまうと思う。
噂だと先生は、外見の成長が止まるのが早かったらしい。
……八重ちゃんぐらい大きいけど! 何が? 知らない!
見た目が二十代を迎えることはなく、ずっと十代のまま。
それでも舞桜ちゃんのママと比べたら、まだいいほうだと思う。
あの人は小学生くらいで止まっちゃったから、わたしよりも全然幼い見た目だし。
――とは言っても、容姿の割に先生を子どもっぽいと感じることは全然なくて。
いまだってロングのシフォンワンピースを着ていて、大人っぽい落ち着いた髪型だし服装だし、普段から大人の余裕が感じられる応対とか物腰とかで、ちゃんと先生って感じがする。年相応に大人な……いや、年齢は知らないんだけど。
でも生徒たちだけじゃなくて、先生たちにも敬われ慕われているような感じで、威厳もあって、決して若くはな……怒られそうだし、この辺で。
……橘先生の年齢は、この学校の七不思議の一つ。
「急なお話でごめんなさい。
二人とも、今回のこと、引き受けてくれてありがとう」
先生から丁寧なお辞儀をされる。
「……いえ? あの、橘先生も魔女機関の人だったんですか?」
「姫ちゃん。えりちゃ――橘先生は、海月支部所属の魔女で、支部長なんです」
「えっ? え――!?」
舞桜ちゃんと一緒に声を出して驚く。
魔女だっただけでも驚きなのに、しぶちょうさんだったなんて……。
――わたしは、魔女と先生を兼任してる人を二人知っている。
藤咲先生と、エレナ先生。
この学校では、この二人だけだと思ってた。
二人の先生は、実技の授業の時に担当になることもあって。でも、橘先生はそういうのがまったくなかったし、そもそも先生が戦う姿なんて想像できなくて、
「さくちゃん、代理、ね?」
「あ、そうでした。
もうずっと支部長として仕事をされているのを見ていたので、つい。
ちなみに支部長の方は、橘先生の奥さんです」
「え? え――!?」
また同じようなリアクションをしてしまった。
橘先生既婚者だったの!?
指輪――も、ある! してる!
いままで意識してなかったから、気づかなかっただけ?
「――もう。先生たちの話はいいの」
……もう少し先生の話を聞きたかった気もする。それほど、わたし含め、生徒たちに人気な、魅力的な先生なのです。
「さて、姫乃さん。舞桜さん。
要請に応じてもらったいま、今回の件について、先生たちからその詳細を説明させてもらいます」
静かに頷くわたしたち。
「まずは、今回の敵について。
――かの天使は、『ゴルゴタ』とよばれている特殊な存在なの」
「彼女は、私の世界を滅ぼした天使……なんです」
「……世界を、滅ぼした」
じゃあ、八重ちゃんの世界はもう……?
「姫ちゃんも気づいているかもしれませんが、
天使の魔術耐性上――いえ、私たち『人』もそうですね。回復魔術に対する耐性や防御強化、といったものは基本的に存在していません。
なので効果が反転した回復魔術のように、それが威力をもった場合、耐性に遮られることなく直接通る、非常に強力なものとなっているのですが――」
……やっぱり。わたしの予想は半分正解してたみたい。
「ゴルゴタは『天使の盾』に加え、対魔術障壁――『天使の衣』を常時展開しています。これは、あらゆる魔術に対して機能し、回復魔術さえほとんど効果がありません。加えて、昨日プールで戦った天使以上の超高速再生能力を有しています」
「……そんな天使、本当に倒せるんですか?」
「あ、姫ちゃん。橘先生は私や、もしかしたら神木さん以上に姫ちゃんのことを知っているので、お姫さまの演技はしなくてもいいですよ?」
……え? なんで?
わたしの個人情報は、一体どういう扱いを受けてるの……。
わたしの心の中の声を無視して(反応しようがないけど)、八重ちゃんは質問に答えてくれる。
「今朝言ったように、姫ちゃんと私なら、理論上は倒せるはずです。
最悪、私だけで挑むことになる予定でしたが、姫ちゃんの目覚めと交渉がうまく進んだおかげで、少しだけ余裕もできました。
……私たちの世界では、攻略の糸口を見つけるだけで精一杯でしたから。見つけたところでどうしようもなかったのもありますが……。
私は逃げるように、いえ、逃がされる形でこちらの世界へ来たんです。ある魔法を使って――」
「さくちゃん?」
先生は口に人差し指を当て、八重ちゃんにウインクした。
「その話はまた今度、機会があれば、ね?」
それは、先生が八重ちゃんにやんわりと、それ以上は喋るな、と言ったようにも思えた……ううん、ただの思い過ごしかも。
……魔法? 魔術じゃなくて?
