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Prg-a Page.03

 夜遅くに出歩くなんていうのは、週に2回あるかないかだった。

 その夜、真夜惟姫は寝付けなかった。

 夏の熱帯夜のせいだろうか。そこまで古い部屋に住んでいるわけでもなく、風通しもいい。エアコンもここ2、3年の比較的新しいモデルのはずが、今夜はあまりに効きが悪かった。なんだって熱帯夜の続く8月の上旬にこんな目にあうのか。これから本格に始まる今年の夏、先が思いやられてうんざりした心持ちでベッドで寝返りを打ち続けた。

 そんな部屋のせいだろうか。汗を絞りに攻めてくる暑さを我慢できずに、歩いて5分程度のコンビニエンスストアまで気分転換の散歩を兼ねて涼を求めて買いに出ていた。

 炭酸飲料とアイスを買い込んでコンビニを出るも、歩き出す前に口をつけると、飲料の半分を飲み干してしまった。

 仕方なく、一度戻ってもう一本買って今度こそ帰路につく。

 役立たずのエアコンとは違って働き者の冷房がキンキンに冷やす店内の空気に冷まされて気分は悪くなかった。そんな惟姫の頭上に夜空が広がっている。都会とはいえ、賑わっている通りからは離れた、繁華街から住宅街に移り変わる境界のようなエリアに当たる土地柄のせいか、耳をすませば喧騒が遠く聞こえる。

 歩いている通りには人が少ない。最近付け替えられたLEDの街頭が等間隔で煌々と夜道を照らしている。住宅街と繁華街のコントラストの中とはいえ、閑散としているわけではない。惟姫の立ち寄ったコンビ二エンスストアは十字路の角でやや手広な駐車場を構えてそこにあり、そこから四方に伸びる道には深夜営業の店舗が幾つもの看板をこれでもかと煌めかせ、夜に解放された遊興者に自動的な誘惑を仕掛けている。

 高校生にとって、24時は遅い時間だ。もう7時間もしたら起床しなければならないし、8時間もすれば家を出なければならない。そんな時間に出歩いているなどというのは、惟姫からしたら滅多になく、そして滅多にとりたくない行動だった。

 そして、滅多にないことが起こる時、そこには選りに選ってこんな時に、という偶然が金魚の糞よろしく付きまとっていて、だからこそ彼は物語を編むことになって仕舞うのだ。

 繁華街からやや離れ、治安も万全とは言えないが、日本の平均レベルはクリアしている、新宿区。

 比較的アパートやマンションの集中するエリアだ。

 そう考えると、そういうことが起こっても不思議ではなかった。

 が、生まれてこのかた15年間馴染んだ地元の田舎から出てきたばかりの惟姫は、そんな想像をすることすら知らなかった。

 家まで、あと3ブロックほどのところ。この近辺では最も交通量の多いバス通りから枝のように伸びている細い路地。

 小さな川が流れていて、バス通りはその川と交差するように通っている。その川に沿うように、街灯が多いとは言えない細長い公園がある。昼間は子供達でそれなりに賑わうくらいの遊具を備えるその公園も、夜になると天地近寄りたくない雰囲気になる。惟姫がこの辺りに住んでから、そこで何か起こったということもなかったが、彼は夜のその公園をあまり好んではいなかった。

 その横を何を気にするでもなく通り過ぎようとした時。

 明らかに女のものと判別できる声がした。ような気がした。

 そしてその声には、怯えか焦りか、いずれにしろよくない思いが乗っているように、惟姫には聞こえた。

 ちくしょう。

 面倒とまでは思わなかったが、せっかく夜中まで起きていたのだ。寝不足が割と平気な体質の惟姫は、帰ったら最近放置し気味のFPSの世界に没頭しようと思ったのだ。パーティからのメールが着信と開封、それに対する返信を繰り返すだけで、実践には参加できていなかったのが非常に気がかりだったのだ。

 のだが。

 彼は、その声に呼ばれてしまった。

 何だろう。

 気になる何かがそこにあるような気がした。

 気になる、というのは、彼の脳内で繰り広げられるモノローグの中でもなぜか気にしてしまった体裁による控えめな感想であって、その感覚ー予感と言って良いくらいの何か強い雰囲気ーが、彼を街中に潜む危険な闇に惹き込んでいく。

 声を聞いた瞬間に意識したのは、自分の心臓の鼓動。

 惟姫の記憶の中にあるデジャヴは一つ。

 まるで、かつて同級生に告白することを決めた瞬間のようなそれは、スピードを上げる血流によって促進される思考がその速度と引き換えに放棄する冷静さを、瞬間で忘れさせる。その冷静さの欠如は、惟姫に慎重さも失わせる。

