5話
以前から、どこか四宮は俺と似ていると感じていた。
彼女の言いたいことは、支離滅裂なのに、いつもなんとなく納得してしまう。
それは自分も同じような、言葉ではうまく言い表すことのできない怒りや不安、絶望を感じたことがあるだろう。
でも、俺はいくらか歳をとって、大人ってやつになってしまった。
もう彼女のように、真っ直ぐに歪んではいられなかった。
子どものままでは、もう生きてはゆけなくなってしまった。
でも、本当にそこだけなのだ。
俺と彼女の違うところは。
俺だってこの世界に不満がある。この毎日に不満がある。けれど、それをどうにかできるとは思わない。どうにかしようとも思わない。
俺は少しばかり彼女より長く生きて、空気の読み方とか、世の中のどうにもならないこととかを知って、諦めることに慣れてしまった。
俺は、何もできない自分と、このくそみたいな世界を受け入れてしまったのだ。
彼女だって同じだろう。この世界に不満があるけど、それがどうしようもないってわかってる。でも、それでもなんだか納得がいかなくて、腑に落ちなくて、どうしても許せなくて、胸にくすぶる思いを誰かに聞いてほしかったんだろう。
「四宮、たまには俺の話を聞いてくれよ」
「いいですよ」
「四宮はさ、誠実さの話とか、友達の定義とか。あと多数決とか、人を殺してはいけない理由とか、そういう話をしてくれただろ。それで、ちょっとは四宮の考えてること、わかるようになったつもりなんだ」
「待ってください」
退屈そうにしていた四宮がいきなりこちらを見た。
「なんですか、その説教クサい話し方。子ども扱いしないでください」
四宮は珍しく感情的だった。彼女は、明らかに怒っていた。
「いや、悪かった」
「わかればいいんですよ。じゃあ先生の誠実さに免じて、お話しましょう」
何を話すというのだろう。また昨日までと同じ、彼女の若い魂の叫びを聞かされることになるのだろうか。
「今まで話してきたとおり、私は世の中腐ってると思うんですよ。間違いだらけで面倒くさくて醜くて。救いようがないと思うんです。だから、全部が面倒になってしまった私は友達も彼氏も、何もかもが要らないと思うようになったんです。全部捨てたんです」
捨てる。そんな強い言葉を簡単に使えるのは、若さゆえだろう。
「だから、まあ、そんなわけで。大丈夫です。先生が心配するようなことは何も起こってないです。いじめなんてないですから。そんなくだらないものに私は振り回されたりしません。話は以上です。先生も聞きたいことはそれだけでしょう?」
それじゃあ失礼します、と彼女は取ってつけたように言って、逃げるようにその場を去った。
一人残された俺は、後悔の海に沈むことしかできなかった。
今日の俺は、少し焦っていた。そして、責任に縛られていた。何か、取り返しのつかないことが起こってしまう前に、そろそろケリをつけなければ、と。
それが四宮にはわかったのだろう。四宮はぜんぶ見透かして、「いじめはない」ときっぱり言って、帰っていったのだろう。これじゃあ教師失格だ。
ふっと上半身の力を抜く。
重い頭は重力に逆らうことなく、そのまま机に打ちつけられた。
いじめを受けているらしい生徒がいる。しかし直接話を聞いても、本人は否定する。
この場合、いじめを受けているが、本人はそれを隠したいと思っている、と考えるのが普通だ。
いじめを受けていることが明らかになったら恥ずかしい。家族が心配する。加害者の生徒に報復されるのが怖い。もしくは、脅されている。そんな事情があるのだろう。
でもそれは、なんとか情報をかき集め、事実を明らかにするしかない。
俺は何日にも渡って四宮と面談をするのと同時進行で、外堀を埋めていくことにした。
まず、クラスの他の生徒に事情聴取をすることで、四宮に牧野、立花、新里の三人が嫌らがせをしているのは間違いないとわかった。
そして、四宮と牧野たち三人は昨年、つまり彼女たちが中学三年生のときも同じクラスだったことがわかった。
すぐに昨年の彼女たちの担任に話を聞きに行った俺は、そこで信じられない話を聞いた。
「いやあ、特にいじめとかはなかったですよ。四宮もちゃんと友達と仲よくしてたみたいですし。あー、そういえばクラスに一人、不登校の生徒がいたんだったかな。あーでも、退学しちゃったんだよね」
「その子はどうして不登校だったんですか?」
「うーん、よくわかんないんだよね。親御さんも全然心当たりがないし、何も話してくれないって言ってたから。あ、そうだ、思い出した。その子、牧野たちの友達だった」
「え?」
「個人面談で、クラスで誰と仲が良いかって聞くやつあるでしょ。あれでその子、牧野とか、そのへんのいつも仲よくしてた子たちの名前を言ってたんだよね。友達少ない感じの子かと思ってたんだけど、牧野たちみたいな派手な子と仲よくしてるんだなあってそのとき思ったんだ」
「そうなんですか。とても参考になりました。ありがとうございました」
俺は思わずその教師を問い詰めそうになり、急いで話を切りあげた。
自分の席に戻り、腕を組んで顔を伏せる。
ギリギリと奥歯を噛み、呻き声を漏らさぬように必死に耐える。
こんな顔、誰にも見せるわけにはいかない。ましてや生徒には、絶対に見せるわけにはいかなかった。
頭の中を悶々とめぐる、怒りにも似た強い感情。
あの教師は、そこまでわかっていて、何もしなかったのか。
誰にだってわかる。答えは一つだ。
あんたが何もしなかったから、また同じことが起ころうとしている。
パソコンの画面に映っていた彼の妻と子どもの写真が、頭にこびりついて離れなかった。
四宮と最後の面談をした次の日、俺はいつもよりだいぶ早く学校へと向かった。
昨晩は散々だった。
いくら布団で目を閉じても眠ることができず、酒の力を借りると今度は悪夢にうなされた。浅い眠りを繰り返し、もぞもぞと寝返りを打っていると気づけば朝日が昇っている。
こんな最悪な夜はいつ以来だろう。
ともかく気持ちを切り替えようと早めに家を出たのだ。
コンビニでサンドイッチとコーヒーを買い、人のまばらな住宅街を抜け、鳥の鳴き声を聞きながら学校へ向かう。
なんだ、この爽やかな朝は。こんな時間に出勤するなんて、自分じゃないみたいだ。
俺はそんな晴れやかな気持ちで職員室の自分の席に着くと、机の上に一通の封筒が置いてあった。
ピリッと嫌な緊張が走り、すぐにそれを破いて開ける。
丁寧に三つに折られた便箋が入っていた。
それを開いて、すばやく目を通す。
保月先生へ、という書き出しと、四宮美海より、という結び。
その二つだけが目に飛び込んできた。
スラッとした賢そうな文字で色々書いてあったが、それ以外は何も頭に入ってこない。
言葉が手から零れ落ちていくのがじれったくなって、手紙を握りしめて職員室を飛び出した。
間に合え。間に合え。間に合え。
祈ることしかできなかった。
屋上をめざし、一心不乱に階段を駆け上った。




