146.テース8
「死にたいと願ったのは貴方です、お父さん」
死神による宣告がもたらされる。
「ああっ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
頭を抱えて無様に転がり、方向も定まらずに何度も壁へと激突しつつもこの部屋を出て行く。死神は――テースはそれを見送った後、そっとしゃがんでメイの頭を優しく撫でた。
「さぁ、あなたも家にお帰りなさい。大丈夫、あなたは死にません。神を否定したあなたならきっと大丈夫だから。まっすぐ家に帰りなさい」
虚ろのままの瞳ではあったが、メイはそんなテースに向かって小さく頷いた。そんなメイの頭をテースはそっと優しく撫でる。
「スティーブさんとホマーシュさん」
名前を呼ばれてスティーブは身体が震える感覚を覚えた。認めたくはないことだが、どうやら彼女相手に脅えてしまっているらしい。
「貴方達の妹であるテースです。こんな姿で再会してしまったことをお許しください。ですが、もうこれまでです。私達を縛っていた呪いはこれでお終いにしますので」
「……し、まい?」
呪いというのは簡単だ、自分達があの実験棟から抜け出した後、自由を得る権利があったにも関わらず未だに過去を暴こうと茨の道を歩んでいるという意味だろう。それを彼女は終わらせると宣言したのだ。
「まて、ズィーベ……いや、テース。お前が終わらせるとは、一体どういう意味だ。何を考えている」
「私が望むのは人間になることと言いましたね」
「ああ」
「それを叶えるには、一つしかないんです」
「……一つ? 真相を暴くことではないのか?」
「真相は最初から知っていますので、そこに意味はありません」
黒き衣を纏う少女は、圧力を解いて優しく微笑んだ。
「私の好きな人が、心から私を人間だと言ってくれるだけでいいんです。それだけで私は人間に戻れるんです」
なんと簡単な願い事であり、途方もなく遠い道を行こうとしているのだろう。スティーブはその絶望的な願いの意味を知り、歪めたくなくとも顔を変えるしかなかった。今の彼女を前にしてどうして心から人間と思えるだろうか。化け物じみたホマーシュですら今の彼女を前にしたらただの人間でしかないというのに。
「……俺は、何もしてやれないというのか」
「この子を送り届けてください」
「……それは引き受けよう。だが、俺は!」
「妹をすら助けようとしたのでしょうが、貴方に出来ることは最初から何もありませんでした」
「……テース……!」
その事実は酷く重くのし掛かり、実際にその通りである故にスティーブは名前を呼ぶだけに留まってしまった。言いたいことなら大量にある。言わなければならない言葉がある。何年間も胸に秘めてきた想いは、確かに自分の中で今にも爆発しそうなぐらい強く脈動している。
しかしテースはスティーブのそんな気持ちを察した上で、それら全てを飲み込めと言う。今ここで吐き出したところで徒労に過ぎないと。
そしてそれをここで吐き出した瞬間、スティーブは無気力となってしまうだろう。救いたかった兄弟がいた。一番上の長男としてやるべきことをやれずに目の前で三人を死なせてしまった。ホマーシュやハンス、そしてテースを逃がし最後まで面倒を見てやれなかった。歳上だと自覚し、責務があると何度も言い聞かせていた結果があの様だったという罪悪感があった。
だから彼はケープ市に戻ってきた。名を変え、刑事としてこのケープ市に留まった。今度こそ兄弟を守れる力を手に入れて、そして次に出会った時、その役目を果たすと決意していたのだ。
しかし無駄だった。
ホマーシュもハンスも立派に一人でやっていけるだけの力を持ち、そして一番下の妹だったテースはもう人間ですらない。
今までの数年間、罪に嘖まれながらも進んできたのは自分が全ての責任を負い、そして守ろうという決意があったからこそだ。
「もういいんです。休んでください」
そして守ろうとした者が許してくれることによって、スティーブは自らに課した役目を終えた。
「終わり? いいや、僕はまだ何も終わっていない。待っていたよテース。お前が呼ばれるのを。この手で殺さなければならないんだ、お前は」
「……貴方も」
床に転がった剣を拾おうとした指が滑り、ホマーシュは舌打ちをして諦めた。
「終わるわけにはいかない。僕は、僕を知る者と僕を辱めた者全てを殺す。そうしなければ僕は僕でいられない!」
「以前にも言いましたが、それは違います。そんなことをしても近い将来後悔するだけになるでしょう」
「何がわかる! お前なんかに僕の何がわかるっていうんだ!」
「わかります」
「何がだ!」
「解ります。全て識ってしまう私の能力を、貴方達はよく識っているでしょう。私に隠し事はできません。自分を偽っているその心も……解ります」
「……ふざけるな、ふざけるなよ!」
ホマーシュは両手でテースの襟首を掴む。
「見透かすな! 僕の心に土足で踏み込んでくるな! そんな権利など誰にもない、誰にもやらない! 僕の心は僕だけのものだ! 誰にも弄らせない弄ばせない誰にも穢させない二度とだ!」
「其程までに実験は過酷でしたね。あの実験は其程までに心を壊すほどに……惹かれていた女性を死に至らしめる程の」
「やめろォォ!」
投げ飛ばすように腕を振り回してテースを突き放す。
「僕は僕の意志でアデナウアー家を皆殺しにした! 復讐の為にだ! それ以上の理由などあるかぁ!」
「ではなぜ……」
突き飛ばされたテースがゆっくりと立ち上がり、瞳を細めて――強い意志を込めて、ホマーシュを指さす。
「……泣いているのですか」
「――泣いてなどいるか! 僕は!」
「アンジェラさんは私の友達でした」
「だからなんだ! 殺したのは僕じゃない! 彼女を殺したのは僕じゃないんだぞ!」
「そうです、殺したのは私です」
「……!」
その宣告は――知っていたものの、ホマーシュを黙らせるには十分だった。アンジェラを殺す為に動いていたはずだったのに、今となって本当は何をしたかったのか、彼自身が混乱し途惑い始めている。
「彼女は死を望みました。だから私はあの場で彼女の願いを叶えました。本気で死を望んだ者を前に、死神を止められる者はいません。そう、あの場にいたハンスさんですら私を止められませんでした」
それはハンスに止めて欲しかったと言っているようなものだったが、それに気付いたところで誰も彼女にそれを忠告しようともしない。いや、できない。
「だから私自らの手でこの愚かな呪いを解きたいと思います。例えこの身が滅びようとも人間になることによって」
テースはメイの背中を軽く押してスティーブのところへと押しやった。頼りない足取りの少女を受け止めたスティーブは睨むように、あるいは自分の無力さを呪うかのように眉を寄せてテースを見遣る。
「どうするんだ、お前は」
「どうする?」
返事なんてまったく期待していなかったのに、テースはうっすらと笑みを浮かべたまま、逆に問い返してきた。
「さぁ……私は何をすべきでしょうか」
次回更新は5/4 20:00を予定しています。