ーくそう。絶対危ないと思うんだけどなぁ。

 脳内で言語化。それは焦る心を落ち着かせるように自然と脳がする行動だ。

 声は断続的に続いているため、音源の方向は見失っていない。

 声のする方にジリジリとにじりよりつつ、近くの植木の下から石を拾い上げようとするが、何かの際の武器としては頼りない小石しかない。

 塵も積もれば、とばかりにすぐに拾い上げられるものをできるだけ手の中に収める。

 想定。

 女の子が襲われていた場合、大声を出して走っていき、被害者と加害者の間に入って、加害者にこれを投げつける。

 単純な言い争いの場合。明らかに知り合いなら見て見ぬ振りを。一方的に嫌がラッセをしようとしているようなら、走って女の子を連れて逃げる。

 惟姫は今まで、こう言ったトラブルに見舞われることが少なくなかった。

 地元では初めてなものの、学校の帰りや友人との約束の後の帰宅途中の明るくない土地。校内でも拗れた修羅場に遭遇したことも数回ある。なぜかトラブルに遭遇する確率の高い自分を恨みこそすれ、しかしその経験値は最近になって生かされつつあった。

 そういうことを起こそうとする輩というのは大抵、人に気づかれるのは嫌がるから、音を出そうとしない。

 であれば、自分が騒いでしまえば尻尾を巻いて逃げ出すものだ。

 そんな理論的思考で、声のするあたりの近くまで音を殺して忍び寄る。

 最初から喚いて突入しても良いが、それだと別にトラブルでなかったときにただの道化になってしまう。どういう性質のことが起こっているのかを見極めないと赤っ恥だ。

 そして、その声は公園に設置された小さい公衆トイレの裏から聞こえることがわかった。

 確かに死角だ。すぐ隣にある町内会の施設とさほど間も開けずに立っているのだが、その間が、川とは公園を挟んである道の側からは植え込みで見えないし、反対に川の向こうからは夜の明かりでは何があるのかすら判別のつかない、街灯の死角になっていた。公衆トイレに設置されているはずの換気用の窓がそのとに放出する光もない。その窓は道側の壁に面している。

「ちょっ…やめて…ください」

 声の主に気づかれないように、刑事が潜入するような身のこなしを見よう見まねで、公衆トイレの壁に張り付く。

 すると聞こえたのは拒否を訴える声だった。今まではうめき声のようにしか聞こえなかったが、今度のは明らかに拒否の言葉だった。

 しかも取り乱しているであろうに敬語のようだ。これで声の主の相手が、その知り合いではない可能性も高くなる。

「行くとこないんだろ?なら、ウチ泊めてやるって言ってんだよ。ちょーっとばかしお代は頂くけどなぁ…」

 顔の表情や仕草を見ずに声だけを聞くと、その声や言葉がどのような感情や意思によって発されているかがよくわかるというが、今の惟姫はまさにそれを体感していた。

 まるで恐怖に骨の髄までつけ込まれたような声に対する返答は、欲望丸出しの下品極まりない粗野な発言だった。

「いいじゃんか。野宿もしねーで済むんだから……っと、せっかく起こしてやろうしてんのに逃げんじゃねーよ」

 ここだ、と、惟姫が思った時には遅くすでに立ち上がっていた。街灯が作る公衆トイレの陰から膝から上が出ていて眩しかったが、これで相手に牽制を与えることができる。

「な、なにしてんだよ!」

「ああ?うるせえなガキは黙ってろ」

 欲望まみれの方が今度は極度に苛ついた声を出した。街灯の明かりからは陰になって、惟姫にはそこにいるおそらく2名の姿は見えない。

「た、たすけて」

 拒否していた声の主の方が、ここぞとばかりにだろうか、その陰から這い出してくる。

「い、嫌がってる人を無理やりとか、そんなのだめだろ」

「うるせぇ。今懇切丁寧に交渉してたの。宿無しみたいだから泊めてやるよって、親切な話だろ?」

 苛立つ声の主はしゃがんでいたのだろうか、立ち上がると、街灯に照らされて姿があらわになった。

「こ、交渉ってことは、その代わりにってのもあるんだろ」

 声が震えているのが自分でもわかる。

 怖がるな、悪いのは相手だ。

「…オメェ、みたところ普通のガキじゃねぇか。そんなんが俺に勝てるともうなよ?」

「な、何言ってるんだ。別に喧嘩しようってわけじゃ」

 と、言い切ろうとした瞬間ー

「避けてっ」

 という女の声を最後に聞き、視界はものすごい速度で振り回された拳が左側に飛んでくるのを見て。

 惟姫の意識は闇に沈んだ。

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