144.テース6
「まさか、協力体制になるとはな」
神教官府受付にて、苦笑しながらスティーブは呟く。
「協力? ああ、まぁそうでしょうね。君も対象ではありますが、生憎優先度は高くないので」
バッグを担いだままホマーシュが笑みを浮かべてそう返答する。二人ともこうして協力するつもりはなかったもののスティーブがホマーシュを偶然発見しこうして声を掛けたのだ。スティーブとしても「まさか」という気持ちは強かったものの、いざ確認してみれば本当にツヴァイだった時は驚きを隠せずにいた。
そしてスティーブの刑事としての感覚は、ホマーシュが真っ当な人間――少なくとも聖職者を名乗るに値しない犯罪者であろうことを嗅ぎ取っていた。一体何人殺してきたのかその奥底が全く覗けない。もしまだ刑事として働いていたのなら有無を言わさず数名で張り付き動向を探っていたことだろう。今までどのような人生を送ってきたのかは想像の域を出ないが、生き残った子供達の中で最も壮絶な人生を歩んできたのは間違い無くホマーシュだろうことは想像が付いた。かといってスティーブの歩んできた人生が楽な筈もなく、互いに当時の面影を陰に潜ませてしまう程度には過酷な道を歩んできたということだろう。
(巡回神父だが……もう違うのだろうな。以前見た時の殺しの手際は神父というより、殺し屋だ)
姿形だけは神父のそれであるものの、巡回神父とは裏家業の匂いを決して漂わせない。それを隠す気もなくこうして周囲に殺意を放っているのだから彼はとっくに教会を追われている身なのだ。それでもこの神教官府に足を運んだのだからかなりの覚悟があると見ていいだろう。
神教官府の受付までは何も知らぬ神官やその世話係等、のんきな顔をした職員達が詰め寄せている。
「こうして堂々と乗り込んできた以上、ペシェルも無視はしないでしょう」
「むしろ後々喜んでいるだろうな。取り逃がした獲物がこうやって戻ってきたんだ」
ホマーシュの計算とスティーブの推理は共に堂々と姿を現すことによって無傷のままペシェルのところへ案内されるということだった。
「ご用件は」
「アウグスト氏との面談手続きを取ってくれ」
「……。かしこまりました」
下手な抵抗や暴力に訴えるよりもスムーズに事が運びそうで、スティーブは眉を顰める。おそらくペシェルが先に手を打ったのだろう。不意打ちを与えたつもりでもあったが、そこだけは予想以上に冷静な対処を下しているようだった。
「最終手段に出ないことを祈るばかりだよ」
煙草に手が伸びかけて、そこで止める。ここは禁煙だったことを思い出したのだ。
「いいえ、ここは祈りましょう。僕にとっても最終手段は最良手段となり得るのですから」
「……殺意を隠せてないぞ」
「隠す必要があるので?」
「無用な争いを引き起こしかねん。俺達の目的を考えればここで暴れるのは結果的に最悪な状況となる」
「それが貴方の答えですか?」
「……。そうだ。役に立たんがな」
一人の男が歩いてくるのを視界の端で捉え、そこで二人は会話を中断した。
何段もの階段を登らされ、時折窓から覗ける外の世界は大地が白く染め上げられていた。本来ならば美しい街並みがそこにあるはずで、人々の営みに元気を貰い、そうして生きる糧にするだろう景色は形を潜め、人の命を奪う鎌の霧が今もなお人々の魂を蛇の様に狙っているのだろうか。
「死神か……」
「その死神の正体、気付いているのでしょう」
「……さすがにな。それにアウグストから全てを聞いた。あまりにもクソったれな計画と俺達の意味もだ。それとさらに奴の――」
案内係がそこで足を止める。
「着きました」
「随分と高いところですね。最上階に近いのではないですか? すっかり足が棒だ、早く椅子で休ませてほしいところです」
臆面もなくそんなことを言ってのけるホマーシュを横目に密かな溜息を吐く。どの口が疲れたというのだろう。
「お連れしました」
「中に案内しなさい」
男がゆっくりと扉を開く。
「くれぐれも『失礼のない』様にお願いいたします」
