ナイトメア・オブ・ヒメノ CODE 2
「なんとかっ……倒せましたね……」
最後の天使を光に帰し、へなへなと座り込む成瀬さん。
すべての天使を退けたことで、みんなも安堵の胸を撫で下ろしていた。
……だけど。
……あれ? 結界が消えない?
天使は一体残らず、殲滅したはず。
なのに結界は、そのまま。変わらずわたしたちを、この場に閉じ込めている。
わたしはそこで、やっと違和感の正体に気づいた。
天使の体から血のように吹き出る光は、通常ならすぐに霧散する。
結界の中で倒してきた天使たちは、その光が霧散せずにその場に留まっていた。
――途端。
周囲の光が一箇所に集まり、人型を形成していく。
それはやはり、人ではなく天使だった。
同時に、何か声のようなものが聞こえてくる。
……歌?
鎮魂歌のような。
哀愁の漂う、どこか神聖な雰囲気のある歌。
歌に合わせて、みんなの頭上に光の十字架が出現した。そして――
一人。
また一人と。
大きな外傷のない彼女たちが、意識を失って倒れていく。
かろうじて成瀬さんだけは、地面に手を突き、意識を保っているみたいだった。
だけど成瀬さんも、もうそれ以上動けそうにない。
なぜか。わたしと八重ちゃん、月森さんの治療者組の頭上には、何も出現しなかったし、身体に何の変化もなかった。
唖然とするわたしたち。
一番にそれを破った八重ちゃんは、近くにいる娘に駆け寄り、その容体を見る。
「……精神力が枯渇しています。昨日の神木さんの状態より酷いです。このままじゃ――」
その娘の顔色は青白く、ほとんど息をしていなかった。
さっきの天使の歌、もしかして――
「天使に危害を加えた人たちに対して、それに等しい精神力を削る。天罰術といったところでしょうか」
八重ちゃんは天使を見上げ、
「その場から動かないでください」
天使に降り注ぐ光。
出現した赤い鎖が、天使に絡みついてその場に拘束する。
だけどすぐに鎖の拘束力が弱まり、破壊され、消滅してしまう。
「――っ!?」
繰り返し同じ魔術を唱えるけど、天使は鎖の拘束などないかのように接近してくる。
「それならそのまま死んでください」
複数の赤い光珠が天使の周囲に出現し、その体に収束。
より大きくなった光に包まれる天使。
繰り返し、『治癒』をかけられるたびに天使の体は傷つき、仰け反りはする……けど、傷つくのと同じくらいの速度で、即座に傷が修復されていく。
「高速再生……鎖もこれで壊してたんですね」
赤い鎖の『移動禁止』という弱化効果からも、高速再生によって瞬時に回復していたのだろう。
――天使は光の剣を構え、一直線にわたしたちの方へ向かって……来なかった。
宙を駆け――
わたしたちではなく、成瀬さんの方へ向かっていく。
まだ息のある成瀬さんに、先にとどめを刺しておくつもりなのかも。
……わたしたちの役割を理解して行動してる?
治療者に攻撃魔術がないことも把握しているのかもしれない。
その天使の行動にすぐさま反応し、疾走していた八重ちゃんが、飛び蹴りでそれに割り込んだ。
「貴女の相手は私です――」
天使は八重ちゃんの蹴りを腕で受け止め。
すぐに蹴りの衝撃からも立ち直り、光の剣で反撃してくる。
八重ちゃんは。
振り下ろされる光の剣を、素手で捌いて受け流した。
……え!?
