神様の涙の影と光
もう十年以上天候不良が続いていました。
森では木が枯れ、川は干上がり、食べ物を手に入れられない動物も人もどんどん死んでいきます。
天界からその様を見て神様が一粒の涙を流しました。
流れた涙は天界から零れ、地上にまで落ちます。そして、一人の可愛らしい少女の姿になりました。
突然現れた少女に人々は驚きましたが、少女の可憐さに心を奪われてしまいました。
何より、少女はとても心根が優しく、誰もが愛さずにはいられない性格をしていたのです。
地に落ちた少女は厳しい環境の中ながら、それでも優しい周囲の人々に囲まれて暮らしていました。
そうして月日が流れ……、不思議なことが起こり始めました。
少女の周囲でだけ緑が鮮やかになってきたのです。
涙とはいえ神様の一部である少女には神様の加護がありました。
その一端として、彼女の周囲だけ、少しだけ住みやすい環境になっていたのです。
もちろん人達にそんな理由は分かりません。
ただ、少女の周囲でだけ豊かになるという噂話だけが独り歩きをしだし、強欲な者達が彼女を奪いあうようになりました。
ある富豪は彼女が逃げないように首輪を付けました。
ある貴族は彼女が逃げないように鳥籠に閉じ込めました。
彼女をめぐる争奪戦にやがて国も関与するようになり、二つの国が戦争を始めてしまいました。
「止めてください」
止むことのない争いを見ながら、少女は来る日も来る日も泣き続けました。
それでも諍いは止みません。
それを見た神様は、怒って二つの国を滅ぼしてしまいました。
かつて二つの国があった地は荒野になってしまいました。
それを引き起こしてしまったのは自分のせいだと、少女は一人泣きます。
泣きながら、神様にお願いしました。
「神様お願いします。私を天界に引き上げてください」
しかし、神様から返ってきた答えは冷たいものでした。
「お前は人間の欲で穢れてしまっている。穢れたままではこちらには戻せないよ」
それを聞き、少女は再び泣きました。
何日も何日も、一人荒野で泣き続けました。
そんなある日、少女の側を一人の青年が通りかかりました。
彼は彼女に気付くと馬を寄せ、彼女に問います。
「ねぇ、君はなんでこんな所で一人で泣いているの?」
返す答えを持たない少女には、ひたすらに首を横に振ることしかできません。
青年は少しだけ困った表情になると、馬を降り、腰をかがめて少女を覗きこみました。
「君は帰る家はあるのかい?」
この問いにも少女は首を横に振りました。事実、彼女の暮らしていた場所は、一面荒野になってしまっていたからです。
そんな少女に青年は手を差し出すと、ふんわりと笑いかけました。
「それじゃぁ、僕の家においで。こんな所で泣いていたら、さぞ心が傷ついただろう? それが癒えるまでいるといいよ」
向けられた言葉と笑顔がとても柔らかくて、少女は青年の手を取りました。そして、青年の馬に乗せられ、共に彼の家へと向かったのです。
少女が連れて行かれたのは、のどかな町の少しだけ立派なお屋敷でした。
二人がお屋敷に着くと数人の人たちが出迎えてくれます。
少女がきょとんとしていると、青年が笑いながら言いました。
「実はね、僕、少しだけ偉いんだ」
それから彼が教えてくれたことによると、彼はこの国の王子様だというのです。
といっても、とても小さな国で、町ほどの大きさしかないこの一帯にしか国民は住んでおらず、周囲で細々と農作物を植えている程度。そんな、のどかで何もない国でした。
それでも、王子などと言われると少女の身体は強張りました。
彼女には、かつて戦争の種にされた経験があるからです。
その記憶は鮮明で、今でも思い出すと涙が出てきそうになってしまいます。
突然表情を曇らせた少女を見て、王子様は心配そうな顔をしました。
「王子は王子でも、小さな貧乏国の王子でがっかりした?」
「そんなことありません!」
少女は思いっきり首を横に振りました。
彼女は自分を拾ってくれた優しい王子様に好感を抱いていました。思ったより強く首を横に振ってしまったのは、そのせいだったのかもしれません。
そのお陰か、王子様は少しだけ笑ってくれました。そして、お屋敷の中を進んでいきます。
「そう、それは良かった。でも、知らない土地で不安だよね。君ができるだけくつろげるようには手配するから、何かあったら言ってね」