耳元でそんなことを囁く案内係の脇を通り抜けて室内へと入る。やたらと薄暗いのは窓もないこの部屋の中央に蝋燭だけが唯一の灯りとなっているからだろう。そのテーブルで向かい合うように二人の男が座っていた。
「アウグスト……そして、右腕か」
懐に手が伸びそうになるのを自制しつつスティーブはゆっくりとアウグストのところへと向かう。
「随分と暢気そうだな。酒は美味いか?」
「ああ、最期の酒は格別だ」
「最期だと?」
スティーブは容赦なくその胸ぐらを掴みあげた。
「巫山戯るな、今からお前はあの家へと帰る。それが今、お前のやるべきことだ。今更過去に囚われて自棄酒に走ることがお前のすることじゃない」
「そうかもしれんが、手遅れだ」
「勝手に諦めやがって!」
「刑事さんは随分と熱心なようだ。さて、二人がここへ来てくれたことを歓迎しよう」
「ええ、僕も嬉しいですよ。先ずはここで目的を果たすことができそうですし」
バッグから黒く赤く黒茶色の何かが付着した巨大な剣を取り出し、床に突き立てる。その威圧感は異常なまでに大きく、スティーブですら圧巻させた。
(……こいつ、ついさっきまで一体何人殺していたんだ)
付着したものはごく最近まで生きていた血だ。おそらく人間のものだろうが、ここまで落ちずにこびり付いているとなれば一人や二人どころではないだろう。何人、何十人と殺した結果がそこにある。
「ああ、もちろん君が殺しに掛かるのぐらいは予想済みです」
ペシェルが指を鳴らすと周囲からぞわりと殺気が溢れ出し、スティーブは今度こそ懐へと手を伸ばしたが、すぐに無駄だと知れた。
周囲を囲っているのは約七名の男達。それが暗闇に潜んでこちらにライフルを向けているのだ。
「剣一本と銃一丁、片や――」
ペシェルが懐から拳銃を取り出し、それをホマーシュへと向ける。
「八つの銃口だ。君達は実に無力なのだよ。さて、何しに来たのかを教えていただけますか?」
「……ちっ」
多少は話し合う余地はあるだろうと思っていたのだが、こうまでくるとペシェルは何も聞く気などないだろう。大人しく従うつもりもないが自分の力だけでここを打開する方法はないだろうかとスティーブは頭を働かせる。
一方でホマーシュは涼しげな表情でいつも通りだった。
「別に、やることは何も変わりません。この程度で僕を脅したつもりならば――からかうのも大概にしろと、まるで子供を躾けるように忠告するしかありませんね」
「君の実力は知っている。だから指一本でも動かした瞬間、撃つように指示してある。見えなくともその程度の鎖で縛っておかなければ恐ろしくて真正面から話せませんからねぇ」
「だから勘違いしていると言っているんです」
ゾン、の後に、ドン、と何か妙な音が聞こえた。
その音はこの場にいる一同へ妙な違和感を覚えさせる。部屋の中に突然の変化が訪れ、そしてそれは目に見えない速度で行われたのだと。
スティーブが鋭く周囲に目を向けて、その事実に気付いた時は声すら発せられなかった。
元巡回神父の眼前に突き刺さっていた大剣はそこになく、あるのは穴が開いた床と――腕を大きく振り上げていたホマーシュ本人だ。では大剣は一体どこにあるのかと言われれば、ホマーシュの側面の壁に突き刺さり――幅の広い刀身の上には、人間の首が置かれていた。
ドサリという音は頭部という司令塔を失った人間の身体が床に崩れ落ちるものだ。剰りにも一瞬の出来事と壮絶な殺しに、ホマーシュが指一本でも動かせば撃てと命令されていた周囲の男達ですら動けなくなっていた。
「ほら」
面白そうにそう言いながらホマーシュは死んだ男の横にいた奴へと走り、左手の人差し指と中指でその喉を貫く。ほとんど血が出る前に殺したその男の手から銃を奪ってスティーブへ投げていた。その間にもホマーシュはさらに別の男へ距離を詰めて、今まさに殺そうと動いているところだった。
「くっ!」
ここまできたらやるしかない。
覚悟を決め、受け取った銃を乱射する。
この場において状況を正しく理解しているのはホマーシュを除けば恐らく自分だけだろうと自覚し、だからこそ今の内に数を減らす。