天使の持つ光の剣は、実剣になっている刀身部分を、光が覆う二層の構造になっている。
光が魔術的に物体を分解し、魔術耐性が強いものに対しては、実剣部分が切断する。
つまりこちらも魔術的に強化された武器か、魔術製の武器かを使用しないと、鍔迫り合いすら起こらず、一方的に打ち負けてしまう。
素手で触れたりしたら、手が分解される……はず。
――だけど返す刀もまた、同じように受け流す八重ちゃん。
二度見たことで、その仕掛けをなんとなく予想できた。
たぶん、『偏向する鏡』を手の内側に局所的に展開して、光の部分を無理やり外に流しているんだと思う。
『偏向する鏡』にあんな使い方が……ううん。あったとしても、わたしは八重ちゃんみたいに動けないから同じことはできない。
そもそも実剣部分を受け流せないと意味がないし。
『偏向する鏡』だけじゃ、あれだけの質量と速度をもった剣の軌道を受け流すほどの変更は無理。
というか、白魔術士で身体強化魔術も使わずに、あそこまで動ける八重ちゃんがおかしい。
「――月森さん。皆さんに回復魔術をお願いします。精神力が枯渇しているせいで、生命力のほうにまで影響が出てしまっています。直接の治療にはなりませんが、ないよりはましです。回復し続けてください」
八重ちゃんの指示を受けた月森さんは、それに従って、すぐに回復魔術の詠唱を始める。
依然、八重ちゃんは武器も持たずに天使を相手取っていて。
攻撃を受け流すだけじゃなくて、たまに反撃までしている。
でもただの素足の蹴りなので、さすがに損傷を与えるにはいたっていない。
「篠宮さ――いえ、姫ちゃん。私にいい考えがあります」
八重ちゃんの言葉に、何だかすごく嫌なものを感じた。
「私の長文詠唱なら、きっとこの天使を倒せます。ですが、私がこの天使を放置したなら、間違いなく成瀬さんは殺されてしまいます。そしてその次には、周りに倒れている皆さんもきっと同じように――――だから姫ちゃんには、私の詠唱のために『治癒』で時間を稼いでほしいんです」
「『治癒』で時間稼ぎって……アレをやれってこと?」
「だいじょうぶです。姫ちゃんならできます」
回復魔術を攻撃に使うなんて。
――けど。
ほかに方法はなさそうで、わたしのプライドの代わりにみんなを救えるなら、わたしは――
「……わかった。でも、いまだけ! いまだけだから! ――それで、どうするればいいの!? わたしがいまのまま普通にやってもダメなんでしょ!?」
「『てめー、ぶっころしてやる!』とか考えながら、『治癒』を使えばいいんじゃないでしょうか」
「それ、もはや治療者でもなんでもない気がするんだけど! ――でも、とりあえずやってみるっ!」
心の中で八重ちゃんの言った言葉を復唱して、
「〈治癒〉っ!」
白い光珠が天使に収束し、その体を包み、そして――
「でき…………てないっ!」
たぶん普通に回復してしまった。なんだか天使の調子がよくなってしまった気さえする。
「姫ちゃん、きっと殺意が足りてないです! 殺意が!」
「……殺意を込めて使う治癒ってなに!?」
魔術は――
使おうと思うこと以外、ほかに何も考えなくても使えるものだから。
それに気持ちを込めたことなんて一度もなかった。
「殺意! 殺意!! 殺意!? ――やっぱり無理っ!」
天使に対して何度も『治癒』を使うが、すべて普通の回復魔術になってしまう。
わたしの度重なる『治癒』のせいで、擬似的に強化されてしまったのか、天使の動きが八重ちゃんを上回り、
「――っ!!」
八重ちゃんが光の剣の受け流しに失敗し、心臓近くが深く抉られて……。
剣が引き抜かれる。
八重ちゃんの白い肌が、髪が――そして天使の体が。
赤く紅く血で染まっていく。
傷が深く、八重ちゃんは自分で回復魔術を使うこともできず、その場に倒れ込む。
それを致命傷と判断したのか、天使は八重ちゃんを放置して、成瀬さんの方へ向かって再び宙を駆ける。
「八重ちゃんっ――!? 成瀬さんっ――!!」
早く八重ちゃんを治療しないと――! それに成瀬さんもこのままじゃ――!
でもわたしの回復魔術は八重ちゃんを治療できない。
まだ回復魔術を反転させられないわたしじゃ成瀬さんも助けられない。
――本当に?
気づいた時には、体が勝手に動いていた。




