6話
早朝の爽やかな風が四宮の髪を撫でた。
このくらい高いところなら、排気ガスやら生ゴミやらの入り混じる街の臭いも届かない。
四宮の心はいま、自殺するにはもったいないほど晴れやかだった。
中三のとき、クラスにいじめられている子がいた。
別に私は特に何も思わなかった。
もちろん心の表面では、うざいな、なんでいじめなんかするんだよ。とか、あんな奴らにやられてないでやり返せばいい。お前がそんな態度だからいじめられるんだ。とか思ってた。けど、心の奥ではやっぱり何も思ってなかった。ただその光景が視界に入るだけだった。
そして、しばらくしてその子は学校に来なくなった。
生徒たちはみんないじめのことを知っていた。
主犯は、牧野、立花、新里の三人。
彼女たちはクラスでも立場が強く、まあ、よくいるヤな奴らだ。
けれど、彼女らは味方をつくることが得意だった。
クラスの大半は、彼女たちと何らかの接点を持ち、彼女たちは優しくフレンドリーにクラスメイトに接し、クラスの空気を完全に掌握していた。
そう、彼女たちが白と言えば、黒も白になったのだ。
担任教師はいじめに気づかず、その子自身も不登校の理由を誰にも話さなかった。
加害者たちは何の罰も受けなかった。
そしてその子は、出席日数があまりにも少なかったため自主退学扱いで高校には上がれなかった。
クラスメイトたちが何事もなく高校生になった四月、彼女は自ら命を絶った。
彼女は遺書などを残さず、自殺の理由もわからないままだったそうだ。お葬式も、身内だけでひっそりと行ったらしく、うちの学校でも彼女の自殺を知る者はほぼいないはずだという。
なぜそれを私が知っていたかというと、自殺したその子と私は家が近所で、小学校も一緒だったからだ。私は彼女と仲が良かったわけではなく、一言二言程度しか話したこともなかった。
けれど、彼女の死を母から聞いた私は、途端に自分の生きる世界が真っ黒に見えた。
彼女の死には何の意味もなかった?
彼女の苦しみは誰にも理解されなかった。彼女の絶望は誰にも知られなかった。
彼女は幸せだったのか。後悔したのか。憎んだのか。恨んだのか。
彼女の生にどんな意味があった?彼女の死は、この世界に何をもたらした?
そんな思いが、頭の中を駆け巡った。
彼女はただ生きて、毎日学校に通っていただけなのに、そこで彼女は、生きてゆけなくなるほどつらい目に合った。
誰のせい?私のせい?違う。
どこで間違えた?どうすればよかった?違う、私のせいじゃない。
私は悪くない。私のせいじゃない。
なのに、なんでこんなに胸が苦しいんだろう。
なんでこうなった?なんでこうなった?なんでこうなった?
頭の中で繰り返す問いに答えを与えるために、私は彼女の家に向かった。
そう、自殺した元クラスメイトの家に。
あとになって思えば、自分はなんて愚かだったのかと気が狂いそうになる。
自分の自己満足のためだけに、子どもを失くした親に真実を確かめに行く。
身勝手極まりない、人の心を考えない、悪魔の所業だ。
無邪気で、醜く、幼い、悪魔。
それが私の正体だった。
線香をあげたい。
そんなこと、一度もしたことがないくせに、私はテレビで聞いたことのあるそれを理由に彼女の家へと上がりこんだ。
そして促されるままに線香をあげ、彼女のいないリビングでお茶を飲んだ。
「私ね、親だからわかるの。あの子、何も言わなかったんだけど、クラスでいじめられていたんでしょう?」
私は何も言わなかった。
「あなたはさとこの友達?それとも、いじめていた子のほうかしら?」
「私は、友達じゃありません。私は、何もしなかったほうです」
「そう、だと思った。だってあなた、ずる賢そうだもの」
大人から、こんなふうに裸の感情を投げつけられるのは初めてだった。
私はなぜだか涙が止まらなかった。
「いいわね、あなた。とっても綺麗な顔をしてる。きっと毎日楽しいんでしょう。友達もいっぱいいて、ボーイフレンドもいるんでしょうね。おまけに友達でもない子が自殺したら、涙を流せるくらい心が綺麗なんだもの。ねえ、きづいてる?その涙は自分のための涙なのよ。あの子のためでも、私のためでもない。自分の心の美しさを証明するためだけにある、醜い涙なのよ」
彼女の感情が昂っていくのがはっきりとわかった。
「どんなつもりでここに来たのか知らないけど、馬鹿にするのもいい加減にして。あなた、自分で言ったわよね。何もしなかったって。だったら今さら何もしてくれなくていいわ。あの子の受けた苦しみも、あの子の死もすべてあの子だけのものよ。安全地帯で偽善にまみれたあなたに弄ばれたくないわ」
私は、逃げるように彼女の家を出た。
生前、一度も訪れることのなかった彼女の家を。
そして私は一つの決意をした。
私が、この歪んだ世界を正しくする。
真実が明らかになり、罪が裁かれる。そんな、真っ当な世界にしよう。
いじめがあった事実を明らかにしよう。
彼女の苦しみを明らかにしよう。
あいつらがしたことを明らかにしよう。
私たちがしなかったことを明らかにしよう。
いじめをした奴らを裁こう。
いじめに気づけなかった教師と学校を裁こう。
何もしなかった私を裁こう。
ただ告発をしてもダメだ。今さらすべてを話したって、本人がもうこの世にいないのだから事実関係を確認することもままならない。学校も警察も動いてくれないかもしれない。彼女の自殺といじめの因果関係を立証するのはもう困難だ。
じゃあどうする?どうすればいい?考えろ。考え続けろ。
そして私が考え付いたのは、自分の命を使って、この世界に一石を投じることだった。
ただの高校生の言葉など誰の耳にも届かない。安全地帯からの言葉は誰の心にも響かない。
だったら、嫌でも世間の目を集める方法を取ればいい。
筋書はこうだ。
私がクラスでいじめられ、自殺する。そして遺書に、過去のいじめのことを書く。
私はいじめを見て見ぬふりをしたから、ばちがあたった。助けてあげられなくてごめんなさい。こんなにつらい思いをしていたんだね。許して。
そう書き綴った遺書を残し、私は学校の屋上から飛び降りる。そして学校に自分の血を派手にぶちまける。私の死と遺書は、メディアで大きく取り上げられ、学校のずさんないじめ対応が糾弾されるだろう。 それだけじゃない。私が遺書に丁寧にしたためた過去のいじめの記録がきっかけとなり、真相が究明され、牧野たちの人生は滅茶苦茶になるだろう。
この計画は、我ながら完璧だ。
唯一の問題は、保月先生が私のいじめに早く気が付いたことだった。
もう少しいじめがエスカレートしてから死なないと、自殺や遺書に説得力がなくなってしまう。このままでは保月先生にいじめを止められてしまう。
だから私は、先生と面談をすることになったとき、雑談をすることにした。
雑談で誤魔化せば、数日は稼げるだろう。うまくいけば、この子はちょっと変わってる。別にいじめなんてないだろう、と思わせられるかもしれない。そう考えたのだ。
でも、私は少し、保月先生を甘く見過ぎていたのかもしれない。
だって先生は、こんなところまで私を追いかけて来たのだから。