(いや、俺も正しくは理解してないのかもしれない)
銃弾に貫かれた男が倒れるのも確認せず次の相手へと銃口を向ける。混乱極まる状況の最中、相手もまた銃口をこちらに向けるべく動こうとしていた。それよりも早くスティーブが撃っていたのでそいつはまだいいのだが、他の連中はそうもいかない。
「伏せろ!」
無理矢理アウグストの頭を下げさせてスティーブは走り出す。動かない的ほど狙いやすいものはない。とにかく走りながら銃を撃つと三人目が倒れていく。
その間にホマーシュもまた三人目を仕留めていた。
あと一人。
「動くな!」
しかしそこに鋭く響いたのは、ペシェルの声だった。
「アウグスト! 動けばこの娘を殺す!」
「……メイ!」
伏せていたアウグストが顔を上げる。
「……あ……」
虚ろな目をした少女が小さな声を出す。
(……やはりあの子か)
アウグストの家で見かけた、黒髪の少女。肌もやや褐色であり、目の色もくすんだ赤色――やはりこの国の人間ではない。
(薬を打たれたか)
抵抗できないように注射でもされたのだろう、今のメイは考える意志を奪われている。ここでメイを出すのは予定調和だったのか、あるいは追い込まれてなのかは知らないが、状況を一変させる効果はあった。
「だからどうだというのです?」
その人質はスティーブとアウグストにこそ効果があったものの、ホマーシュには一切関係ない。壁に刺さった剣を引き抜くと首が落ちゴロリと地面を転がっていった。
「やめろ! 動くな!」
容赦なく殺そうとするホマーシュを制したのはスティーブだ。腕を振って叫ぶものの、ホマーシュから漏れ出してきたのは乾いた笑いだった。
「何故です? まさかあの娘に情でもあるのですか?」
「俺は約束をしている。いいから動くな」
「解りませんね。それで僕が止まるとでも?」
「動くな、といっているんだ」
元刑事は銃口をホマーシュへと向ける。
「……協力体制はここで解散ですか。あっけないですね」
「元々お互いの目的を果たすための一時的な協定に過ぎないだろうが。いいか、動くな。この場は俺がなんとかする」
手に持っている銃をすかさず横に居た男へと向け、放つ!
「なっ……!」
さすがのペシェルも絶句して目を見開いていた。人質がいるというのに躊躇無く部下を殺すとは予想だにしていなかったのだろう。
「これで状況は五分だ」
そしてそう告げる。
「……五分? こちらには人質がいる」
「その人質が死んだ瞬間、死ぬのは誰だと思う? 俺達はお前の命も握っているんだよ」
「殺さなければいいのだろう? ここにもう一本注射がある。今打っているのは意識を奪うだけの薬だが、これは違う。心を破壊する。わかるか、生きながら『殺す』方法がある以上、お前達は手を出せないだろう?」
肩を竦めてホマーシュは壁に背中を預ける。まるで茶番だと小馬鹿にしているようでありながら、今の流れを見守るつもりらしい。
(このまま見守っててくれればいいが……)
それは叶わぬ願いだと重々承知している。あのホマーシュがむざむざペシェルを逃がすわけもなかったのだ。つまりこちらは一手でもヘマをすればホマーシュは人質の安否など関係なくペシェルを殺しに掛かる。そう、ペシェルがメイを盾にしようとすれば、その盾ごと刃が奴を貫くことだろう。
子供達との約束がある以上、メイは無事に送り返さなければならない。喩えそうではなかったとしても無関係の人間が巻き込まれた時点でスティーブは助ける方向へと動くだろう。そこが同じ施設の子供でありながらスティーブとホマーシュの決定的な違いでもあった。
ペシェルが次の手を打つ前に動く必要がある。考えている余裕もない。銃口をペシェルの眉間に狙いを定め殺意を以て奴の足を止める。
「人質を放せ、ペシェル」
「こんな状態で? 放すわけがない」
それもそうだ。そしてこの硬直状態もまた宜しくない。時間が経過すればするほど奴が優位となるだろう。――異常を察した奴の部下達がここへ雪崩れ込むにもそう遠い未来ではない。
(ちっ……、撃つか?)
