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死神少女  作者: 平乃ひら
Neun
152/163

152.ハンス6

『この世は案外、神様の手によって遊ばれているのかもしれません。あの子は神に弄ばれ苦しんでいるただの人間かもしれません』


 そんな声が聞こえてきて、アンナは目を開いた。

 気のせいだろうか。いいや、そうではない。

 家の中ではフォルカーがあちらこちらを走り回っていた。記者が眼前で息絶えたそのショックもあったのだろうか、アンナはその直後に意識を失ってしまったのだ。


「フォルカーさん……」


 名を呼んでみたところでフォルカーに声は届かなかった。彼もまた色々と精神的に追い詰められているのだろうから、注意不足になっていたとしても仕方ない。それに大人としてハンスやアンナに人一倍気を遣い、色々とサポートもしてきたのだ。その疲労度たるやピークに達していてもおかしくはないだろう。

 だからフォルカーをそれ以上呼ぼうとはしなかった。

 彼はもう十分すぎるほど自分の信念を貫いてきたのだから。本来ならこのケープ市の深淵に片足を踏み込むような人間ではないのだ。

 アンナはお気に入りの肩掛け鞄をそっと手にとり、フォルカーの目を盗んで階段を降りていった。今がどういう状況かは具体的ではないにしろ、ぼんやりと理解しているつもりだ。――つまりとても危険だということだ。

 外に出ると異様に濃い霧が充満している。

 これでは右も左もわからない――外に出たところで果たしてどこまで行けばいいのか、自分でもいまいち理解していなかった。


(でも、誰かが呼んでる)


 自分に呼びかけている声は誰だろう。

 外はとても危険だというのに、それを知りながらも呼びつける声。音として聞こえてはいないのに、どうして声だと判るのか。


(こっち……?)


 ほぼ狂気に満ちた町を歩くのは無謀なのだが、アンナはそれでも自分は誰にも出会わないことを確信していた。声は自分を殺すつもりなどなく、ましてや誰とも会わす気など無い。あくまで声の主のところまで行けばいい――


(でも、さっきの声とは違う……)


 夢の中で聞こえてきた女性の声とは違う。

 アンナは霧の中をゆっくりと歩いていく。

 現在地がどこかなど把握する必要はない。全て不思議な声が案内してくれるのだから。


(でも、どこへ?)


 その疑問は歩いてからしばらくして解消されることとなる。


「あ……」


 覚えのある――懐かしい教会が現れた。

 そこだけは霧が薄く、その堂々と威厳のある姿はケープ市の現状からとても浮いている。声の主はこのシャングリラ孤児院にアンナを呼んだのか。


(みんな、元気かな)


 今となっては懐かしい孤児院の仲間達。自分がここを出なければならなかった理由は、あの時死神を目撃し――それを知ったハンスがアンナの安全性を考えた結果なのだが、当のアンナ自身はそこまで具体的に理解しているわけではなく、ただハンスについていくのが正しいと知っていたからだ。

 孤児院の門を開いて中に入る。

 庭を通って建物の中へ向かおうとしたのだが、そんな少女の目の前を黒い雀が飛んで横切る。驚いて「わっ」と声を上げ、すぐさま両目で雀を追い掛けた。

 黒雀は木の枝に止まり、それからじっとアンナを見つめている。


「ファイリー……?」


 その珍しい黒雀はテースの飼っている鳥だ。この孤児院の子供ならみんなそれを知っているし、ファイリーと遊んだ回数も一度や二度ではない。


「ねぇファイリー、わたしを呼んだ人、だれかしってる?」


 ファイリーは返事をせず少しの間だけアンナを見下ろしていたが、頭をくいっと動かしてそのまま庭を飛んでいく。まるで連いてこいといわんばかりだ。


「……ファイリーはテースおねえちゃんの……」


 今更テースが何者かだなんて疑問は馬鹿らしい。アンナはテースの正体を――いや、テースの役目を本人から教えてもらったのだ。そのテースが飼っている雀となれば普通と違うと考えて然るべきだったのだ。

 アンナはすぐさまファイリーを追い掛ける。

 教会の裏手に回ると、ファイリーは古い扉の前でじっと立っていた。


「その扉を……開けるの?」


 古ぼけてはいても鍵が掛かった扉だ。昔からここだけは開かないようになっていて開かずの扉として子供達の怪談によく使われているのだが、ファイリーがここまで案内したとなれば何かがあるのだろう。

 実際、その扉はシャングリラ孤児院の中からいくら探しても見当たらず、子供達の間では何年もの間不思議がられ、そして不気味がられていた。黄泉へ通ずる扉とも地獄の釜とも呼ばれているが、実際のところをセーラに訊いてもいつもはぐらかされるだけで、謎は謎のまま開かずの扉となっていたのだが。


「……開くの?」


 問いは風に流されるばかりだった。

 黒雀は決して返事をしない。しようとしても声が判らなければどうしようもない。


(言葉が……わからない? そんなこと……)


 本当に黒雀の言葉は理解できないのだろうか。

 軽く頭を振って、アンナは扉に手を掛ける。ゆっくりと力を込めて押し込むと、重く苦しい音を響き渡らせながら鋼鉄の扉が開いていく。


「開いた……」


 恐ろしく簡単に、何の躊躇もなく。


『あーあ、開いちまったよ』


 突然耳に入り込んできた声にアンナの身体が跳ねた。


「な、なに?」

『開いちまったってこたぁ、お前さんもやっぱそうだってことかい。ああ、気にするなよ、雀が喋っちゃいけねぇなんて法律、人間の社会にゃぁねぇだろ?』

「まさか、ファイリー?」


 驚きつつも背後を振り返る。

 ファイリーは木の枝に留まり、先程と同じく見下ろしてきていた。


『そうそう、俺っちがファイリーよ。なんでぇしけた面しやがってよ。まぁいいや、お前さんが俺っちの望んだ人間だってんならよ、ちょっとその先に進んで欲しいんよ。なぁにたいしたこたぁ言わねぇ。ただ入ってくれるだけでいい。――色々知りたいんなら、だがな』