と訊いても、教えてもらえないだろうことはわかりきっているので、
代わりに、
「ひとつ、質問してもいいですか?」
「はい。姫乃さん、どうぞ」
「その『ゴルゴタ』という天使が、なぜこちらの世界にも出現するってわかったんですか?」
「いい質問です。それも重要なお話ね」
まるで授業をするように、先生は話を進めていく。
「そうね。それにはまず、二つの世界について説明する必要があります。
『異世界』ではなく『並行世界』と呼称していたことから、ある程度、想像できていたかもしれないけれど、細かな違いはあっても、両世界とも基本的には同じような歴史を辿ってきているらしいの」
「それは天使の出現順序やパターンも例外ではなく、ほとんど同一のものが見られるんです。特に『ゴルゴタ』のような特殊な天使は、わかりやすい予兆があります。実際、こちらの世界でいくつかの予兆を観測しました。
逆に相違点として、私たちの世界ではこちらの世界よりもかなり早く、天使が出現し始めたという背景があるんです。
侵攻速度や規模もこちら側よりも速く大きく、『ゴルゴタ』が出現する以前から、世界が疲弊していたほどでした。ですがその代わりに、こちらよりも魔術分野は進歩していましたし、一度経験したことをなぞるようなものなので、こちらでの天使の動向も把握しやすかったんです」
「さくちゃんからの情報提供があって、この世界の魔術レベルも大幅に引き上げられたの。イレギュラーな天使の出現予測も、完全ではないけれど可能になったわ。
これらから導き出されたのが、今回の『ゴルゴタ』の出現予測、というわけね」
「――ありがとうございます」
わたしの質問が終わったところで、舞桜ちゃんが挙手。橘先生が指名。
やっぱりちょっと授業みたい。
「あのぅ……魔女機関そーで、ってことは、もしかしてゴルゴタさんのほかにも天使さんたちが出てくるんですか?」
「はい。ゴルゴタほど厄介なものではないにしろ、彼女の出現に伴って、同時刻に全世界の至る場所で天使の軍勢が出現します。そちらは、魔女機関のほうで対処可能ですので、ご心配なく」
ママたちはきっと、そっちで戦うことになるはず。
でもママたちなら、何の心配もいらないし、安心できる。
……フ、フラグじゃないから!
「ひとまず、今日のお話はこんなところ。また質問があったら気軽に何でも訊いて。答えられる範囲であれば答えます」
……先に待っている存在の、とてつもない重さを知ってしまったけれど、反面、わからなかった謎が一気に解消されて、すっきりした気もする。
話が一段落したところで、
「篠宮姫乃さん。神木舞桜さん」
わたしたちは八重ちゃんに、
真摯な、何か決意を抱いたような瞳で見つめられた。
「私は――私は、この世界を救いたいのです。
そして――私を逃がし、私に想いを託してくださった方たち、いいえ、私の世界すべての方々の分まで、生きて、想いを繋いでいきたいのです」
……八重ちゃんと出逢った日の夜。いきなりわたしに、結婚してください、と言ったことの意味をいま、少し、きっとほんの少しだけど、理解できた気がする。
彼女は本当に、本当のお姫さまなのだろう。それならわたしは――。
「改めて、宜しくお願い致します」
八重ちゃんは、わたしたちに深々と頭を下げた。
「当然――そのつもり。八重ちゃんも、ほかの誰も死なせたりしないから!」
「じら゛ばね゛先゛輩゛ぃ゛ぃ!」
舞桜ちゃんが泣いてる。相変わらず早い。
わたしはハンカチを取り出して、舞桜ちゃんの涙を拭いてあげた。
「……ぐすっ。わたしっ、やっぱり白羽先輩のことも守ってあげますからっ!」
……でもまだ『白羽』先輩な辺り、舞桜ちゃんの無意識な黒さも感じる。
「ありがとうございます。姫ちゃん。神木さん」
笑顔で応える八重ちゃん。
……八重ちゃんもまだ、『神木さん』みたい。
「では、ゴルゴタ討滅の成功、そのために準備を始めましょう」
わたしと舞桜ちゃんは顔を見合わせ、八重ちゃんへ、うん、と大きく頷いた。
「姫ちゃん。
いまから私たちの大切な部分を重ねて、貴女のなかに私を刻みます」
「うん! ……うん?」