狙いは定めているものの、メイを当てずにペシェルだけを狙い撃つ自信はスティーブになかった。
「どうやらこちらの勝ちのようだなぁ」
その勝利宣言も危険だ。下手をすればこの銃口を再びホマーシュへと向けなければならなくなる。一度だけホマーシュへと目を向けると、彼はとうに剣を握っていた。
「そうですね、どうやら僕が殺した方が良さそうだ」
(拙い!)
銃口をホマーシュへと向ける。躊躇っている余裕はない。
「動くな!」
「邪魔をしないでください。死にたいのですか」
「今更何を」
ホマーシュは到底まともではない。ペシェルとアウグストを殺した後、恐らくはスティーブも殺すつもりだったのだろう。こうやって銃を向けることになるのは時間の問題に過ぎなかった。
「……メイ、私はお前を助けることが出来ないようだ」
その時、アウグストは立ち上がり。
両手を合わせた。
「アウグスト、何をするつもりだ……?」
「ペシェル、切り札とはそう易々切るものではない。アインズ、一つだけあるのだろう――最悪の切り札が」
その問いにスティーブは躊躇う様子を見せた後、首を縦に振る。
「……ある」
使わなければそれに超したことはないという最悪の切り札を切るのは今かと、スティーブはそれでも悩む。ホマーシュがいる以上どうしようもないとはいえ、そもそも彼が居なければペシェルがメイを引っ張り出すことすらなかっただろう。
「切り札? この場において何が切り札だと?」
「わからんかね」
アウグストは両手を組み合わせて、まるでそれは天への祈りの如く優しく慈しむような、神聖なる行為だった。
そう、祈りは誰に向けてのものか。
アウグストが祈る先にあるのは、一体何か。
「まさか……まさか!」
あまりにも、どうしようもなく気付くのが遅すぎた。何故そんな簡単なことを思い浮かばなかったのか、この時ほどペシェルは自らを恨んだことはなかっただろう。
「彼女はどこにでも現れる」
もういいだろうと、スティーブは懐から煙草を取り出して一本口に咥える。自らの勝利を確信してではない、この先どうなってしまうのか『答え』を完全に見失ったからこそ何もかも諦めたのだ。
ホマーシュですら余裕を無くした表情で大剣の柄を握りしめている。
「死神を、知っているか?」
そうしてこの場は世界より隔離される。
しかし隔離ではないのかもしれないと、誰かが呟いた。
「神による、部分開放に近いのだろう……世界こそ隔離された場所であり、神によって上位世界への扉が開かれるのだ」
老人にも似た男の説明を理解することなど不可能だったが、スティーブはその言葉を無視できなかった。そしてこの暗闇の部屋の奥に突如として何かが現れたことを察して身体が固まる。足下を流れるはどこまでも冷え切った空気。自分に向けられていない視線ですら逆らう気力を一切無くす絶対的な支配力を持つ。
(来た……)
人間が降臨させた唯一の神が現れる。
「ここに死が、あるいは死を望めば、彼女は現れる」
だが今はまだ昼だ。夜ではない。
それでも関係なく彼女は――死神少女は現れた。
「ペシェル、我々は『終わった』のだよ」
「終わって……など……! モンスターがここに現れたところで……逃げられれば……!」
「我々が生み出したその『モンスター』は容易くそれをさせてくれると思っているのかね? 死神は、逃がしてくれると思っているのかね?」
「それは違います」
暗闇の中から囁かれる言葉を聞いて、アウグストは黙ってそちらに目を向けた。
「死を望まない人に、私は何もしません」
闇から――闇を纏った少女が音を立てずに歩んでくる。
「さらに言うなら、私は死神であり――今は死神ですらありません。問答をするつもりもありません。貴方達がここで魂を狩られるかどうか、その決定権も私にはありません。行使しません」
その言葉に戸惑ったのはアウグスト本人だ。
「ただし、私は一つだけ望むことがあります」
ただ死神としての役目を行使する少女が、今、はっきりと望むと口にした。
「望む……? そんな……」
これもまたアウグストの識りうる事態を超える出来事だ。死神はむしろ何も望まない筈なのに。
「私は人間になりたいのです」