私刑執行
「そ、そんなこと言ってないわっ!」
教室中に響いた、雨宮の声。
呪詛ではなく、いつもみたいに集中しなければ聞き取れないようなか細い声ではなく、俺と話す時だけ少しボリュームが上がるソプラノの声でもない。初めて聞いた、音量。そして誰もが聞いたことがないほど、澄んだ音色の声だった。
瞳に涙を溜めて教室を飛び出していく雨宮を見て、俺は正直やってしまったと思った。
ちょっと、雨宮を揶揄おうとした。クロに友達になってと言われて、明らかに動揺していた雨宮が面白かったから、つい。
「雨宮さんて、あんなに大きい声も出るんだな」
クロの言葉に、クラスメイト全員が同意をした。
もちろん、俺も深く頷いた。
「・・・とりあえず佐々木は、雨宮さん追いかけたほうがいいんでね?」
「俺もそう思う」
クロに軽く肩を叩かれ、俺は雨宮を追って教室を出た。
クーラーが効いていない廊下はじんわりと暑くて、早く雨宮を見つけなければという焦りをより一層掻き立てた。
ところが、俺は雨宮が逃げそうな場所が全く予想できない。とりあえずセオリーである屋上に向かうか?
小走りで屋上に向かっていると、廊下の曲がり角で担任の雲雀先生にぶつかりそうになった。
「おっと。佐々木、何処行くんだ?ホームルーム始めるぞ」
「すみません、雨宮さんがどこかに行ってしまったので探して来ます」
「おー。なんだ、雨宮と仲良くなったのか?流石だなー」
夏休み前に雲雀先生に頼まれた内容を思い出して、俺は曖昧な笑顔を見せた。
屋上に雨宮はいなかった。保健室、図書室、視聴覚室、音楽室。なんとなく、独りぼっちの人が好みそうな場所も全て見て回ったが、姿は見えない。
雨宮は掴み所がないため、こっちが予想しないところにいるのかもしれない。もしかして、鞄も何もかも置いたまま家に帰ったとか?
なんとなく雨宮ならやりそうな気がして、俺は急いで下駄箱に向かった。
「あっ」
「えっ」
なんと、雨宮は下駄箱にいた。
俺の顔を見た瞬間、雨宮は肩を大きく跳ねさせ、目を丸くした。左手にはなぜか牛乳、右手には靴を持っている。
俺は安堵からため息をついた。やっと見つけたという安堵と、雨宮の涙が止まっていてよかったという安堵だ。
額に浮き出る大粒の汗を肩で拭い、俺は呼吸を落ち着けた。
「え、なんで佐々木がここにいるの」
「っ、さっきのこと謝ろうと思って。その、ごめ・・・え、それ俺の靴じゃん」
謝罪の言葉を口にしようとしたが、雨宮は扉が開いている俺の下駄箱の前に立っており、その手であるのはまごうことなき俺の靴であった。
「私刑を実行しようかと」
「は?」
なんだこいつ、本当に言っていることが意味不明だ。
「謝罪してくれるのなら、執行猶予をつけてもいいけれど」
「よくわかんないけど、ごめん。俺、ちょっとお前のことをからかいすぎて・・・」
「は?」
今度は雨宮のほうが、得体の知れない物を見る目をしていた。
「私の頭を、2度も掴んでごめんなさいでしょう?」
「は?」
雨宮と会話が噛み合わず、お互い「は?」を連呼し続けている。
「いや、俺が揶揄ったせいで、雨宮が大声を出して、それが申し訳なかったなって。ごめん」
俺は素直に頭を下げたが、雨宮から返事はなかった。
薄目を開けて雨宮の表情を確認すると、眉をひそめて訝しげな顔をしていた。
「大声を出したのは私の落ち度だわ。あなたは関係ないでしょう?」
「・・・」
「それより、頭を掴んだことを謝りなさいよ」
「・・・ごめん・・・フッ」
「何笑ってんのよ」
これまでクラスの“ヘンナヤツ”という認識でしかなかった雨宮であったが、俺が想像もできないような視点や感覚を持っている人物なのだと思い知らされる。
少しだけ、雨宮に興味が湧いた。
「・・・それで、私刑って何するつもり?」
「靴に牛乳をかけようと思って」
「は?」
俺は思わず、雨宮の後頭部を鷲掴みにするのであった。
「雨宮?」
「いたたたた」
やっぱりこいつは“ヘンナヤツ”だ。