そうして、王子様は少女に住む場所を与えてくれたのです。
お屋敷で暮らし始めて最初の頃、少女はまた首輪をつながれたり閉じ込められるのではないかと怯えていました。
けれど、王子様はそんなことはせず、ただ、彼女が過ごしやすい環境を与えてくれるだけでした。
そして、少女が寂しくしていないか、毎日顔を見にきてくれます。
そんな王子様に少女は焦がれていき、彼につり合いたくて、彼女の姿はいつしか美しい女性へと成長していました。それでも、彼女はただの拾われた娘にすぎません。
「私なんかが王子様のお妃様になれはしない」
そう思い、ただただ悩ましく王子様を見つめる日々が続きました。
けれど、悩ましい想いをしているのは彼女だけではありませんでした。
王子様もまた、心根が優しい上に美しく成長した彼女に惹かれ、その想いは日を追うごとに強くなっていたのです。
小さく貧しい国であるお陰か、王族の結婚相手は貴族でなければならないなどというしきたりもありません。
惹かれあう二人は当然の成り行きとして夫婦になりました。
彼女がいることで、のどかなだけの国は少しずつ実りが豊かになりだします。
余るほどになった食料を他国に売り、その代金で国民は少しだけ裕福になり、国民が増えて国は大きくなりました。
王様となった王子様と王妃様になった彼女は、豊かになった国を見てニコニコと暮らしていました。
そんなある日。
王様は自分の外見の老い方が普通の人より随分とゆっくりであることに気がつきました。
不思議だな~とは思っても、身体は至って健康で、城の誰もその原因はわかりません。
元々のんびりした性格の国民性な上に、悪いことは一つもないということもあり、人々は特に気にするでもなく、その事実を受け入れました。
それでも、実年齢が60歳を超えてくると、身体のあちらこちらが重く、調子が悪いことが増え、伏せたままの日も多くなりました。
そして、ひと月も床に伏せた日が続いたある日、王様の枕元に王妃様がやってきて悲しそうな顔をしました。
不思議なことに、王様には王妃様が透けて見えます。
目の調子まで悪くなってしまったのかと王様は思いましたが、大好きな王妃様を心配させないために普通に話をしようとします。
王妃様はそんな彼の手を取り、哀しそうな声で正体を告白しだしたのです。
全てを聞き終えても王様はニコニコとしていました。そして、彼は変わらぬ笑顔でこう言うのです。
「それじゃぁ、君のお陰でこの国は豊かになれたんだね。ありがとう。でもね、そんなことより、僕の奥さんになってくれたのが一番嬉しかったな」
王様の言葉に王妃様の目から涙があふれました。
「王様。私もあなたのことが好きなので、神様から頂いたお力であなたの寿命を延ばしていたのですが、その力ももう無くなってしまいました。力を失った私はもう消えます」
「ああ、それじゃぁ、君が薄くなって見えるのは気のせいじゃないんだね」
王様の言葉にこくんと頷いた王妃様は、寂しそうに王様を見つめます。
王様は長く息を吐きながら一度だけ目を閉じると、物憂げに王妃様を見つめました。
「君がいなくなると寂しいんだ。ねぇ、僕も一緒に逝けないかな?」
「国はどうなさるのですか?」
「今でも僕は何もしていないよ。子供たちがしっかり頑張ってくれているんだから、あの子たちを信じよう」
昔と変わらず優しく微笑んでくれた王様に王妃様は頷きました。
そして、彼の額に口づけます。
それは力を全て使い切るため。そのために、もう寿命の残っていない王様の姿をほんの少しだけ若返らせました。
少しだけ見た目が若くなった王様は朗らかに笑います。
「君は神様のところに戻れないのなら、二人一緒のところに行けるといいね」
「そうですね」
王妃様も笑顔を返し、二人は手を取り合います。
そうして、王様はゆっくりと目を閉じ、王妃様の姿はすっかり消えてしまいました。
そんな二人の様子を天界から神様は見ていました。
そして、王様の魂と王妃様の意識を天界へと引き上げたのです。
突然神様の前に連れて来られて二人は戸惑いました。
そんな二人に神様は言うのです。
「王が無欲に王妃を大切にしてくれたお陰で彼女の穢れは祓われた。これからはここでのんびりくらしなさい」
と。
微笑みあった二人はそれからものんびりと幸せに暮らしました。