「それは、テースおねえちゃんのこと?」

『ま、ぶっちゃけそうだ。俺っちもテースのことを知ってるわけじゃねぇが、ま、それでも俺っちにしか知らねぇこともあらぁな。んで、それを知る権利があるのがお前さんってことだ』

「なんで、わたしなの?」

『おいおい、気付いてないなんて言わせねぇよ。とっくに知ってることを知らないってのはよくねぇな』


 黒雀が何を言いたいのかいまいち掴めない。

 アンナはファイリーから扉の奥へを視線を戻す。その先に進むべきかを躊躇い、しかし立ち止まったところで今更何も変わらないことを重々承知しているからこそ、中へと入る。

 よく知っているシャングリラ孤児院の中なのに、その扉から入った室内はまるで空気が違っていた。


「さむい」

『そりゃぁそうだ。魂ってのは冷たいもんだからな』

「……たましい?」

『人間の魂が留まってしまやぁこんなもんさ。だけど安心しな、紳士である俺っちが保証する。お前さんは大丈夫だ』


 黒雀が紳士を自称したことに思わず「ぷっ」と小さく吹き出してしまった。


『……いやぁ、割と真面目なつもりだったんだがな』

「ご、ごめんなさい。おもしろくて……」

『まぁあれだ』


 ファイリーはアンナの肩に留まる。


『悪いたぁ思ってるんだが、そろそろ笑えなくなってくるだろうよ』


 入ってすぐのところに階段がある。地下へと繋がっているらしいのだが、雰囲気から行政官府の地下を思い出して躊躇する。この先に待っているのは何か。あの時のような惨劇なのか。


『いいや、独りの女の子のお話と、お前さんに関わることさ。人間はまだ誰も気付いていない、お前さんの正体についてだよ』


 人間というのだからアンナの知る全ての――あくまでテースを除いた人達のことだろう。このファイリーもテースを人間として見ていないのだろうか。


『テースはテースだ。人間か死神かなんて、俺っちにとっちゃぁ些細なことさ。ただ俺っちは頼まれたのよ』

「たのまれた……?」

『紳士な雀の俺っちは頼まれるとほいほい断れねぇんだ。だからお前さんをここに案内する。人間どもが好き勝手やらかした場所だが、元々ここはよ、この町の中心なんだよ』


 階段をゆっくりと降りていく。一体何年間もの間、この階段は使われてこなかったのだろう。外の光が段々と届かなくなっていくにつれて積もっていく埃に咽せる。

 やがて外の光は閉ざされ完全に闇へと埋没したかと思えば――ぽぅ、と左手の傍で光が浮かぶ。


『さぁとくとご覧あれ。こいつがよ、始まりだ』

「始まり……」

『死神の、始まりだ。テースが生まれるよずっと昔、それこそこの町が存在する前に起きた、この地での奇跡って奴よ』

「それって」


 灯りは階段を照らしているので降りるのに不便は無かった。

 やがて左手の光が自分の手を覆うほど大きくなり、壁が鮮やかに色を変えていく。まるで現実と見紛うばかりの美しく鮮烈な緑が広がる大地が描かれ、揺れる木の葉は風を感じさせるようだった。

 実際に風は起きていない。アンナの髪が風でたなびくようなことはなかった。


『俺っちはよ、これをテースにも、ましてやあのハンスって餓鬼にも見せる気はねぇんだ。だけどテースが自分から語り聴かせたお前さんならよ、まぁ頼まれた手前ってぇのもあるが、良いかって気がしたんだよ』

「ファイリーって……おしゃべりだったんだね」

『けっ、言葉が通じないだけでイメージ植え付けられちゃ堪らんってもんよ。ほらよ、もう少しで見えてくるぜ』


 壁に描かれる画は緩やかに動いている。それを眺めながら歩いていても、画はアンナの歩みに合わせてついてきていた。

 歩きながら動く画が観られる。


「そういえば都市のほうだと、え、映写機っていうのがあるって話聞いたことがあるよ。動く絵が見られるんだって。これってそういうの?」

『さてな、俺っちはその映写機ってのに興味がないもんでね』


 しばらくすると緑の草原にぽつぽつと人影が現れ始めた。誰も彼もが元気なく綺麗な草原を歩んでいく。疲れているのみならず痩せ細ってもいた。ろくに食べ物も口に入れてないのだろう。それでも彼らは一様に歩みを止めず進んで行く。


(なんで? その先に何があるの?)


 幼いアンナは彼らの姿こそ眼に入れていたもののその表情までは観ていなかった。とはいえ元々勘が良いのですぐに気付く。


(ちがう……ちがうよ、にげてるんだ!)


 彼らは全員恐怖に脅えている。

 背後から襲い来る何かに脅えているのだ。

 では彼らを追う何か、それが気になるのは当然だった。


(……なにが)


 映像はまだそこまで映していない。もう少し時間がかかりそうだったものの、端で蹌踉めいていた老人が突然引き摺られて姿を消す。


「ひっ……!」


 まだ映されていない部分から何かが老人を引き摺り込んだ。背筋が寒くなるものの、アンナの視線はその端に釘付けとなる。


「また……!」


 今度は女性が引き摺り込まれていく。弱り、足が遅くなった者から犠牲になっていった。集団はその恐怖から逃げている。

 そして映像はゆっくりとだが動いていく。

 その端にいる者の姿を、鮮明に、克明に、映し出す――


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